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壊れる
しおりを挟む息を潜めながら屋敷の廊下を歩いていたルーシアは、近くの扉が開く音を聞き、急いで柱の陰に隠れた。
(なんだか悪いことをしている気分になってくるわ)
頭の中で呟きながら、注意深く扉の方を見つめる。誰が出てきたのか確認するためだ。しかし、その必要はなかった。
「マイク、ゲームのことは……」
「王女殿下に今、伝えることではないんじゃないか。…………時を見た方がいいと、俺は思う」
声には聞き覚えがあった。しかも、一つは自分の最も愛する人物である。
そしてその声に、今一番聞きたくない単語が混ざっているのを聞いた。
〝ゲーム〟
リリアが言っていたのではないか。アレックスはルーシアを落とすゲームをしているのだと。
そんなことはあり得ない、嘘だ、とずっと口で否定してはいたが、心の奥底ではそうでない自分もいた。
こんなベストなタイミングで、一番聞きたくない単語を、一番口にして欲しくない相手が言うだなんて。
リリアの言っていたことを裏付ける答えになっても同然だ。
しかも、もう一人の相手であるマイクは「ルーシアに伝えるべきでない」と言っており、少なからずルーシア自身に関係していることには間違いなかった。
彼女の足は、絶望と悲嘆によって地面に縫い付けられたかのように動かない。そして、声は張り付いてしまったかのように出ない。
震える指先と肩が、ルーシアの心の機微を表していた。
柱の陰に隠れたまでいると、一つの足音が遠ざかっていった。恐らくそれはマイクであろう。
ルーシアは混乱する感情の傍らで、冷静に自身を見つめている自分を感じ取っていた。その思考が、去っていく足音を覚めた思いで聞き取る。
そのあと、もう一人の人物が微かに動く様な気配を感じた。そしてルーシアはその固く結んだ唇をゆっくりと開いた。
「アレク様」
柱の物陰から重い体を引きずる様にして出ると、アレックスは驚いた顔をしていた。
緑目の輝く双眸をまっすぐと見据え、ルーシアは抜け落ちた表情で言葉をぶつけた。
「ゲームとは…………一体なんですの」
その言葉を耳にしたアレックスは、一瞬息を飲むようにしてその双眼を見開き、苦々しい顔で視線を彷徨わせた。
「そ、れは……」
「私、聞きましたのよ。あなたが……私を落とせるかどうかのゲームをなさっていたという事を」
口籠るアレックスを相手に、ルーシアはまるで自分自身のものではないような激しい怒りを覚えた。口から出るアレックスを責める声は、いつものように淡々としたものではなく、すこぶる人間味のある声だった。
一方のアレックスは目線をルーシアに戻すと、苦しみと後悔が感じさせられる表情で口を開いた。
「……っ!ああ、そうだ。本当にすまない……申し訳ないことをしたと思っている。俺はルーシアを賭けの対象としていた。だが……」
「なんてひと!」
アレックスが言葉を終える前に、ルーシアの叫び声が遮った。
そんな彼女の心からの叫びを聞いたアレックスは、焦りを濁した声で言葉を紡ぐ。
「最後まで聞いてくれ……」
「嫌よ! もうあなたなんて言葉を信じられないわ」
悲痛を濁した声に息をつまらせるアレックスであったが、すがるようにルーシアを見つめ嘆願を幾度も繰り返した。
「お願いだ……どうか!俺の話を聞いてください」
アレックスの必死の表情に、ルーシアは少しばかり落ち着きを取り戻そうと瞳を閉じる。
そして、どうにかして冷静になろうと深呼吸をした。
一方的な激情は、双方にとっても利点はない。感情に流されるまま相手の意見を聞くことができなければ、後悔するのはルーシアの可能性もあるのだ。
以前、王である父が子供のルーシアにそう言い聞かせたことがあった。その頃はまったく意味がわからなかったが、真剣な父の表情を見て何か大切なことを話しているということには子供ながらに気がついていた。そして、その言葉が大人になったルーシアにとって役立つだろうと。
(話を……聞かなければならないわ。それが嘘か真実か、分からなかったとしても)
「分かりました。話を聞きます」
わずかに緊張を含んだ声でルーシアは言った。
その言葉に一瞬安堵を覚えた様なアレックスは、すぐ表情を改め言葉を紡ぎ始めた。
「俺が舞踏会に参加するようになった少し前だ。その頃にマイクと賭けをしたんだ。……絶対零度の王女殿下を籠絡させることができれば、ハリソンの手記の原本をくれるって。だけれどそれは、舞踏会に行くことを不満に思ってた俺のために……マイクが気を紛らわすために考えてくれたことで!…………こんな賭けに乗るべきではなかった。全て俺が悪いんだ」
「………………」
「本当に……すまない」
アレックスは普段の貴公子然とした姿から程遠い、項垂れた様子で言った。その表情からは、ルーシアに対して心の底から申し訳ないと感じていると分かる。だが。
(この姿ももしかして、ゲームのための……偽りの姿、なのかしら)
ひたむきに信じていたアレックスが、始めから自分を裏切っていた。その事実を受け、ルーシアの心は目の前にあるもの全てを信じられなくなっていた。それほどまで、アレックスに嘘を付かれた事に傷と痛みを覚えたのだろう。
ルーシアは彼の告白に対し、沈黙を保ったままだった。窓の外から聞こえる鳥の鳴き声がその気まずさを弱冠和らげてくれる。
柔らかな風が吹き、ルーシアの漆黒の髪がふわりと揺れ、横髪が顔にかかる。それゆえ、ちょうど表情を読み取れなくなってしまった。
10秒か、20秒か。体感ではそれ以上のようにアレックスは感じていた。彼女の一挙一動を見逃すまいと、息を殺して愛しい女を見つめる。
ルーシアは髪を耳にかけアレックスの双眸を一瞥した。そしてついに、沈黙を破った。
「あなたの言い分は理解しました。今どうするべきか考えてみましたが、正直私は今冷静ではない。冷静では……いられない。一度自室に戻って考えたいと思います」
「…………わ、かった」
アレックスはそれしか言えなかった。
拒絶の言葉が出なくてよかった。ひとまずそれだけは安心を覚えた。
ルーシアは「さようなら」と小さく呟くと、一人立ち尽くすアレックスを残し、去って行く。
アレックスは彼女の「さようなら」という言葉が、男と女の別れ意味する「さようなら」にならないよう、心の底から願いつづけていた。
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