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1 『アレフ・ブレイブ』

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 恵まれたことに、アレフは有名な剣聖の家系、『ブレイブ家』の五男として生まれた。

 生まれた当時は男ということもあり、両親や執事たちにも喜ばれたらしい。兄も姉もアレフを祝福していたようだ。

 "らしい"、"ようだ"、というのはアレフが物心ついてから、彼ら家族にそんな言葉や期待をかけられたことがないからである。


 アレフには剣術の才能がなかった。他の兄や姉が一日で会得した剣技を、アレフは一週間経っても会得できなかった。

 最初の方は大器晩成型として丁寧に扱われていたものの、それが二年三年と続くと周囲の目の色も変わってくる。


「兄は一日でできるようになったのにな、どうしてお前は……」

「……は? まだそんなこともできないのか? まぁいい」

「話しかけないでいただけるかしら。私は今忙しいので」


 誰にも相手にされない日々が始まったのは、最近のことではない。

 アレフは一日の睡眠時間以外は剣の練習をさせられた。

 けれども兄たちに追いつくどころか、後から生まれてきた弟たちにも抜かれていくばかり。そして睡眠時間が練習時間に削られていく日々。


 それでもアレフの剣技はダメダメだった。最初は指導してくれていた父親もついには匙を投げた。


「お前は、俺の息子ではない」


 気が付けば、アレフは物置小屋に住まわされた。他の家族たちがご馳走を食べる中、アレフは一人物置小屋でパン一切れと水だけで腹を満たした。


 そんな日々が続いてもアレフはめげずに生きていた。何故なら、彼には自分を支えてくれる娯楽があったのだ。


「なんだろう……これ……」


 ある日、剣の稽古が深夜まで続いたときのこと。物置小屋に帰る際に拾った一冊の本が始まりだった。


 ゴミ箱で見つけたその本は魔術の入門書だった。家の誰かが魔法に興味を持ったものの、理解できずに捨てたのだろう。アレフの家系――『ブレイブ家』は剣術ができても、魔術に関してはからっきしであった。


 アレフはそれを物置小屋に持ち帰った。物置小屋にはランプなんてものはなかったので月明かりを頼りにそれを読んだ。


「……! なんだこれなんだこれ……! 面白い……!」


 初めてだった。初めてアレフは"面白い"と感じた。全くもって上達しない剣術の稽古よりも、歪な文字の羅列の方が何倍も面白かった。


 アレフは寝る時間も惜しんでその魔術書を読みふけった。そこには本当に入門のことしか書かれておらず、魔法の基本的な仕組みしか記述されていない。


 だがアレフは魔法の基礎の基礎を理解すると、そこからは独学で魔法について研究し始めた。

 それも一日のほとんどが剣術の稽古に消費される中、寝る前と起きた直後だけの、ほんの僅かな時間でもアレフは魔法研究にいそしんだ。

 紙も羽ペンもない中で、理論はすべて頭の中だけで完結させた。杖もないのでその辺の木の棒で代用した。


「……これがこうなら、この魔術術式を変形させてここに埋め込めば省略になるな……」


 ――アレフには魔法の才能があったのだった。それは天才をも超越するものであったことにアレフ自身は気づかない。


 一冊のしょうもない魔法入門書から、アレフの魔法知識は達人や大賢者を超えた"何か"となっていた。やろうと思えば魔力でひとつの世界を造れるほどまでにアレフの研究は進んだ。しかしながらそれを利用するという概念がアレフの中にまだ育っていなかったので、その才能は宝の持ち腐れとなっていた。


 そしてある日、アレフに転機が訪れる。



「なんだこれは!! 貴様! 剣術の稽古もうまくいかないのに何をしていたんだ!!」


 父親――ジャコブ・ブレイブに物置小屋に大切に保管していた魔術の入門書がバレてしまったのだ。アレフは当然呼び出され、大広間で正座をさせられた。

 両親、兄姉弟妹がアレフを囲って口々に言う。


「剣術もできないのに魔術なんかを……」
「剣聖の家系であるのに剣術もできない、そんな奴が魔法などできるはずがないだろう!」
「もう耐えられませんわ! なんでこんな奴と血が繋がっているのかしら!」
「僕たちよりもできないのに、他のものに没頭するなんて……!」
「兄様……」


