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第三章 コルマノン大騒動
71 暗
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明かりの消えた街中。そこに溶け込むかのように、『食事処-彩食絹華』は一階の明かりも消えて、暗くしんと静まっていた。明かりのついている二階だけが、その暗闇から隔離されているようだ。
その店の向かいにあるレンガ風の高い建物。その三階の、今は使われていない一室。そこは明かりすらついておらず、家具といえば申し訳程度に床へうっすらとついた埃のカーペットだけ。そんな土臭い場所で、一つの影が明かりのついた向かいの店の二階を窓から見下ろしていた。
「……男の方は相変わらずいるみたいだ」
夜の闇よりも真っ黒な瞳で『彩食絹華』の二階を見下ろしていた男――バロットは同室にいるもう一人の女に知らせるようにぼやく。その女は窓の下で腰を下ろし、ぼーっと暗い天井を見つめていた。
その女の様子を横目で見ると、バロットはため息さえもつかず、慣れた様子でその女の隣に腰を下ろし、窓の下の壁に背をつける。
「もう一人はいるか分からねぇな」
「……カウンターの向こう、厨房で小柄の女がいたわ。多分そいつでしょ」
その女性――サラは赤毛を垂らしながら、面倒くさそうに言ってのけた。それを聞いたバロットはもう一度立ち上がり、窓から下の明かりのついた部屋を見下ろす。
「少しはやる気を出してくれねーかな」
さらに「いつものことだけど」と小さくバロットは付け加えた。バロットとサラは少なくても、以前にも一緒に仕事がしたことがあるようで、お互いにその性格はある程度分かっているようだ。故に、その苦言も以前にも受けたのだろう。サラはその小言に全く反応せず、じっと座っていた。
数分後。二つある二階の窓の内に、片方の明かりが消えた。少し遅れて、もう片方の明かりも消える。
それを見たバロットはサラの方を見ると、くいっと指で合図をした。それをサラは全く明かりのない夜の一室にも関わらず、しっかりと認識してうなずいてから立ち上がる。そしてサラはそのままバロットの隣へと歩み寄り、窓から店を見下ろした。
「……なんというか、『汚い方』呼ばわりも納得しちゃいそうになるの」
しゅん、と落ち込んだ雰囲気で昏く沈んだ金色の瞳で、サラは悲しそうに言う。
それを聞いたバロットは、隣にいる彼女の横顔をちらりと見るが、すぐに視線を戻した。それからしばしの沈黙の後、少し気まずそうに口を開く。
「んだよ。毎度毎度、お前はくだらねぇことを気にするんだな」
「……」
そのバロットの言葉には感情の起伏がほとんどのないものの、その内容は相手を煽っているものと思われても仕方のなかった。今日の『彩食絹華』での夕食で、バロットがサラに『汚い方』と呼んだ時のように、サラがバロットに噛みつき返してもおかしくはない。
けれど、サラが選んだ答えは沈黙。その卑屈な態度にバロットは少し舌打ちをした。
「昔の方が面白かったな」
ぼそりと呟かれたそれは、今までに言ったことのない、一見平凡なバロットの感想だった。ただ、それは二人の間においては『平凡』とは大きくかけ離れていた。そして、言った本人であるバロットはそれをしっかりと理解している。だから、バロットはこうなることをなから見越していて、その結果を勿論受け入れるつもりだった。
闇の中で、サラの腕がバロットの胸ぐらへ伸びていき、そのまま掴むと窓へ叩きつけた。その衝撃により、窓に多少のヒビが入る。
窓に叩きつけられたバロットの淀んだ黒い双眼が捉えたのは、サラの暗闇に光る金色の狐目。それは怒りに燃えて歪んでいた。
「本気で言ってんなら殺す」
「……そうだよ、それで良い」
サラがぶつける憤怒の感情に、バロットはまるで何も感じていないようにさらりとそう言ってのけた。サラは一拍遅れて、自分の行動と口走った言葉に気づいて、乱暴に彼から手を離す。
「……どういう意味?」
「まんまの意味だ。限りなく本能に近い理性を抑えたところで、ただのその場しのぎにしかならねぇ」
バロットの淀んでいて変わりもしない不変な瞳に気圧されたのか、サラはビクリと肩を震わせて慌てて後ずさった。大きな動作に伴い、床に落ちていた埃が虚空にぶわりと舞う。
そんな彼女を見つめて、それからまた眼下の店へと視線を移したバロット。そしてすぐに踵を返し、出口へ向かいながら、バロットは先ほどと変わらない声色でサラに言った。
「殺すな、生け捕りだ。行くぞ」
