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結婚式の後 ②
しおりを挟む「この度は私たちのためにお集まりいただき、誠に感謝致します」
フランツが披露宴は開幕を宣言すると、その場はたちまち賑やかなものとなった。
結婚披露宴は名前の通り2人の結婚を多くの人に披露する場なのだが、今回の催しは舞踏会に近いものであった。客たちはお酒を飲んだりテーブルに並んだ軽食を手にしたり、さらにパートナーとダンスをしたりと好き好きに過ごしている。
エリィは結婚式の衣装とは打って変わり濃紺のドレスに身を包み、慎ましやかにフランツの隣に立っていた。
新たなドレスに着替えることに対し苦い顔をしたエリィを、イリーナは鼻息の荒い様子で「絶対似合いますから」と意気込んで着せてきた。確かにこの濃紺のドレスはいかにも高級な生地を使っており、エリィの内なる色気を引き出している。彼女はいつもより何倍も大人びてみえ、周りの男たちはチラチラと視線を送っているがエリィは一向に気がつかなかった。近くを給仕としてイリーナが駆け回っており、そちらに気を取られていたのだった。
「おい、挨拶にいくぞ」
フランツは小声でそういうとエリィの前を歩き出す。彼女はそそくさとその後をついていった。向かう先には恰幅の良い男性が佇んでおり、彼に向かってフランツは優雅な笑顔を向ける。
「ご無沙汰しております、プロマイア公爵」
――プロマイア公爵。
その言葉を聞いた瞬間、エリィの背筋に緊張が走った。おそるおそる目の前の男性を見る。
とてもよく似ている。あの優しそうな目尻のシワが特に。
思わず涙がこぼれそうになり、気を引き締める。
「やぁ、フランツ殿。久しいな」
そう言って優しげな微笑みを浮かべ挨拶を返した後、公爵はエリィに視線を移した。エリィは何か口に出さなければと思ったがその前に公爵が口を開く。
「初めまして、お嬢さん。私はロゼルフ・プロマイア。……君の知っている院長の息子だ。結婚式にはどうしても用事があって行けなかったんだ、すまないね」
40近い目の前の男性はそう名乗り、目尻を下げた。
「いいえ、そんなこと! ……初めまして。お初にお目にかかります、エリィと申します。この度は私を由緒正しき公爵家の養子にしていただき、非常に光栄に思っております。これから、誠心誠意……」
「あぁ、堅苦しい挨拶は抜きにしてくれ」
公爵はそう言って苦笑いを浮かべる。その笑い方も院長そっくりで、緊張しきった心はすぐさま溶けていった。エリィは「はい。ありがとうございます」とお礼を言うと、公爵はなにやら話したいことがあるようなそぶりをした。頭を傾けながら少し近寄ると、公爵は小声で言葉を紡いだ。
「そうか、君がエリィなのか。父上に話は聞いていたよ」
「院長が、でございますか?」
「ああ。元より君の呪いの言葉聞き及んでおり、どうにかして助けになれないかとずっと悩んでいたんだ。だがら父上が君を養子にすると決めたとき、私はまったく驚くこともなかったね。逆に嬉しささえ感じたよ。……あぁ、ちなみに私たちの周りで君の呪いについて知っているのは私と君、フランツ殿、元父上付きの執事、そして知り合いの魔術研究者の5人だけだ。安心して解呪に励むといい」
公爵は胸を張りながら高らかに言う。エリィが柔らかく微笑むと、彼も微笑み返してくれた。その後、フランツと雑談をし始めたのだった。
何かしらの話に花を咲かせている2人の横でエリィは1人、考え込む。
院長がずっと自分のことに対して真剣に向き合ってくれていたことが改めてわかり、公爵の言葉に胸が熱くなった。その上、現公爵も簡単にエリィを受け入れてくれたのだ。自分というものは存在を許されていないと考えていた彼女は、それだけでも救われた気持ちになった。
だが一体なぜ、院長や公爵はここまでしてくれるのだろうか。エリィに絡んだところで彼らなとっては何の意味もないようなものなのに。疑問を覚え、公爵の顔を見つめる。ふと、こちらの視線に気がついた彼の表情は何とも形容しがたい「迷い」を含んだものだった。 その「迷い」とは、一体どのようなものなのだろうか。自分の勘違いなのだろうか。疑問は胸にしこりを残した。
公爵とはその態度の意味が曖昧になまま、お互いに別れた。
隣にいるフランツは様子のおかしいエリィに気がついているのか、チラチラとこちらの様子を伺っている。エリィはその視線に気が付けないほど、深く考え込んでいた。一度疑問を持つと、よくよく考え込んでしまうタイプの人間なのだ。
フランツがなにか口を開こうとしたそのとき。横槍を入れるようにして「フランツ様」と声をかける人が現れた。その人物を目にした彼は、仰々しい態度でお辞儀をする。
「こんばんは。今夜もその麗しゅうお姿、拝見出来まして誠に光栄に存じます」
フランツは微笑みを携えながら目の前の令嬢の手の甲にキスを落とした。その一連の仕草は貴公子然としており、エリィは唖然とする。
一体だれなんだ、この目の前の男は。
抱いた最初の感想はそれだった。
相手によって態度を変える人はこの世の中に大勢いる。だが、フランツほどに変える前と変える後の差がひどい方は少数に違いない。女性蔑視の代表格とも言えるフランツが、その蔑視の対象とも言える女性に対し物腰柔らかに腰を折るだなんて一体誰が想像出来ただろうか。彼の猫かぶりは天性の才能だとエリィは悟った。そして、フランツが腰を折った女性を見つめる。
