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王位継承編③ その戦いで得るものは
クロシードと、受け継げないもの
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思えば戦場と訓練以外で戦うなんて、はじめてのことだ。
日本にいた頃は大人しすぎるぐらいに大人しい性格で、喧嘩なんて一切の無縁。戦うのは対戦ゲームぐらいで、スポーツも特に深くは経験していない。
体育では鉄棒とマット運動が苦手な、どこにでもいる普通の子供だった。
ただ、引きこもっているときに父さんが『頭と体だけは鍛えておけ』と言っていて、それが引きこもる条件のように思えたから、俺は勉強と筋トレだけはキッチリやっていた。
引きこもりはガリガリのもやしっ子という一般的なイメージから抜けたかったということも、あるかもしれない。
……でも、まさか自分が戦争の道具になるとは一度たりとも考えなかったわけで。
もしもそうなることがわかっていたなら、筋トレなんてきっとやらなかっただろう。
そういう性格である。
「お手柔らかに」
対面した状態から一歩前へ出て、握手を求める。
これでも英雄なわけで、少しぐらい尊敬されていたりとかしないかなー、なんて思っていたのだけれど。
ミューレン家の三男は、この家系にしては珍しいのか、脳筋っぽさが出るほどの筋肉質ではない。
ある程度の細さも保ち、身なりだけは紳士的な風貌だ。
しかし俺の言葉は意にも介さない様子で、口角を気持ち悪く上げてニヤけた。
「生憎ですが、その手を握るほど汚れた手は、持ち合わせておりませんので」
戦場で最も危険な最前線へ、貴族はやってこない。
当然だ。平民を差し置いて自ら命を賭す必要なんて一つもないのだから。
戦場に出てきても指揮官として後ろでふんぞり返るか、そもそも戦場にも出てこないか。まあ大半は後者だ。
安全圏にいて、ゲームのように戦争を楽しむ。
少なくともこの世界では、それが常識。
「戦場へ出た者の手は汚れている――と?」
「ええ。三男と言えど貴族は貴族。大会で優勝を重ねれば、自然と名声は手に入りますから」
「あなたは名声を得たから、戦場へ出る必要が無かった」
「その通りです。ヤーマンは私に勝てないから戦場へ出向くしかなくなった、ただそれだけのこと。王族貴族になれない平民が殺し合うだけの場で死ぬとは、まあ、互いの家の名誉を賭けて切磋琢磨してきた仲としては、本当に残念な結末ですね」
全く切磋琢磨してきたなんて思っていないのが丸わかりである。隠す気も無いのだろう。
「――で、英雄様はその棒で、私と戦うおつもりですか?」
「ヤーマンさんから教わったのは、棒術だけなので」
「ああ。そういえば彼は棒術を得意としていましたね。全部勝っていたので、なにが得意だとか、忘れていました」
白々しい。
……しかし、やはりここで本気で怒れる人間こそがきっと、英雄らしい人物なのだろう。
俺は根っからの喧嘩嫌いなのか、争いごとを好まないにもほどがあるのか、ここまでの発言を耳にしたところで『叩きのめしてやる!』とはならないんだ。
ただただ、こんな最低の人間とは永遠に関わり合いたくない、と思うだけで。
「俺の棒術はヤーマンさんの域に達していません。それでももし、あなたが負けた場合。――二度とチェンバーズ家と、関わらないでもらえませんか?」
クロシードがあるとはいえ、この言葉に嘘偽りはない。
技術だけを受け継いだところで体力が違う。
筋トレだけをしてきた引きこもりと武術の家に生まれ育った本物の武闘家では、鍛えかたの次元が完全に異なる。
「私に今後の親睦会や武術大会へ参加するな――と。そう仰りたいのでしょうか」
「ええ。ヤーマンさんをねじ伏せる強さがあるのなら、あなたにリスクはないでしょう」
ふむ、と考え込んで、こちらの目をチラリと見てくる。
