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彼の奥様 ②
しおりを挟む「失礼いたします、お嬢様をお連れしました」
エリィはイリーナに導かれ、フランツの自室へ連れていかれた。彼の部屋はエリィの泊まった部屋の2倍は広く、家具は落ち着いたものが多かった。貴族にしては、意外と良い趣味をしてるじゃないかと感心を覚える。
「遅い」
――この一言がなければ、どれだけ良かったほどか。
心の中でそう呟いたが、目の前の男には聞こえるはずもない。心情を顔に出さぬよう、冷静にと言い聞かせた。
イリーナはフランツの指示によって部屋の外で待たされた。元々この空間には彼1人しかいなかったため、現在は2人きりである。
彼と付き合っていくには広い心を持たねばなるまい。いちいち腹を立てたり、悲しんでいればこちらが損をするだけだろう。これが彼の通常運転なのだ。短い付き合いの中でそう学んだのだった。
エリィが微笑みを浮かべ「遅くなって申し訳ないです」とフォローを入れると、フランツは「まぁいい」と答え、視線で目の前のソファに座ることを要求した。
腰を下ろすと、元々向かいのソファに座っていたフランツと自然と向き合うこととなる。エリィは昨日の痴態を思い出し、恥ずかしさに悲鳴をあげそうだった。だが何ごともなかったような彼の態度にムッと腹が立ち、ならばと自分も何ごともなかったかのように振舞うことに決めた。
「それで、一体なんの御用でしょうか」
強めの口調になってしまったことは否めない。
質問はしたのが、話されることのおおよその予想は当たっているだろう。昨日できなかった、2人のこれからの話だろう。
「いい態度だな、お前。……昨日はさぞかしよく眠れたことだろう。あんなにも《乱れて》いたのだから」
フランツはそう口にすると、馬鹿にするかのように鼻で笑った。
この話を引っ張り出してくるとは。
エリィは呼吸が乱れそうになりながらも、冷静に冷静にと自分に言い聞かせる。
「いやですね、それはすべてあなたの手練手管のおかげですよ! ……さぞかし多くの経験をお積みになったのでしょう」
嫌味には嫌味を。貴族の基本とも言える。
だがフランツとは仲良くしなければと考えてはいるのに、どうしようもなく反抗したくなるのは何故だろうか。そんな反抗的な態度に彼がぼそりと「可愛くない女」と呟いたことは、きちんと耳に入っていた。
「用件はいくつかある。一つ目。お前は今日からここで暮らせ」
「……はあ」
それはエリィも頭を悩ましていた問題だった。
自分は公爵家の邸へと行くべきなのだろうか。はたまた結婚までの間は、3年間暮らしていた森の外れの小さな家へと戻るべきなのだろうか。全てにおいて宙ぶらりんな状態で、頭を悩ませていたのは確かだったのだ。
「二つ目。結婚式は三日後だ。準備はすべてこちらで手配する」
「三日後ですか!? 少々早すぎやしませんか」
これには驚きを隠せなかった。
貴族の結婚とは、こんなにもスピーディーに済ませられるものなのだろうか。疑問に感じフランツの方に顔を向けると、彼は高圧的に言葉を放つ。
「お前に厄災を振りまかれてはたまらないからな。こんな短期間でやらなければならないなんて、本当に迷惑極まりない」
ずきりと心に痛みが走ったような気がして、エリィは手のひらを強く握りしめた。また《不幸の呪い》かと、自嘲的な笑みがこぼれる。
この呪いは一体いつまで続くのだろうか。いつまで不幸の根源でい続けなければならないのだろうか。本当にフランツのそばにい続ければ解呪されるのだろうか。――もう二度と、人に不幸を振りまきたくない。
色々な思いが際限なく溢れ出してくるが、最終的にいつもと同じようにそれに蓋をした。
「えっと、それで他には何か用件はありますか」
「え、あ…………っいや、もうない」
フランツはエリィの様子をじっと見つめていたが、はっとしたかのように言葉を詰まらせながら答えた。いつもの傲慢な態度に反して、その表情はまるでエリィを気にしているようだった。
そんなにも暗い表情を浮かべていたのだろうか。
気まずい空気が流れる前に、エリィは先を立つ。去り際に「これからよろしくお願いします」と口にし、扉の外へと向かった。
残されたフランツの心にはモヤモヤとした何かがわだかまっていたのだった。
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