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ブルーサファイア
しおりを挟む和解してから数日後、あと三日で大舞踏会が始まるその日。
ルーシアはアレックスからお茶の誘いを受け、バード家の屋敷へと向かうことになった。
屋敷へ行く馬車の中で、ルーシアは彼と和解した翌日の出来事を思い返していた。
(ハイリ、ものすごく泣いていたわね)
落ち込んだルーシアを知っていたハイリは、自分のことのように喜んでくれた。そしてルーシアののために泣いてくれたのだ。
「ルーシア様の幸せそうお姿を見られて、私は本当に嬉しいです」
そう言って抱きしめてくれた。
ルーシアにとって彼女は、友人でもあり、侍女でもあり、少し年上のお姉さんでもある。付き合いは三年程とそこまで長くないが、二人の信頼関係は強い。
成人し、ばあやが城下へ行ってしまってからはルーシアの心は冷え切っていた。その頑なだった心を温かい愛情で溶かしてくれたのが、ハイリだったからだ。
ゆえに、ルーシアが彼女の愛情深さを一番よく分かっていると言っても過言ではない。
(ハイリは好きな人とかいないのかしら?結婚は?)
そういえば彼女は自分の話をほとんど語らない。というよりも、ハイリは自分についてのことをあまり話したがらないのだ。
以前、ほとんど休暇を取らない彼女を心配して「ご家族は心配していらっしゃらないの?」と聞いたことがある。するとハイリは、
「ルーシア様の方が百倍心配ですので」
と言って笑った。そのとき、ハイリの瞳にはなぜか暗いものが混じっていたような気がしたのだ。そのせいで、余計なことを聞くことは避けていた。
もし、ハイリに好きな人が出来たなら全力で応援するだろう。
自分に相談してくれる日を少し楽しみにしている、とルーシアは心の中で微笑んだ。
とまあ、そんな愛情深い侍女は二人の関係について周囲から色々と邪推されることを恐れ、裏で手を回してくれていたらしい。
朝、ルーシアの部屋からアレックスが出て行く際には人払いがしてあったほどだ。
あとでアレックスから手紙で聞いたのだが、彼はあの日の晩、兄と朝まで飲んでいたということになっていたようだ。
(そういうことならば、兄であるアレン様も関係していらっしゃるのかしら?)
ルーシアはそう考えた。
きっとハイリが彼に、理由作りを頼んだのだろう。本当にありがたい。
そろそろバード家の屋敷へと着く頃だろう。
ルーシアはそう思い、馬車の窓から景色を眺めた。
(早くアレクに逢いたいわ)
はやる心を抑え、目元ははいつになくに優しげだった。
*
屋敷へと着くと、いきなりアレックスが出迎えてくれた。
「やあ、ルーシア!会いたくて夜も眠れなかったよ」
「ご機嫌よう、アレク。まぁ、ご冗談を仰らないで」
ルーシアは目元を桃色に染め上げながら言葉を述べる。アレックスはその様子を見て、だらしなく口元が緩ませる。
隣で家令が、ごほんっ、と咳をした。
さすれば自分の恥ずべき様子に背筋を伸ばし、彼はいつも通りの貴公子然とした顔つきへに変わる。
「ルーシア、雨は降っていないが今日は温室へ行こう」
「温室へ?」
「ああ。二人きりになりたいんだ。周りは人払いをする」
そう言うアレックスに、こくり、と頷いた。
(桐の花はもう散ってしまったかしら)
屋敷内にある桐の木を見たときから、かなり時間が空いている。恐らくもう、散ってしまったのだろう。
アレックスはルーシアがそのことを悲しむと思い、温室へと誘ったのかもしれない。彼女はそう推測した。
(本当はとっても優しいのよね。それに気配り上手だわ。そこが女性に好意を持たれる所以……ってやつなのかしら)
ルーシアは彼に視線を向ける。するとこちらの視線に気づいたアレックスは、熱っぽさを含んだ視線を返してきた。
どくり、と音を立てる心臓は正直だ。
ルーシアは頭を切り替え、二人温室へと足を向けた。
*
(ここはいつ来ても綺麗ね)
温室についた二人は、綺麗に咲き誇る南国の花々や植物たちを眺める。
いつもの通り、ここへ来ると独特の甘い香りがする。それを鼻孔に満たすため、彼女は深く息を吸い込んだ。
「大舞踏会まであと三日だ」
「そうですわね」
「堅苦しい行事は好かないけど、君と一緒に居られるなら毎日あってもいい」
「ふふふっ」
アレックスは冗談のような事を真顔で述べたため、ルーシアはおかしげに笑った。
彼はルーシアに小さく笑われたせいか「本気だよ」と囁く。よりにもよって、唇が触れそうなほど耳元の近くで。
ルーシアは顔を少しだけ桃色に染め上げながら、アレックスを軽く睨んだ。
(アレクの声を聞くと、なんだかお酒を飲んだときみたいに酩酊してしまうのよね。それに、背中もぞくそくしてしまう……)
心の中で呟き、小さく息を吐く。
「久しぶりだよね。ルーシアと踊ること」
「ええ。アレクが舞踏会に参加していたとき以来かしら?」
「ああ、そうだね」
そう言って頷き、言葉を続けた。
「あの時は……君と踊ることもゲームの一つ……だった。だから今度こそ、君と手を繋いで踊りたい」
「……」
「俺と踊って……くれるかい?」
アレックスは不安げにルーシアを見つて尋ねた。温室の壁を、風が強く叩きつける音が響く。
ルーシアは優しげに目元を緩め、愛しさを含む声で言った。
「喜んで」
アレックスも、答えを聞いて安心したかのように微笑み、ルーシアの手をとった。そして跪く。
チュッ。
彼は優雅な仕草で、手の甲へとキスを落とした。それは愛を乞う男の姿のようだった。
アレックスはゆっくりと視線を上げて、ルーシアのブルーサファイアの瞳を愛しげに見つめる。
二人の間を甘い空気が流れていった。
アレックスは立ち上がり、ルーシアに顔を近づける。そして、キスを……とルーシアは考え目を閉じたが、その直前。
アレックスが、ハッと何かを思い出したかのように息を飲んだ。その仕草に、ルーシアも閉じていた目を開ける。
目の前の男は、なぜか自らの懐をガサゴソとしていた。
(一体どうしたのかしら?)