「……確かに、戦場においてヤーマンの右に出る武闘家はいなかったと聞いています。英雄と言えど、ヤーマンには勝てなかった――と。…………しかしそういえば、英雄様は交渉ごとがお得意だとか」
「俺の言葉は信用できないですか?」
「いえ。今日のために事前に伝え聞いた噂話までコントロールすることは不可能でしょう。しかしそのような条件を、勝てない相手に突き付けるとも思えない。私の知らない技で不意打ちを狙ってくる可能性がある。例えば、ヤーマン以外から教えられた武術などがあるのなら、それを使ってくる――とか」
疑り深いのか、それとも単に小心なのか。
「大陸統一の名誉に賭けて、ヤーマンさんから継承した技以外は使わないと約束しましょう」
「ほう……。――――ふむ。ここで英雄をねじ伏せることができれば、私の名声は更に上がる。悪くはないですね」
舐めるような視線をこちらに送って、彼は頷いた。
俺の体格はまあ、しっかり動けるように鍛えているといった程度。
五年の旅を経てもなお、根っからの武闘家のそれではない。最大の武器は好感度視認スキル『ライカブル』を活用した交渉であって、生身での攻防を主体に大陸統一を果たしたわけでもない。
その辺りを推し量られているのだろう。
「なるほど。……その条件、飲みましょう。但し、折角ですからここはヤーマンの技に捕らわれずに全力で戦っていただきたい。私の名声を上げるには、力を出し惜しんだなどという言い訳は邪魔ですから。相応のリスクを負いましょう」
俺の力量を目で推し量って、リスクを負っても大丈夫だと判断した――か。
そして、ここでヤマさんだけの技を使うと俺が意地を張ったところで、交渉が破綻するだけ。
「わかりました。では、全力でいきます」
俺は棒を構え、彼も同じく棒を構えた。
棒術と棒術。
互いの力量を比べ合うには最適の組み合わせだ。
「――本当に、ヤーマンの生き写しのような構えですね」
この手合わせには審判がいない。ただ両家の人間が見守るのみ。
『はじめ』の合図もないが、さすがに武術の家系同士、不意打ちをしたところで名が落ちるだけという暗黙の了解があるからこそ成り立つのだろう。
俺が気を張って止まっていると、呼び動作ゼロで顔面へ棒が突かれる。ギリギリで躱すと前髪が風で揺れた。
初手で全力の突きとか、殺気満々だな。
正直に言って、今のタイミングに隙はあった。しかし、仕掛けるにはまだ早い。
そのまま俺がいるほうへ棒が振り戻されて、波状攻撃が始まる。
――――だが。
チェンバーズ家は守りの型。対処法は無限にある。
俺は全ての攻撃を弾き返して、苛立ってきたところで相手の棒を跳ね上げ、改めて大きな隙を作らせた。
「……どうして、決めに来ないのですか」
「わかりませんか? これはレイフさんの使った技です」
俺の意図を察したのか、三男が感情的に攻撃を再開した。
ミューレン家の中では細身と言えど、一般的に言えばかなりの体付きだ。身長も俺より十センチほど高いだろう。さすがに威力がある。
このまま続けていれば、俺の筋力ではいずれ分が悪くなるかもしれない。
――――でもロニーくんは、これ以上の差を、覆したんだ。
「ふっ!!」
息を吐いて繰り出された突きを半身でかわして、俺は棒を放棄。そのまま懐へ踏み込んでコマのように体の軸を使い、背負い投げた。
床に叩き付けたところを上から押さえつけて、制圧完了。
棒術と柔術の組み合わせはロニーくんが見せたものである。
――――だが、このまま大人しく終わる相手ではないだろう。
「このっ――!!」
ロニーくんがやられたのと同じように、固く握った拳でこめかみを狙われたわけだが。
俺はより速く、目の前の高く伸びすぎた鼻っ柱へ頭突きを見舞った。
「ぐぁ――――ッ、アアぅッ!!」
悶絶する相手から体を離して、スクッと立ち上がる。
そして乱れた襟を正した。
「ああ、すみません。最後の頭突きだけ、オリジナルでした」
この人は戦場で生き抜いた人間を甘く見すぎだ。
ヤマさんより力に劣る俺は、ヤマさんほど綺麗に敵を制することができない。