 アレフは口を開けることができず、ただひたすら黙って正座させられていた。

 アレフは生まれてからずっと、この家庭で育ってきた。そのため剣技の会得が第一とずっと教え込まれてきたのだ。

 なのでアレフは家族たちが言うことに何の疑問も持たないどころか、悪いのは自分であると思っていた。


「お前なんぞ、この家の恥さらしだ! もう出ていけ!」


 ――ジャコブがそう怒鳴る。それが最後の言葉だった。アレフへの中傷は一気に止んで、家族たちの黒い瞳がギョロっとアレフを見下ろす。

「そ、そんな……」

 突然の追放宣言に思わずアレフは目に涙をためた。どんな酷い家族であれ、アレフの拠り所はこの家庭だけだったのだ。

「も、もう一度考えなおしてください……! もう魔法のことなんて忘れますから……!」

「知るか! おい執事! こいつをここからつまみ出せ! ……そうだな、周囲には『アレフ・ブレイブは"病死"した』ということにしよう」

 部屋の隅で並んでいた執事たちがぞろぞろとアレフに集まってくる。アレフは彼らに両腕を掴まれ、部屋の外へと運ばれていった。

「父上……! 魔法の研究はやめますから! どうか追放だけは……!」

「父上だと? アレフ・ブレイブは病死したのだ! この瞬間に! お前は俺の息子でもなければアレフ・ブレイブでもない! 名前も持たぬ、ただの薄汚いガキだ! 早くそのゴミを放り出せ!」

「そんな……!」

 アレフの言葉になど彼の父親ジャコブは耳を貸さなかった。

 それからは早い。アレフは執事たちに屋敷の門の外に放り出されると、すぐにガチャリと門を施錠された。

 アレフが慌てて門を開けようとするもすでに遅い。固い鍵がかかっていて両腕だけでは開けられない。

「うっ……」

 今までずっと住んできた屋敷から追い出され、それによりアレフが得たものは不安だけだった。

 大粒の涙をこぼして門の前で静かに泣いた。外はもう暗くなっていて、そこら中から獣のうめき声が聞こえる。

 とてつもない悲しみにアレフは打ちひしがれていた。けれど、彼は立ち上がる。

「……行かなきゃ」

 ぽつぽつと一人、アレフは歩み始めた。――生まれ育った屋敷に背を向けて。

「アレフ・ブレイブは……死んじゃったんだ……僕はもう、アレフじゃないんだ……」

 アレフ――否、名前を失った少年はただ暗い森の中を歩く。

 その先に明日があるのかも分からないけれど、とにかく歩いた。

『ガウウ……!』

 獣のうめき声が真正面から聞こえて、その少年は涙で濡れた顔を上げる。

「……」

 不幸なことに、目の前にはケルベロスの群れが少年を待ち伏せていた。鋭い牙がある口から涎を流し、どう猛な瞳は少年を睨みつけている。

 少年が足を止めると後ろの草むらからもケルベロスが出てきた。挟み撃ちにされてしまったようだ。

 ケルベロスは武器も持たない小さな少年を体の良い餌として認識したのだろう。

 そんな中、少年はぼそっと呟く。

「……そうだ。まずは僕が誰なのか、名前をつけないと……僕が僕であるために……」

 悲しみ沈んでいた少年だが、生きることに関してはちょっと前向きに感じ始めていた。

 そんな少年など気にもしないようで、ケルベロスは姿勢を低くしてとびかかる姿勢を見せる。少年はその中で顎に手を当て考えた。

「名前……そういえば、男の魔法使いはウィザードって呼ばれることがあるんだっけ……。なら僕は……」

 少年の周囲を取り囲んだケルベロスたちが一斉に飛び掛かる。その鋭い牙と爪を月光で輝かせ、少年を切り裂こうと吠えた。



「――ウィズ。そう名乗ろう」



 一瞬。それは一瞬の出来事。

 元アレフの少年――ウィズを中心にして目に見えない旋風が巻き起こった。一瞬にして巨大化したそれは、風の刃となって飛び掛かってきていたケロベロスを切り刻む。

 それはウィズが独学で開発した風魔法―― 『崩壊の大嵐ロスト・テンペスタ』だった。

『――』

 『崩壊の大嵐ロスト・テンペスタ』で巻き込まれたケロベロスたちは鳴き声も上げられなかった。二秒という短時間でケロベロスをバラバラにした風の刃の旋風は、役目を終えて消滅する。

 ケロベロスだったものは細かくバラバラにされ、その破片は風に乗ってどこかへ消えた。

 ――足を止めていたウィズはまた歩き出した。その先には何があるのか分からないけど、後ろには戻れない。

「……さようなら、アレフ・ブレイブ」

 ウィズは今までの自分に別れを告げると、暗闇の中に消えていったのだった。

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