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友人の懇願
しおりを挟む日常は、ルーシアの傷ついた心も新たに抱いた決心をも意に返さず、いつも通りに流れていく。
あの日、アレックスの屋敷で別れてからというものタイミングが合わず、二人は話し合う機会を逃していた。
そしてもう一週間。
アレックスを一度も目にする機会がなく、向こうも会いに来ず、ハイリによって励まされた気持ちが萎んでいくように感じていた。
(このまま一生会う機会がないなんてことになったら、どうしましょう)
ルーシアはアレックスのことが大切でも、向こうはどう思っているのかわからないのだ。もしかしたら少し前までのルーシアが考えていたように、今までのことは全てゲームの可能性も……と、消極的な思考まで思い浮かんでくる。
(弱くなっていてはだめよね)
ルーシアは自分に向けて叱咤しつつ、今夜の舞踏会の準備をしていた。というものの、ルーシアのする事といえばドレスやアクセサリーを選ぶ事だけで、あとは侍女や使用人やらが行ってくれるのであるが。
今夜のドレスは落ち込む心に気合を入れる為、久しぶりに赤いものを着る予定になっていた。とは言っても色合いが強い分、上品なデザインを心掛けられた至極の一品である。
ルーシアは普段、赤いものは身につけない。しかしこのドレスだけは一目で気に入り、購入に踏みきっていた。
アクセサリーは侍女のハイリに任せるとして。ルーシアは、舞踏会の準備以外のやるべきことを思いかえそうとした。するとその時。
コンコンッ。
自室の部屋のドアを叩く音がする。現在、ハイリはアクセサリーを取りに出払っており、部屋にはルーシア一人だった。
ハイリが戻ってくるには早すぎるため、別の誰かであろうか。
恐る恐る入り口へと近づき、扉を開けた。すると、よく知った金髪の彼が部屋の前で頓挫していたのだった。
「マイク様?一体どうなさりましたの?」
「王女殿下!不躾な訪問、誠に申し訳ございません。少しでいいので、お時間いただけませんでしょうか」
マイクはその碧眼でしきりに懇願を訴え、ルーシアを見つめてきた。
(マイク様……。彼も『ゲーム』を始めた原因の1人なのよね)
ルーシアは彼を前にしても、全くと言っていいほど怒りの感情は湧かなかった。元を辿れば、彼が『ゲーム』を行わせた張本人であるはずなのに。
(きっと、彼に対して思うところがないからだわ。『ゲーム』はアレク自身が行ったことだもの。それを促したからと言って、やると決めたの彼なのだから)
さらにルーシアは、この目の前のマイクに全くと言っていいほど興味がない。興味のない相手には、鬱陶しいや面倒、どうでもいい以外の感情は浮かばないものだと、彼女はずっと知っていた。
「時間ならまだありますわ。どうぞ、ソファにおかけになって下さい」
「至極光栄に存じます」
マイクは緊張した面持ちで、ルーシアの目の前に腰をかけた。
口調はいつもの語尾を伸ばすような不真面目そうなものから一変、今は真剣なものだった。それほどまでに、何かを決意しているのだろうか。
どちらから口を開くわけでもなく、沈黙がが部屋を貫く。
その沈黙を先に破ったのはマイクだった。
「アレクは……あいつは本当に可哀想なやつなんです」
「可哀想?」
「ええ。あいつの辞書には恋愛という言葉が載っていなかった。いや、載っていたとしても遊び程度の軽いもので、いつでも切り捨てられる程度のものだったんです」
「……」
『秀麗の貴公子』と呼ばれながらも、なぜ決まった女がいなかったのか。マイクの言葉を受けて、パズルのピースが少しずつ埋まっていくのを予感する。
「あいつは女に対して飽き飽きしていました。自分の顔だけを見る女達を軽蔑すらしていた。そういって見下す女達を、恋愛対象として見ることはなかった。……いや、見ることが出来なかったんだと思います」
「軽蔑……」
(女性を軽蔑していただなんて……。という事は、私のことも……)
ルーシアは一人困惑しながら、マイクの話を続けて聞いた。
「ですが!王女殿下と出会って、あいつは本当に変わった。人並みに恋をし、人並みに誰かを愛する。そんなこと、あいつには不可能だと思っていたんです。だが、出来た!」
「……!」
「もちろん最初はちょっとしたゲームでした。心底申し訳なく思っています。……だけど途中から、あいつはゲームなんかしていなかった。ゲームの賭けの対象だった貴方を、誰より愛するようになったからです」