だからこうした荒っぽい手段も覚える必要があった。彼は俺の体格が劣ることに安心するだけで、それを補う必要があったことを見抜けなかったわけだ。
「この……ッ」
鼻血を床へ落としながら、膝をついてこちらを見上げてくる。
「まだやりますか? レイフさんとロニーくん、二人がやったのと同じようにやられて力の差を感じないほど、バカではないと思いますが」
「――――くそっ! ヤーマンに教わった程度でなぜ――ッ!!」
「自分では気付けないんですね……」
この人は、ある意味では可哀想なのかもしれない。
対戦して気付いた。
俺が守りの型であるはずのヤマさんから守りの型の稽古を付けてもらうということは、ヤマさんが本来とは異なる攻撃役を演じなければならなかったわけだ。
しかしそれでも、ヤマさんは今の彼より遙かに洗練された動きで、力強かった。
ミューレン家の中で一人だけ筋肉質ではない体格。それはきっと、父親や上の兄弟ほど力を付けずとも勝ててしまったからだろう。
…………ヤマさんが、優しすぎたから。
「あなた、勝ちを譲られていたんですよ」
「なっ!?」
念のためにミューレン家の当代の表情を伺ってみたが、動揺して慌てたり身内を守ろうとする様子は、全く見られなかった。
ただただ黙して、俺たちの話を聞いている。
「当代であるゴルツさんも、二人の兄上も、気付かれていたのでしょう。あなたが弱いことに」
「そんな――」
彼は慌てて、助けを求めるように家族の顔を見遣ったが、誰一人として彼の顔を見ようとはしなかった。
「同じ武術の名家に生まれた、同じ三男坊。名声を上げなければ貴族として地位を上げることは叶わず、そうなれば戦地へ赴いて戦果を上げる必要に迫られることも、あるかもしれない。ヤーマンさんはきっと、そこまでを考えた」
王族貴族は子供が多い傾向にある。
では子供が沢山生まれたから全ての子供に親と同じ地位が行き渡るかといえば、そんなことをしていたら爵位持ちだらけになって、価値が薄まってしまう。
そこで『貴族落ち』という現象が発生するわけだ。
例えば、貴族にも拘わらず戦地へ赴くことが、それに該当する。貴族らしからぬことをしなければ名声を上げられないのだと、名指しで揶揄される。
「弱いあなたが戦地へ出ることになったら、生き残れますか?」
「弱い……だとっ!?」
「ヤーマンさんは誰よりも優しく、誰よりも強く、北半島統一では立役者となった。――無血で城を制圧した、離れ業の立役者です。……あなた程度の人に、戦場で前線に立って死ぬことも殺すこともなく敵を制するなんてこと、できるはずがありませんよね? だってあなたにできるなら、あなたに勝てる俺がやっているはずですから」
統一の順番は、南から時計回り。北半島は三番目だった。
そしてヤマさんは、北半島統一に際して英雄と呼ばれた。
俺ではなくてヤマさんが英雄と呼ばれたのは、単純に戦功が違いすぎたからである。自ら鍛え上げた少数の兵で相手国の総本山に乗り込み、敵兵を完全制圧し、俺に交渉の猶予と材料を与えた。
無血開城なんてものは圧倒的な戦力差があってこそできることだ。
経験と訓練による戦力のピークが北半島の統一に重なったとも言える。
――その後、ヤマさんは東半島統一の最中に亡くなり、俺がクロシードで技術を継承した。
だが継承して気付いた。
ああ、俺には無理だ、と。
死を覚悟して戦いに臨むというのは、戦場なら誰でも同じだろう。
でもヤマさんは多分、自分以外の犠牲者が一人でも少なくなるなら自分の命は投げ捨てるという、特別な覚悟を持っていた。
そうでないと無血開城なんて不可能。戦力差もあったが、なによりもヤマさんの捨て身の姿勢が結実した成果だった。
俺はもちろん、自分が死なないことが最優先である。
英雄らしい勇敢さとか、一つも持ち合わせていない。
自分が死なず相手も殺さない方法を考えて、でも、『仕方がない』と割り切る必要には何度も迫られて何度も割り切った。
実際、最後の東半島統一は激戦となって、多くの血が流れた。
