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第二章 大魔道書『神々の終焉讃歌録』
40 傷口を嬲り尽くす男
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「おっ、また手紙書いてんのか」
少し肌寒い夜だったからだろう。夕食の残りの暖かいシチューを食べたくなって、紫色の短髪で整った顔立ちの男――ヴァレッドが寝室から出てきたようだ。
テーブルの上に小さなランプを置いて、その淡い光に照らされ細々と書き物をしていた白髪の男――アレンはペンを置き、ヴァレッドの方を向いた。
「……いつも送ってくるんだよなあ。伝書鳩、あげなきゃよかったよ」
そう言ってアレンは困った顔でため息をつく。それを見てヴァレッドは小さく笑った。
「でもお前も、律儀に返事書いてんだろ? いいじゃんか、そういうの」
「……まあ、否定はしない」
少しの沈黙の後、二人の小さな笑い声が暗い室内に浅く響く。
ヴァレッドがそのまま部屋を出た後、アレンは再び書き途中の手紙に向き直った。
アレンの姉であるカレンが毎度毎度手紙を送ってくるが、その内容はいつも同じようなもので、アレン自身は内心嬉しく思いながらも、心の隅では少しうんざりしていたのかもしれない。
その意思表示だったのか、アレンは手紙を受け取って返事は書いて出すものの、自分から手紙を書くということはなかった。いつもカレンから届く手紙に、模範的な返事を書いて終わり。それでもアレンはそのことについて、何ら深く考えることはなかった。何故なら、冒険者という今の自分の立場がたまらなく好きで、楽しかったからだ。唯一の家族からの手紙も、どうでもよくなってしまうぐらいには、冒険者という肩書はアレンの心を鷲掴みにしていた。
来る日も来る日も外に出ては、新たな地を目指して旅立ち、各地で困っている人の手助けをしながら過ごしていた。
野宿の回数や眠れない日も少なくなかったが、それでもアレンは苦痛に思ったことはない。すべてが充実していた。
そんなある日。
アレンは仲間である女賢者のレスティアにとある一言を言われたその日に、彼の充実した日々に亀裂がはしる。
「そういえばアレン、最近手紙書かないね。最後に書いてたの見たの、半年ぐらい前だよ」
「……そうだっけ?」
「うん。だってほら、前は結構ペンを買い替えてたのに、最近は新しいの買ってないでしょ?」
それは、焚火を囲んで野宿をしていたときのことだった。
レスティアの言葉を聞いて、初めてアレンは自分が楽しい日々の前に姉からの手紙という存在を忘れていたことに気づいた。
自分の中では、姉に返事を書くというのはほとんどに日常化していて、長い間書いていなくとも、書いているような錯覚を感じていたのだ。しかし、実際に思い返してみると、最近は全く書いていないことに気づく。
バッグの中にあるペンも、移動や戦闘の時に動き回るせいで、今まで見たことないぐらいにくたびれていた。前なら、くたびれる前にインクが切れて買い替えていたので、ここまでボロボロにならなかったのだ。
アレンは笑って言う。
「まあ、俺から手紙を書くことはないしね。姉貴から手紙が届けば書くけど」
「……それって、お姉さんから手紙が届いてない、ってことでしょ? ちょっと心配じゃない……?」
「……」
アレンは手に顎を当てて考える。確かに彼女の言う通り、少し妙だ。あんなに手紙を送ってきていた姉が、ぱたりとそれを理由もなく止めたとは考えにくい。
そして、アレンが考えれば考えるほど、深淵からはい出てくるような不安は膨れ上がっていく。
そんなアレンの気持ちを察したのか、レスティアは優しく彼の肩を叩くと言った。
「少し、実家に様子を見に行ったら……? 多分、ヴァレッドもリシーラも、事情を聞けば同じことを言うと思うよ」
「……そうするかな」
焚火に枝を放り込んだアレンは、ぼそりと呟いた。それを聞いてレスティアは少し安心したように微笑みかける。
闇の中でバチバチと音を立てながら燃え上がる焚火の明かりが、ゆらゆらと揺れていたのだった。
そして時は、ハーヴィンに襲われた時まで飛ぶ――。
「……っ」
ハーヴィンに魔導書と姉の存在、その両方における欺瞞をさらけ出されたアレンは、黙ってハーヴィンを睨みつけた。
その貫くような視線を受けたハーヴィンは恐れるどころか、逆にあくどい笑顔をさらして、どうしてだか、ここ一番楽しそうにアレンへと言い放つ。
