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A「共犯者」

第14話 名前の許諾

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 目の前の真っ赤なカーテンは、レッドフードが羽織っていたジャンパーを彼女の異能で変形させたものだ。そして、その幕が今開かれる────

「ッッ……! こ、これでいいのよねッ!」

 まさか二〇歳を過ぎてこんな格好をする羽目になろうとは。可愛らしいフリルも、胸元にあしらわれた大きなリボンも、そのどれもが恥ずかしい。

「なに、恥ずかしがってるのさ! 〈ウルフパック〉を運転する時の格好はもっとエロいくせに」

「あれはそう言うものだから仕方ないのッ!」

 確か、プリティーピンクといったか。百千(ももち)のシャツにプリントされた魔法少女風のキャラクターは世代問わず、幅広い層に愛される日曜朝のアニメキャラクターだ。衣装自体も細部まで丁寧に作り込まれており、作り手のこだわりを感じられるものになっていた。

「大上(おおがみ)さんはスタイルが良いから、もしかしたら似合うんじゃないかなぁ、と思ったんですが……これは想像以上にお似合いですっ!」

「えっ、あっ、うん……ありがと」

「そ、それじゃあ、ステッキを構えて今から言うセリフを読み上げてくれませんか? 『マジカル、マジカル、マジカルきゅーん!』って!」

「そこまで、やる義理はない」

 キッパリと断れば、百千はガックリと肩を落としてしまった。それでもめげずに彼女は懐からカメラを取り出すと、小慣れた様子で何度もシャッターを切る。

 写真を許した覚えもないのだが。呆れた華怜(かれん)は、ふと自分に注がれる邪な視線に気付いた。

「いやぁ、それにしても……ぐへへ、やっぱりオオガミちゃんはスタイルがエロいから、コスプレ衣装でも、イヤらしい着こなしになるんだろうねぇ」

 レッドフードだ。彼女の視線は短なスカートから艶やかに窺く太腿に始まり、胸元から首筋を舐めるように這い上がる。

「それじゃあ、オオガミちゃん。もうちょっとこう、胸を強調したポージングとかやってみようか? ほら『マジカル、マジカル、マジカルぼいーん』って」

「アンタはアンタで、何でセクハラ親父みたいに同調してんのよッ!」

 いくら同性とは言え、彼女は強制わいせつ罪でしょっぴいた方がいいんじゃないだろうか?

「じゃ、じゃあ大上さん! 次はコチラに着替えてくださいね。こ、これは取引ですから!」

「はぁ……もう好きにしなさいよ……」

 百千のリュックには、プリティーピンク以外のコスプレ衣装も詰まっていて。華怜は着せ替え人形のように一通りの衣装を着せられることになった。

 プリティーピンクの相棒であるクールキャラのビューティーブルーに始まり、果ては王道のメイドから、露出多めのバニーガールまで。

「どれも作ってみてはいいですが、こんなチンチクリンな私ではとてもおこがましくて着れない衣装たちだったので、大満足です!」

 彼女は取引の代価として一枚のメモリーカードを差し出した。

「というか、今更だけど……あんなに出し渋ったクセに、こんな取引で良かったの?」

「い……いや、どうせあの流れだと殴られた挙句、メモリーカードも奪われてただろうし。だったらダメ元で、美味しい思いができる流れに持って行った方がいいんじゃないかなぁ、と」 

 百千はおどおどとした口調で答えたが、それでいて内心はかなり図太いものであった。

 その図太さも、人間社会に紛れ込み、何でも屋として生計を立てる為のものであると言えばそうなのだが、彼女はやはりどこか小ズルい。

「やっぱり、警棒で殴って吐かせた方が良かったかも」

「ひっ、ひぃ! 勘弁してください! ……そ、それにちょっと嬉しくてテンションが上がっちゃったんですッ!」

「嬉しくて?」

「ほ、ほら私って幻想人(フェアリスト)じゃないですか。……だ、だからアニメや漫画のキャラクターの衣装作りに作りにハマっても、それを誰かに着てもらったり、自慢したりできる相手がレッドフードの姐さんしかいなかったんです……だから、半ばノリと勢いでも私の好きなものを、大上さんと共有できたのは嬉しくて」

 そう言って、彼女はだらしなく口の端を緩めた。

 それは何かを隠すためのヘラヘラ笑いではなく、本心からの笑みだ。

 ◆◆◆

 取引を終え、レッドフードが他にも幾つかの調べ事や揃えて欲しい物品リストを手渡した後に、百千は裏路地の奥へと消えてしまった。

 逃走ルートの作成も彼女が提供しているサービスの一環らしく。この街の裏路地や抜け道はほとんど把握しているらしい。となれば、消えるように立ち去るのもお手のものということだろう。

「嬉しい、か……なんだか徹頭徹尾、桃太郎らしからぬ幻想人だったわね」

 華怜はぼやきながら入手したメモリーカードを、持ち合わせの端末へと挿入する。

 メモリー内に記憶されている情報は日時と場所、それに名簿らしきデータだった。

「これは……」

「赤ずきん」「人魚」「かぐや姫」「シンデレラ」「長靴を履いた猫」と続く、リストを一見すれば、ただ単に御伽話のタイトルを並べたようにしか見えないだろう。だが、現役の警察官であれば、ここにある名前の中は「赤ずきん」や「かぐや姫」を筆頭に、いまだ逃亡中の幻想人であることに勘付いた。

