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第一章 聖剣『クラウス・ソラス』

5 聖剣、威圧する。魔術師、抗う。

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 顔面にかかったお茶をタオルで拭くニコラリーの隣で、腕を組んで自慢げに座る青い瞳の少女。それが聖剣『クラウス・ソラス』であるのだが、そうであると確信させたのが、カッコよく決めた着地の瞬間にドジってニコラリーにお茶をぶっかけたから、という何とも残念な理由なのが悲しいところだ。

 ニコラリーとナツメからそんな風に思われているのにも関わらず、自身の変身魔法についての出来を自慢したそうに、嬉しそうな顔をのぞかせている。それがその残念さをグレードアップさせていた。聖剣と出会ってほんの数時間しか経過していないが、聖剣のイメージがどんどん変わっていっている気がした。もちろん、残念な方に。

 まあ何やともあれ、変身魔法を実行し成功させたのは紛れもない事実であるし、誇張でもなく歴史的快挙といっても過言ではない偉業だ。

 というのも、ニコラリーは一応魔術師の端くれなので、そういう変身魔術について少しはカジっていた。人間が他の生き物に成り代わる魔法は、魔法を成り立たせる術式の作成はされていても、それを発動させた事例はないために『机上の空論』として扱われている。

 それを目の前で一発成功をしてしまうのだから、まさに目から鱗だ。お茶の襲撃によりそれなりの反応を示せなかったが。それなりの魔術師ならば腰を抜かして驚き舌を噛み切るぐらいの反応をするだろう。

 さすがにその例えはやりすぎだったかもしれないが、とにかく聖剣の行ったことはすごいのだ。

「すごいなあ。わたし、あんな魔法初めて見たよ!」

「ふふふ、そうだろうそうだろう。人知では到達できぬ領域の魔法だからな」

 ナツメは街の警備兵として日々鍛錬を続けている身であり、一応は剣術を扱い戦う騎士である。しかし、ニコラリーの影響か魔法にも手を出しているために、聖剣が行った変身魔法についての凄さもそこそこ理解しているのだろう。

 ナツメに褒められて上機嫌な聖剣を見ながら、ナツメの反応とは対照的に、ニコラリーはその鋭い洞察力で聖剣に対する不可解さを少しずつ募らせていた。

 今の聖剣、つまり人の言葉を話し、魔法まで扱ようになった聖剣『クラウス・ソラス』であるが、その発端はニコラリーが偶然開発した『物に知能を与える薬』を誤ってかけてしまったというもののはず。『知能を与える薬』、一見単純そうなものだが、よく考えてみると不可解なことばかりだ。

 そもそも、『知能を与える』というのはどういうことなのか。具体的に『知能』とは何なのか。どこからどこまでが『知能』として扱われ、薬を経由して聖剣に与えられたのか。

 聖剣は今、あの変身魔法を『人知では到達できぬ領域の魔法』と言った。それは変身魔法の知識からして誇張ではない。人知では到達できない魔法、どうしてそんな魔法が扱える? 聖剣に知能を与えたのは、元を辿れば例の薬を作ったニコラリーなのだ。知恵の結晶が新たな知識を作り出すのは世の摂理である。しかし人知、つまり人間の知恵によって作られたものが、人間の知恵を超えた知能を生み出せるのか? その知識の本流は、いったいどこから――

「――主殿、それ以上踏み込むというのならば、相応の覚悟はあるのだろうな?」

「――」

 空気が、変わった。心を読まれたのか。

 聖剣の鋭く光る青の瞳が、ニコラリーの心臓に矛を突き立てているかのような圧迫感――すなわち、殺気を放っていた。

 ニコラリーはその瞳に気圧されて思考の循環が刹那に止まる。先ほどまでのおちゃらけた聖剣とは比べ物にならないほどのプレッシャーが、今の聖剣を包み込んでいた。これが、聖剣の真髄なのだろうか。

 正直、舐めていたとしか言いようがない。この得体のしれないほどに高く聳えた質の暴力、それこそが3000年もの間封印されていた聖剣の本質。誠の姿。

 唾を呑む。その殺気に怯えた自分の弱さと一緒に。ニコラリーは、自身に向けられた青い瞳に対抗するかのように見つめ返し、乾ききった口を、ぎこちなく動かした。

「……一説としては、変身魔法を扱うための術式は完成している、と云われている。変身魔法が発動しない原因は人間にある、ともな。その原因は、言葉を介すとすれば『魂』と呼ばれるものに由来する。人間一人に一つ宿る魂は人間の姿とは別に、真の姿を持っているとされていた。その真の姿が、変身魔法の不発の直接的原因を担っているらしい」

 聖剣の刺すような視線を受けながらも、ニコラリーは続ける。

「もしも、その魂と呼ばれる存在が一種のメーター、つまり基準として扱われるものだとしたら、人間の魂では変身魔法を扱うまでのポテンシャルはない。故に変身魔法は不発になる、と。だが聖剣、あなたの魂においては、変身魔法を扱える基準を満たしていた。そうなら辻褄は合う。そして、その魂の基準という要素は、変身魔法だけに適用されるものではない。『知能を与える薬』が与えるとされる知能の量が、その魂の基準により変動するとしたら……」

「ふむ……。さすがは主殿じゃな。我を動かしただけはある。――非才でしがない魔術師というのは過小評価だったな。主殿は我を軽く見ていたようだが、本当は我が主殿を軽く見ていたのかもしれん」

 すぐ前までは、その場の雰囲気を聖剣が全てを掌握していた。しかし、今度はニコラリーの雰囲気が、聖剣の敷いていた雰囲気を押し返そうとしている。

 結果、二つの意思がせめぎ合う状況となった。それに介入できないナツメは、その行方を固唾をのんで見守る。

 しばらく聖剣とニコラリーの間で目線が交差していた。誰も口を開くことのない。どちらが先に目を背けるか、そんな意思の張り合いも見方を変えれば度胸比べにもなる。

「……決めたぞ!」

 その度胸比べを最初に放り投げたのは聖剣だった。改造巫女服を揺らしながら立ち上がると、自信を見上げるニコラリーに向けてビシーッ! と人差し指を下す。

「我は主殿を最高の魔術師に育てる! 我に相応しい勇者よりも、ずっと相応しい男にしてみせよう!」

 青い瞳は相も変わらずニコラリーを貫いていた。

 ニコラリーは思わずぼやく。

「最高の、魔術師だって?」

 それは、ニコラリーの目標でもあった。ニコラリーはかつて、この国最強の魔術師を目指していた。そして、ポーションを薬屋に売る仕事をしている今も、その野望を胸の内に秘めている。

 その野望を、あの聖剣が手助けしてくれるって?

 指されたニコラリーはニヤリと微笑んだ。それに同調して聖剣も調子が良さそうに笑った。

 さっきまでの殺伐とした雰囲気とは再び様変わりし、そこには未発達であるが確かな信頼と将来への希望が満ち溢れていた。

「ところで」

 そんな雰囲気の中で数分ほど経っただろうか、ナツメは申し訳なさそうに笑って、

「あの大根、どうするの?」

 と、隅に追いやられた大根の山を指さす。

 続けて「早く処理しないと腐っちゃうかもよ?」というナツメの声が、悲しくもニコラリーと聖剣を貫いたのだった。

 その後、大根は全部みそ汁の中にいれて食べた。みその味が大根の味にかき消されて、大根の汁に大根をぶち込んだものを食べた気分だったという。

 まあ当然ながら、全ては食べきれなかったので、残りは冷蔵庫に保存というかたちで処理した。いや処理できてないのだけれど。
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