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8日目・華菜 雅也side

はじめてのおつかい

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                    ~翌日~
                              8日目  華菜・雅也編


 外から聞こえてくるゾンビの声。
 しかし、やがて それは遠のいていき、数分後には聞こえなくなっていった。

「ふう……何とか やり過ごせたみたいですね」
「ドッキドキだったよ」

 息を殺して潜んでいた雅也と華菜は、揃って溜め息を吐いた。

 ここは とあるアパートの一室。Bポイントから逃げた後、隠れられる場所を探して彷徨っていたところ、鍵の開いていた この部屋を見つけたのだ。

 しかし、ここの防衛機能が脆弱に過ぎた。壁は薄いし鍵は貧弱。なので、ゾンビが来る度に気配を殺さなければならなかった。

 今までなら、ゾンビを壊滅させてでも良い部屋を手に入れることも出来た。しかし、今は それも叶わない。
 何故なら――

「スマンな……二人とも……」

 辛そうな表情と口調でトニーが詫びる。その顔は明らかに生彩を欠いており、スッキリとした頭と額には大粒の汗が浮かんでいた。

 強引な手段に出れない理由――それが、これである。
 トニーが体調を崩してしまい、戦力が大幅にダウンしてしまったのだ。

 原因は、疲れが重なってしまったためだ。
 銃弾が尽きたことで戦闘はトニーに任せきりになり、そこへ局地的に降った雨でズブ濡れになってしまったこともある。

 そうした事と、今までの疲れも合わせて一気に噴き出してしまったのであろう。ここに辿り着いた直後、彼は高熱を出して倒れてしまったのだ。

「貴方が謝る必要はありませんよ。甘え続けだったのは僕達なんですから」
「そうそう。トニーは余計なこと考えないで、ゆっくり休んでよ」
「ああ……スマンな……」

 もう一度 侘びの言葉を述べると、トニーは再び眠りに就いた。
 その姿を見守りながら、寝息が一定のものに変わると、雅也が華菜に話しかける。

「……このままではいけませんね」
「うん……でも、どうしようか?」

 必要なのは薬と食料――それは二人とも分かってる。しかし、ゾンビが闊歩する街中を突き進めるほどの強さが、華菜と雅也には欠けていた。

「せめて弾薬があればなぁ……」

 すでに小銃の弾薬は切れている。ハンドガンの弾はあるにはあるが、弾倉一個分――9発しかない。とてもゾンビの群れを突破できる量ではないのだ。

 それでも、行かなくてはならないのが現状なのだ。
 トニーを守り続けられるほど強くはなく、彼の力がどうしても必要だからだ。

「……行きますか?」
「うん……行かなきゃね」

 雅也の言葉に、華菜は頷いた。
 本心を言えば、すぐにでも《彼》を探しに行きたい。
  こんな不安な状況も、彼の腕の中にいれば全て消し飛ぶからだ。あの温もりを全身で感じて、囁きに身を任せていれば、何も恐れることなどないのだから。

(でも、今は踏ん張らないとッ……!)

 自分で自分を鼓舞して、華菜は視線を上げる。俯くことも震えることも、今だけは忘れなければならない。

「では、階段を封鎖しましょう。さすがのゾンビも、バリケードと階段の二段構えなら侵入できないでしょう」

 多少の不安は残るが、どちらか片方を残しておけるほど強くないので仕方ない。雅也の提案に頷くと、華菜は使えそうなものを見繕うために外へと出た。


 ―――*―――*―――*―――


  ~1時間後~


「ふう……何とか着きましたね」
「うん……疲れた~」

 逃げては隠れ、隠れては逃げを繰り返し、何とか二人は駅ビルの中へと辿り着いた。それでも、ここまで戦闘を避けてこられたのは、僥倖と言わざるを得ないだろう。

「では、さっさと――」

 そう雅也が言いかけた瞬間――

「あぁああぁぁ…………」
「えあぁあぁああ…………」

 通路の奥からゾンビの声が響いてきた。
 視線を向けてみれば、そこには数えるのも馬鹿らしくなるほどのゾンビで溢れていた。

「さすがに……あれは無理だよねぇ」

 喧嘩を売って勝てる数じゃない。
 別の手段を模索するべきだろう。

「――華菜、これを見てください」

 そう言って、雅也が華菜を手招きする。何かと思って近くまで行ってみると、そこには構内の簡易地図も兼ねたモニュメントがあった。

「コレによると、薬局は通路の端――こちら側とは正反対にあります。なので、奴等を突っ切るという正攻法で向かうのは無理です」
「だよねぇ……何か、ドッカーンとなるような武器が欲しいよね」

