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新たなる刃

可能性と狂気

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「うん。だいぶ馴染んできましたね」

 ソラナキ式にただ一つの欠点があるのなら、短期決戦形態でもありながら慣らし作業を要するスロースターターであるという矛盾だ。しかし、その矛盾に目をつむれるだけの攻撃性があるからこそ、奈(な)切(きり)はこの形態を選んだのだろう。

 改まって先刃を切ったのもソラナキ式を纏う奈切だった。

 満身創痍のムラサメを前に、足を止める理由はない。その背に背負う輪は妖気エネルギーを圧縮して推力に変換する加速装置の意義を兼ねていた。

 造形術で手刀の先にさらなる刃を追加形成。それを微細に振動させることで切断力を上げて、ムラサメへと迫るだろう。

「……右の袈裟斬りに見せ掛けた、膝蹴り」

 鋼一郎が呟く。

 大きく奈切振りかぶる──そう思われた。だが、刃をムラサメを斬り付ける寸前に消失する。その代わりに刃を形成していた分の妖気エネルギーが膝から新たなる刃を形成した。

 妖気エネルギーによって形成されたソラナキ式は奈切の思うがままに形を変える。その特性と変則的な初撃を見定めるのは、慣らし作業時の手刀を主としたスタイルの印象も合いまって困難を極める。

 現に刃の軌道はムラサメのコックピットを正確に捉えている。ノーモーションで形成される刃の不意打ちは対応が不可能な攻撃だった。

 それなのに。

「なっ──ッ⁉」

 鋭く伸びた刃は剥がれ掛けの装甲を擦過し、火花を散らす。

 ムラサメが小さく膝を降り、最小限の動きで刃の軌道をコックピットから外したのだ。

「そこだッ!」

 残された装甲の一枚を犠牲にソラナキ式の懐へと飛び込んだ。左のマニピュレーターをキツく結び、ノーガードの腹部へ裏拳を叩き込むッ!

 それは最早、無茶の一言で済まされるような狂気ではなかった。しかし、それは狂気であると同時に同時にこの絶望的な状況を覆す唯一の可能性だ。

 B・Uを酷使し続けた果てに危惧されるのは失明や、脳へのダメージ──そして、脳の制限を外し過ぎたために起こる新たな症状の併発だ。

「段蹴りに見せかけた、アッパーカット」

 またも鋼一郎は奈切の攻撃を避けてみせる。

 鋼一郎の右目。それは自らの手によって圧し潰されていた。

 鋼一郎の右半分を塗りつぶしたのは、赤黒い血と堪えがたい激痛だ。それでも体勢を崩したソラナキ式へとさらなるカウンターをねじ込む。

 効き目である右が壊れれば、その分の負荷が残された左目に集中するだろう。その負荷をかけた果てに新たな症状を併発させることこそが、この状況を覆せる唯一無二の可能性だった。

 狂気と言われても仕方がない。

 本来それは思い付けたとしても実行できない手段のはずだ。負荷で両目が壊れてし
まうリスクを考慮した場合、天秤が釣り合っているとはとても言い切れない。

 だが鋼一郎はそれを手繰り寄せていた。右目を捨て、その先に見えた一縷の可能性を掴み取ったのだ。

「超並列演算処理能力」───右目の代わりに鋼一郎が手にしたのは、瞳から得られた情報と脳に蓄積された情報をもとに標的の行動を予測できる症状であった。予測するパターンはひとつにとどまらず、一秒間に数百から数千の可能性を同時にシミュレートし、最適解を選び出す。

 その力を有体に言ってしまうなら、『未来予知』と呼ぶのが、最もふさわしいのだろう。

「なぜです⁉ ソラナキ式に対応するなど、ただ人間では不可能なはず」

「なら俺がただの人間じゃなかったってことだなァ!」

 ムラサメの拳がソラナキ式の顎を抉った。

「……ぐっ! 調子に乗らないでくれませんかねぇッ!」

 避けられる可能性があるのなら、ソラナキ式は小さく背を丸めた。両腕を鋭利に加工。地面へ突き刺すことで固定し、下段から上段に向け大きく蹴り上げる。体軸を変化させ、三次元的な攻防を繰り出す躰(たい)道(どう)の「卍蹴り」だ。

 装甲と内部フレームからなる凱機(がいき)からは繰り出せないであろう柔軟さと変則性に加え、奈切の格闘センスがなくては繰り出せない動き。これも本来ならば不可避の一撃だったであろう。

