やぎゅうひめ!

甘味亭太丸

文字の大きさ
上 下
20 / 24

第20話 柳生の教え

しおりを挟む
 その日、私は外へ遊びに行く気がどうしても出なくてお屋敷の中、誰もいない道場で稽古をするわけでもなくたたずんでいた。
 天狗様には悪いけど、お竹の相手を頼んできた。お竹の底抜けの明るさには私も結構救われるところがあるけど、今はそういう気分じゃなかったから。
 道場はひんやりとしていて、足の裏がちょっと痛い。普段ならおじ様やお弟子様たちが激しい稽古をしているはずだけど、家光様の体調がすぐれないという事で、お見舞いに行っているのだとか。
 もうじき家光様に武芸を見せるわけだけど、大丈夫かな?

「あー、ダメダメ。なんか余計な事考えちゃうなぁ」

 しんと静まり返った道場の中にいると落ち着くのかなと思ったらそうでもなくて、あれこれ考えてしまう。
 青竜様の事、これから起こるかもしれない異変の事、私たちがそれを何とかできるかとか、さっきのおじ様たちの事も……色んな考えが頭の中をぐわんぐわんと駆け巡るせいで、ちょっと頭が痛くなってきた。

「はぁ……なんで急に……」

 ごろんと道場の床に大の字で寝転がる。こんなところ、見つかったら怒られるけど、まぁいいや。

「もうちょっとって一か月かぁ……」

 思い返すと、天狗様と出会ってから不思議な事ばかり続いている。
 下手すると私、死んじゃうんじゃないかってこともあったけど、なんでかな、あまり嫌だなとは思わない。
 楽しい……というわけじゃないけど、やりがいを感じる。
 あぁ、私、人の為、世の為になってるんだって思うんだよね。
 でも、今はなんか違う。不安でいっぱいだ。
 今に思うと、私たちがやってる事って江戸を、そしてこの日の本を守るとんでもない事なんだよね。
 これまでがうまくいっていたから、どこか簡単に考えていたけど、もし玄武様の時だって失敗していたら……。

「あぁもう! 終わったことまで考えだしたらきりがない!」

 もしかしたらが頭の中でえんえんと響いてくる。
 うー嫌だなぁ。一度こびりつくと全然離れないや。
 そうやってもんもんと私が悩みにふけっていると、「誰です!」と怒鳴られた!
 その瞬間、私はびしっと立ち上がり、気を付けの態勢を取っていたのです。
 だって、この声は……。

「お、お母様?」
「お松?」

 振り返ると、そこにいたのは私の母、るいの姿があった。
 お母様は普段から質素な服装をしていたけど、いつも凛々しくてむしろその姿の方がどんな綺麗な着物よりも似合っていた。
 強くて、優しくて、かなり厳しい……でも大好きな母だ。

「何をしているのです、こんなところで。一人稽古をしているようにも見えませんでしたが?」
「あ、えと……考え事を……」

 まぁうん、嘘じゃない。
 寝転がっていたのはさておいても、私としては真剣な悩みなのです。
 とはいえ、こんなことお母様にだって相談できないんだけどさ。
 あーどっちにしても、こりゃ叱られるだろうなぁ……。

「ふむ……」

 と、思ったのでしたが、一向にかみなりは落ちてきません。
 お母様はじっと私を見つめながら、その場に正座した。当然、私も正座する。

「母に話してみなさい」
「うっ……そ、それは……」

 お母様ってはいつも直球なんだよなぁ。
 お父様も生きていた頃からお母様には敵わないんだもの。よくお酒を飲んでいる隠しているくせに、すぐにばれるし。

「母には言えぬ事ですか?」
「い、いえ、そうでは……」

 うぅ、お母様の視線が鋭い。
 なんだか全部見抜かれているんじゃないかって思えてくるよ。

「あの……もしも、大変な事がおきるかもしれなくて、でもそれが一体どういうものなのかはわからなくて、だけどそれを何とかできるのは自分だけかもってなった時、どうしたらいいのかな……なんて?」

 うわー私、無茶苦茶いってるよぉ!
 だって仕方ないじゃん、他にどう説明しろって言うのさ。
 江戸が変な奴に狙われていて、神様たちも大変なんですなんて説明できないよ。
 こういう具体性のない説明をすること、お母様は大嫌いなんだよねぇ……うぅ怖いなぁ。

「お松」
「はい!」

 ほら来たぞ。
 お母様の声は刀のように鋭い感じだ。

「あなたが何を言ってるのか、母にはさっぱり理解できません」
「うっ……」
「ですが、真剣な悩みだという事はわかりました。何がおこるかわからない。しかし確実に起こる何か。ふむ、確かに、目に見ないものは不安ですし、怖いものですね。しかし、それがなんだというのです」
「へっ?」

 怒られるかと思いきや、お母様からは意外な言葉だ。

「いついかなる時でも、物事にすばやく対応できるように心がける。これは兵法の一つであると、宗矩様はおっしゃっていました。しかし例え何かが起きようと、そこで心を乱してはならぬ。それが我ら柳生の教えです」
「お爺様の?」
「えぇそうです。ですが、お松には少し難しい話でしょうね。むしろ、あなたは、十兵衛様に似ているから……ですので、あのお方の言葉を贈りましょう」
「……!」

 お父様の言葉。
 私はきゅっと唇をしめて、姿勢を正す。

「うだうだ考えていないで、とにかく進め」
「……はい?」
「相手が懐に飛び込んでくるのだから返り討ちにすればよい」
「あの、お母様」
「いかなる手段を使ってでも生き残ればよし!」
「ちょ、ちょっと待ったぁ!」

 な、なんてこと言い出すのかしら、このお母様ってば!

