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狐が狸か
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授業を終え狐を懐に抱えたまま、旺仁郎は帰路についた。いくつかの商店に立ち寄り、食材を買い足す。キャベツを抱え、じゃがいも、合い挽き肉、その他もろもろ。黄褐色の狐を見たら、頭に浮かんだのだ。メンチカツ。
春キャベツは胡麻和えにしてもいいが、さっぱりとレモンマリネにしようと決めた。塩揉みで水気を搾り、ササミと一緒にレモンで和えて黒胡椒を振りかけ、彩でトマトも添える。
油を温め、パン粉をつけたメンチカツをゆっくりとそこに落とし込んだ。じゅわりと細かく油が弾ける音が心地いい。
制服から部屋着に着替えていたが、狐は前開きのパーカーの懐に相変わらず大事にしまったままだった。一つ目のメンチが揚がったところで、ファスナーを少し下げた胸元から訴えかけるように顔を覗かせたので、ふうふう冷まして近づけてみたら、パクりと一つを丸呑みにした。そして満足気にキャンと小さく鳴いた後、またしゅるりと衣服の中に顔を埋めた。
味噌汁は鰹節と昆布でしっかり出汁を取ったが、具材は豆腐と長ネギのシンプルな物だ。副菜に下処理をした蕗は唐辛子とごま油で甘辛く煮込んだ。後は菜の花をお浸しに。
じゃがいもは荒目に潰して痛めた微塵切りの玉ねぎを和えた。肉は加えずそれだけで整形し、粉と卵とパン粉を付けてこちらも油に落とし込む。
まだ全員分を揚げ終わる前に、音と香りを嗅ぎつけたのか、大成が待ちきれないというようにひょっこり姿を現した。
背後から手を伸ばし、油ぎりで並べていたコロッケを一つ取り上げると「いただきっ!」と、屈託なく笑んで齧り付く。思った以上にサクリと軽快な音が鳴り、耳心地が良い。
「んー、うめぇ!」
そう言って二口目で全てを口に運んで行った。
じゃがいもにあえた玉ねぎは醤油や酒や砂糖で下味をつけていた。濃い味付けと揚げ物は、若い大成には好ましかったようだ。
「ところでお前、まだそれ懐に入れてるのか? 何入れてるか見せてくれよ」
昼間に旺仁郎が嫌がったせいで、大成は余計に中身が気になってしまったようだ。また旺仁郎の襟元を掴みぐいと体を引き寄せる。中を覗こうとしたところで室の入り口から声がした。
「こら、大成。揚げ物してる側で危ないだろ」
また足音を立てずに現れたのは蓮だった。
大成は蓮に嗜められると素直に旺仁郎から手を離した。
旺仁郎はすでに揚がった分を皿に盛り付け、蓮と大成の前にだす。炊けたばかりのご飯と、味噌汁も並べた。最後の一つを揚げ終わったあたりでちょうど宗鷹も現れたので同じように膳を並べる。
あとは食後にお茶を出すために、湯を沸かした。
彼らは共に食事を摂るが、いただきますもご馳走様も、タイミングは微妙に違う。待つなどの行為はあまりしないようで、ここに食事が出来上がったからたまたま一緒に食べている。そんな様子である。
「ところで今日の実技の授業でな」
今まで会話があったわけでもないのに、何が「ところで」なのかはわからないが、宗鷹が口を開いた。
自分に話しかけているわけではないだろうと、旺仁郎は背を向けてキッチンに向い、使った道具を洗っていた。
「捕縛実技用に保管していた妖が一匹逃げ出して、見つからないんだ」
その言葉に、旺仁郎は手を止める。止めたが、また何事もない、何も聞こえないというように皿に洗剤をなでつけた。
「人を食うほどの力もないやつだから、危険というほどでもないんだが」
懐を見下ろすと服の隙間でこちらを見上げる狐と目が合う。旺仁郎は肩を丸めた。
「どこに行ったんだろうな?」
宗鷹の言葉に、振り返らないままの旺仁郎だったが、背中に三人の視線を感じる。大成もすぐに気づいたのだ、宗鷹や蓮が気づいていないわけがない。