 赤ずきんを筆頭に、多くの幻想人たちが互いを利用し合うコミュニティを形成しているというのは、以前にレッドフードからも提供された情報だ。ならば、この名簿はそのコミュニティに参加した幻想人たちのリストか。

「記載された場所や日時は差し詰、コミュニティの定期集会を示したものね」

 この情報は、調べていた百千が身の危険を覚える程度には、重大なものだ。

 所属している幻想人が分かれば、事前にある程度の異能対策が立てられる。定期集会の場所や日時が分かれば、先回りで罠を貼って連中を一網打尽にすることさえ不可能じゃない。

「直近の予定は、二週間後……郊外の廃遊園地か。ここなら、十三号車を走らせるだけのスペースもありそうだし、色々と仕込めそうじゃない」

「うっわ……オオガミちゃんってば、また悪い顔になってるよ。けど、なるほどねぇ……」

 レッドフードも一通りの情報に目を通す。そして端末からメモリーカードを引き抜くと、両端を摘んで真っ二つに折ってしまった。

「内容は全部覚えたから問題ないよね?」

「この情報が第三者に漏れて、百千さんが被るリスクを大きくしないようにってことね」

「そゆこと! やっぱり、オオガミちゃんは話が早くて助かるよ」

 レッドフードが浮かべたのは相変わらずの不適な笑みだ。華怜はその表情や態度を注意深く観察するも、やはり彼女の底は見えない。

(人のことを言えた義理じゃないけど……彼女は彼女で何を考えてるのかしら)

「ふふっ、どうしたのオオガミちゃん? 私のことをそんなに情熱的に見つめちゃってさ。もしかして、共犯者になる決心がついたとか」

「別に。貴女の頬におっきなニキビが出来てるなぁ、と思ってただけよ」

「えっ⁉ 嘘⁉ だとしたら、最悪なんだけど⁉」

 勿論、適当に吐いた嘘だ。それでも「さっきのセクハラの仕返しだ」と、華怜は内心で舌を出してやった。

 異能で真っ赤なジャンパーを鏡面のように反射させ、自らの肌艶を確かめたレッドフードはムッと頬を膨らませる。そして文句の一つでも垂れるかと思ったが、彼女が切り出した話題は少し予想を外れたものだ。

「ねぇ、オオガミちゃん────君は桃太郎の表に。百千桃佳(ももちももか)という幻想人に対してどんな印象を抱いた?」

「何よ、いきなり……けど、そうね、強いていうのならアンタたち表の幻想人はらしくないというか、変なやつが多いのね」

 それは変態趣味を持つレッドフード然り。オタク趣味を持つ百千然り。

 奇人変人で危なっかしいことに変わりはないが、それは華怜がこれまで抱いてきた幻想人たちへの印象と大きく乖離したものであった。

「変な奴か……確かにそうだね。けど、百千ちゃんは恵まれてる方だと思うの」

「まぁ、そうよね、生まれ持った異能も色々と便利そうだし、臆病そうだけど『何でも屋』を営むだけの胆力も備わってる。その危うさに目をつぶれば、現行社会に上手く適合できた一例ね」

「あー……そうじゃなくてさ。彼女はラッキーなんだよ。だって自らの片割れが早々に死んでくれたんだからさ」

 そう漏らしたレッドフードの言葉には、羨望にも似た色が滲んでいた。

 桃太郎の裏が殺処分されたのは今から六年前のことだ。幻想人の表と裏は互いに不可視の信号で繋がっている。だから、その片割れが損なわれてしまえば、信号も途切れ、異能をひけらかさない限りは自らが幻想人だとバレることもない。

 警察や自らの片割れに付け狙われることもなく平穏無事に過ごせることは、確かに彼女たちにとっての理想なのだろう。

 だが、果たしてレッドフードの滲ませた羨望はそれだけなのだろうか?

「ねぇ……オオガミちゃんは、私たち幻想人がどんな風に生を受けるか知ってる?」

「確か、いきなりこの世界に出力されるのよね。成長した肉体と異能を備えて、ある程度の知識を持った状態で」

 華怜は対策班で読んだ資料を元に答えた。

「だからね、私は生まれた時から道路を走っている鉄の箱が『車』だっていうことも、頭上でチカチカしてるの『信号機』だってことも、私が『幻想人』で『赤ずきん』の物語から出力された存在っていうことも理解できた。百千ちゃんとか、他の幻想人も大体同じなんだって……だけどね、私たちは一番大切なものを持ち合わせていないの」

「一番大切なもの?」

「私は一体誰なのか? 他のいらない情報は次々頭の中に焼き付けるのに、それだけがハッキリしないんだ」

 レッドフードは「赤ずきん」という御伽噺から幾つかの要素を抽出し、産み落とされた存在の片割れだ。それは当然、彼女も理解していることだろう。

 けれど、レッドフード当人が自称するように「それ以上でも、それ以下でもない」。きっと彼女が持ち合わせていない大切なものとは、自らが確立した自己定義(アイデンティティ)なのだろう。