  そんな物を使ったら駅ごと吹き飛びそうだが。

「ですが、ここに地下通路への階段があります。ここを通れば、薬局の近くに出られます」
「じゃあ、そこに賭けるしかないか」

 策が決まれば決断は早い。
 迷ってる時間など、二人にはないのだ。
 だが、そこは――
   
「うわっ……真っ暗」
「どうやら、原因は分かりませんが……電源が落ちてるようですね」
「どうするの?」
「ちょっと待っててください」

 言うが早いか、雅也は駅員の詰め所へと走り込んだ。そして、戻ってきた彼の手には懐中電灯が握られていた。

「これで大丈夫でしょう」
「うん……じゃ、行ってくんね」

 敢えて明るく言うと、華菜は懐中電灯を受け取って地下への階段に足を掛ける。鼓動が早くなるのを感じたが、無理矢理に抑え込んで足を進める。

「何かあったら、大声を上げてください。すぐに行きますよ」
「助けてくれんの?」
「無理ですよ。でも、お供は出来ます」

 笑顔の中に隠された本気。故に、華菜は強く思った。絶対に目的を達して無事で帰ってくると。

 一人暗闇の中を歩いていく華菜。
 と、その時――

「ぐがぁぁああ…………」
「あぁああ…………」

 またも、響いてきたゾンビの声。
 どうやら、上に居た連中の何体かが こちらへと来ていたようだ。

(落ち着いて、冷静に……)

 一度だけ深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
 大事なのは、懐中電灯の使用を最小限に抑えるということだ。
 ずっと点けっぱなしにしていたり、何度も点灯させたりしたら奴等を引き寄せてしまう。だから、一瞬だけ点けて、奴等の位置関係を把握する必要がある。

 重要なポイントは2つ。
 一つは、ゾンビの位置だ。手薄になっている場所を見極め、そこにいるゾンビを倒していく。これが基本にして鉄則だ。

 そして2つ目は、ゾンビとの距離である。
 手薄になっている場所を狙うと言っても、近くまで迫っているゾンビを無視するわけにはいかない。そう言った距離にいるゾンビも、しっかりと見極める必要がある。

(大丈夫……私なら出来る……)

 思うのは《彼》の顔。そして、頭を撫でてくれる時の感触。それだけで、華菜の心から緊張感と恐怖が引いていく。

(よし……行こう!)

 右手にハンドガン、左手に懐中電灯を持ち、華菜は通路を進んだ。

「……………………」

 気取られぬように、無言を貫き歩いていく。
 だが、その直後、前方で何かの動く気配を感じる。それがゾンビのものであると直感した華菜は、懐中電灯のスイッチに指を掛けた。

『――――――――――――ッ』

 暗闇の中に浮び上がる奴等の姿。
 それは一瞬の残像。
 だが、華菜にはそれで十分だった。
 手にしていた銃を即座に構えると、マズルフラッシュで視界を奪われないように、目を閉じてトリガーに指を掛ける。