「お前の姉はお前が旅立ったあと、不治の病に罹っていることが分かったァ! だがそれを明かしてしまえば、お前は楽しくてたまらない冒険者業を辞めて戻ってきてしまう! だからお前の姉はその病のことを知らせず、代わりに文通の量を増やした! 死ぬまでに、できるだけお前と、言葉でなくても文字で、ずっと話したかったんだろうなァ! そしてあくる日、ついに手紙も書けなくなった姉は、知り合いも来ないような森の一軒家で、一人寂しく、冷たさと沈黙の中でゆっくりと生き絶えた! だがお前ときたら、手紙がこなくて心配するどころか、多い手紙の量に少しうんざりしていた! 手紙が来ないことなど気にもせず、日に日に冒険をたのしんだ! そして半年! お前はようやく異常に気づいて帰るも、そこにはベッドの上で虚しく朽ち、黒く腐り果てた姉の姿!」
ハーヴィンの感情が高ぶっているのは明らかだった。
叫ぶ彼の周囲には、青い炎の火花がバチバチと発火しては消え、カレンを掴む手の強さはさらに強くなる。
「その時お前はどう思った!? 足元が冷たく、換気もできておらず、息をするだけで苦しいその部屋で、一人朽ちていった姉を見て、お前は絶望したんだよなぁ!?」
「……やめろ」
「だからお前は姉を生き返らそうと、冒険者から無理やり足を洗って、その方法を探した! しかし蘇生術など見つかるはずもなく、疲れ果てたお前の耳に入ったのは『神々の終焉讃歌録』のひとつ、今てめぇが持ってるその魔導書の話だ! 『黄泉から魂を戻す』禁術! 魂が戻ってくれば、冒険者時代に培ったその知識で魂に細工し、疑似的な蘇生術として姉を生き返らせられると思ったんだろ!?」
苦々しく顔を歪めるアレン。それを喜々として見つめ、その傷口をぐちゃぐちゃになっても抉るハーヴィン。
それらを茫然と見ていたシルヴァは、その二人がとても対照的に見えた。
「だが失敗した! それがこの女の姿だろ!」
ハーヴィンはそう叫ぶと、カレンの体をそのまま地面に叩きつける。凄まじい力で地面に叩きつけられた彼女の体はその衝撃でヒビの割れていた硬い表面がはじけ飛び、中の黒い部分が露わになった。
彼女の皮の内側。本来血液が流れているそこには、血液どころか肉すらなく、黒いナニカで構成されていた。
カレンを壊したハーヴィンはその場で大笑いの叫びをあげる。ハーヴィン以外が空ろに沈黙する中で、彼の笑い声だけが響き渡っていた。
少し肌寒い夜だったからだろう。夕食の残りの暖かいシチューを食べたくなって、紫色の短髪で整った顔立ちの男――ヴァレッドが寝室から出てきたようだ。
テーブルの上に小さなランプを置いて、その淡い光に照らされ細々と書き物をしていた白髪の男――アレンはペンを置き、ヴァレッドの方を向いた。
「……いつも送ってくるんだよなあ。伝書鳩、あげなきゃよかったよ」
そう言ってアレンは困った顔でため息をつく。それを見てヴァレッドは小さく笑った。
「でもお前も、律儀に返事書いてんだろ? いいじゃんか、そういうの」
「……まあ、否定はしない」
少しの沈黙の後、二人の小さな笑い声が暗い室内に浅く響く。
ヴァレッドがそのまま部屋を出た後、アレンは再び書き途中の手紙に向き直った。
アレンの姉であるカレンが毎度毎度手紙を送ってくるが、その内容はいつも同じようなもので、アレン自身は内心嬉しく思いながらも、心の隅では少しうんざりしていたのかもしれない。
その意思表示だったのか、アレンは手紙を受け取って返事は書いて出すものの、自分から手紙を書くということはなかった。いつもカレンから届く手紙に、模範的な返事を書いて終わり。それでもアレンはそのことについて、何ら深く考えることはなかった。何故なら、冒険者という今の自分の立場がたまらなく好きで、楽しかったからだ。唯一の家族からの手紙も、どうでもよくなってしまうぐらいには、冒険者という肩書はアレンの心を鷲掴みにしていた。
来る日も来る日も外に出ては、新たな地を目指して旅立ち、各地で困っている人の手助けをしながら過ごしていた。
野宿の回数や眠れない日も少なくなかったが、それでもアレンは苦痛に思ったことはない。すべてが充実していた。
そんなある日。
アレンは仲間である女賢者のレスティアにとある一言を言われたその日に、彼の充実した日々に亀裂がはしる。
「そういえばアレン、最近手紙書かないね。最後に書いてたの見たの、半年ぐらい前だよ」
「……そうだっけ?」
「うん。だってほら、前は結構ペンを買い替えてたのに、最近は新しいの買ってないでしょ?」
