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第三章 コルマノン大騒動
88 九つの尾
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「おーいおい、マジにやばいな」
ははは、という乾いた笑いが背後から聞こえてくる。それはシルヴァの『支配の箱』に囚われている、バロットの言葉だった。
ものを消す能力と凄まじいほどの加速性能。それらはとても脅威に感じられたが、いざ捕まえてしまえばどうもあっけない。シルヴァは背後の彼を見ることなくサラへ告げる。
「貴女たちがライニー家の刺客だってことは知ってる。……貴方たちにとって、この状況はかなり不利だ。これ以上、痛い目を見る前に降参することをオススメするけど」
「……そうね」
シルヴァの勧告にサラはふとため息をついた。それから手に持っていた刀を腰に帯刀する。
一見、彼女の行動はシルヴァの話を聞いて武力を収めた、とそう認識するだろう。けれど、シルヴァもシアンも、その彼女の行動を前にして、一切気を抜かなかった。――否、気を抜けなかった。
「私たちにとっては不利……確かにそうね。だけど降参することで、その不利な状況が一転するわけでもない。……アンタの言葉はとんだ的外れで、それでいて自己陶酔な発言でしかないわ」
「なら……」
サラの言葉を聞いたシルヴァは『虚無の短銃』に魔力を充填する。シアンも息を呑んで、自らの大鎌を握りなおした。
サラはそんな二人の戦闘意欲を見て、小さく微笑んだ。その笑みから感じられたのは、自暴自棄とも武者震いとも違う感覚――まるで、シルヴァとシアンを値定めるような、好奇心と挑戦心が絡み合った感覚、とでもいえばいいのだろうか。言葉にするにはとても難しいけれど、それは決して非好戦的なものではない。
「――任務失敗。一旦撤退で」
「あいよ」
うってかわり、目を細くして凛とした声色でその判断を下すサラ。『支配の箱』に囚われているバロットに限っては、全く持って緊張感のない軽い言葉で返したが。
「逃がすか……!」
当人の口から目の前で「逃走する」と宣言され、それをシルヴァ達は「はいそうですか」と見逃せるわけがない。
シルヴァはそうぼやいて『虚無の短銃』の引き金を指で引いた。魔弾が放たれ、それは目の前のサラを貫く、ようにみえた。
「……!?」
シルヴァの目が見開かれる。『虚無の短銃』から放たれた、実弾を含まず魔力のみで構成された魔弾。それはサラの目の前で、その場所だけ時間の流れが固定されているかのように静止したのだ。
不意に夜風が通り過ぎる。サラの赤毛の長髪が揺れた。
「やっぱり、アンタのそれは実体のない魔力か」
サラの口から冷淡に放たれたその呟き。そこにはシルヴァへの好奇心などはなくて、ただただ事実確認の行為だった。直後、サラの足元から淡く赤い光が放たれる。
よくよく見てみると、サラの足元の地面には赤い魔法陣が浮かび上がっていた。円の中に刻まれた魔方陣と、それはとても奇異なことに、その魔方陣を上書きするようにして黒く引かれた幾何学的な図形と何かの文字が記されている。
シルヴァの見解からして、魔方陣は魔法を発動させるための過程の一つ。これをもとに魔力を円の中で循環させ、魔法として返還する。しかし、今このような一般的な魔方陣を上からさらに塗りつぶされた陣など、見たことがなかった。もちろん、聞いたこともない。
「何か、何かやばい……!」
シルヴァの直感が、本能が彼の足を後ずらせる。しかし理性は、彼女を捕まえなくてはならないという使命に燃えて、右足を後ずさるだけにそれは終わった。
「でも、ここで逃がしたら……!」
相反する二つの知性。そしてサラの足元からの赤い光がさらに強くなっていき、そこから放たれた魔力の圧がシルヴァを襲いだす。シルヴァは思わず腕で目元を隠した。
「し、シルヴァ!」
ふと、二つの対立する感性に惑わされて動けずにいたシルヴァの手を、シアンは両手で握りしめた。その感覚で、ようやくシルヴァは平常の一部を取り戻し、シアンの方へ振り替える。
が、シアンはシルヴァが振り返るのを待たずに、その両腕で彼を引っ張り出した。シルヴァはその力に抗えず、そのまま彼女の方へ体が傾いていく。