技術を受け継いで、覚悟の違いに気付かされたわけだ。
「――――くそぉ、……なんで……」
さすがにもう勝敗は決しただろう。
背後の気配を察知することが大得意な俺に、後ろから殴りかかってきたところで、返り討ちにできるわけで。
堂々と背を向けて踵を返すと、ロニーくんを運び出したレイフさんが元の位置に戻って正座していた。
俺は目の前で同じように正座をする。
「……すみません。レイフさんにだけ、秘密を明かします」
それから俺は特技継承スキル『クロシード』で、ヤマさんの棒術を受け継いだことを小声で伝えた。
「なるほど。それで生き写しのような……」
「あのっ、ロニーくんにはやっぱり……、黙っていたほうがいいですよね」
「…………そうですな。ハヤト様はいずれ元の世界へ帰られる身です。父親の術をそのまま引き継いでいると知ればきっと、ロニーにとって他人事ではなくなってしまいます。別れが辛くなってしまうでしょう」
「――わかりました」
「お心遣い、痛み入ります」
それから両家が互いに向かい合って礼をして、親睦会とは名ばかりの、名誉を賭けた一戦が終わった。
するとすぐに、リルとマノンが駆け寄ってくる。
「ちょっ、くっつくな!」
「だって……っ。あんな危ないことして、本気で怖かったんだからね!?」
「あぅ。ごめんなさい……。ま、マノンは、どうした?」
右腕にリル、左腕にマノン。
やばい。何このハーレム!? 手合わせよりこっちのほうが緊張するんですけど!
「危なかったのです……」
「なっ、なにがだ」
「あと一歩で、魔法で殺すところでした!」
「おぅ……。そりゃ、なんとか我慢してくれてよかったよ……」
「ハヤトさんの顔に少しの傷でも付けようものなら、あいつの顔を地獄の炎で焼いて永遠に痛みを刻み、最後に全身を――」
「待て待て! 怖いっ、発想がめちゃめちゃ怖いから!」
最後に、のあとは聞きたくなかった。
今後はマノンの前で戦うことを控えたほうが良いのかもしれない。
困り果てている俺に対して、レイフさんが満面の笑みで「ほっほっほ。英雄様はさすがにモテますのう」なんて言っているけれど、完全に茶化している顔だった。
日本にいた頃は大人しすぎるぐらいに大人しい性格で、喧嘩なんて一切の無縁。戦うのは対戦ゲームぐらいで、スポーツも特に深くは経験していない。
体育では鉄棒とマット運動が苦手な、どこにでもいる普通の子供だった。
ただ、引きこもっているときに父さんが『頭と体だけは鍛えておけ』と言っていて、それが引きこもる条件のように思えたから、俺は勉強と筋トレだけはキッチリやっていた。
引きこもりはガリガリのもやしっ子という一般的なイメージから抜けたかったということも、あるかもしれない。
……でも、まさか自分が戦争の道具になるとは一度たりとも考えなかったわけで。
もしもそうなることがわかっていたなら、筋トレなんてきっとやらなかっただろう。
そういう性格である。
「お手柔らかに」
対面した状態から一歩前へ出て、握手を求める。
これでも英雄なわけで、少しぐらい尊敬されていたりとかしないかなー、なんて思っていたのだけれど。
ミューレン家の三男は、この家系にしては珍しいのか、脳筋っぽさが出るほどの筋肉質ではない。
ある程度の細さも保ち、身なりだけは紳士的な風貌だ。
しかし俺の言葉は意にも介さない様子で、口角を気持ち悪く上げてニヤけた。
「生憎ですが、その手を握るほど汚れた手は、持ち合わせておりませんので」
戦場で最も危険な最前線へ、貴族はやってこない。
当然だ。平民を差し置いて自ら命を賭す必要なんて一つもないのだから。
戦場に出てきても指揮官として後ろでふんぞり返るか、そもそも戦場にも出てこないか。まあ大半は後者だ。
安全圏にいて、ゲームのように戦争を楽しむ。
少なくともこの世界では、それが常識。
「戦場へ出た者の手は汚れている――と?」
「ええ。三男と言えど貴族は貴族。大会で優勝を重ねれば、自然と名声は手に入りますから」
「あなたは名声を得たから、戦場へ出る必要が無かった」
