八百万町妖奇譚【完結】

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さて、そこから幾日かが過ぎる間。
 旺仁郎の手紙を受けて、玄田の次男宗鷹にはやらねばなぬことがあった。
 それは宗鷹自身のこれまでの意識の中に常に重く付き纏っていた兄との対峙である。
 宗鷹は千隼に協力を仰いだ。今まで持て余してただ従うだけだった兄に対して、「力を貸して欲しい」と申し出たのである。
 これは宗鷹にとってある種の策略でもあったが、想像以上に千隼には効果があったようだ。
 最初こそ嫌味をいくつか投げつけてきたものの、宗鷹に頼りにされた千隼の様子はまんざらでもないようだった。

「八百万町を妖と共存できる町にする」

 これが宗鷹が千隼に告げた願いである。
 千隼だけでなく、宇井家、瀧川家への蓮や大成からの説得と、あの日町を救うため多くの妖を食った旺仁郎の噂が届いていたこともあり、八百万町は妖との共存に前向きな姿勢を見せ始めていた。



 蓮が旺仁郎から文を受け取るのは、三度目である。
一度目は彼の祖母がだいぶ昔に書いた手紙であるが、二度目は本人が文字を綴った詫び状であった。
 そして三度目の手紙をもう一度読み返して、御三家の館のリビングでソファに座る蓮の口元はニヤニヤと笑みを浮かべている。
 それはコマが預かってきたのとは別に、突然とある商店の店先に置かれた、蓮個人に当てたものである。コマによると、後発の調達係が置いて行ったのではないかということらしい。

 八百万町は寒い寒い冬を越え、桜綻ぶ春を迎えた。三寒四温のこの頃であるが、蓮の胸の内は手紙を受け取ってから熱く色めきだっていた。

「メンチ、お手!ちがうって、お手はこっちの手だ。じゃあ、お座り!ってこら!どこいくんだ!全然いうこと聞かねぇな!」

リビングの窓の前でかがみ込み、メンチと戯れるのは大成である。蓮はソファに腰掛けその光景を眺めながら、その時が来るのを待っていた。
 今日この日が、手始めに引受人の異能者を決めた、いく人かの妖を呼び寄せようという日なのである。

 神御前の館の前、周囲に膨らみ始めた桜のなかに、蓮、宗鷹、大成は立っていた。
 他に見守り役のいく人かの異能者と、そしてあの日からこちらで過ごしていたコマが大成の背中にべったりまとわりついている。
 旺仁郎の手紙にもあったが、中の妖にとって「人が名を呼ぶ」という行為が、重要な意味を成すようだ。 
 あの日、この八百万町で一番最初にコマの名前を呼んだ大成は、図らずしもコマと契約する形になった。
 コマは人から気をもらうには、まぐわうしかないと思い込んでいたようであるが、そうではないと大成は折った鶴をコマに与えながら教えてやった。

「宗くん、旺仁郎の引受人の件ほんとに良かったの?」

 コマに待てと言いつけて、大成は宗鷹に歩み寄り小さく耳打ち、問いかけた。宗鷹はほとんど悟ったような笑みを浮かべて頷いた。

「本当はもうわかってたんだ。わかってて、旺仁郎に一人にならないには、俺といるべきだと言ってしまった」

 宗鷹の声が聞こえたのか、蓮が静かに振り返る。

「でももうその心配はなくなった。八百万町は人と妖が暮らす街になる。旺仁郎も、俺も、一人きりになることはない。旺仁郎はお前のことを一番に思っているよ、蓮。俺はあの子に一番に思っている相手と共に過ごして欲しい」

 その言葉に、蓮は少し気まずそうに、それでも穏やかに笑顔を作って頷いた。
 大成もため息混じりに笑顔を作り、生真面目で誠実な宗鷹の肩に手を置いた。

相変わらず、大きく堅牢でその開閉を固く拒むようなその扉。広く伸びた館の壁は、木々に阻まれその先が見えず、まるで果てが無いかのようだ。
 足元の砂を踏んで宗鷹が一歩を進めると、柔らかく少しだけ温かい風が、そこにいる者の髪を揺らした。
 宗鷹は蓮と大成に軽く目配せをすると、その手を硬く閉ざした門扉に添えた。ギイと重苦しい音を立てて扉が開く、その隙間から風が抜けるが、鐘楼の鐘は鳴らなかった。
 いよいよ、大きく扉を開き、その先に続く暗い暗い闇の中に向け、各々その名を呼ぶのである。
 そして、愛しく健気な妖が、暗い扉の深潭から蓮の胸へと飛び込んだ。

「おかえり、旺仁郎」

 蓮がその腕を回し胸元へそう声をかけると、旺仁郎は顔を上げその瞳を細めてにこりと笑んだ。
 声はまだ聞けないが、その表情だけで蓮の胸は満たされ、それ以上に込み上げる感情ではち切れそうである。

「ニンゲンちゃま! あなたが、あたちのニンゲンちゃまなのね!」
「あぁ! こらっ! エマ!俺 の方が先なんだから、あんまりベタベタ触るなよ!」

 大成に名を呼ばれ、飛びついたエマの体をコマが嫉妬に満ちた表情で引き離そうとしている。

「きゃあ! コマちゃま! ずるいわ! ここは公平に半分こにしましょう! それがいいわ!」
「おいおい、半分こにはしないでくれっ!」

 エマとコマの二人の妖を引き受けることになった大成は、すでに騒がしく戯れ合う二人に困り顔である。

「こらっ! 二人とも! 失礼だろ! 最初くらい大人しくしなさいっ!……コマッ! エマをいじめるんじゃないっ! おすわりっ!」
「キャンッ!」

 扉の外に出ていても、ヤマの親代わりの役目はまだ続きそうだ。

「すみません。人に名を呼んでもらって、みんなはしゃいでいるのです。時に、私の名を呼んだあなたは……もしやあの時の鷹のお方なのですか?」

 宗鷹を見上げながら、ヤマは期待に満ちた表情で口元に手を当てている。その瞳はまるで、憧れの名優にでも向けるようである。

「ああ、そうだ。お前はあの時の雉だな? 先だっては世話になった。雉があんなに飛ぶ者だとは知らなかったよ」

 宗鷹の言葉に、ヤマの顔は明るく輝き綻んだ。

「いえいえ、実はあなた様の、その…羽の方を…ちょっとばかし、頂きまして…、なんというか、とっても美味しゅうございました…」
「ヤマちゃまったら、もじもじちてどうちたのかちら?」
「喋り方もなんか変だな」

 大成はコマとエマの会話を耳に入れつつ、宗鷹の傍に立つ繊細で端正な顔立ちをした美しい雉の青年の姿に、宗鷹が報われる日も意外と近いかもしれないと人知れず思ったのであった。

「そうだ、旺仁郎。手紙に書いてあったもの、用意しておいたよ」

 周囲の様子に気を取られていた旺仁郎であったが、蓮の言葉にふたたび顔を上げ、その優しい表情にむかって頷き笑んだ。


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