『―――――――――ッ!!』

 瞼を貫く閃光。
 鼓膜を震わす轟音。
 それらが過ぎ去った後、後に残ったのは暗闇と静寂だった。

「……案外、楽勝かもね」

 消え去ったゾンビの気配に、華菜は一人で笑みを浮かべた――


 ―――*―――*―――*―――


  ~30分後~

「眩しいッ……!」

 自分を包み込む明かりに、思わず華菜は目を瞑る。しかし、それは次第に収まっていき、辺りの景色を華菜の瞳に映し出した。

「ここは……」

 華菜の目の前には、目指していた薬局があった。どうやら、上手いこと目的地に着けたらしい。

「へへへぇ、やったねッ」

 笑みを浮かべる華菜。
 だが、ゆっくりもしてられない。先程の戦闘で弾は尽きてしまった。ゾンビを敵に回すわけにはいかないのだ。

「待っててよ、トニー」

 誰に言うともなしに喜びの言葉を口にすると、華菜は薬局の中へと駆け込んだ。


 ―――*―――*―――*―――


  ~1時間後~


 再び、隠れては逃げ、逃げては隠れを繰り返して戻ってきた二人。その手には、食料と薬の入った袋が握られていた。

「へへへぇ、私達だけでも出来るもんだね」
「フフ……そうですね」
「兄に会ったら褒めてもらお~」

 一人、スキップでもしそうな感じの華菜。
 そんな彼女を暖かく見詰める雅也。
 今の世界には不釣り合いな二人。だが、誰にも邪魔させないような《光》に満ちていた。

  だが、その時――二人の視界に予期せぬ光景が飛び込んできた。

「華菜、隠れてッ……」

 雅也の言葉に、華菜は近くの電信柱の陰に駆け込んだ。そして、少しだけ顔を出してアパートへと視線を向ける。
 そこに居たのは野戦服に身を包んだ武装した集団だった。かつてのトニーの部下たちが身に付けていた物と同じ野戦服だが、視力の良い華菜の目を凝らしてみても、見知った顔はいなかった。どうやら、あの連中とは違うらしい。

「雅也、どうする?」
「奴等の目的がトニーでなければいいんですが……そう上手くはいかないでしょうね」

 そう言う雅也の視線を追ってみれば、地面に倒れ伏すゾンビの群れがあった。トニーの気配を感じ取ったのか、階段を上ろうとしたのだろう。バリケードは壊れてないので大丈夫だったようだが……。

「まさか、ゾンビが餌になって あんな奴等を引き寄せるとはね……」

 華菜にしても予想外だ。
 しかし、今は驚いたり戸惑ったりしている場合では無い。奴等がトニーに手を出そうとするならば、どうにかするしかないのだ。

(お願いだから、早く消えてよッ……)

 心の中で呟く華菜。
 しかし――

「……………………」
「……………………」

 多くの自衛隊員が警護する中、一人の大柄な男に連れられてトニーが姿を現した。少し休んで気力が戻ったのか、その足取りは思ったよりも しっかりとしている。だが、やはり顔には生気がなかった。

「ど、どうしよう……」
「……仕方ありませんね」

 そう言うと、いきなり雅也は華菜のハンドガンを奪った。そして、そのまま飛び出すと銃口をトニーの隣にいる男に向ける。

「動くなッ!!」

 滅多に聞くことのない雅也の怒声。それだけに、独特の迫力を持っていたのか、その場にいた全員の動きが止まった。
 しかし、それも一瞬のこと。すぐに気を取り直すと、隊員たちは一斉に銃口を雅也へと向けた。

「待っ――」
「待ってくれ、韮澤ッ!  彼は私の仲間だ!」

 華菜の言葉を打ち消すように、トニーの大声が響き渡る。
 その大きさと内容に面食らっている間に、男が軽く手を挙げるだけで隊員たちの銃口を降ろさせた。

「雅也、君も銃を下ろせ」

 戸惑う雅也。
 しかし、助けに向かったトニー自身に言われては従うしかなかった。

 その姿を見て、華菜も物陰から飛び出した。
 そんな彼女を認め、トニーが大きく安堵の溜め息を吐く。

「トニー、どういうことです?」
「それは――」
「説明は道すがらにしよう。まずは、車に乗りたまえ」

 ハッキリとした、腹に響くような太い声。そこには、何処となく他者に命ずることへの慣れが含まれていた。恐らく、それなりの地位にいるのだろう。

「行こう、二人とも。彼は信頼に足る人物だから、大丈夫だ」

 他ならぬトニーの言葉。
 それに、拒否できる状況でもないため、華菜と雅也は大人しく近くに停められていた車に乗り込んだ。


 ―――*―――*―――*―――


  ~30分後~


「――それじゃ、お二人は元同僚ということですか?」
「ああ、同期というやつだ」

 トニーの説明を受け、華菜と雅也は頷いた。

 何でもトニーと男―――〝韮澤〟は自衛隊時代の同僚らしい。気の合う仲間だったらしく、プライベートでも交流があったそうだ。

「それにしても、お前が生きていたとはな。連絡が途絶えたと聞いていたから、死んだものと思っていたぞ」
「すまない……あのまま本部と合流しても無駄死にさせられると思ってな」
「軍人としての使命より、部下の命を選択するかーーお前らしいな」
「結果として、その部下に裏切られたんだ……意味もないさ」
「そうでもないだろう。とりあえずは別れるまで無事だったんだからな」
「まあ、確かにな……」