「その通りです。ヤーマンは私に勝てないから戦場へ出向くしかなくなった、ただそれだけのこと。王族貴族になれない平民が殺し合うだけの場で死ぬとは、まあ、互いの家の名誉を賭けて切磋琢磨してきた仲としては、本当に残念な結末ですね」
全く切磋琢磨してきたなんて思っていないのが丸わかりである。隠す気も無いのだろう。
「――で、英雄様はその棒で、私と戦うおつもりですか?」
「ヤーマンさんから教わったのは、棒術だけなので」
「ああ。そういえば彼は棒術を得意としていましたね。全部勝っていたので、なにが得意だとか、忘れていました」
白々しい。
……しかし、やはりここで本気で怒れる人間こそがきっと、英雄らしい人物なのだろう。
俺は根っからの喧嘩嫌いなのか、争いごとを好まないにもほどがあるのか、ここまでの発言を耳にしたところで『叩きのめしてやる!』とはならないんだ。
ただただ、こんな最低の人間とは永遠に関わり合いたくない、と思うだけで。
「俺の棒術はヤーマンさんの域に達していません。それでももし、あなたが負けた場合。――二度とチェンバーズ家と、関わらないでもらえませんか?」
クロシードがあるとはいえ、この言葉に嘘偽りはない。
技術だけを受け継いだところで体力が違う。
筋トレだけをしてきた引きこもりと武術の家に生まれ育った本物の武闘家では、鍛えかたの次元が完全に異なる。
「私に今後の親睦会や武術大会へ参加するな――と。そう仰りたいのでしょうか」
「ええ。ヤーマンさんをねじ伏せる強さがあるのなら、あなたにリスクはないでしょう」
ふむ、と考え込んで、こちらの目をチラリと見てくる。
「……確かに、戦場においてヤーマンの右に出る武闘家はいなかったと聞いています。英雄と言えど、ヤーマンには勝てなかった――と。…………しかしそういえば、英雄様は交渉ごとがお得意だとか」
「俺の言葉は信用できないですか?」
「いえ。今日のために事前に伝え聞いた噂話までコントロールすることは不可能でしょう。しかしそのような条件を、勝てない相手に突き付けるとも思えない。私の知らない技で不意打ちを狙ってくる可能性がある。例えば、ヤーマン以外から教えられた武術などがあるのなら、それを使ってくる――とか」
疑り深いのか、それとも単に小心なのか。
「大陸統一の名誉に賭けて、ヤーマンさんから継承した技以外は使わないと約束しましょう」
「ほう……。――――ふむ。ここで英雄をねじ伏せることができれば、私の名声は更に上がる。悪くはないですね」
舐めるような視線をこちらに送って、彼は頷いた。
俺の体格はまあ、しっかり動けるように鍛えているといった程度。
五年の旅を経てもなお、根っからの武闘家のそれではない。最大の武器は好感度視認スキル『ライカブル』を活用した交渉であって、生身での攻防を主体に大陸統一を果たしたわけでもない。
その辺りを推し量られているのだろう。
「なるほど。……その条件、飲みましょう。但し、折角ですからここはヤーマンの技に捕らわれずに全力で戦っていただきたい。私の名声を上げるには、力を出し惜しんだなどという言い訳は邪魔ですから。相応のリスクを負いましょう」
俺の力量を目で推し量って、リスクを負っても大丈夫だと判断した――か。
そして、ここでヤマさんだけの技を使うと俺が意地を張ったところで、交渉が破綻するだけ。
「わかりました。では、全力でいきます」
俺は棒を構え、彼も同じく棒を構えた。
棒術と棒術。
互いの力量を比べ合うには最適の組み合わせだ。
「――本当に、ヤーマンの生き写しのような構えですね」
この手合わせには審判がいない。ただ両家の人間が見守るのみ。
『はじめ』の合図もないが、さすがに武術の家系同士、不意打ちをしたところで名が落ちるだけという暗黙の了解があるからこそ成り立つのだろう。
俺が気を張って止まっていると、呼び動作ゼロで顔面へ棒が突かれる。ギリギリで躱すと前髪が風で揺れた。
初手で全力の突きとか、殺気満々だな。
