6 / 7
Edmond's Story
抱く激情を君に
しおりを挟む優しさははじめ、すべて嘘だった。けれど彼女に触れたそのときから、何が本当で何が嘘なのか分からなくなったのだ。
「初めまして、ミラ殿。俺はエドモンと言います」
両親の決めた婚約者。
エドモンは目の前の女に挨拶をする。その日が顔合わせということで、彼女は目一杯着飾っているのだが。
ーーなんて陰気な女なんだ。
それがエドモンのミラに対する第一印象だ。
顔立ちは悪くないものの、纏っている空気が重すぎる。地味で潔癖な印象も受け、エドモンが今まで遊んできた女の中にはいないタイプだった。
だが所詮、女は皆同じ。エドモンが優しく微笑みかければ、彼女も頰を赤らめた。
けれども一つ、今までの女とは違っているところがあった。
「初めましてエドモン様……これからよろしくお願いします……」
ーー婚約者は困ったような微笑みを向けてくるのだ。
それからというもの、父親に言われて幾度もミラを逢瀬に誘い出した。初めは断られていたにも関わらず、粘れば最終的に折れてくれる。それは、彼女と相対するうちに学んだことだった。
ミラは控えめな女だった。
エドモンが表立って気を持たせるような行動をとっているのに、まったく自惚れることがない。
この逢瀬は結婚が確実になるまでの仕事の一環で、渋々始めたものだった。それゆえに、なびかぬ女に腹立たしさを覚えるのは当然だ。しかしそれ以上に、ミラがまったく興味を抱いていないという事実が胸に燻っていた。
自分はどうかしているのだろう。
それからというもの、エドモンは次第に自分が絆されていくのを自覚していく。
ーー薔薇の花束を渡した晴天の朝。
初めて向けられた微笑なりとも心からの笑みに、なぜだか目を離すことができなかった。
ーー二人きりで遠出をした温かな日差しの昼。
鳥籠から解放されたようなその無邪気さに、無性に惹きつけられた。
ーー初めてのキスを交わした月下の夜。
初めてなのだと戸惑いを浮かべる無垢さに、エドモンは心を奪われてしまったかのようだった。
気づけばミラのことばかり考えている自分がいた。これを世間では「恋に落ちた」とでもいうのだろうか。
だが、エドモンは今までの人生で一度も恋に落ちたことがなかった。それどころか、恋という感情などくだらないと馬鹿にしてさえいたのだ。
けれども、好きになってしまったのかもしれない。ミラを愛してしまったのかもしれない。
エドモンは認めるのが怖かった。心が自分の手を離れていき、コントロールがつかなくなる。そんなことは、気高く生きてきた自尊心を前にして許されるはすがなかった。
だがその弱さが、プライドが、後悔に繋がるとも知らずに。
結婚生活は順風満帆に過ぎていくのだと信じて疑わなかった。けれども階段を転げ落ちるかのように、瞬く間に崩壊していく。
いつの日から、ミラは出会った頃に戻ってしまったかのように鉄仮面で本心を覆い隠すようになった。そんな妻に怒りを覚え冷たく当たれば当たるほど、元々乏しかった表情は消えていく。ひたすら堂々巡りで、心は疲弊していった。
そして衝撃的な日が訪れた。
寝室で声も上げぬまま、ただひたすら涙を流す妻を見つけてしまったのだ。それは初めて見る、ミラの泣く姿だった。
彼女はなぜ、自分の腕の中で泣いていないのだろう。自然と呼吸が荒くなり、心は悲鳴を上げていた。
ここでエドモンが素直に本心を曝け出していれば、二人の関係は修復可能だったかもしれない。だが出来なかった。自分のプライドが邪魔をしたゆえに。
どこですれ違ってしまったのか、なぜ自分たちは不幸になってしまったのか。エドモンは一人考え込む。
(……不幸? それじゃあ、結婚前までは幸せだったってことか?)
もう、本心を認めなければならなくなった。ーーミラのことを愛しているのだと。
愛しているから、幸せだった。そして上手くいかないことに苛立ちを覚え、深い憎しみと怒りに支配されてしまうのだろう。
そのとき、エドモンは妻を愛し続ける限り、自分は愛情と憤懣を抱き続けているのだと悟った。
101
お気に入りに追加
1,562
あなたにおすすめの小説
(完)なにも死ぬことないでしょう?