背中が、ピリッと痛む気がした。
胸元で空気を読まない非常食がキャンと小さく声を上げる。旺仁郎は手についた洗剤を洗い流し、ゆっくりした仕草で首元までファスナーを上げた。ちょっとトイレへと、そんな素振りで部屋を出ようとしたのだが、当然宗鷹に呼び止められてしまう。懐を改めよと少し強い口調で言われ、旺仁郎はゆっくりとファスナーを下げた。その隙間から、ぽろりと狐が顔を覗かせる。
「たぬき?」
「いや、狐だろ…ん?やっぱり狸か?」
「いなくなったのは狐だ」
蓮、大成、宗鷹の会話が行き交う。
そこに座れ、と宗鷹に膳の並ばない一席を示され、旺仁郎は四角形に食卓を囲む位置に腰を下ろした。
「それはなんだ」
『狸です』
正面に座る宗鷹の質問に、メモに書いたそれを渡す。
「いや、狐だろ。色的に」
大成が隣から旺仁郎の懐を覗き込んだ。
「どうしたんだ」
『拾いました』
「どこで」
旺仁郎は道でと欺こうと思ったが、教室で大成に気づかれていたことを思い出した。正直に学校だと伝えるしかない。
宗鷹はそいつを寄越せと旺仁郎に言った。何故異能でもない(と宗鷹は思っている)旺仁郎に弱い妖が見えたかについて触れないのは、たまに仏眼を持ち合わせて、観る力だけが強いという人間もいるからだ。
「俺が理由を話して、学校に戻しておく」
備品だと知らなかったと言えばそんなに咎められないだろうと宗鷹は付け足した。
「捕縛の授業ってさ、俺まだ受けてないけど、そいつどうなるの?」
言葉だけ出した後、大成はメンチカツを齧りキャベツを口いっぱいに頬張った。
「言葉にすると少し胸糞な表現になるぞ。まあ、コイツは妖だからな。つまり、そうなる」
宗鷹はやたらと言葉を濁すが、おそらく備品である妖は役目を終えれば処分されるとそういうことなのであろう。
旺仁郎は名残惜し気に、服の上から懐の中の非常食の尻のあたりをくるくると撫でてみた。ボワボワとした尾っぽの感触が布越しでも伝わってくるようだ。
「宗鷹、君は勘違いをしてる」
唐突に蓮が言った。宗鷹の方は見ないまま、蕗の煮物を小さく口に含んでいる。そしてそれを飲み込んでから言葉を続けた。
「それは、狸だろう?狐じゃない」
それを聞いた宗鷹の喉が鳴った気がする。
「いなくなったのは狐でしょ? これは、ひ弱な狸の妖だ」
「いや、罷り通ると思うのか?無理あるぞ」
宗鷹は珍しく困り顔である。
旺仁郎はまだ三人の関係性を図り兼ねていた。リーダー格と思われていた宗鷹は存外、普段物静かな蓮の発言をなんとなく無下にできないのかもしれない。
「大丈夫、俺が保証する。それは狸だし、何も問題ない。害のない、いたいけな妖だ」
「妖にいたいけもクソもあるのかよ、おかわり」
大成はまだ口にご飯を頬張ったまま、茶碗を旺仁郎に差し出した。旺仁郎は頷き受け取ると、静かに席を立って米をよそった。
「蓮、どうしたんだ。あまりお前らしくない振る舞いだが」
「別に。なんかちょっと可愛いと思ったから。それだけだよ」
いいタイミングで非常食がまたキャンと健気に鳴いて見せた。少しの間、押し問答が続いたが結局折れたのは宗鷹だった。
大成はまるで宗鷹が蓮に言い負けると予想していたかのようだ。徐に手元に和紙を取り出して、もぐもぐと口を動かしたまま何かを折っている。
そして無遠慮に旺仁郎の懐に手を突っ込むと狐の首にそれを巻きつけた。鈴の形に折られたそれに、赤い組紐が施されている。
「それ、つけておいた方がいい。付けとけば多分大丈夫」
この首飾りに何の意味があるのか、旺仁郎にはわからなかったが他の二人はわかっているようだった。とりあえず狐に不快な様子は見当たらないので、旺仁郎はそれを受け入れることにした。
◇
「旺仁郎、それ、どうするつもりなの? 飼うの?」
食事を終え、宗鷹と大成は部屋に下がったが、蓮だけが席についたまま、片付けをする旺仁郎を観察しながらお茶を啜っていた。