とても美しい人だ。長いウェーブがかった黒髪に真っ赤なルビーのような瞳。肉感溢れる胸もとには圧倒され、エリィよりも2、3歳年上に見えた。いかにもプライドが高そうな雰囲気を醸し出し、赤いルージュが妖艶で一目見ただけでも人に敬われることは当然とばかりの高慢さはひどく目に付いた。エリィはあまりが関わりたくない人物だと直感的に思い、身を竦める。
「ふふっ。顔を上げてちょうだい…………あら、あなた」
そう言って女性はエリィを見る。その瞳の奥には、隠しきれない蔑みの感情が宿っていた。じろじろとエリィの頭からつま先までを眺め、悪意のこもった瞳で見つめてくる。
「彼女はアリアナ・プロマイア。一応、君の義姉に当たる方だ」
フランツは苦笑いを浮かべながらで女性を紹介した。彼も悪意のこもった視線に気がついたのだろう。義姉がいたことには驚いたが、それよりもここまではっきりとした悪意をぶつけられることに対する驚きの方が優っていた。先ほどの公爵と血縁関係にあるはずだが、正直言って似ても似つかない。
「こんばんは、エリィ」
「こ、こんばんは、アリアナ様。えっと……何故私の名前」
エリィは話しかけられたことに驚いたが、なるべく態度に出さぬよう落ち着いて言葉を返した。
「あら、忘れたの? 今日はどなたの結婚式だったのかしら? ……わたくしは行ってはおりませんけれど」
アリアナはそう言って嘲笑した。この様子では、わざと結婚式には来なかったのだろう。
そのあと、エリィなどこの場にいなかったかのようにフランツにばかり話しかけ始めた。
どうやら彼女はエリィのことを本格的に敵だと考えているらしい。全力だ揚げ足を取りにかかってくる。確かにアリアナの考えは理解できた。いきなり公爵家令嬢として、よく分からない小娘が養子入りしてきたのだ。快く思うはずなんてないだろう。だが、アリアナの態度を見ているとそれだけではないような気がする。それは女の勘、とも呼べるものとも言えた。
アリアナはフランツに粘着質な視線を向けていた。
「ああ」とエリィは一つ思い当たる節を見つける。――おそらくアリアナはフランツのことを狙っているのだろう。彼女の捕食対象を見るような目は今もフランツを捉えているのだから。恋をしているのかどうかは分からないが、もし仮にそうであれば申し訳ない気持ちが多少あることには違いなかった。
執拗に絡まれるフランツを遠目で見る。彼女はなにか頼み込んでいるようだった。
「フランツ様。このアリアナとダンスをしてはもらえないかしら」
「えっと……大変申し訳ないのですが、私はまだ妻と一度も踊っていなくて」
困ったようにフランツは頰をかく。その様子にようやく諦めたのか、アリアナはエリィに鋭い視線を向けると高慢な口調で言った。
「あら……そうなの。今日の主役のはずなのに。まぁ、踊れるかどうかは知らないけれど」
さすがにムッとしたエリィは微笑みを絶やさぬようするりとフランツの手を取った。そして「踊りたいです」と視線で訴える。彼はエリィにしか分からぬようふっと鼻で笑った。どうせまた「仕方がないからね踊ってやる」とでも思っているのだろう。
「アリアナ様の心配する気持ちも分かります。ですからあなたの義妹が完璧に踊る姿をしかと目でご確認して頂ければ、不安も解消されるでしょう。アリアナ様は、妻が貴族社会で生きていけるのか心配しておられるのですよね」
よくもまあ、こんなにも口から出まかせが出るなとフランツに関心を覚えた。だがこれでアリアナも頷くことしか出来ない。
結局2人を見送ることとなったアリアナは、ずっとエリィに悪意のこもる視線を寄越し続けていたのだった。
2人はそのまま中央に人が集まっているダンスエリアへと向かった。ちょうどワルツがかかっており、これならば話しやすい。
フランツはダンスをしながら先ほどまでのアリアナについての情報を語ってくれた。
彼女、アリアナは表向きプロマイア公爵一人娘とされているが本来は違う。彼女の本当の母親は、公爵の姉であるのだが数十年前に事故によって亡くなってしまったということだった。さらに母親の相手の男は不明であり、公爵家はどうやらそのことを隠したかったらしい。表向は現公爵の娘ということになったのだ。
複雑な事情が入り組んでおり、エリィは思わずため息をついた。と同時にフランツもため息をつく。その理由を問えば、どうやら彼の一番嫌いなタイプの女性がアリアナのような方らしい。フランツはアリアナについて語るときは終始嫌悪感に満ちた表情をしていた。
悪意を向けられたという点では庇う必要はないかもしれないが、そこまで嫌悪するほど嫌われているアリアナに内心同情を覚えた。
「それにしても……まあまあ上手いじゃないか」
フランツは鼻で笑いながら言う。その表情が何故だか少し柔らかいもののように感じ、エリィの心臓はいつもより早鐘をうつ。顔に出さぬように平静を装い、出来る限りの笑顔で微笑んだ。
「褒めて頂けて……嬉しいです」
平静を装ってはいたものの、頰は上気していただろう。フランツもそんなエリィの様子を見て照れが伝染したかのように耳を赤くしながら「いや……」と顔を背けた。
この甘いようなむず痒いような空気はダンスが終わるまで続き、エリィは終わるまで心の中で「どんな拷問なの」と必死で冷静を呼び続けていたのだった。
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