八百万町妖奇譚【完結】

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天界に咲く華

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 大成の頭が石段から見えなくなった。自分ものんびりしてられないと、旺仁郎は辺りを見渡す。しかし右の華、左の華、拝殿の脇とそして裏手。あ辺りをうろうろ見て回ったが、見当たらないのだ、メンチが。
 誰もいないし、呼びかけてみようかとも思ったが、そもそもメンチは自分の名がメンチだと認識しているのかがかなり怪しい。普段旺仁郎がその名を呼ぶことがないからである。
 空の袋を腹にかかえ、旺仁郎はどうしたものかと困り果てていた。
 脇の藪の中は傾斜になって足場が悪い。妖狐ならばそこをするすると降りることができるかもしれないが、旺仁郎にはやや難しそうだ。
 とりあえず登ってきた石段をゆっくり下りつつ、左右の藪の中に目を凝らした。
 途中石段の上から八百万町を見下ろしてみる。ゆっくりと日の落ちる気配があった。
 先ほど、大成とみた景色とは空気がまるで違っている。殺伐として、そこかしこに異能者たちの殺気が溢れているようだ。
 美しい鷹はずっと向こうのほうを飛んでいるので、この近くにはとりあえず妖はいないと言うことだろう。そう旺仁郎が思った時であった。足元、石段の下で数人の足音が鳴る。土を踏み締め、時折枯葉や枝を踏み締める音は、どうやら走っているように聞こえる。
 旺仁郎は咄嗟に身をかがめ、藪の中に姿を隠した。
斜面であるが、手をつけば転がり落ちるほどではない。

「どっち行った?!」
「あっちだ! この林の中下って行った!」
「じゃあ、俺はあっちの道から先回りする」

 声のする方へと旺仁郎はゆっくりと近づいた。まだ年若い男が三人、石段を降りたあたりの道で、向こうの藪の中の様子を覗き込んでいる。

「いた! あそこ! タヌキ!」
「くっそ、素早いなっ!」

 そう言いながら、草木を掻き分け、藪の中へと入っていく。

タヌキ……

 旺仁郎の鳩尾のあたりが大きく脈打ち、背中がヒヤリと冷たくなった。

--まずい。彼らより先に、タヌキ…じゃない、メンチを保護しなければ……!

 旺仁郎は藪の中で立ち上がった。
 三人の異能者と思しき男たちはすでにメンチを追って道の向こう側の藪の中に進んでいる。
 鐘楼の鐘が鳴ったのだ。旺仁郎のように人型であれば殺気がない限り異能者にも気づかれにくいが、メンチは妖狐で気付かれやすい。捕まれば、きっと殺されてしまう。
 三人の後から少し離れて藪に入る。向こうはメンチの姿を追うのに夢中なようで、旺仁郎には全く気がついていないようだった。
 木の影に身を寄せ目を凝らす。
 異能者三人も未だ草を掻き分け探している様子だが、旺仁郎からもメンチの姿が確認できない。
 胸が脈打ち耳まで鼓動が届き、緊張で息が荒くなった。旺仁郎の視線は木の影から藪の中あちこちを行き来し、愛しくぼわぼわのメンチの毛並みをひたすらに探している。

「あ、いたっ!」

 その声に旺仁郎はぐるりと首を向けた。
 彼らの視線の先で草が揺れ、その隙間を物を投げるほどの速さで黄褐色の妖狐が通り過ぎた。
 素早かったがメンチだ、と旺仁郎は確信した。それと同時に、異能の三人のうち一人が何かを薮に目掛けて放とうと構えている。やたら白々と光ってそれが何であるかはわからないが、旺仁郎は考えるよりも先に藪から飛び出し、メンチが通ったあたりへ駆け出した。

