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雨の日
しおりを挟むその日ルーシアとアレックスはお茶の約束をしていたが、天候はあいにくの雨。地面を突き刺す針のような強いものではなく、恵みの雨と呼べるほどささやかなものであった。
だが、それでも桐の木を見てお茶を楽しむことはできない。
ルーシアは断りの連絡を入れることも考えたが、やはり会って本日の予定を決めようと思い、屋敷を訪ねることにした。
屋敷へ着くと、家令がいつも通りの無骨な表情で応接室へと案内する。
部屋に着くと豪奢なソファに腰をかけ、アレックスを待つ。
家令は彼を呼びに行ったようだが、しばらくすると戻ってきた。そして、無表情で用件を伝えた。
「アレックス様は少々準備をしておられます。王女殿下をお待たせすることは失礼かと存じますが、何卒お待ち頂けませんでしょうか?」
「ええ、分かったわ」
了解の返答を返すが、ルーシアは疑問を覚えた。
(準備?一体なんの準備をしていらっしゃるのかしら?今日は桐の花は見られないけれど、せめてお茶だけでもってこと?それにしても、準備ならメイドがやるだろうし……)
一人で悶々と考えている間に、準備が終わったのかアレックスが応接室へとやってきた。
「やあ、ルーシア姫。本日はご足労頂き本当にありがとう。ではさっそくだが移動しようか」
「移動、ですか?」
「ああ」
そう言ってアレックスは、ルーシアに手を差し伸べてくる。彼女は、その男性らしく角張った手に自身の手を重ねる。そしてアレックスに導かれるようにして追従した。
*
「さあ、ここだよ」
アレックスに連れられてきたのは、温室だった。珍しい植物や、温かい場所に多く自生している花などが所狭しと植えられている。強い香りを放っている花が生えているせいなのか、甘い香りが周囲に充満していた。
ルーシアは美しく、そして癒しを与えてくれるその光景に感動を覚える。
「まぁ、素敵!」
「だろう?ここは亡くなった母が作らせた第二の庭園なんだ」
「綺麗な場所ですわね。見たことのない花がたくさんありますわ」
「ああ。兄が外国の貴重な花を取り寄せているからな」
「アレク様のお兄様……。バード公爵が、ですか」
ルーシアは首を傾げ、考え込むようにして眉を寄せた。
バード公爵は非常に真面目で勤勉な方だ。だが、そのような情緒豊かな男だとは到底思えなかった。どちらかと言えば、武芸などを嗜むような性格をしている。
ルーシアの考えが伝わったのだろうか。アレックスは、笑いを噛み殺したかのように口を開いた。
「なにも兄は趣味でやってるわけではないんだ。亡くなった母のためにやっているんだよ」
「お母様のために?」
「ああ。母は花が大好きな人だったんだ。この温室は母が嫁入りした際に特別に作らせたわけだから、生前特にお気に入りの場所でね。それを維持したいと、兄が頑張っているんだ。……真面目すぎるから、少々やりすぎな気がしないでもないけれど」
そう言うとアレックスは、呆れながらも微笑む。
その様子から、アレックスは本当に兄のことを慕っているのだと伝わってきた。いつもの貴公子然とした笑いではなく、心から信頼できるものを思い浮かべている柔らかいものだったから。
愛情深く相手の事を考えるアレックスを見て優しい気持ちになったルーシアは、自然と微笑みを浮かべ口にしていた。
「アレク様は心の底からバード公爵の事を本当に慕っていらっしゃいますのね」
「……いや、そんなことは」
アレックスはルーシアを見つめ、少し照れた様子で否定する。その様子からみて、すぐに嘘だとわかった。
「私も、お父様とお母様の事を心の底から大好きですので分かりますのよ。アレク様は照れていらっしゃいますのね」
からかうような口調で述べると、アレックスはムキになったように言い放つ。
「照れてない!!」
「そんなに強く否定なさらなくてもよろしいでしょうに。やっぱり照れていらっしゃるんでしょ」
「違う!」
「アレク様の素顔は照れ屋でいらっしゃったのね。新しい発見だわ」
「……」
ルーシアがからかうと、アレックスは貴公子らしからぬ、むっとした面で彼女を見つめている。
ルーシアはククっと喉を鳴らして笑いをこらえた。
(ちょっとからかいすぎたかしら。でも、舞踏会のときにドキドキさせるようなことをいつもやってきたお返しよ)
小さな復讐を達成させ、心の中で思わず拳を握りしめる。してやったり、と嬉しい気持ちが胸に広がっていく。こんな気分は久しぶりで、訳もなく踊りだしたくなった。実際にはそんなことするはずもないが。
アレックスは暫くいじけた様子を見せていた。だが、しばらくするとハッと息を飲んだ。
「……!」
今の自分の様子を思い出したのか、いつもの貴公子然としたものに取り繕う。
その様子もルーシアにとっては面白いもので、何故か心が浮き足立つのを感じた。
「ルーシア姫。からかわないでくれるかな」
「からかってなんかいないですわ」
「……はぁ」
アレックスは大袈裟にため息を吐いた。そしてルーシアに顔を向けると。
「立ったままではなんだから、ベンチに移動しないかい?」
そう語りかけてきた。ルーシアは「ええ、わかりました」と頷き、近くに見える白い鉄製のベンチへと歩いていく。目の前には同じ鉄製でできたミニテーブルがあり、アレックスと向かい合わせで座った。
「ティーセットの準備を」
アレックスが近くにいた使用人に声をかけると、すぐさまティーワゴンを引いてやってくる。
そしていつもと同様に、紅茶を出された。
「今日は待たせてしまって申し訳なかったな。温室の準備に手間取ったんだ」
「いえ。こんなに素晴らしい温室を見せてくださったんだもの。それを責めるだなんて」
「そう言ってもらえて助かるよ」
ルーシアとアレックスは紅茶を口に含みながら、和やかに談笑する。
不思議と周囲の景色が変わるだけで紅茶の味も変化したように感じる。いつもと違う状況でもついついお菓子に手が伸びてしまうのは変わりなかったが。
(普段見ているの桐の花も素敵だけど、温室もとても素敵ね。アレク様のお屋敷には、お城に無いものがたくさんあって楽しいわ)
ルーシアは夢見気分で鮮やかな花々や植物を見渡した。
そのあと優雅に紅茶を楽しむアレックスを見てお礼をいった。
「温室に連れてきてくださって、とても嬉しいですわ。本当にありがとうございます」
心の底から楽しむことができた故、いつも以上に心は和んでおり自然と柔らかな笑顔を向けていた。その表情はそれはそれは麗しく、華やかで、繊細で。心からと微笑みだと一瞬で分かるものだった。こんな笑顔を見れば、誰であっても彼女に対し夢中になってしまうのと間違いないだろうとも思えるほどの笑顔だった。
「……っ」
アレックスは呆然とした様子でルーシアのブルーサファイアの瞳を凝視する。そしてしばらく時間を置いたあとに口を開いた。
「あ、ああ」
目線を逸らし、どこか照れ臭そうな様子だった。ほんのりと頰が赤いのは、紅茶の熱にでも当てられたのだろうか。
二人の間を優しく穏やかな空気が流れていく。その後も、二人だけの茶会は和やかに過ぎていくのだった。
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