黒鋼トウカは剣と化して、王を斬る

ユキトシ時雨

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躍動鳴動

泥まみれ

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 トウカは雨が大嫌いだった。あの日のことを思い出してしまうから。

「……」

 シンヤとこんな風に喧嘩をするのも何年ぶりだろうか。

 こんなことになってしまったのも、自分の心が弱いままなせいであろう。だから彼女は自室に閉じこもり、その隅で小さく泣きじゃくる。

「ごめん……ごめんね、シンヤ。……酷いこと言ってごめんね」

 シンヤは、いつもトウカのことを「強い」と認めてくれる。

 だから、彼女もそう在り続けようとした。────自分がシンヤを守らなければならないのだから。虐めに悩まされようと、どれだけ人器一体に失敗しようと強い姿を演じ続けた。

 だが、化けの皮が一枚剥がれるだけで、すぐこれだ。

 弱いのも、結局は自分だけ。嘘ひとつ突き通せず、決めた誓いさえ守ることができない。それどころか、鋭利に研ぎ澄ませた言葉の刃でシンヤを斬りつけたのだ。

「────貴女が俺を守るなら、俺は貴方を守ってみせる」

 その約束を裏切って、二人の傘をズタズタに切り裂いたのは誰だ? 

 シンヤが差し出した傘に入ることを望みながら、それを台無しにしたのは他の誰でもないトウカ自身であった。

「本当に弱いのは私の方なのに」

 ◇◇◇

「封印道ノ壱・魂滅ッッ!!」

「封印道ノ壱・魂滅」

 雨が降りしきる中。────シンヤとカサネ、二人の魂が込められた拳がぶつかり合う。
 
 手加減されているであろうカサネの一撃でさえ、それを拳で受けてしまったシンヤの肩は外れそうになってしまった。両社の実力にF1カーと自転車ほどの開きがあるのだ。

 迫る魂の圧で、シンヤの身体は無意識に震えていた。

「攻撃の鋭さも、魂も、その意思さえ全部中途半端ね」

「ッッ……まだだァ!」

 トウカと喧嘩をしてしまった。その苛立ちをぶつけるように、シンヤは帰ってきたばかりのカサネに稽古を付けて貰えるよう頼み込んだのだ。

 だが、単調な拳が〈夜叉〉に届くわけもなく。

 軽々と避けられ、ノーガードの腹に膝蹴りをお見舞いされてしまった。

「かぁっは⁉」

「……止め。アンタ、ケガ治ってないでしょ? 魂だって消耗してるし。あーもう、雨で服ビチャビチャ」

「まだ……まだだ」

「アンタ……少し、くどいわよ」

 シンヤは無理やりにでも身体を起こす。泥だらけで擦り傷まみれな身体は酷いものだ。

「はぁ……まったく、手のかかる弟ねッ!」

 ダッ! と地面を蹴ったかと思えば、既に彼女はシンヤの後ろにいた。反応しようとするシンヤの手首へ捻り上げ、その場に組み伏せる。

「……あのさ、私とレンサが帰ってきた途端に、稽古をつけてほしいなんて言うから大体の事情は察したわよ。アンタ、泣きそうな顔してたし」

「なっ……そんな顔してねぇよ!」

「嘘つけ。アンタがあんな顔するのときは決まって、トウカちゃん絡みなのよ」

 シンヤはバツが悪そうに顔を逸らす。

「とにかく、今日はもうお終い。だいたい、ちょっと無理したくらいで強くなれるなら、誰も苦労しなっての」

「ッ……それじゃあ、ダメなんだよ。俺は、今強くならなきゃいけねぇ! じゃなきゃ……トウカは俺を認めてくれねぇんだよッ!」

 半ばヤケクソ気味に、拘束を解いてカサネを振り払う。

 そのままカウンターをねじ込もうとするも、やはり彼女は強かった。

「ふんっ!」

 カウンターに合わせて、彼女の裏拳が炸裂する。鼻っ頭を襲う灼熱感と血の滴る感触は決して生易しいものではなかった。