それを聞いたサラは少量の汗を頬に流して、両手を胸の前に持ってくる。しかしそれは瞬間的なことで、すぐにその腕を振り払ってバロットの後を追ったのだった。
その店の向かいにあるレンガ風の高い建物。その三階の、今は使われていない一室。そこは明かりすらついておらず、家具といえば申し訳程度に床へうっすらとついた埃のカーペットだけ。そんな土臭い場所で、一つの影が明かりのついた向かいの店の二階を窓から見下ろしていた。
「……男の方は相変わらずいるみたいだ」
夜の闇よりも真っ黒な瞳で『彩食絹華』の二階を見下ろしていた男――バロットは同室にいるもう一人の女に知らせるようにぼやく。その女は窓の下で腰を下ろし、ぼーっと暗い天井を見つめていた。
その女の様子を横目で見ると、バロットはため息さえもつかず、慣れた様子でその女の隣に腰を下ろし、窓の下の壁に背をつける。
「もう一人はいるか分からねぇな」
「……カウンターの向こう、厨房で小柄の女がいたわ。多分そいつでしょ」
その女性――サラは赤毛を垂らしながら、面倒くさそうに言ってのけた。それを聞いたバロットはもう一度立ち上がり、窓から下の明かりのついた部屋を見下ろす。
「少しはやる気を出してくれねーかな」
さらに「いつものことだけど」と小さくバロットは付け加えた。バロットとサラは少なくても、以前にも一緒に仕事がしたことがあるようで、お互いにその性格はある程度分かっているようだ。故に、その苦言も以前にも受けたのだろう。サラはその小言に全く反応せず、じっと座っていた。
数分後。二つある二階の窓の内に、片方の明かりが消えた。少し遅れて、もう片方の明かりも消える。
それを見たバロットはサラの方を見ると、くいっと指で合図をした。それをサラは全く明かりのない夜の一室にも関わらず、しっかりと認識してうなずいてから立ち上がる。そしてサラはそのままバロットの隣へと歩み寄り、窓から店を見下ろした。
「……なんというか、『汚い方』呼ばわりも納得しちゃいそうになるの」
しゅん、と落ち込んだ雰囲気で昏く沈んだ金色の瞳で、サラは悲しそうに言う。
それを聞いたバロットは、隣にいる彼女の横顔をちらりと見るが、すぐに視線を戻した。それからしばしの沈黙の後、少し気まずそうに口を開く。
「んだよ。毎度毎度、お前はくだらねぇことを気にするんだな」
「……」
そのバロットの言葉には感情の起伏がほとんどのないものの、その内容は相手を煽っているものと思われても仕方のなかった。今日の『彩食絹華』での夕食で、バロットがサラに『汚い方』と呼んだ時のように、サラがバロットに噛みつき返してもおかしくはない。
けれど、サラが選んだ答えは沈黙。その卑屈な態度にバロットは少し舌打ちをした。
「昔の方が面白かったな」
ぼそりと呟かれたそれは、今までに言ったことのない、一見平凡なバロットの感想だった。ただ、それは二人の間においては『平凡』とは大きくかけ離れていた。そして、言った本人であるバロットはそれをしっかりと理解している。だから、バロットはこうなることをなから見越していて、その結果を勿論受け入れるつもりだった。
闇の中で、サラの腕がバロットの胸ぐらへ伸びていき、そのまま掴むと窓へ叩きつけた。その衝撃により、窓に多少のヒビが入る。
窓に叩きつけられたバロットの淀んだ黒い双眼が捉えたのは、サラの暗闇に光る金色の狐目。それは怒りに燃えて歪んでいた。
「本気で言ってんなら殺す」
「……そうだよ、それで良い」
サラがぶつける憤怒の感情に、バロットはまるで何も感じていないようにさらりとそう言ってのけた。サラは一拍遅れて、自分の行動と口走った言葉に気づいて、乱暴に彼から手を離す。
「……どういう意味?」
「まんまの意味だ。限りなく本能に近い理性を抑えたところで、ただのその場しのぎにしかならねぇ」
バロットの淀んでいて変わりもしない不変な瞳に気圧されたのか、サラはビクリと肩を震わせて慌てて後ずさった。大きな動作に伴い、床に落ちていた埃が虚空にぶわりと舞う。
そんな彼女を見つめて、それからまた眼下の店へと視線を移したバロット。そしてすぐに踵を返し、出口へ向かいながら、バロットは先ほどと変わらない声色でサラに言った。
「殺すな、生け捕りだ。行くぞ」
それを聞いたサラは少量の汗を頬に流して、両手を胸の前に持ってくる。しかしそれは瞬間的なことで、すぐにその腕を振り払ってバロットの後を追ったのだった。
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