マイクは、アレックスがルーシアのことを心の底から愛しているのだと言う。
自分は彼に何も愛されるような事はやっていない。それなら特別に愛されることこそおかしいのではないか。それはずっと疑問に思っていたことだった。
ルーシアは無愛想であるし、甘え下手であるし、感情豊かとは言いづらい。持っているものと言えば、王女の地位とそこそこの美しさだけだ。
しかしその二つでさえも、美しさは年とともに衰えていくし、王女という地位は実質政治的権力はないにも等しい。
(そう。わたしの持っているものは……何もないのよ。そんなわたしを何故、アレクは愛するのかしら)
思い悩みながらも、ルーシアは目の前のマイクの碧眼を見つめ、言葉を促す。
「お願いします。どうかあいつを、アレクに慈悲をかけてやってください。そのためなら俺は何だってやります」
マイクは心底そう願っているといった表情でルーシアを見つめてきた。その瞳はひと一人、射殺してもおかしくないほど強いものだった。
(彼は真剣なのね。それならばわたしも……)
ルーシアは一拍の間、考え込むようにしたあと、はっきりとした口調で言い放った。
「私は、次会った際に彼が心の底から私を愛してくれていれば……許そうと思っています。簡単な女のように思われるかもしれませんが」
「……!」
「なので、貴方は何もしなくていい。……ただひとつ、教えて欲しいことがあるのです」
ルーシアがそう述べると、マイクは「教えて欲しいこと?」と首を捻ってこちらを見つめてくる。
ルーシアはそれに答えるよう、言葉を紡いだ。
「貴方が知っているか分かりませんが……私はずっと知りたかったのです。ーーーーどうして私なのか。私を愛してくれているのか」
「……っ」
「知っていれば、教えて欲しいのです。友人である貴方の口から聞いてみたい。アレクの事を心から気にかけ、心配している貴方の口から」
もちろん、本人の口から一番聞きたいと思う。だが、ルーシアを目の前にして心底から語ってくれるかどうかは些か不安だ。誤魔化される可能性だってある。
それならば。彼をよく知るマイクならば。彼の心を偽らずに話してくれるだろう、そう思った。
ルーシアは懇願するような眼差しでマイクを見つめた。
(さっきと立場が逆になってしまったわね)
心の中で苦笑いを浮かべつつも、視線は真剣なままだ。
その真っ直ぐさに負けたのか、マイクは大きく、大袈裟に、ため息をつくとゆっくり口を開いた。
「以前、あいつに手紙をもらったことがあるんですよ。恋愛相談をしたいって。……ああ、王女殿下が私とアレクの密談中に乱入してきたあの時です」
「乱入って……」
ルーシアは引きつった笑顔でそう呟く。その顔をニヤリと笑いながら一瞥したマイクは、言葉を続けた。
「あの頃は、まだ王女殿下に対して恋愛感情を抱いていると、自分で分かっていない様子でした。でも俺には分かりましたよ。ーー完ぺきにに恋してるって」
「…………」
「あいつ、手紙に書いていたんです。『立場や顔、全て抜きにして俺を見つめてくるのが好ましい』『絶対零度なくせに、たまに年相応の笑みを浮かべると守ってやりたくなる』って」
「…………」
(自分で聞いたなんだけれど、もういいわ。なんだか居た堪れなくなってきた)
マイクはこのような甘言を、どうして真顔で言えるのだろうか。いつものようなあの薄っぺらいヘラヘラした笑みならば分かるが、こう真顔で言われるとこちらが恥ずかしくなってくる。
そんな心が顔に表れていたのか。
いや、実際は無表情が基本であるルーシアが、感情を表に出すことなどほとんどの場合ないはずなのだが。
マイクはヘラヘラとした、いやニヤニヤとした笑みを浮かべ、彼女の様子を伺った。そして、言葉をさらに紡ぎ出した。
「あっれ~。王女殿下照れていますか~。かっわい~」
「……もういいわ」
呆れた表情を見せながら、ルーシアは言い放った。
(この男、やっぱり腹黒系の男ね。気をつけなければ)
そんな事を考えつつ、穏やかになった部屋の空気にほっと一息ついた。
本当に先程までの緊張感は、一体どこへ消えていったのだろうか。心底不思議に思うほどだ。
「じゃ~ここらで失礼します。またお会いしましょう~」
「ええ、さようなら」
二人は挨拶を交わし、マイクは部屋の外へと出ていった。残された部屋には、ルーシアのため息が盛大に漏れるのであった。
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