「こっち! 早く!」
「シアン……? うわっ」
シルヴァはシアンに引っ張られるがまま、穴の開いた屋上の地面から下の階へと落ちていった。シルヴァはその状況で、巡る視界の中偶然にもちらりと視界の片隅に映ったサラを見て、再び目を見開く。
金色の瞳の中で縦に長く入った赤い瞳孔。その鋭く光る金色の瞳と、彼女の背後に生えた九つの妖美な尾。それはまさしく――。
「九尾の、狐……!」
直後、シルヴァはシアンに連れられて穴に落ち、その姿は視界から消えていく。
下の階に落とされたともいえるシルヴァは受け身ととれず、床に激突して背中に激痛が走った。けれど、そんな痛みにもがいている場合ではない。すぐさま立ち上がり、屋上へ戻ろうとするもシアンの腕が再び彼の腕をつかみ、ぐいっと下へと寄せる。
そしてシアンは叫んだ。
「伏せて!」
「――!」
遅すぎた理解だったかもしれない。そこでようやくシルヴァはシアンの意図に気づいた。彼女の言う通り、すぐさま地に頭を伏せる。
――直後、耳を劈く爆音と吹き荒れる爆風が体を襲った。揺れる建物と下の階のガラスが割れる音、上から零れ落ちる瓦礫。
そして、それは不幸にも起こってしまった。
傾きだす地面。いや、その部屋が傾いているのだ。それに気づいたシルヴァはシアンへと手を伸ばす。彼女もシルヴァに手を伸ばしていて、その手はしっかりと繋がれた。
ずれる視界。舞いだした砂埃。地上へと誘う奇妙な重力を感じながらも、その一室は衝撃に耐えきれず、建物から分離して崩れ落ちていく。
「まだ……!」
建物との接続部分に亀裂が走り、一室だけがスライドするように崩れ落ちていく中、シルヴァは未だに諦めていなかった。『支配』の力で崩落を防ごうと、神経を研ぎ澄ます。
けれど、それは敵わない――。
「がは……ッ!」
ブラックアウトしそうになる頭。シルヴァの体中に激痛が走って、吐血をしてその場で倒れ込む。
力を失った彼のその手は、シアンと離れそうになるも、その異常に気づいたシアンがぎゅっと握り返した。
シルヴァはそんな中、意識がどんどん遠のいていく。暗闇の中で、どんどん闇が増えていく。そしていつしか、視界には何も映らなくなって、そして――。
町の一角で、夜の静寂を突き破るかのように、建物の一部が砂埃をたてながら街道へと崩れ落ちたのだった。
ははは、という乾いた笑いが背後から聞こえてくる。それはシルヴァの『支配の箱』に囚われている、バロットの言葉だった。
ものを消す能力と凄まじいほどの加速性能。それらはとても脅威に感じられたが、いざ捕まえてしまえばどうもあっけない。シルヴァは背後の彼を見ることなくサラへ告げる。
「貴女たちがライニー家の刺客だってことは知ってる。……貴方たちにとって、この状況はかなり不利だ。これ以上、痛い目を見る前に降参することをオススメするけど」
「……そうね」
シルヴァの勧告にサラはふとため息をついた。それから手に持っていた刀を腰に帯刀する。
一見、彼女の行動はシルヴァの話を聞いて武力を収めた、とそう認識するだろう。けれど、シルヴァもシアンも、その彼女の行動を前にして、一切気を抜かなかった。――否、気を抜けなかった。
「私たちにとっては不利……確かにそうね。だけど降参することで、その不利な状況が一転するわけでもない。……アンタの言葉はとんだ的外れで、それでいて自己陶酔な発言でしかないわ」
「なら……」
サラの言葉を聞いたシルヴァは『虚無の短銃』に魔力を充填する。シアンも息を呑んで、自らの大鎌を握りなおした。
サラはそんな二人の戦闘意欲を見て、小さく微笑んだ。その笑みから感じられたのは、自暴自棄とも武者震いとも違う感覚――まるで、シルヴァとシアンを値定めるような、好奇心と挑戦心が絡み合った感覚、とでもいえばいいのだろうか。言葉にするにはとても難しいけれど、それは決して非好戦的なものではない。
「――任務失敗。一旦撤退で」
「あいよ」
うってかわり、目を細くして凛とした声色でその判断を下すサラ。『支配の箱』に囚われているバロットに限っては、全く持って緊張感のない軽い言葉で返したが。
「逃がすか……!」
当人の口から目の前で「逃走する」と宣言され、それをシルヴァ達は「はいそうですか」と見逃せるわけがない。