正直に言って、今のタイミングに隙はあった。しかし、仕掛けるにはまだ早い。
そのまま俺がいるほうへ棒が振り戻されて、波状攻撃が始まる。
――――だが。
チェンバーズ家は守りの型。対処法は無限にある。
俺は全ての攻撃を弾き返して、苛立ってきたところで相手の棒を跳ね上げ、改めて大きな隙を作らせた。
「……どうして、決めに来ないのですか」
「わかりませんか? これはレイフさんの使った技です」
俺の意図を察したのか、三男が感情的に攻撃を再開した。
ミューレン家の中では細身と言えど、一般的に言えばかなりの体付きだ。身長も俺より十センチほど高いだろう。さすがに威力がある。
このまま続けていれば、俺の筋力ではいずれ分が悪くなるかもしれない。
――――でもロニーくんは、これ以上の差を、覆したんだ。
「ふっ!!」
息を吐いて繰り出された突きを半身でかわして、俺は棒を放棄。そのまま懐へ踏み込んでコマのように体の軸を使い、背負い投げた。
床に叩き付けたところを上から押さえつけて、制圧完了。
棒術と柔術の組み合わせはロニーくんが見せたものである。
――――だが、このまま大人しく終わる相手ではないだろう。
「このっ――!!」
ロニーくんがやられたのと同じように、固く握った拳でこめかみを狙われたわけだが。
俺はより速く、目の前の高く伸びすぎた鼻っ柱へ頭突きを見舞った。
「ぐぁ――――ッ、アアぅッ!!」
悶絶する相手から体を離して、スクッと立ち上がる。
そして乱れた襟を正した。
「ああ、すみません。最後の頭突きだけ、オリジナルでした」
この人は戦場で生き抜いた人間を甘く見すぎだ。
ヤマさんより力に劣る俺は、ヤマさんほど綺麗に敵を制することができない。
だからこうした荒っぽい手段も覚える必要があった。彼は俺の体格が劣ることに安心するだけで、それを補う必要があったことを見抜けなかったわけだ。
「この……ッ」
鼻血を床へ落としながら、膝をついてこちらを見上げてくる。
「まだやりますか? レイフさんとロニーくん、二人がやったのと同じようにやられて力の差を感じないほど、バカではないと思いますが」
「――――くそっ! ヤーマンに教わった程度でなぜ――ッ!!」
「自分では気付けないんですね……」
この人は、ある意味では可哀想なのかもしれない。
対戦して気付いた。
俺が守りの型であるはずのヤマさんから守りの型の稽古を付けてもらうということは、ヤマさんが本来とは異なる攻撃役を演じなければならなかったわけだ。
しかしそれでも、ヤマさんは今の彼より遙かに洗練された動きで、力強かった。
ミューレン家の中で一人だけ筋肉質ではない体格。それはきっと、父親や上の兄弟ほど力を付けずとも勝ててしまったからだろう。
…………ヤマさんが、優しすぎたから。
「あなた、勝ちを譲られていたんですよ」
「なっ!?」
念のためにミューレン家の当代の表情を伺ってみたが、動揺して慌てたり身内を守ろうとする様子は、全く見られなかった。
ただただ黙して、俺たちの話を聞いている。
「当代であるゴルツさんも、二人の兄上も、気付かれていたのでしょう。あなたが弱いことに」
「そんな――」
彼は慌てて、助けを求めるように家族の顔を見遣ったが、誰一人として彼の顔を見ようとはしなかった。
「同じ武術の名家に生まれた、同じ三男坊。名声を上げなければ貴族として地位を上げることは叶わず、そうなれば戦地へ赴いて戦果を上げる必要に迫られることも、あるかもしれない。ヤーマンさんはきっと、そこまでを考えた」
王族貴族は子供が多い傾向にある。
では子供が沢山生まれたから全ての子供に親と同じ地位が行き渡るかといえば、そんなことをしていたら爵位持ちだらけになって、価値が薄まってしまう。
そこで『貴族落ち』という現象が発生するわけだ。
例えば、貴族にも拘わらず戦地へ赴くことが、それに該当する。貴族らしからぬことをしなければ名声を上げられないのだと、名指しで揶揄される。
「弱いあなたが戦地へ出ることになったら、生き残れますか?」