 二人の間に流れる親密な空気。
 それを遮るようで恐縮したが、華菜は気になったことを聞いてみることにした。

「あ、あのさ……私達、どこに向かってるの?」
「うん? 私達の本部だよ」
「本部? 自衛隊は まだ機能してるんですか?」
「いや、公的な意味での本部じゃない。我々の――組織というかグループというか、そう言った集団のアジトさ。まあ、元自衛隊員が多いのも事実だがね」
「そんな方達が、あのアパートまで何をしに?」
「あそこが目的地だったわけじゃない。もちろん、トニーが目当てだったわけでもないよ」
「……………………」
「私達は、時間が空けば生存者の捜索を行っているんだ。人が増えれば、負担も大きくなるが出来ることも増えるからね。あそこに居たのも、その一環だよ」
「そうだったんですか……」
「うむ……それでだ、良ければ君達も参加してくれないか?  トニーに聞く限りでは、中々に有用な人材だそうじゃないか?」

 思いも寄らなかった申し出。
 しかし――

「……ゴメン、私達 探さなきゃならない人がいるから」
「そうですね。他人の役に立っている場合ではありませんね」

 華菜にとっても雅也にとっても《彼》と合流する事こそが最も大事なことだ。ハッキリと言ってしまえば、その他のことは どうでもいいのだ。

「そうか……でも、そのためには車や武器が必要だろう? 我々に協力してくれるなら、どちらも用意することが出来るぞ?」
「……………………」

 目の前にブラ下げられる報酬。
 単純な《ニンジン作戦》ではあるが、そう言われてしまうと一考の余地があるのも事実と思えてしまう。

「……何をさせたいんですか?」

 雅也の質問に、そんなに大したことじゃない――と前置きしてから韮澤が説明を始めた。

「実は、近々 大規模な遠征を行おうかという話が出ているんだ。我々のアジト近くでは生存者も見つからないことだし、足を伸ばせば何処かに同じようなグループがあるんじゃないかとね」

「……それで?」
「しかし、その作戦が煮詰まっていない上に、準備に追われて もう一つの作戦が滞っている。その双方を どうにかする必要があるんだ」
「それで、雅也と華菜に?」
「ああ、お前の話によると、雅也君は相当に頭が切れるらしいし、華菜君は銃の扱いに才能があるらしい。頼もしい限りじゃないか?」
「しかし、彼等はまだ……」
「子供だ大人だ、男だ女だ――そんなことが、この世界で重要か? 生き残るに相応しい力と気概を持つ者が、他の者を導き守る――それが今の正道だと思うがな」
「……………………」

 韮澤の言葉に、トニーが黙る。
 トニーにしても、自分より年下である《彼》に何かを感じて傘下に入ることを決めたのだ。反論が出てこないのだろう。

「――と、着いたようだな。まあ、答えは後でいい。今は休んで体力の回復に努めてくれ」

 言いながら韮澤が車を停める。
 華菜と雅也は一旦 思考を中断することにして車を降りた。

 地面に足を着けた時、目に映ったのは軍事基地を思わせる施設だった。物々しい雰囲気を感じたのは、その威圧感からだろうか。

「ここは無事だったんだな……」
「ああ、なんとか死守したよ」

 二人にとっては馴染みの場所なのか、どこか感慨深そうな表情をしている。しかし、それも一瞬のこと。すぐに顔を引き締めると、韮澤は踵を返した。

「あれ? あそこに行くんじゃないの?」
「あっちは軍事目的の施設だ。宿泊や医療は、あっちでやってる」

 言いながら韮澤が指差す。
 そちらへと視線を向けると――

「うはぁ~」

 豪華客船――そう呼ぶに相応しい一隻の船が停まっていた。

「他の港にあったんだがな、色々と使えそうだから持ってきたんだ」

 確かに、色々と使えそうだ。何より、海に浮かんでいるという時点でゾンビの襲撃を恐れなくていい。休むにはうってつけだ。

「トニー、とりあえずお前は医務室で治療を受けて休め。彼等の世話は私がやっておく」
「しかし……」
「韮澤さんの言う通りです。トニーは休んで下さい」
「そうそう。病人は大人しくしてなさい」
「……フッ、そうだな。そうさせてもらおう」