台拭きでテーブルを拭いているところで、まだ旺仁郎の懐にいる狐を覗き込んでそう聞いた。旺仁郎は顔を上げ、メモを取り出し短く書いた。
『非常食』
それをみて、蓮は「ああ」と顔を上げる。
「お腹、空いちゃったの?」
その問いに旺仁郎は頷くかどうか迷ったが、結局首を横に振り『まだ、我慢できる』と書き伝えた。
少し残しておいた夕食を啄めば、また多少は持つであろう。そのためにも、旺仁郎は蓮に早くこの場を去って欲しかったのだが、彼はすっかりその場に落ち着いているようだ。
「旺仁郎は食べないの? メンチカツもコロッケも美味しかったよ」
そう言って、何かをずっと待っているのだ。仕方なく、旺仁郎は茶椀に一口ほどのご飯に小さく作ったコロッケを乗せた。そして箸を握り蓮の前に座る。
「それだけなの?お腹空かないの?」
未だかつて家族以外にこんなにも興味を示されたことがない旺仁郎は、このことについて簡潔な説明も言い訳も用意してはいなかった。
幼い頃から祖母に躾けられたせいで、腹が減っていても多くの食事を取れない。さらには妖を食べてからは何故か尚更この「人」の食事が気休めでしか無いような気がしている。そして何より口を大きく開けたら、また目の前の蓮を食べたくなってしまいそうだった。
旺仁郎はいつものように、小さく開いた口の隙間から、細々と箸に乗せたそれを押し込んでいた。蓮はじっとその様子を見ている。
「旺仁郎、顔赤い」
言われてたまらず、箸を置きメモとペンを手に取った。
『あまり、見ないで』
メモをみた蓮はくすりと笑う。
「なんで?」
『家族以外に、食事を見られたことがない』
「ほぉ、ふぅん。恥ずかしいの?」
これは恥ずかしいという感情なのかと旺仁郎は考えた。しかしよくわからないので、残りの米を口の中に押し込んで食事を終える。
「ねえ、旺仁郎絶対それじゃ足りないでしょ?」
蓮の言葉に旺仁郎は首を振り、空いた器を持ち上げて流しへ運んだ。
「また、食べていいよ? 俺のこと」
手元でつるりと茶碗が滑り、流しの中に音を立てて転がった。幸い割れてはいないようだが、旺仁郎は動揺したその表情で蓮を振り返る。
すると予想より近くに蓮の姿があった。足音も立てずに近寄ったのか、振り返った時に視線が目の前にぶつかる位置だ。距離を取ろうと後ずさるが、そのまま蓮に追い詰められる。旺仁郎を抱き込むように両脇の流しの縁に手をついて、蓮は彼を見下ろしていた。
「ほぉら、お食べよ。旺仁郎」
少し揶揄うように言うと、蓮は人差し指の第二関節のあたりを旺仁郎の口元に当てがった。旺仁郎の唇が小さく開き、歯を立てぬまま蓮のその指を咥えてしまう。
旺仁郎はそこでダメだと踏みとどまる。今があの時のように完全に空腹で飢えていたとしたら、そんな理性はとっくに吹き飛んでいただろう。
しかし、一度知ってしまったその甘美な味を口元にあてがわれれば、どうしたって唾液が込み上げ口の端から溢れてしまう。
「やめてって言わないの? それともまた蓮さん美味しいって言うのかな? ねえ、旺仁郎。どう? 美味し?」
蓮は絶妙にもどかしく自らの気を操りながら、旺仁郎の反応を楽しんでいるようでもあった。
旺仁郎はもう少し力強く強引に蓮を求めて、あるいはまた声で惑わせて仕舞えば、自分のこの腹が満たされるとわかっている。
しかし2度も人の気を奪えば、もう歯止めが効かなくなるのではと、怖かった。妖だけでなく人の気を喰らい、果ては地肉も喰らうのかと想像する。もうそれは、人の形の化け物なのだ。
旺仁郎と蓮の胸元で、狐がもそりと動いた。
「ごめん、旺仁郎。いじめ過ぎた。泣かないで」
蓮はその指をゆっくりと旺仁郎の口元から離した。自らの袖をひっぱると、そこで旺仁郎の目元を拭う。
「でも、狸……じゃなくて、狐か。それを食べるくらいなら、俺のこと食べたら? ちょっとくらいなら食べても大丈夫だよ?」
旺仁郎は首を振った。
懐を覗き込み、目が合った非常食のお尻のあたりをまた服の上から撫でてみる。