「弱い……だとっ!?」
「ヤーマンさんは誰よりも優しく、誰よりも強く、北半島統一では立役者となった。――無血で城を制圧した、離れ業の立役者です。……あなた程度の人に、戦場で前線に立って死ぬことも殺すこともなく敵を制するなんてこと、できるはずがありませんよね? だってあなたにできるなら、あなたに勝てる俺がやっているはずですから」
統一の順番は、南から時計回り。北半島は三番目だった。
そしてヤマさんは、北半島統一に際して英雄と呼ばれた。
俺ではなくてヤマさんが英雄と呼ばれたのは、単純に戦功が違いすぎたからである。自ら鍛え上げた少数の兵で相手国の総本山に乗り込み、敵兵を完全制圧し、俺に交渉の猶予と材料を与えた。
無血開城なんてものは圧倒的な戦力差があってこそできることだ。
経験と訓練による戦力のピークが北半島の統一に重なったとも言える。
――その後、ヤマさんは東半島統一の最中に亡くなり、俺がクロシードで技術を継承した。
だが継承して気付いた。
ああ、俺には無理だ、と。
死を覚悟して戦いに臨むというのは、戦場なら誰でも同じだろう。
でもヤマさんは多分、自分以外の犠牲者が一人でも少なくなるなら自分の命は投げ捨てるという、特別な覚悟を持っていた。
そうでないと無血開城なんて不可能。戦力差もあったが、なによりもヤマさんの捨て身の姿勢が結実した成果だった。
俺はもちろん、自分が死なないことが最優先である。
英雄らしい勇敢さとか、一つも持ち合わせていない。
自分が死なず相手も殺さない方法を考えて、でも、『仕方がない』と割り切る必要には何度も迫られて何度も割り切った。
実際、最後の東半島統一は激戦となって、多くの血が流れた。
技術を受け継いで、覚悟の違いに気付かされたわけだ。
「――――くそぉ、……なんで……」
さすがにもう勝敗は決しただろう。
背後の気配を察知することが大得意な俺に、後ろから殴りかかってきたところで、返り討ちにできるわけで。
堂々と背を向けて踵を返すと、ロニーくんを運び出したレイフさんが元の位置に戻って正座していた。
俺は目の前で同じように正座をする。
「……すみません。レイフさんにだけ、秘密を明かします」
それから俺は特技継承スキル『クロシード』で、ヤマさんの棒術を受け継いだことを小声で伝えた。
「なるほど。それで生き写しのような……」
「あのっ、ロニーくんにはやっぱり……、黙っていたほうがいいですよね」
「…………そうですな。ハヤト様はいずれ元の世界へ帰られる身です。父親の術をそのまま引き継いでいると知ればきっと、ロニーにとって他人事ではなくなってしまいます。別れが辛くなってしまうでしょう」
「――わかりました」
「お心遣い、痛み入ります」
それから両家が互いに向かい合って礼をして、親睦会とは名ばかりの、名誉を賭けた一戦が終わった。
するとすぐに、リルとマノンが駆け寄ってくる。
「ちょっ、くっつくな!」
「だって……っ。あんな危ないことして、本気で怖かったんだからね!?」
「あぅ。ごめんなさい……。ま、マノンは、どうした?」
右腕にリル、左腕にマノン。
やばい。何このハーレム!? 手合わせよりこっちのほうが緊張するんですけど!
「危なかったのです……」
「なっ、なにがだ」
「あと一歩で、魔法で殺すところでした!」
「おぅ……。そりゃ、なんとか我慢してくれてよかったよ……」
「ハヤトさんの顔に少しの傷でも付けようものなら、あいつの顔を地獄の炎で焼いて永遠に痛みを刻み、最後に全身を――」
「待て待て! 怖いっ、発想がめちゃめちゃ怖いから!」
最後に、のあとは聞きたくなかった。
今後はマノンの前で戦うことを控えたほうが良いのかもしれない。
困り果てている俺に対して、レイフさんが満面の笑みで「ほっほっほ。英雄様はさすがにモテますのう」なんて言っているけれど、完全に茶化している顔だった。
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