 華菜たちの言葉に頷くと、トニーは韮澤の呼び掛けで現れた兵士に連れられて客船の中へと入っていった。

「では、君達には部屋を用意しよう。付いてきてくれ」

 スタスタと歩いていく韮澤。ボーッと突っ立っていても仕方ないので、二人も彼の後に続いた。
 そうして歩くこと五分ほど。華菜たちは無駄に豪華な客室の中にいた。

「ココを使ってくれ。一部屋しか用意できないが、そこは我慢してほしい」
「構いませんよ。ありがとうございます」
「うむ……では、しばらくは休んでいてくれ。用が出来たら呼びにくる」

 部屋を出ていく韮澤。
 そんな彼の後ろ姿を見送った後、華菜はベッドに腰掛けた。

「へっへ~、フカフカ~」

 はしゃいだような口調。しかし、その表情は晴れていなかった。

「……ねえ、どうする?」
「とりあえず、言うことを聞くしかないでしょうね。トニーも休ませなければなりませんし、何より物資が不足してます」
「だよねぇ……」
「先程の話を鵜呑みにするわけではありませんが、可能性があるなら協力するしかないでしょう」
「うん……はあ、早く兄に会いたいなぁ」
「そのための努力と我慢ですよ。頑張りましょう」
「はぁ~い」

 そう返事をすると、華菜はベッドに寝転がった。
 これから疲れることになるのだから、今だけは余計なことを考えず休みたかった。


 ―――*―――*―――*―――


  ~2時間後~


 夕焼けが辺りを染める頃、華菜は基地の広場へと来ていた。韮澤に頼まれ、捜索任務に加わる事となったのだ。ちなみに、雅也は遠征の作戦を練る会議に参加している。

「へえ~、姉ちゃんが韮澤隊長の言ってた子かい?」

 野戦服に身を包んだ男が、興味深げな視線を華菜に向ける。しかし、そこに好色の意味合いは含まれておらず、純粋な好奇心のものだった。

「多分ね」
「ふうん……凄腕だって聞いてるけど、そうは見えないな」

 見下す――というよりも、からかうような口調。
 それは、華菜の一番 嫌う態度だった。

「……だったら、見せてあげるよ」

 言うが早いか、華菜は隊員のホルスターから銃を抜き取ると、練習用と思われる木製の的に向かって連射した。

『―――――――――ッ!!』

 全弾を撃ち、その全てが的の中心を貫く。
 所謂〝ワンホール・ショット〟。
 自分たちでは決して真似できない妙技に、居合わせた隊員たちは一様に言葉を失った。

「私が行く事に反対する人は?」

 軽く睨み付けながら問い掛ける。
 すると、全員が手を挙げて軽く首を振った。

「よろしい……じゃあ、行くよッ」
『イエス マム!!』

 悠々と先頭を歩く華菜。その後ろを、屈強な自衛隊員たちが続いた。


 ―――*―――*―――*―――


  ~1時間後~


 思っていたよりも遠くだった目的地に到着すると、辺りは夜の帳が下りていた。どうやら、今日は よくよく暗闇に縁がある日のようだ。

「それで、どこに行くの?」
「あそこの雑居ビルさ」

 言われて振り向くと、そこには確かに雑居ビルがあった。
 しかし、普段から見ていたものとは少しばかり様子が違った。

「ねえ……あの垂れ幕、何て書いてあるの?」

 雑居ビルの2階――その窓から垂れ下げられているシーツのような布。何かが書かれているのは分かるのだが、暗闇の中では読むことが出来なかった。

「HELP――って、書かれてるのさ」
「えっ……?」
「今日の昼頃に仲間が見つけてきてな。その時は弾薬が不足してたから戻ってきたんだけど、生存者がいるなら放っておけないってなったんだ」

 それで、即席のチームを作って派遣することになったというわけか。遠征の準備で人手不足だとは韮澤の弁だが、思っていたよりも足りていないらしい。

「ふうん……じゃ、行ってあげないとね」
「ああ……でも、気を付けろ。罠の可能性があるからな」
「どういうこと?」
「助けを求める振りして、誘き寄せてくる輩もいるのさ」
「ああ、なるほどね……」