「あと九分……」

 だが、三度目の正直もすらも鋼一郎は避けてみせた。ゆらり、ムラサメの双眸が揺れる。

「……ッ! ならば、崩壊術・」

「おい奈切。足が止まってんぞ」 

 ムラサメの肘がソラナキ式にひびを走らせた。

 妖術を中断させると同時に、伸ばした左で正拳突きを打ち込む。加速装置を吹かし、地面から足を離すことで全重量を攻撃の威力へと乗せた。

 残り八分。攻撃は最大の防御という言葉通り、鋼一郎は十分間をひたすらに攻撃に徹することで、時間を稼ごうとした。

 鋼一郎と奈切の実力も、ムラサメとソラナキ式の出力差も、未来予知を手に入れて、ようやっと対等なのだ。

 平行線上に広がる思考の中で鋼一郎は幾度となく殺されていた。後手に回れば手数に圧倒され、未来予知のB・Uがバレれば対策を立てられる。

 だから鋼一郎は攻撃に徹するしかなかった。

 奈切に思考の余地を与えるな。拳を振るうために脳を使え。

「ぐっ……!」

 負荷からなる激痛は脳を大きく締め上げるだろう。

 右目からの出血と鼻血で顔をグチャグチャにしながらも、歯をきつく嚙合わせる。

「あと七分だ……七分なんだ」

 だが、先に限界が来たのはムラサメの方だった。残っていた左が反動で砕けたのだ。

 オイル塗れの指先はあらぬ方向に曲がり、フレームから崩壊するだろう。

「しまっ────」

 超硬度を誇るソラナキ式を何度も殴りつける行為は専用のアタッチメントもなしに岩盤を殴りつけるのと同義だった。

 自らと標的の装甲を見誤ったが故の損傷。これを補うためにさらなる演算が求められた。

「ッ……まだだっッ!」

 思考を修正。再演算を開始しようとした。しかし、その隙を奈切が見逃すわけもない。

「転移術・駒ッ!」

 触れた五指がムラサメの右膝から下を消し飛ばすだろう。すぐ背後に引きちぎられた右足が転送された。あと六分。両腕と片足を失ったムラサメに残された可能性を模索する。

「白江の分の脱出装置はちゃんと動いてくれるな……それならッ!」

 自分の座る前方座席には、歪んだフレームが噛み合いロックが掛かっていた。無理に作動させようとすれば、機体が大きく軋む。

 寧ろ好都合だと、鋼一郎は嗤ってみせる。奈切への勝利条件は、三柱の玉とそれ持つ白江の生存だ。

 彼女を生存させ、尚且つ三柱の玉の条件を満たす方法ならば、幾千の思考から既に見つけ出していた。

「行くぞッ、奈切ッ────!」

 残り五分。鋼一郎はムラサメを一気に加速させる。白江の残してくれた妖気エネルギーと、最後に残された片足。それだけあれば充分だ。

 鋼一郎は機体の自爆装置に指をかけていた。どうしたって、あと五分もすれば脳の方が蒸し焼きになる。

 B・Uとは脳の安全装置が外れた状態。本来は高性能のコンピューターを用いるような数の分析と予測、最適解の選択までを一つの脳で行うのだ。機械がオーバーヒートを起こすように、いつ沸騰した血液が血管を破いたとしてもおかしくはない。

「ッッ……がぁぁァ!」

 キリキリとした痛みが脳を締め付けるだろう。

 ムラサメがソラナキ式へ抱き着いた。ソラナキ式の装甲の鋭利さを利用し、敢えて刃を突き刺すことで機体の固定を試みる。

「……頭がイカれていますよ、君」

 奈切は鋼一郎を跳ね退けるだろう。それでも這いずりながらでも、機体を必死に起こす。

 今はただ思考を回せ。

 奈切の外殻を逆回転させたエンジンの誘爆によって消し飛ばせることは、三年前に証明済みだ。それをゼロ距離で爆発を喰えば、さすがの奈切もタダでは済まないはず。

 残り四分。奈切をあと四分で拘束し、自爆に巻き込むためだけに思考を回せ。

「……白江。あとは任せたぜ」

 一つでも多くのパターンでも多くの思考を処理するために、鋼一郎の意識というものはほとんど途切れかけていた。

 ◇◇◇
 
 それはかつて憧れた恩師の背中だった。

 脳に残された僅かなキャパシティを利用し、幾千の演算の傍らの無意識で濡羽色をした長髪を見た。────恩師、百千桃の背中だ。

「こっち側に来るのが、随分と速いんじゃないかな?」

「……はは、ちょっと無茶が過ぎて」

「それは、ちょーっといけないね」

 思考の果てに見る彼女は所詮、自らの記憶に蓄積された彼女の容姿と声を想起しただけの幻に過ぎなかった。それでも今の鋼一郎にとって、目の前の幻は紛れもない百千桃なのだ。

 だからこそ、答えを求めた。自らがずっと胸に秘めていたものを曝け出す。

「俺は貴方が言ってくれたように、誰かを護れるようになりましたかね?」

「さぁ? どうだろうね」

 思考の中の彼女はゆっくりと振り返る。その顔に浮かべた笑みは、記憶にあった彼女のものと何も変わらない。

「それを確かめるのは、他の誰でもない君自身だろう?」

 次の瞬間、鋼一郎はその頭を強く掴まれた。凄まじい力が鋼一郎の意識を引き戻す。
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