名の無い魔術師の報復戦線 ~魔法の天才が剣の名家で産まれましたが、剣の才能がなくて追放されたので、名前を捨てて報復します~

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121 黒いガラス

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 宙に漂う黒い影は"カタチ"を成してはいない。質量の気配も感じない。光に近いものであるとソニアは直感する。

 そして同時に、それが"よくないもの"ということも感じ取っていた。それにしてはどこか既視感というか、感じたことがあるような不快感であったのだが。

「フィリア様……これは……」

「……想像しているよりも、数倍はくだらないものよ」

 口にしたソニアの小さな声に、フィリアは湯から上げた腕を見つめながら言う。その指先にはソニアが目にした黒い靄と薄っすら繋がっている。

 その靄はフィリアの指先から出現していた。

「私には、これが必要だった」

 フィリアは力強く握りしめる。黒い靄は霧散し、ソニアの目の前から消滅した。不快な雰囲気も消滅して、今一度周囲の清麗さが際立つ。

 嫌な違和感が去ったのも束の間。後にはそれはそれで口を開きにくい雰囲気が広がり出した。だがそれはすぐに消えることになる。

 フィリアは軽く微笑んで瞳を閉じる。

「まあでも……」

 ゆっくりと腕を上げて肩に湯の波をかけた。湯面の波紋が石の縁にあたっては消えていく。

「今この瞬間ぐらいは、ちょっと忘れてもバチは当たらないはずよ。ここは戦場でも、利権が飛び交う渦中というわけでもないのだし……」

「……」

 フィリアの言葉にはどこか含蓄があるように感じた。それもそのはず。彼女は"戦場"も"渦中"も断片的とはいえ経験しているのだから。

 やはり自分とは出来も器も"違う"――ソニアはそう自覚して、自分が場違いなことがさらに浮き彫りになった気がした。

 気分も同じく沈む。――と目を伏せたところで、その頬に優しい手が伸びた。

「……え」

「なんて顔してるの」

 それはフィリアの手であった。その体温に触れられながら、ソニアは視線を上げる。そこにはソニアをじっと見つめるフィリアの顔があった。

 青く澄んだ瞳がソニアをうつす。

「貴女に言ってるのよ。まったく、どうしてそんな張り詰めてるのかしら?」

「……いえ、そんなことは」

「じゃあ命令する」

 フィリアの人差し指がソニアの額に触れた。ぴくんと反応するソニアに、フィリアはそのまま告げる。

「理由は言わなくてもいい。けど、張り詰めるのはやめなさい。折角の貴女が台無しよ」

 じっと真っすぐ見つめられてはその意見に対抗することなどできなかった。しかしながらそれは少し無理なことでもある。

(張り詰めるなって言われても……)

 なにせ劣等感の対象がすぐそばで歩いたり座ったりしているのだ。それをやめろというのは言語両断であり、自分が変わらない限り状況は変わらない。

 フィリアは血統に加えて血がにじむ努力もしている。傍若無人な態度はその蓄積された努力の裏返しでもあるはず。それに追いつこうなどというのは何もかも足りない。それこそ天変地異とかが起きないと差は埋まらないだろう。

 そして厄介なのがウィズだ。血統、努力もソニアは知らない。知っていると思っていたすら最近まで知らなかった。

 同時にこんなにたくさん一緒にいる経験もこれが初めてであり、下心から離れたくない気持ちもある。ジレンマだ。

「……」

 でもさっきの言葉、少し嬉しかったりもした。

 ソニアが言葉を返せずにいると、フィリアはふとぼやく。

「明日は特に用事もないわね」

「……えっ」


 ◆


「……」

 自室のウィズ。飲み物を片手に、ベッドの前で立ち尽くしていた。

 ベッドに隣接しておかれている机。その上に見覚えのないビー玉のような黒く染まりきった球体が転がっていた。

(……)

 さっきまでは置いていなかった。それは確信できた。

 その理由というのも、目の前にビー玉からは意識が惹かれる感覚を得ていたからだ。

(……やべーな)

 ウィズは右手に魔法陣を展開し、机を蹴り上げた。宙に舞うビー玉。ウィズはそれをすぐに『緋閃イグネート』で撃ち抜く。

 ビー玉自体に耐久性があるわけではなかった。緋色の魔力に当てられたビー玉は一瞬にして砕け散る。黒い欠片が散らばってはどこかへ落ちる前に消えていく。

 実体が消えたのだろう。ビー玉に対する感覚も消えて、ウィズは一息ついた。

 蹴り上げた時に場所がズレた机の位置を律儀にも直しつつ、悶々とした気持ちに毒づく。

(あの玉に"危険"は感じなかった)

 机を直し、ベッドに腰を下ろしては倒れこむ。

(感じたのは"親近感"に似た何かだ。自分の一部が出現しているようだった。それが自意識に注視させてくる扇動性がある……。デコイ……いや、もしそうなら破壊した時にそのまま消滅するというのはおかしい。あのビー玉自体に仕掛けがあったと考えるのが有力か)

 ぼーっと天井を見る。考えには出さない。けれども、さっきのビー玉に込められた感覚、とても親しみのあるに気づていないはずがなかった。

「……ハハッ。話せねーよなぁ、オイ」

 ウィズは一人で笑う。そこに介在する余地も必要もなく、それは自己完結するただの自嘲であった。

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