「名前つけた?……その……非常食に」
蓮に問われ、旺仁郎はテーブルに置いたままだったメモとペンに手を伸ばした。
そこで、さっき決めたそれを綴る。
「メンチ? まあ、コロッケよりメンチの方が名前っぽいか。うん、非常食にぴったりな美味しそうな名前だね」
蓮はメモを手に取り、顎に手を当てて頷いている。
自分の名前を認識したのかわからないが、メンチはキャンと一回鳴いた。
また懐を覗き込むとこちらを見上げた狐らしからぬ丸い顔は、もしや狐界一可愛いのではと、旺仁郎は思ったのだった。
八百万町妖奇譚
ー狐か狸かー
春キャベツは胡麻和えにしてもいいが、さっぱりとレモンマリネにしようと決めた。塩揉みで水気を搾り、ササミと一緒にレモンで和えて黒胡椒を振りかけ、彩でトマトも添える。
油を温め、パン粉をつけたメンチカツをゆっくりとそこに落とし込んだ。じゅわりと細かく油が弾ける音が心地いい。
制服から部屋着に着替えていたが、狐は前開きのパーカーの懐に相変わらず大事にしまったままだった。一つ目のメンチが揚がったところで、ファスナーを少し下げた胸元から訴えかけるように顔を覗かせたので、ふうふう冷まして近づけてみたら、パクりと一つを丸呑みにした。そして満足気にキャンと小さく鳴いた後、またしゅるりと衣服の中に顔を埋めた。
味噌汁は鰹節と昆布でしっかり出汁を取ったが、具材は豆腐と長ネギのシンプルな物だ。副菜に下処理をした蕗は唐辛子とごま油で甘辛く煮込んだ。後は菜の花をお浸しに。
じゃがいもは荒目に潰して痛めた微塵切りの玉ねぎを和えた。肉は加えずそれだけで整形し、粉と卵とパン粉を付けてこちらも油に落とし込む。
まだ全員分を揚げ終わる前に、音と香りを嗅ぎつけたのか、大成が待ちきれないというようにひょっこり姿を現した。
背後から手を伸ばし、油ぎりで並べていたコロッケを一つ取り上げると「いただきっ!」と、屈託なく笑んで齧り付く。思った以上にサクリと軽快な音が鳴り、耳心地が良い。
「んー、うめぇ!」
そう言って二口目で全てを口に運んで行った。
じゃがいもにあえた玉ねぎは醤油や酒や砂糖で下味をつけていた。濃い味付けと揚げ物は、若い大成には好ましかったようだ。
「ところでお前、まだそれ懐に入れてるのか? 何入れてるか見せてくれよ」
昼間に旺仁郎が嫌がったせいで、大成は余計に中身が気になってしまったようだ。また旺仁郎の襟元を掴みぐいと体を引き寄せる。中を覗こうとしたところで室の入り口から声がした。
「こら、大成。揚げ物してる側で危ないだろ」
また足音を立てずに現れたのは蓮だった。
大成は蓮に嗜められると素直に旺仁郎から手を離した。
旺仁郎はすでに揚がった分を皿に盛り付け、蓮と大成の前にだす。炊けたばかりのご飯と、味噌汁も並べた。最後の一つを揚げ終わったあたりでちょうど宗鷹も現れたので同じように膳を並べる。
あとは食後にお茶を出すために、湯を沸かした。
彼らは共に食事を摂るが、いただきますもご馳走様も、タイミングは微妙に違う。待つなどの行為はあまりしないようで、ここに食事が出来上がったからたまたま一緒に食べている。そんな様子である。
「ところで今日の実技の授業でな」
今まで会話があったわけでもないのに、何が「ところで」なのかはわからないが、宗鷹が口を開いた。
自分に話しかけているわけではないだろうと、旺仁郎は背を向けてキッチンに向い、使った道具を洗っていた。
「捕縛実技用に保管していた妖が一匹逃げ出して、見つからないんだ」
その言葉に、旺仁郎は手を止める。止めたが、また何事もない、何も聞こえないというように皿に洗剤をなでつけた。
「人を食うほどの力もないやつだから、危険というほどでもないんだが」
懐を見下ろすと服の隙間でこちらを見上げる狐と目が合う。旺仁郎は肩を丸めた。
「どこに行ったんだろうな?」