ルーシアが頭を傾けていると、しばらくして目的のものが見つかったのか、アレックスは手に箱を持っていた。長細い形の箱で、人に贈るプレゼント用の様のものだった。
アレックスはその箱をルーシアの目の前に差し出し、言葉を紡ぐ。
「受け取ってくれないか」
ルーシアは目を瞬かせ、頷いた。そして箱を受け取り、「開けて」と視線を送る彼の前でリボンを解く。すると、
「綺麗……」
思わず口に出してしまった。
箱の中に入っていたのは、一目で一級品だと分かるブルーサファイアのネックレス。華美過ぎず品があり、ルーシア好みのものだった。
インクルージョンがほとんどなく、透明度が高い宝石。そしてシルバーチェーンがキラキラと輝かんばかりだ。
うっとりと手の中にある品を見つめていると、ルーシアが喜びの微笑みを浮かべていることに気づいたアレックスは安心したように述べる。
「君の瞳をイメージして至急作らせたんだ。今度こそ、受け取ってもらえると嬉しいな」
「……!とっても……うれしいですわ。ありがとう」
ルーシアは満面の笑みを浮かべた。
この品はアレックスの思いが伝わってくる。なぜか以前の様に、受け取ることに対し不安や疑問を覚えることはなかった。
「このネックレス、大舞踏会のときに付けてきてくれないか」
「ええ、もちろんですわ!」
ルーシアは懇願する瞳で見つめて来るアレックスに即答する。
こんなに素敵なものを着けて行けることも嬉しい。けれどそれと同じくらい、アレクに貰ったネックレスと一緒なら、常に彼が傍にいてくれているような気持ちになるのだ。
(私はそれがとても嬉しい)
ルーシアは言葉には出さなかった。けれど、体で表現することにした。
アレックスに近づくと、彼の方を優しく掴む。そしてゆっくりと顔を近づけた。
唇と唇が触れ合い、温もりがお互いに伝わりる。ルーシアは真っ白な頰を桃色に染め上げながら、照れたように離れる。
アレックスは呆然と立ちすくんだままだ。ルーシアは内心、してやったりと思った。
(アレク、放心していらっしゃる?)
ルーシアは心配げに、彼の頰をつつく。その途端、ハッと気がついたかと思うと。
「きゃっ」
ルーシアの腰を引き寄せ、きつく、そして情熱的に抱きしめた。
驚いたルーシアは小さく悲鳴をあげるが、その悲鳴さえ閉じ込めてしまいそうなほど、アレックスの抱擁は強いものだった。
驚きながらもルーシアが彼の方へと顔を向ければ、真っ赤になった耳が目に入る。抱き締められている為に彼の顔を見ることはできないが、きっと同じくらいに真っ赤だろう。
(もしかして、顔を見られたくなくて抱き締めたのかしら?)
だがルーシアは、アレックスが意外と子供っぽいところもあるのだと知っていた。
(これは男のプライド……?を優先するべきよね)
以前、赤くなって照れたアレックスを指摘したことがあったが、あのときは完全に拗ねていたはずだ。恐らく、ルーシアには気づかれたくないのだろう。
そう思い、胸に秘めておくことにした。
「ルーシア……君はどこまで俺を翻弄するんだ」
「ふふ。翻弄しているつもりはないけれど」
「これはとんだ小悪魔だね」
二人は抱き合いながら会話を交わす。
お互い、耳元で話しているからくすぐったく感じた。
アレックスがきつく抱き締めた腕をゆっくり離すと、二人の距離は少しだけ遠ざかる。
彼は、ルーシアが手に持ったブルーサファイアのネックレスを指差す。
「つけてあげるから、後ろを向いてごらん」
「ありがとうございます」
そう言ってネックレスを渡し、アレックスに背中を向けた。
彼の男らしくも繊細な指とネックレスチェーンの冷んやりとした冷たさに、体が震えるのを感じた。
ネックレスが胸元に飾られると、ルーシアはアレックスの方を見つめ、恥ずかしげに「似合いますか?」と呟いた。その愛らしい様子に、彼は熱い吐息を漏らす。
「すごく……似合っているよ。周りの花々が霞んでしまうほどだ」
「……もう、そんな冗談ばかり」
ルーシアは少しだけむくれた様子で呟く。
男は、そんな様子も愛しげに見つめているのだった。
「もう君は俺のものだ」
そんな独占欲にまみれた言葉を心の中で呟きながら。
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