シルヴァはそうぼやいて『虚無の短銃』の引き金を指で引いた。魔弾が放たれ、それは目の前のサラを貫く、ようにみえた。
「……!?」
シルヴァの目が見開かれる。『虚無の短銃』から放たれた、実弾を含まず魔力のみで構成された魔弾。それはサラの目の前で、その場所だけ時間の流れが固定されているかのように静止したのだ。
不意に夜風が通り過ぎる。サラの赤毛の長髪が揺れた。
「やっぱり、アンタのそれは実体のない魔力か」
サラの口から冷淡に放たれたその呟き。そこにはシルヴァへの好奇心などはなくて、ただただ事実確認の行為だった。直後、サラの足元から淡く赤い光が放たれる。
よくよく見てみると、サラの足元の地面には赤い魔法陣が浮かび上がっていた。円の中に刻まれた魔方陣と、それはとても奇異なことに、その魔方陣を上書きするようにして黒く引かれた幾何学的な図形と何かの文字が記されている。
シルヴァの見解からして、魔方陣は魔法を発動させるための過程の一つ。これをもとに魔力を円の中で循環させ、魔法として返還する。しかし、今このような一般的な魔方陣を上からさらに塗りつぶされた陣など、見たことがなかった。もちろん、聞いたこともない。
「何か、何かやばい……!」
シルヴァの直感が、本能が彼の足を後ずらせる。しかし理性は、彼女を捕まえなくてはならないという使命に燃えて、右足を後ずさるだけにそれは終わった。
「でも、ここで逃がしたら……!」
相反する二つの知性。そしてサラの足元からの赤い光がさらに強くなっていき、そこから放たれた魔力の圧がシルヴァを襲いだす。シルヴァは思わず腕で目元を隠した。
「し、シルヴァ!」
ふと、二つの対立する感性に惑わされて動けずにいたシルヴァの手を、シアンは両手で握りしめた。その感覚で、ようやくシルヴァは平常の一部を取り戻し、シアンの方へ振り替える。
が、シアンはシルヴァが振り返るのを待たずに、その両腕で彼を引っ張り出した。シルヴァはその力に抗えず、そのまま彼女の方へ体が傾いていく。
「こっち! 早く!」
「シアン……? うわっ」
シルヴァはシアンに引っ張られるがまま、穴の開いた屋上の地面から下の階へと落ちていった。シルヴァはその状況で、巡る視界の中偶然にもちらりと視界の片隅に映ったサラを見て、再び目を見開く。
金色の瞳の中で縦に長く入った赤い瞳孔。その鋭く光る金色の瞳と、彼女の背後に生えた九つの妖美な尾。それはまさしく――。
「九尾の、狐……!」
直後、シルヴァはシアンに連れられて穴に落ち、その姿は視界から消えていく。
下の階に落とされたともいえるシルヴァは受け身ととれず、床に激突して背中に激痛が走った。けれど、そんな痛みにもがいている場合ではない。すぐさま立ち上がり、屋上へ戻ろうとするもシアンの腕が再び彼の腕をつかみ、ぐいっと下へと寄せる。
そしてシアンは叫んだ。
「伏せて!」
「――!」
遅すぎた理解だったかもしれない。そこでようやくシルヴァはシアンの意図に気づいた。彼女の言う通り、すぐさま地に頭を伏せる。
――直後、耳を劈く爆音と吹き荒れる爆風が体を襲った。揺れる建物と下の階のガラスが割れる音、上から零れ落ちる瓦礫。
そして、それは不幸にも起こってしまった。
傾きだす地面。いや、その部屋が傾いているのだ。それに気づいたシルヴァはシアンへと手を伸ばす。彼女もシルヴァに手を伸ばしていて、その手はしっかりと繋がれた。
ずれる視界。舞いだした砂埃。地上へと誘う奇妙な重力を感じながらも、その一室は衝撃に耐えきれず、建物から分離して崩れ落ちていく。
「まだ……!」
建物との接続部分に亀裂が走り、一室だけがスライドするように崩れ落ちていく中、シルヴァは未だに諦めていなかった。『支配』の力で崩落を防ごうと、神経を研ぎ澄ます。
けれど、それは敵わない――。
「がは……ッ!」
ブラックアウトしそうになる頭。シルヴァの体中に激痛が走って、吐血をしてその場で倒れ込む。
力を失った彼のその手は、シアンと離れそうになるも、その異常に気づいたシアンがぎゅっと握り返した。
シルヴァはそんな中、意識がどんどん遠のいていく。暗闇の中で、どんどん闇が増えていく。そしていつしか、視界には何も映らなくなって、そして――。
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