 そう言えば、まだ大人数で移動していた時も、そんな連中に出会ったことがある。まあ、その時は《彼》の機転とトニーの行動力で返り討ちにしてやったが。

「とにかく、油断しないで行こうや」

 隊員の言葉に華菜は頷いた。その道のプロに口答えするのは、大概が時間のロスにしかならない――そう《彼》と雅也に言われたことがあるからだ。

「行くぞ……準備はいいか?」

 ドアの前に立ち、隊員が声を掛けてくる。
 それに対し、華菜は迷わず頷いた。

「モチロン、任せなさいっての」
「ははっ、頼もしいね。じゃあ、3秒後だ」

 そう言うと、男は表情を引き締めた。
 華菜もそれに倣い、気を張り詰めさせる。

「1……2……3ッ!」

 合図と共に勢い良くドアを開ける。
 その瞬間、一体のゾンビが飛び出してきた。
 反射的に銃へと手を伸ばす華菜。しかし、射角に一人の隊員が入り込み、上手く狙いを定められない。でも、撃たなければ危険なことになるかもしれない。

(ううん、ここは……)

 結果、華菜はホルスターに伸びかけていた手を引っ込め、横っ飛びで場を開ける。
 すると――

「舐めるなよッ!」

 一人の隊員が咄嗟にゾンビの懐へ潜り込むと、払い腰の要領で投げ飛ばす。
 そこへ、傍にいた別の隊員が小銃で頭を撃ち抜いた。
 その連携プレーは、さすが本業と言ったところか。

(ふう……余計なことしないで良かった)

 下手に撃っていたら邪魔をしてしまったかもしれない。華菜は安堵の溜息を吐きながらも、次は即座に反応できるよう銃をホルスターから抜き取った。

「危なかったな……みんな、気を引き締めて行くぞ」

 隊員の言葉に頷き、華菜たちは雑居ビルの中へと足を踏み入れた。そして、まずは資料室と思われる部屋へと入る。

「ここには居ないみたいだな……」

 そう結論付け、部屋を出ようとする隊員。
 しかし――

「えあぁあぁああ…………!!」

 突然、資料の収められた棚の影からゾンビが飛び出してきた。

「クソッ……!」

 反射的に銃を構えようとする隊員。

『―――――――――ッ!!!』

 だが、隊員の銃よりも、華菜のハンドガンが先に火を噴く。放たれた弾丸は狙い違わずゾンビの頭を撃ち抜き、一撃で沈めてみせた。

「ふうッ……助かったよ」
「へっへ~、任せなって」

 軽く笑い合い、華菜たちは揃って廊下へと出る。
 しかし、他の部屋は完全に無人であり、あの垂れ幕を用意するような状況は見当たらなかった。

「後は此処だけだな……」

 そう言う隊員の前には、一枚のドアがあった。
 何の部屋なのか分からないが、あと調べていないのは この部屋だけだった。

「じゃあ、開けるぞ」

 確認の言葉に頷く。
 それに合わせ、隊員がドアを開けた。

「……………………ッ」

 ゆっくりとではあるがドアに隙間が出来た瞬間、華菜たちの鼻を異臭が突き抜けた。何とも言えない臭いに、その場に居た全員が口元を覆う。

「明りを頼む……」

 その言葉に、他の隊員が懐中電灯を点ける。
 瞬間――部屋の色が赤に染まった。
 室内に飛散した大量の血のせいだ。
 目を背けたくなる光景だが、何とか堪えて室内を見渡す。すると、幾人もの亡骸が部屋の奥で眠りに就いていた。
 ゾンビ化した者、していない者――様子は様々だが、共通しているのは全員が頭を撃ち抜かれているということだ。

「仲間か他人かは知らんが……始末はしたようだな」

 どうやら、そのようだ。当時の状況までは理解しようがないが。

「行こう……もう、ここに用はない」

 隊員の言葉に頷くと、華菜たちは揃って部屋を出る。やるせない思いを抱きながら。


 ―――*―――*―――*―――


  ~1時間後~


 途中、食料などを調達していたら少しばかり遅くなってしまった。しかし、全員が無事で戻ってこれたことは喜ぶべきだろう。

「お疲れさん、今日は助かったよ」
「ううん……あんまり役に立てなかったけど」
「そうでもない。俺の命を救ってくれたんだからな」

 そう言えば、そんなこともあった。一瞬の出来事というのは、どうにも記憶に残りにくい。

「とりあえず、これで今日は解散だ。時間も時間だから、報酬については夜が明けてから韮澤隊長に聞いてくれ」
「……ん、分かった」
「じゃあ、またな」

 手を振りながら、隊員たちが去っていく。
 その後ろ姿を見送った後、華菜は夜空を見上げた。

「兄……もう少しだけ待っててね」

 届くことはない呟き。
 それでも、華菜は《彼》への想いを強く胸に抱く。そうすることで、二人の間にある絆を守れると信じているように――
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