「えっ⁈」
「うわっ!」

 三人の脇をすり抜けたタイミングで、運悪く、一人が手元で構えていた何かを放ったようだ。それが旺仁郎の脇腹あたりを掠めて地面に突き刺さる。
 旺仁郎は足元がぐらりとふらついたが、とにかく止まるべきではないと、メンチのいる藪の中にほとんど倒れ込むように飛び込んだ。手をついて、顔を上げると、メンチが身を低くして尻尾をぶわりと膨らませ、こちらに向かって殺気を放っている。しかし、すぐに飛び込んできたのが旺仁郎だと気がついたようだ。

「え? なに? 今のって人間?」
「やべぇ! 当てちゃったよ!」
「大丈夫ですかっ⁈」

 藪に消えた旺仁郎の様子を伺う声が背後で聞こえる。慌てて体を起こし腹の袋を広げると、メンチがそちらに飛び込んだ。
 旺仁郎はそれをぎゅうと抱えて立ち上がり、身を低くしながら三人から距離を取るべく藪を進む。

「あ、ちょっと! まって!」
「えっ、絶対当たったんだけど。大丈夫か、あの人?」

 掛けられる言葉全て無視して、旺仁郎は進んだ。足元では進むたびに踏み締めて折れて飛んだ枝木が音を立ている。一度も振り返らなかった。しばらく無作為に進んでいくと、背後の足音や話し声がなくなった。町に出ずに、傾斜を登り、気がついたらまた先ほどの曼珠沙華咲く拝殿に辿り着いていた。
 たぶんあの三人はそれほど強い気のない妖狐を無理に追っては来ないように思われたが、それでもまだ探しているかもしれない。とりあえず、ほとぼりが覚めるまでこの影に身を潜めていよう。そう思って拝殿の階段の脇に身を隠すように腰を下ろした。
 息を整え、抱えていた袋の口を開くとメンチがゆっくり鼻だけ出した。覗き込むとその奥に見える瞳が不安気に旺仁郎を見上げている。
 旺仁郎は宥めるつもりで、袋の上からお尻の辺りを軽くなでてやった。
 夕日に染まった空から日が落ち、徐々にあたりが暗くなり始めている。
 旺仁郎は、メンチをかかえたまま、先ほど何か掠めた自分の脇腹あたりに目を落とした。服が破れ、血が滲んでいる。捲り上げると、思ったよりも肉が裂け、濃い色の血が流れてきた。不思議なもので傷口を見た途端、痛みが増した。
 旺仁郎は服の上からハンカチを当てがい傷口を押さえた。死ぬような致命的な傷には思えなかったが、当然痛い。
 頭をメンチの袋にのせるようにして、体を丸めて耐えた。日が落ちるとこの場所はぐっと冷えるが、抱えたメンチが妖のくせにとても温かい。
 なんて愛おしいんだ、殺されなくてよかったと、旺仁郎は痛みで昂ったせいで目元から溢れた涙を袖で拭った。
 そしてふと顔を上げると、辺りにうっすらと霧が立ち込めている。足元のあたりが濃く、曼珠沙華が埋もれるようにかろうじて顔を出していた。体が濡れてしまいそうだな、と旺仁郎はぼんやり思った。
 どうやら、傷が痛むと腹が減るらしい。たぶん回復しようと体が栄養を欲するのだ。抱えたメンチは旺仁郎の非常食であるが、旺仁郎自身、もうその非常食を未来永劫口にするつもりはない。
 まあ、痛いが耐えられないことはない。大丈夫、大丈夫。言い聞かせながら何か気を紛らわせるものはないかと、旺仁郎は霞の中の曼珠沙華を見渡した。
 すると突然視界の中、その花畑の中心あたりに人影が映る。旺仁郎の心臓が跳ね上がって、体が揺れる。先ほどの三人かと思ったのだが、どうやら人影は一つである。
 その影は歩み寄ってくるわけでもないのに、徐々に明確になり、その部分だけ霧が晴れていくようだ。
そして、その姿が露わになったその時に、旺仁郎は息を飲んだ。
 目を見開き、口が半分開いてしまう。その姿に驚いたのだ。無意識に立ちあがろうと腰が浮き、片方の足だけ膝立ちになる。

「旺仁郎」

 自分の名を読んだのは誠一郎だった。
 長きにわたって兄として接してくれた彼が、こちらに向かって笑んでいる。
 懐かしい。気に入ってよく着ていた濃紺のシャツを着ている。誠一郎は青が好きで、持ち物も服もそれに近い色のものが多かった。
 ある時から旺仁郎より体が大きくなり、それ以降はよくお下がりと行って、自分の着れなくなった青い服をくれた。旺仁郎は誠一郎が生まれたその頃から彼と共に過ごしていながら、弟という立ち位置で彼に甘えるのがとても心地よかった。
 瞬きすらもできない旺仁郎の瞳から、涙がこぼれ落ちている。一瞬でも目を閉じたら、目の前から消えてしまうかもしれない。
 立ち上がり彼に手を伸ばす。その手を握るまでには、数歩歩み寄らなければならない。曼珠沙華の咲く場所を、旺仁郎は一歩足を進めた。
 誠一郎はもう一度、旺仁郎の名を呼んだ。
 こちらに来いと、言っているのだと旺仁郎は思った。ついに彼の元まで歩み寄ると、誠一郎が懐かしむかのような旺仁郎の涙が伝う頬を両手で包む。

「旺仁郎…おまえ…」

 誠一郎の声だ。旺仁郎は鼻を啜った。
 会いたかった。灯籠を流したから、曼珠沙華が咲いているから、だから会いに来てくれたのかと、言葉に出して問いたい。しかし、それも叶わず旺仁郎はただただ誠一郎の手を握り返した。
 誠一郎はゆっくりと旺仁郎に顔を近づけ、そして耳元で静かな声でいった。

「おまえ、美味しそうだな」

 直後に、肩に強い痛みが走る。
 その感覚は旺仁郎の記憶にあった。この町に初めてきたあの日、少女の姿の妖に噛まれた時だ。

「そんな、なんで……⁈」

 旺仁郎は声を上げた。誠一郎が、妖に堕ちてしまったのかと、混乱する頭でそう思ったのだ。
 声を聞いた妖は、旺仁郎の肩からぐいと顔を持ち上げた。口元に血が滴り、目が恐ろしく血走っている。  
 しかし、それは誠一郎の姿なのである。