「ったく、すこし本気で殴っちゃったじゃない……。というか、さっきアンタ、トウカって言わなかった?」

「あっ……ヤベェ」

 感情的になったせいで、ついトウカのことを呼び捨てにしていた。思えば、彼女と口論になったときも敬語で話すのも忘れていたかもしれない。

 その事実に気づいてしまったシンヤの顔が、次第にサァーと青ざめてゆく。

「あのー……カサネ姉。トウカさんには、どうか内緒にしてほしいですが……」

「別に良いけど。けど、これはずっと疑問だったんだけどさ、普通はトウカちゃんにはタメ語で、私には敬語じゃないの? 一応は、私が歳上なんだし」

「んー……カサネ姉はカサネ姉だからな。尊敬はしてるけど、お姉ちゃん感が勝つ」

「なんじゃそりゃ。けど、この際だから、その敬語も止めたら? トウカちゃんが強制してるわけじゃあるまいし」

「……いや、そういうわけには、」

 カサネの目には、シンヤの魂が黒く澱んでいくのがわかった。

 この色は、後悔の思念から異形が生まれる寸前だ。

「こら!」

 掌をパンっ! と打ってシンヤの魂を落ち着かせる。

「もしかしてだけどさ、トウカちゃんが虐められた時のこと、まだ悔やんでんの」

「まじか、今のだけでバレるのかよ……。……けど、まぁ、そうだよ。こればっかりは、いくら今の当人が許しても、その頃トウカさんは」

「トウカね? 敬語はやめなさい。余所余所しい」

「……その頃の、虐められた頃のトウカは俺を許さないと思うんだ。それに俺自身も、あの時の俺を許せない」

「だから畏敬の念を込めて、敬語をつかうと」

 カサネはそれだけ聞くと、「ばっかじゃない!」と吐き捨てる。

「はー、バカバカしい。トウカちゃんは、そんな尻の穴が小さい子じゃないつーの」

「カサネ姉……一応、アンタだって嫁入前なんだから、ケツの穴とか言わないでくれよ」

「うっさいわね。とにかく、トウカはそんな昔のことでアンタを恨んでるわけがないでしょ?」

 なんて口では言ってみたが、カサネ自身もあの頃に後悔がないと言えば嘘になるのだろう。

「ねぇ、シンヤ……トウカちゃんが虐められてた時、何もしてあげられなかったのは私も一緒。我ながら酷いお姉ちゃんだと思うわ。〈夜叉〉の名前を襲名したから忙しいってのも結局、ぜんぶ言い訳で。単純にあの時のトウカちゃんに、なんて言葉を掛ければいいか分からなかったの」

 彼女の声はいつになく落胆していた。

 本当にあの、〈封印師〉カサネから発せらているのか、疑わしいほどだ。

「けどさ、そんな最低な私たちをトウカちゃんは許してくれた。だから私たち三人は、今でも家族でいられるんだと思う」

 ボロボロになったシンヤを立たせて、彼女はすこし自嘲気味に笑ってみせた。

「ははっ……私も強くならないとダメね。例えトウカちゃんが許そうが、私たちは彼女を傷つけたんだから。なら、強くなってトウカちゃんに償わなきゃ。これから、どんな困難があろうとトウカちゃんの隣に立てるよう」

「だったら、まだ相手になってくれるよな?」

 シンヤは垂れてきた鼻血を拭い取り、もう一度カサネの前に立った。

 今度はトウカと喧嘩をしてしまった憂さ晴らしではない。胸の内にあった泥のような感情を捨てて、もう一度強く拳を握った。

「俺がもっと強くなるために」

「……ったく、しょうがないわね。アンタの気が済むまで、相手になってやるわよ!」

 二人が拳を撃ち合う音は、日が沈んでも止むことを知らなかった。

 雨に打たれて、満身創痍のシンヤが倒れるまで二人の強くなるための特訓は続く。
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