青空一夏
恋愛
ジュリエットはイリスィオス・ケビン公爵に一目惚れされて子爵家から嫁いできた美しい娘。イリスィオスは初めこそ優しかったものの、二人の愛人を離れに住まわせるようになった。
悩むジュリエットは悲しみのあまり湖に身を投げて死のうとしたが死にきれず昏睡状態になる。前世を昏睡状態で思い出したジュリエットは自分が日本という国で生きていたことを思い出す。還暦手前まで生きた記憶が不意に蘇ったのだ。
若い頃はいろいろな趣味を持ち、男性からもモテた彼女の名は真理。結婚もし子供も産み、いろいろな経験もしてきた真理は知っている。
『亭主、元気で留守がいい』ということを。
だったらこの状況って超ラッキーだわ♪ イケてるおばさん真理(外見は20代前半のジュリエット)がくりひろげるはちゃめちゃコメディー。
ゆるふわ設定ご都合主義。気分転換にどうぞ。初めはシリアス?ですが、途中からコメディーになります。中世ヨーロッパ風ですが和のテイストも混じり合う異世界。
昭和の懐かしい世界が広がります。懐かしい言葉あり。解説付き。
いっそあなたに憎まれたい
石河 翠
恋愛
主人公が愛した男には、すでに身分違いの平民の恋人がいた。
貴族の娘であり、正妻であるはずの彼女は、誰も来ない離れの窓から幸せそうな彼らを覗き見ることしかできない。
愛されることもなく、夫婦の営みすらない白い結婚。
三年が過ぎ、義両親からは石女(うまずめ)の烙印を押され、とうとう離縁されることになる。
そして彼女は結婚生活最後の日に、ひとりの神父と過ごすことを選ぶ。
誰にも言えなかった胸の内を、ひっそりと「彼」に明かすために。
これは婚約破棄もできず、悪役令嬢にもドアマットヒロインにもなれなかった、ひとりの愚かな女のお話。
この作品は小説家になろうにも投稿しております。
扉絵は、汐の音様に描いていただきました。ありがとうございます。
【本編完結】独りよがりの初恋でした
須木 水夏
恋愛
好きだった人。ずっと好きだった人。その人のそばに居たくて、そばに居るために頑張ってた。
それが全く意味の無いことだなんて、知らなかったから。
アンティーヌは図書館の本棚の影で聞いてしまう。大好きな人が他の人に囁く愛の言葉を。
#ほろ苦い初恋
#それぞれにハッピーエンド
特にざまぁなどはありません。
小さく淡い恋の、始まりと終わりを描きました。完結いたします。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
「あなたの好きなひとを盗るつもりなんてなかった。どうか許して」と親友に謝られたけど、その男性は私の好きなひとではありません。まあいっか。
石河 翠
恋愛
真面目が取り柄のハリエットには、同い年の従姉妹エミリーがいる。母親同士の仲が悪く、二人は何かにつけ比較されてきた。
ある日招待されたお茶会にて、ハリエットは突然エミリーから謝られる。なんとエミリーは、ハリエットの好きなひとを盗ってしまったのだという。エミリーの母親は、ハリエットを出し抜けてご機嫌の様子。
ところが、紹介された男性はハリエットの好きなひととは全くの別人。しかもエミリーは勘違いしているわけではないらしい。そこでハリエットは伯母の誤解を解かないまま、エミリーの結婚式への出席を希望し……。
母親の束縛から逃れて初恋を叶えるしたたかなヒロインと恋人を溺愛する腹黒ヒーローの恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:23852097)をお借りしております。
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。
今日は私の結婚式
豆狸
恋愛
ベッドの上には、幼いころからの婚約者だったレーナと同じ色の髪をした女性の腐り爛れた死体があった。
彼女が着ているドレスも、二日前僕とレーナの父が結婚を拒むレーナを屋根裏部屋へ放り込んだときに着ていたものと同じである。
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる