黒鋼トウカは剣と化して、王を斬る

ユキトシ時雨

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躍動鳴動

雨が降っている

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「来るんだ、雨斬ッ!」

 彼女の名前を呼んだ。真っ黒な刀がシンヤの手元に現れる。

 さぁ、問題はここからだ。

 彼女に触れた途端、激痛が走った。その痛みは、これまでの失敗の比ではない。

「ッ…………!」

 一瞬、腕の感覚が吹っ飛んだ。かと思えば、絶え間なく激痛がシンヤの腕を引きちぎろうとする。

 絶えずトウカと自身の魂が反発しているような感覚。それがシンヤの腕を破壊し続けるのだ。

「クッ……クソォォォ!!!」

 カサネから言われたアドバイスを思い出す。イメージを変えるのだ。

 波紋ひとつない水面のイメージじゃない。

 野風が吹く丘の上でもない。

 しんとした森の中でもない。

 星だけが煌めく夜の空でもない。

 どんな穏やかなイメージを思い浮かべようと、腕の痛みは消えることを知らない。

 何度も刃で斬りつけられたようなシンヤの手からは、だらだらと血が垂れ流れ続ける最中。ふと、イメージが切り替わった。

「────雨が、雨が降っている」

 流れた血は足元に赤い水溜りを作っていた。きっと、そこから連想ができたのだろう。

 シンヤの頭の中に浮かぶのは曇天のイメージだ。

 分厚い雲に覆われた空。そこから降りしきる雨はどんな音もかき消して行く。

 耳朶に響くのは、地に落ちた水滴が辺りに反響する音だけで、肌を撫でる水の感触も、土を踏んだ気持ち悪さも、その全てを明確に想起できる。

「っ……」

 雨の中には誰かが立っていた。

 泣いているのか、笑っているのか分からないような顔で、雨に濡れているのだ。

「お前は……誰だ……」

 次の刹那。シンヤの意識がぶつりと、途切れた。

 ◇◇◇

 雨が降っている。イメージじゃない。本当に雨が降っているのだ。

「これは……」

 それはシンヤの記憶だった。その日は酷い雨で、傘を手に中学校から帰ろうとしているところだ。

 ふと足元を見れば、そこにあるのは一本の傘であった。それもただの傘じゃない。布地を鋏でズタズタに切り裂かれたそれは、明らかに人の悪意が加わったものだ。

 そしてシンヤの横には、よく知る少女が立っていた。

 赤い瞳に涙を溜めて。それでも、この理不尽に耐えるトウカの横顔が雨に濡れている。

 辺りからは、そんな彼女を嘲笑うような声と、卑下するような視線が当てられていた。

 今と違って中学の頃、トウカは虐められていたのだ。

 彼女は美人で、何だってそつなくこなす。人によってはそんな彼女に憧れて、人によってはそんな彼女に嫉妬する。中学時代は後者の人間が多かったのだ。

「赤い瞳が気持ち悪い」

「いつも澄ました態度が気に入らない」

 そういって皆、出来てもいない正当化の元に彼女を害した。雨の日に、傘を壊すなんて些細なことだ。

「…………」

 シンヤはただ、自分の持っている傘に彼女を入れてやればよかったのだろう。虐めを解決できずとも、そのくらいのことは出来た筈だ。

 それなのに、あの日の自分は見て見ぬ振りをした。

 理由だって最悪だ。あの頃には自分には、どうしていいか分らなかったから。必死に現状を耐え忍ぶトウカにどう言葉をかけて、どんなふうに接すればいいのか見当もつけられなかった。

 けれど、そんな言い訳は彼女を虐げた連中と同じ。何の正当化にもなり得ない。

「…………分かんかったじゃねぇだろ」

 過去の記憶に吐き気がした。つくづく自分の弱さに嫌気がさす。

「────シンヤは私が守るから」

 その約束を、自分は最悪な形で裏切ってしまった。そうして、二人の中学時代は幕を閉じる。降りしきる雨は止むことを知らない。

 ◇◇◇

「思い出した……あぁ、なんで忘れてるんだよ。畜生」

 シンヤの意識は急速に現実に引き戻される。

 ボロボロの腕の中で今も魂は静まることを知らない。腕の痛みは絶えずシンヤを襲っている。

 眼前に立つは鬼神。後ろに背負うは大切な命。その状況でシンヤは雨斬(あまぎり)と化したトウカへと語りかける。

「トウカさん……俺は最低でした。あの日、貴女に傘を貸せなかった。そのことをずっと後悔していたはずなのに、あまつさえそれを忘れてしまうだなんて」

「……仕方ないわよ。……私としても忘れていてほしかったことだから」

 記憶にはいまだ、靄がかかっているような違和感がある。ならば、今ここでも一度誓わなければ。 

 シンヤは覚悟を決める。都合がいいと思われようとかまわない。────何があっても、これからはトウカを守ると。それだけ、自分が強くなると。

「俺はトウカさんを守りたい……」

「シンヤ……私もシンヤを守る。昔のことなんて気にしてないわよ。だから自分を責めないで」

 やはりトウカは強かった。

 だが、それは優しい嘘だ。彼女だって本当はあの時、助けて貰いたかったに決まっている。

「……」

 彼女を握った今。ようやくシンヤにも、トウカの嘘を見抜けるようになった。

「貴方って人は本当に」

 この手に握る幼馴染は誰よりも強くて、真面目なくせに嘘つきで、まだ何かをシンヤに隠しているのだろう。

 だが、いまはそれでよかった。

「貴女が俺を守るなら、貴女は俺が守る。……俺にそんなことを言う資格がないのは分かっています。それでも、言わせてください」

 シンヤは雨斬を空へと向けた。まるで傘を指すように。

「俺はあいつを斬ってみせます。貴方と友達を守るために」

「……シンヤ」

 二人の魂の波長は最初から噛み合うはずがなかったのだ。

 シンヤが傷つくことを嫌い、守ろうとするトウカ。

 自分の情けなさに嫌気がさし、今度こそトウカを傷つけないよう強くなりたいと願っていたシンヤ。

 互いの魂に刻まれた願いには、相手を守りたいと言う思いに反し、自分が傷つくことへの躊躇いがなかった。

 相手のことだけを考えていても、それでは互いの魂は反発を起こすだけだ。それなら互いに守り合うことを受け入れればいい。一方通行の思い出はなく、二人の想いを交差させるのだ。

 降りしきる雨の中。互いが濡れないよう、狭い傘の中で肩身を寄せ合うように。

 二人の魂が精錬され、真っ直ぐに研ぎ澄まされた。

「雨が降っている……」

「雨が降っている……」

 二人のイメージがぴたりと重なる。

「「雨が降っている!」」

 シンヤの腕から痛みが消えた。代わりに、そこには真っ黒な小手が形成される。

「「────人器一体、雨斬シンヤ。ここに有り!」」
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