それは、焚火を囲んで野宿をしていたときのことだった。
レスティアの言葉を聞いて、初めてアレンは自分が楽しい日々の前に姉からの手紙という存在を忘れていたことに気づいた。
自分の中では、姉に返事を書くというのはほとんどに日常化していて、長い間書いていなくとも、書いているような錯覚を感じていたのだ。しかし、実際に思い返してみると、最近は全く書いていないことに気づく。
バッグの中にあるペンも、移動や戦闘の時に動き回るせいで、今まで見たことないぐらいにくたびれていた。前なら、くたびれる前にインクが切れて買い替えていたので、ここまでボロボロにならなかったのだ。
アレンは笑って言う。
「まあ、俺から手紙を書くことはないしね。姉貴から手紙が届けば書くけど」
「……それって、お姉さんから手紙が届いてない、ってことでしょ? ちょっと心配じゃない……?」
「……」
アレンは手に顎を当てて考える。確かに彼女の言う通り、少し妙だ。あんなに手紙を送ってきていた姉が、ぱたりとそれを理由もなく止めたとは考えにくい。
そして、アレンが考えれば考えるほど、深淵からはい出てくるような不安は膨れ上がっていく。
そんなアレンの気持ちを察したのか、レスティアは優しく彼の肩を叩くと言った。
「少し、実家に様子を見に行ったら……? 多分、ヴァレッドもリシーラも、事情を聞けば同じことを言うと思うよ」
「……そうするかな」
焚火に枝を放り込んだアレンは、ぼそりと呟いた。それを聞いてレスティアは少し安心したように微笑みかける。
闇の中でバチバチと音を立てながら燃え上がる焚火の明かりが、ゆらゆらと揺れていたのだった。
そして時は、ハーヴィンに襲われた時まで飛ぶ――。
「……っ」
ハーヴィンに魔導書と姉の存在、その両方における欺瞞をさらけ出されたアレンは、黙ってハーヴィンを睨みつけた。
その貫くような視線を受けたハーヴィンは恐れるどころか、逆にあくどい笑顔をさらして、どうしてだか、ここ一番楽しそうにアレンへと言い放つ。
「お前の姉はお前が旅立ったあと、不治の病に罹っていることが分かったァ! だがそれを明かしてしまえば、お前は楽しくてたまらない冒険者業を辞めて戻ってきてしまう! だからお前の姉はその病のことを知らせず、代わりに文通の量を増やした! 死ぬまでに、できるだけお前と、言葉でなくても文字で、ずっと話したかったんだろうなァ! そしてあくる日、ついに手紙も書けなくなった姉は、知り合いも来ないような森の一軒家で、一人寂しく、冷たさと沈黙の中でゆっくりと生き絶えた! だがお前ときたら、手紙がこなくて心配するどころか、多い手紙の量に少しうんざりしていた! 手紙が来ないことなど気にもせず、日に日に冒険をたのしんだ! そして半年! お前はようやく異常に気づいて帰るも、そこにはベッドの上で虚しく朽ち、黒く腐り果てた姉の姿!」
ハーヴィンの感情が高ぶっているのは明らかだった。
叫ぶ彼の周囲には、青い炎の火花がバチバチと発火しては消え、カレンを掴む手の強さはさらに強くなる。
「その時お前はどう思った!? 足元が冷たく、換気もできておらず、息をするだけで苦しいその部屋で、一人朽ちていった姉を見て、お前は絶望したんだよなぁ!?」
「……やめろ」
「だからお前は姉を生き返らそうと、冒険者から無理やり足を洗って、その方法を探した! しかし蘇生術など見つかるはずもなく、疲れ果てたお前の耳に入ったのは『神々の終焉讃歌録』のひとつ、今てめぇが持ってるその魔導書の話だ! 『黄泉から魂を戻す』禁術! 魂が戻ってくれば、冒険者時代に培ったその知識で魂に細工し、疑似的な蘇生術として姉を生き返らせられると思ったんだろ!?」
苦々しく顔を歪めるアレン。それを喜々として見つめ、その傷口をぐちゃぐちゃになっても抉るハーヴィン。
それらを茫然と見ていたシルヴァは、その二人がとても対照的に見えた。
「だが失敗した! それがこの女の姿だろ!」
ハーヴィンはそう叫ぶと、カレンの体をそのまま地面に叩きつける。凄まじい力で地面に叩きつけられた彼女の体はその衝撃でヒビの割れていた硬い表面がはじけ飛び、中の黒い部分が露わになった。
彼女の皮の内側。本来血液が流れているそこには、血液どころか肉すらなく、黒いナニカで構成されていた。
カレンを壊したハーヴィンはその場で大笑いの叫びをあげる。ハーヴィン以外が空ろに沈黙する中で、彼の笑い声だけが響き渡っていた。
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