「ああ、怪我しているの? 旺仁郎?」

 これは、誠一郎ではない。なにか記憶から幻覚を見せられているに違いない。必死にそう思うのだが、姿も声も旺仁郎の記憶の中の誠一郎そのものだ。

「かわいそうに、旺仁郎」

 妖は少しだけ、腹の傷のあたりに視線をやった。肩の傷を自ら噛んでつけたというのに、腹の傷を気にするなんておかしな話だ。

「旺仁郎、食べる?」
「…えっ?」

 その目が旺仁郎の動揺した瞳を捉えている。

「食べていいよ」

 そう言葉にしながら、妖は頬に触れていた右手を離し、手の甲を旺仁郎の口元に当てがった。ぐいと口に押し込むように強く力を入れている。

「い、いらない!」

 旺仁郎は顎を引いて、妖の肩を押すが、反対に肩の袖を掴まれ、そのまま地面に押し倒されてしまった。

「食べて、旺仁郎。食べてよ」

 押さえ込むように旺仁郎の上に跨った妖は、誠一郎の笑顔を浮かべたまま、旺仁郎の口元に自らの手を当てがってくる。
 イヤだ。そう思うのに、腹がぎゅうと締め付けられ、傷は痛み、唾液がだらしなく口の端からこぼれ落ちる。
 ぐいと口に押し込まれ、旺仁郎はもう我慢ができなかった。
 あの少女の妖の時と同じだ。理性が途絶えたとたん、誠一郎の姿が旺仁郎の中に落ちていった。目前には何も残らない。しかし、満たされた腹と消えた痛みで旺仁郎は何が起こったのかをはっきりと理解している。
 尻をついていた体を返し、地面に手をつき這いつくばった。無理やり口を開き、指を入れ吐き出そうとするが聞き苦しい嘔吐きと唾液しかでてこない。
 袋から這い出したメンチが心配そうに、旺仁郎に寄り添っている。
 体が震え、涙が止まらない旺仁郎は、その黄褐色の獣を抱き寄せ、ただただすがるようにその毛並みに顔を擦り付けた。
 わかっている。あれは誠一郎ではない。そんなことはわかっている。
 しかし、目の前にいた誠一郎の姿が自分の中に消えていったのだ。どんなに言い聞かせようとも、旺仁郎はその様が怖くて仕方ない。
 誠一郎が怖いのではない。自分が怖いのだ。

「旺仁郎!」

 絶望の淵から引き戻すかのような声に旺仁郎は顔を上げた。肩に手を添え、大成が旺仁郎を覗き込むように、地面に膝をついていた。

「すげぇ血でてる! どこ怪我したんだ、見せてみろ!」

 大成は旺仁郎の襟首を引っ張り肩のあたりを覗き、裾を捲って脇腹を確認した。
 その後で、旺仁郎の再び旺仁郎に顔を向ける。旺仁郎は涙でしゃぐしゃの顔で大成に、首を振った。

「怪我はしてないのか⁈」

 その時に、首を縦に大きく二度振って答えた。それを受けて大成は、気が抜けたかのように息を吐いて、へたりと地面に尻をついた。

「焦ったー。館戻ったらまだ帰ってなかったから、妖に食われたのかと思った」

 旺仁郎は縋るように大成の腕に手を伸ばし、その衣服を握りしめた。血で汚れてしまったが、大成は気にしない様子で、子供でもあやすみたいに旺仁郎の頭に手を乗せる。

「俺がちゃんと送ってやればよかったな」

 大成の言葉に旺仁郎はまた大きく二度頭を振った。

「帰るか、腹減った」

 立ち上がった大成を見上げ、旺仁郎はこくりと頷く。片膝を立てて立ちあがろうと力を入れるが、腰がむず痒く震えてぐにゃりと崩れ落ちてしまった。腰が抜けたというやつかもしれない。

「なんだ、立てねぇの?」

 大成は眉を下げ、息を吐いた。呆れられたと思ったが、口元は笑っている。

「しゃぁねー、おんぶしてやるよ」

 大成の言葉に旺仁郎は首を振ったが、「めんどくさいから、さっさと掴まれ」と背中を出され、おずおずとその肩にしがみついた。
 石段を降り町にでて館に続く暗い道を、旺仁郎を背負った大成が、ややのんびりと歩いていく。メンチは先ほどよほど怖い思いをしたのか、大成の足に纏わりついて離れぬように必死な様子だ。
 殺伐としていた八百万町は事を終えたと言わんばかりに、静かにゆっくりとその呼吸を落ち着けていくようであった。
 異能者たちが各々に刃を収め、家族や友の待つ家に帰っていく。
 あちこちの家から夕食の香りが漂った。出汁の香りやソースの香り、この家はカレーか。
 大成の腹がぐうと鳴った音がする。

「旺仁郎、帰ったらさっさと手洗って、一緒にカレー作ろうぜ。ゆで卵と、あとチーズも乗せたい」

 旺仁郎は、大成の背中でうんと大袈裟に頷いた。
 首の方までぐるりと腕を回して、しがみつき、熱くなった目元をその肩口に押し付ける。
 大成は後には何も言わないまま、館に帰るその歩調を、ほんの少しだけ速めたのであった。






八百万町妖奇譚
ー天界に咲く華ー
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