「おや、聞こえませんでしたか?」
「い、いえ、そうではなくて……あの、それがお父様のお言葉なんですか?」
「えぇ、あの人は大体こういう事ばかり言っていましたよ?」

 えーもっと、こう、戦いの心構えとか何かこう心に来る言葉とか、なんかないのかしら……あ、でもお父様ならあり得る。
 お父様ってばあまり物事を深く考える人じゃなかったし、口は悪いし、変に正直だし、そのせいで家光様にひどく怒られて危うく一族から追放されそうになったって言うし。
 いや、でもなんかあるでしょ、そんな勢い任せみたな……。

「お松、あの人の言葉を難しく考えなくてもいいのです。いうなれば、その姿勢こそがあの人にとっての平常心。あれこれを頭で、理屈をこねるより、それが良いと思えばそのままに。心の赴くままに走る。ただそれだけの事なのです」
「心の赴くままに……?」
「あなたが、今何をしたいのか、それを考えればいいだけです。お松、あなたはまだ子どもです。どんなに頑張って宗矩のお爺様や父のようになるのは無理です。ですが、それでも、女子とはいってもあなたはあの剣豪・柳生十兵衛の娘です。ならば、その思うままにやってみればいいのです」

 お母様はそれだけを伝えると、立ち上がる。
 私のやりたい事か……剣術、そうだ、私は剣術がしたいんだ。もっともっといろんなことを学びたい。
 でもその為には、江戸が平和じゃなくちゃいけないんだ。
 だったら、どうするのか……なんだ、簡単な事ね。
 悪い奴をぶっ飛ばして、平和にして、ゆっくりと剣術を学べばいいのよ。
 それが私のやりたい事だわ。
 
「その顔、あなたのお父様にそっくりよ」
「え?」

 今気が付いたけど、私、笑っていたみたいだ。

「あなたが何をしようとしてるのかはわかりません。ですが、それはきっと、良き事だと思っています。なぜならあなたは私たちの娘、剣豪・柳生十兵衛の娘ですもの。万が一にも、悪い道を進むわけがありませんから」

 お母様はふっと小さく笑ってくれた。

「でも、お勉強はしなさい。剣なんて振っても生活の役には一切役に立たぬのですから。その点、お勉強は違います。どんな時でも、どんなことでも応用できます。数字と計算ぐらいはできるようにならねば、お家の家計簿をどうやりくりするつもりですか。あなたもいずれは嫁ぐのですからそれぐらいはできるようにならなくてはいけませんからね!」

 なんて、思った瞬間にはくわっと目を見開いて、早口でこれだもの……やっぱり、お母様って怖い。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

紅花の煙

戸沢一平
歴史・時代
 江戸期、紅花の商いで大儲けした、実在の紅花商人の豪快な逸話を元にした物語である。  出羽尾花沢で「島田屋」の看板を掲げて紅花商をしている鈴木七右衛門は、地元で紅花を仕入れて江戸や京で売り利益を得ていた。七右衛門には心を寄せる女がいた。吉原の遊女で、高尾太夫を襲名したたかである。  花を仕入れて江戸に来た七右衛門は、競を行ったが問屋は一人も来なかった。  七右衛門が吉原で遊ぶことを快く思わない問屋達が嫌がらせをして、示し合わせて行かなかったのだ。  事情を知った七右衛門は怒り、持って来た紅花を品川の海岸で燃やすと宣言する。  

いくよ一月あなたの許へ

古地行生
歴史・時代
お江戸の長屋が舞台のちゃらんぽらんなお話です。

つわもの -長連龍-

夢酔藤山
歴史・時代
能登の戦国時代は遅くに訪れた。守護大名・畠山氏が最後まで踏み止まり、戦国大名を生まぬ独特の風土が、遅まきの戦乱に晒された。古くから能登に根を張る長一族にとって、この戦乱は幸でもあり不幸でもあった。 裏切り、また裏切り。 大国である越後上杉謙信が迫る。長続連は織田信長の可能性に早くから着目していた。出家させていた次男・孝恩寺宗顒に、急ぎ信長へ救援を求めるよう諭す。 それが、修羅となる孝恩寺宗顒の第一歩だった。

桑の実のみのる頃に

hiro75
歴史・時代
 誰かにつけられている………………  後ろから足音が近づいてくる。  おすみは早歩きになり、急いで家へと飛び込んだ。  すぐに、戸が叩かれ………………  ―― おすみの家にふいに現れた二人の男、商人を装っているが、本当の正体は……………  江戸時代末期、甲州街道沿いの小さな宿場町犬目で巻き起こる痛快時代小説!!

私訳戦国乱世  クベーラの謙信

zurvan496
歴史・時代
 上杉謙信のお話です。  カクヨムの方に、徳川家康編を書いています。

私の世界

江馬 百合子
歴史・時代
時は仮想江戸時代。 物心ついたときから囚われの身としての生活を送ってきた少女、月夜見。 ある日、その壁が壊され、一人の男に連れ出される。 顔を隠した彼の名は、鈴風。 二人は、彼の主の元を目指して、長い旅に出ることとなった。 それぞれの思惑を胸に、互いに心を寄せあうようになる、皮肉屋な少女と、とある青年の主従物語。

処理中です...