傀儡使いと獣耳少女の世界遍歴

トンボ

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第三章 コルマノン大騒動

100! 銀は舞台に上がる

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 揺れ始めた地面に亀裂が走り、そのヒビから紫色の光が微かに溢れ出ている。ヒビはシェルムの足元に出現した紫光の魔方陣の、最も外側にある輪から全方位に入っており、その原因がシェルムであることは明白だった。

 バロットはその魔力の圧に足を止めざる得なかった。片腕を顔の前にかざし、目を細めてシェルムの方を見る。

「どうなる……!?」

 波羅夷はらい――それはサラに所有権が独占されている妖刀だ。シルヴァ達と対峙した際に、建物を一振りでぶった切ったのもこの刀だった。

 サラはこの所有権の独占を"起請きしょう"と呼んでいた。

「――」

 魔圧は黒い旋風となって闇夜を吹き荒れる。その隙間から、バロットは確かに見た。シェルムの目の前に黒い紙切れのようなものが、何かを隠すが如く舞っている。そしてそれは徐々に上空へ吸い込まれるように浮上してくと、"隠されていたもの"が露わになった。

 ――限りなく黒に近い紫色の刀身を持つ、細い刀。

 バロットには見覚えがある。どう見てもそれは、サラの所有している『波羅夷』そのものだった。

「……っ!」

 あれは紛れもない妖刀『波羅夷』。一突きで城に穴を空け、一振りで嵐をも裂く斬撃を放つ、いわば破壊兵器だ。それがシェルムの手に渡ってしまったのは痛手あるほかない。

 まあ召喚させてしまったものは仕方がない。バロットは迫りくる魔力の圧を自身の魔力で相殺させると、シェルムがその妖刀を手にする前を狙って、駆け出した。

「これが……」

 バロットが向かう先にいるシェルムは、その忌々しくもあり神々しくもあるという、矛盾を背負ったその姿に見惚れていた。浮力ともいえない力で宙に固定されている妖刀に、シェルムはついに手を差し伸べる。

「させるか……っ!」

 バロットはその手を狙って、二本のナイフを投擲した。しかしそれはシェルムの元へはたどり着かない。一定のラインを通り過ぎた瞬間に、どういうわけか刃の先から、一瞬にして腐り果てたようにボロボロと崩れ落ちた。

 バロットは目を見開く。

「『腐敗』……? いやだがこれは……」

 バロットは『腐敗』というプロセスには少しだけ見解を持っていた。けれどその前に、バロットは気になることがあって、ナイフが崩れ始めた地点を前に足を止める。

 そもそも、サラが『波羅夷』を召喚したときにはこんな現象は起こらない。サラ自身が抑制していたのかもしれないが、サラからもそんな話を聞いたことがない。こんな危険な能力が発動するならば、話の一つぐらいあっても良い気がする。

 というか――バロットは苦虫をかみしめたような表情をする――『腐敗』というと、とある人物のことを思い出してしまう。

「……」

 何にせよ、この現象は極めて異常事態である可能性は高い。バロットはその場から先に進まず、『波羅夷』へ手を伸ばしつつあるシェルムを見つめた。

「……っ」

 シェルムが息を呑んだのをバロットも気づいた。

 そしてそのシェルムの――正確には"サラの"だが――白い手がついに『波羅夷』へと触れる。『波羅夷』を通じて渦巻く重圧な魔力がシェルムの体へと流れ込み、体の隅まで循環していった。

 シェルムの体を包み込むように、魔力の黒い疾風が渦上に巻き上がる。赤毛が舞い上がり、着物も同じくして上昇気流に揺れた。

「ふっ……」

 『波羅夷』を手にしたシェルムは小さく笑う。それからそれを握り締めると、庭を這いずりまわっていた旋風は瞬時に止んだ。舞い上がっていた瓦礫や草のきれが地上へと疎らに落下していく。

 バロットは『波羅夷』を手にして立っているシェルムに対し、両手にナイフを充填して構えた。

「さてさて……」

 シェルムはナイフを構えたバロットに体を向きなおすと、『波羅夷』を構える。

「"試し斬り"……とでも――」

 シェルムが『波羅夷』を振りかぶる。上へと矛先が移動した『波羅夷』に、バロットは大気中の魔力が集中していくのを感じていた。

 バロットはそこまで魔力に敏感なわけではない。けれども、そんなバロットでさえも感じることのできる魔力の移り変わり。バロットは息を呑んだ。

「――いきましょうかねぇええ!!」

 大きく口を開け目を見開き、シェルムはついぞ『波羅夷』を振りかぶった。斬撃で嵐を斬ることのできる妖刀による一振り。そんなものを喰らっては、さすがのバロットも持たないだろう。