「私が百千ちゃんと知り合ったのは七年前。その頃は桃太郎も存命でさ、ソイツに襲われてたところを鉢合わせた私が華麗に助けてあげたんだけど、彼女はまだ『百千桃佳』とは名乗ってなかった」

 幻想人が生まれた瞬間に獲得する知識は二〇代前後のものとされている。対してアイデンティティを確立されるのは青年期。十三歳から二〇歳前後の期間だ。

 だからこそ、彼女ら幻想人は殊更に違和感を抱いてしまうのだろう。────他の知識はそれなりに埋まっているのに、自らのアイデンティティだけがさっぱりわからないという現状に。

「桃太郎が死んでからしばらくして、私は何でも屋を開業した彼女にまた会いに行ったの。そうしたら彼女、自分を『百千桃佳』って名乗り始めて。ある程度の収入が入るようになったら、すっかりサブカルチャーにものめり込んじゃってさ」

 それは桃太郎の表が「百千桃佳」というアイデンティティを確立した結果と言えよう。だからこそ、彼女は桃太郎のイメージから掛け離れているのだ。

 そして、同じことは赤ずきんにも言えた。彼女に抱く印象は、御伽噺の中で狼に騙される悲劇のヒロインと掛け離れた、猟奇的で醜悪なもの。彼女が「狩人」を気取っているのも、自らをそう定義し、アイデンティティとしたからであろう。

「じゃあ、貴女も。レッドフードなんて取ってつけたような要素じゃなくて、何らかのアイデンティティを確立したいってこと?」

 彼女が百千に羨望を覚えるのは、それが理由か。

「……きっと、そうなんだろうね。私は結局、何のために生きているのか? 何のために存在しているのか? それがずっと分からないからこそ、答えが欲しい」

「そんなの誰だってそうでしょ。人間だって大人になっても、自分が何のために生きてるかなんて、分かってる人の方が少ないだし」

「けど、オオガミちゃんは理由を持ってるじゃん。『赤ずきんへ復讐を果たすため』『理不尽な悪に正義を執行するため』っていう、ちゃんとした理由をさ。それにね、私ってこう見えても繊細だから。ネガティブな方に考えちゃうんだ」

 果たして自らに生きる価値があるのだろうか? と。

「もしもだよ、私が何の答えも出せなかったとして。だったら、いっそ私はこの世界に生まれない方が良かったかもしれないんだ。────だって、そうしたら私の片割れである赤ずきんも生まれないわけだし。そうしたら、オオガミちゃんたち被害者だってもっと普通の人生を歩めてたわけじゃん」

 レッドフードは軽く戯けてみせた。ただ、その声の端は少し震えていて、そこには少なからずの本心も混ざっていたのだろう。

「レッドフード」

 華怜は少し膝を折ると、彼女の金と銀の瞳を正面から覗き込んだ。

 そして、無防備な頬っぺたを思いきっきり摘ねってやる。

「それっぽい話で同情を誘って、懐柔しようとするなんて。私も随分と舐められたものね」

「いでで! な、なんでバレてるのさ!!」

 ちょっとムカついたので、摘む力を強めてやった。

 けれど、仮に自分を共犯者に引き込むためであったとしても。レッドフードがここまで内心を曝け出したのは初めてのことだ。

 それを聞いておきながら、自らは何も語らないというのは少し引っ掛かるものがあった。

 彼女の言葉を借りるなら、「フェアじゃない」のだ。

「レッドフード……これから私のことは大上じゃなくて、華怜で良いわよ」

「へ……?」

「私ね、自分の苗字があんまり好きじゃないの。狼みたいで、なんだか赤ずきんと皮肉染みたものを感じちゃうから」

 というのは、表向きの今考えた理由で。本当の理由はもっと別にある。

 華怜は自らの名前を大切にしていた。「大上華怜」という名前だけが、今の自分の手元に残る、両親から貰った唯一のプレゼントなのだから。

 幼少期に貰った絵本やぬいぐるみは、施設を転々とした際のゴタゴタで全てを無くしてしまった。二人の私物や生きた証も、その殆どが処分されたか、物証として押収されてしまったかのどちらかだ。

 であれば、残されたこの名前自体が二人の生きた証であると同時に、二人の形見にもなるのだろう。

「……い、いいの? なんかオオガミちゃんってさ、下手に名前で読んだらキレそうだったらから。これでも遠慮して苗字呼びしてたんだけど」

「なんでそのくらいで私がキレるのよ。あと、華怜で良いって言ったでしょ」

「じゃ、じゃあ……カレンちゃん、で良いんだよね!」

 両親の形見を、誰かに気安く触れられたくないのは華恋も同じだ。だから、本当に特別な相手でもない限り、下の名前で呼ばれたくない。

 ただ、少しでも自らの本音を晒し出してくれた目の前の少女には、それを許してもいいのかもしれないと考えてしまった。
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