 バロットは覚悟を決めて、シェルムの姿を目に焼き付けた。

 一振り。それはただの一振り。されど、『波羅夷』の一振りは上級魔術に匹敵する破壊力を孕んでいる。
 バロットは衝撃に備えて足へと力を込めた。


 ――しかしその後、斬撃がバロットには届かなかった。

 世界が停止したような感覚。バロットの瞳に移る世界は、いつしか青い靄のかかった曖昧なものに様上がりしていた。

 その中でも、色彩を失っていないものがあった。――妖刀『波羅夷』。シェルムに振り下ろされた『波羅夷』だけに、青い靄がかからず、本来の色で存在していた。

 バロットは動けなかった。時間が止まったのか、世界が止まったのか、バロットには判断がつかない。ただその視線はずっと『波羅夷』へ向けられていた。

 静止した世界で、『波羅夷』だけが変化を起こす。刀身から黒い靄が立ち上がり、それは宙へと霧散していく。

 それを持つシェルムも止まっていた。バロットのように意識だけは認識できるのか分からないが、彼も静止している。

【   】

 声が、聞こえた気がした。
 その直後、世界は崩れ落ちた。バラバラに崩壊した世界ピースは一気に再生し、紫色に染まった世界を構築する。

「――」

 紫色の世界でも、やはり『波羅夷』だけが本来の色を宿していた。

 けれど、さっきと違うことが一つ。『波羅夷』から沸き立っていた黒い靄は消えていた。

「――」

 代わりに、刀身が赤く光ったと思うと、柄へとその光は一閃に移動する。それは柄を通ってシェルムの腕へと上がっていった。

 そして――。

「グァあぁああぁああああ!」

 世界に、時間に、流れが戻る。同じくしてバロットの視界が黒く染まり、はらわた辺りに嫌な熱が広がった。

 ――その後、体が大気中に投げ出されていることが分かって、初めてバロットは『波羅夷』による斬撃を喰らったのだと理解できた。

 バロットは吹っ飛んで、その体はほぼ無防備に地面へと落ちる。受け身を取らなかったわけではない。取れなかったのだ。

「か、体が……」

 バロットは体を動かせず、仰向けになったまま起き上がれない。

 しかし起き上がれないにしろ、かろうじてシェルムの姿が視界に入っていた。その、異常な変化が起きているシェルムの姿が。

「ァ……ぁあ……っ!」

 『波羅夷』からシェルムの腕へと上っていった赤い光の線は、そのまま彼の顔まで続いていった。その線はすぐにもパカりと、まるで切り傷のように開き始める。

 その勢いのまま、シェルムの腕から顔へと続く光の線が真っ二つに割れていった。割れ目からは赤い明かりが溢れるばかりにこぼれ出ていて、不意に一瞬にしてバロットの視界を染めた。

「――ぐ……っ!」

 そして聞こえる二つの倒れる音。一拍おいて、かちゃりと妖刀が地面へと刺さる音が続いた。

 バロットの視界が戻ったころには、目の前にはサラの体と、サラに憑依した際に消失したはずのシェルムの体が転がっている。その前の地面には『波羅夷』が刺さっていた。

「なん……!?」

 シェルムは体中を震わせながら体を起こす。『波羅夷』から伸びた光の線はサラとシェルムを分裂させるものだったらしい。サラは動く様子は見られないが、まだ生きているようだ。

 その光景を見ながらも、バロットはまだ動けなかった。シェルムはその予測不能だった事態に目を大きく見開いていたが、バロットが動けないのを知るや否や、すぐに起き上がる。そして地面に刺さった『波羅夷』目掛けて駆け出した。

 シェルムがこうも急いだ理由はバロットにも分かっていた。バロットが動けない、ということもあるが、もう一つの理由もある。――それは地面に刺さった『波羅夷』の柄の先が、光の粒子となって消え始めていたのだ。

理由わけなんてどうでもいい……! 振れないのなら、」

 シェルムは地面に刺さった『波羅夷』に追いつき、抜き取った。その時点ですでに柄の半分は消えていた。

「振らなければいい……っ!」

 シェルムはそう言いながら『波羅夷』をバロットに向けて投擲した。サラの体からシェルムが吐き出された理由――それをシェルムは"『波羅夷』を振るったこと"がトリガーになっていると考えたのだろう。だから今度は振らずに投擲したのだ。

「……っ!」

 それはシェルムの苦肉の一手だったのかもしれない。けれど、バロットにとってその一手は致命的ともいえた。

 バロットは未だに動けない。そして『波羅夷』は消えかけてはいるものの、まだ刀身は半分以上も残っている。バロットを突き刺す頃にもまだ刀身は消えていないだろう。

 バロットは最後を悟った。だからこそ、目を開いたままに自分を殺す凶器をじっと睨みつける。

 バロットは死ぬ寸前の、刃が自分の額を貫く瞬間だけは見逃したくなかった。人生の最初で最後の体験だ。それはバロットの、せめてもの死に対する嘲笑でもあった。

 しかしその瞬間は訪れない。

「な……!」

 突然にして、バロットの前の地面が盛り上がった。まるでそれは、投擲された『波羅夷』を止める壁のようだった。

 『波羅夷』はその地面だけでは止まらなかったようで、迫りあがった地中をズガガガ、と音をたてながら進んでいく。

 バロットは突然現れた崖のように迫り上がった地面を目を大きく開けてあっけらかんと見つめていた。直後、目の前の地面の壁に勢いよく穴が開く。そこからは『波羅夷』の刀身の先がちょっぴりと顔を出した。

 しかしその刀身はそこで止まった。一拍遅れて、『波羅夷』の先も光の粒となって消える。バロットはなんとか助かったようだ。

 そんなバロットは助かったという安堵よりも、不可解な状況による無理解の方が大きかった。『波羅夷』が消えた影響か、『波羅夷』の攻撃により動けなかった体が動くようになって、何とかよろよろと立ち上がる。

 そして目の前に立ちはだかる隆起した地面を見上げた。どうしてこんな地形変動が起きたのか。そんな風に少し悩み始めたところで、彼の後ろから声がした。

「――これで、倒壊の時の"借り"は返せたのかな」

 その声につられて、バロットは背後を振り返る。その視界に移った人物にまず目を見開くと、斜に構えて意外そうに小さく笑う。

「アンタにはその意識はなかったのかもしれないけどね」

 そこには腕を前に翳した白髪の青年――シルヴァと、片手に鎌を持った青い瞳の猫耳少女――シアンが立っていたのだった。
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