宗鷹の言葉に、振り返らないままの旺仁郎だったが、背中に三人の視線を感じる。大成もすぐに気づいたのだ、宗鷹や蓮が気づいていないわけがない。
背中が、ピリッと痛む気がした。
胸元で空気を読まない非常食がキャンと小さく声を上げる。旺仁郎は手についた洗剤を洗い流し、ゆっくりした仕草で首元までファスナーを上げた。ちょっとトイレへと、そんな素振りで部屋を出ようとしたのだが、当然宗鷹に呼び止められてしまう。懐を改めよと少し強い口調で言われ、旺仁郎はゆっくりとファスナーを下げた。その隙間から、ぽろりと狐が顔を覗かせる。
「たぬき?」
「いや、狐だろ…ん?やっぱり狸か?」
「いなくなったのは狐だ」
蓮、大成、宗鷹の会話が行き交う。
そこに座れ、と宗鷹に膳の並ばない一席を示され、旺仁郎は四角形に食卓を囲む位置に腰を下ろした。
「それはなんだ」
『狸です』
正面に座る宗鷹の質問に、メモに書いたそれを渡す。
「いや、狐だろ。色的に」
大成が隣から旺仁郎の懐を覗き込んだ。
「どうしたんだ」
『拾いました』
「どこで」
旺仁郎は道でと欺こうと思ったが、教室で大成に気づかれていたことを思い出した。正直に学校だと伝えるしかない。
宗鷹はそいつを寄越せと旺仁郎に言った。何故異能でもない(と宗鷹は思っている)旺仁郎に弱い妖が見えたかについて触れないのは、たまに仏眼を持ち合わせて、観る力だけが強いという人間もいるからだ。
「俺が理由を話して、学校に戻しておく」
備品だと知らなかったと言えばそんなに咎められないだろうと宗鷹は付け足した。
「捕縛の授業ってさ、俺まだ受けてないけど、そいつどうなるの?」
言葉だけ出した後、大成はメンチカツを齧りキャベツを口いっぱいに頬張った。
「言葉にすると少し胸糞な表現になるぞ。まあ、コイツは妖だからな。つまり、そうなる」
宗鷹はやたらと言葉を濁すが、おそらく備品である妖は役目を終えれば処分されるとそういうことなのであろう。
旺仁郎は名残惜し気に、服の上から懐の中の非常食の尻のあたりをくるくると撫でてみた。ボワボワとした尾っぽの感触が布越しでも伝わってくるようだ。
「宗鷹、君は勘違いをしてる」
唐突に蓮が言った。宗鷹の方は見ないまま、蕗の煮物を小さく口に含んでいる。そしてそれを飲み込んでから言葉を続けた。
「それは、狸だろう?狐じゃない」
それを聞いた宗鷹の喉が鳴った気がする。
「いなくなったのは狐でしょ? これは、ひ弱な狸の妖だ」
「いや、罷り通ると思うのか?無理あるぞ」
宗鷹は珍しく困り顔である。
旺仁郎はまだ三人の関係性を図り兼ねていた。リーダー格と思われていた宗鷹は存外、普段物静かな蓮の発言をなんとなく無下にできないのかもしれない。
「大丈夫、俺が保証する。それは狸だし、何も問題ない。害のない、いたいけな妖だ」
「妖にいたいけもクソもあるのかよ、おかわり」
大成はまだ口にご飯を頬張ったまま、茶碗を旺仁郎に差し出した。旺仁郎は頷き受け取ると、静かに席を立って米をよそった。
「蓮、どうしたんだ。あまりお前らしくない振る舞いだが」
「別に。なんかちょっと可愛いと思ったから。それだけだよ」
いいタイミングで非常食がまたキャンと健気に鳴いて見せた。少しの間、押し問答が続いたが結局折れたのは宗鷹だった。
大成はまるで宗鷹が蓮に言い負けると予想していたかのようだ。徐に手元に和紙を取り出して、もぐもぐと口を動かしたまま何かを折っている。
そして無遠慮に旺仁郎の懐に手を突っ込むと狐の首にそれを巻きつけた。鈴の形に折られたそれに、赤い組紐が施されている。
「それ、つけておいた方がいい。付けとけば多分大丈夫」
この首飾りに何の意味があるのか、旺仁郎にはわからなかったが他の二人はわかっているようだった。とりあえず狐に不快な様子は見当たらないので、旺仁郎はそれを受け入れることにした。
◇
「旺仁郎、それ、どうするつもりなの? 飼うの?」
食事を終え、宗鷹と大成は部屋に下がったが、蓮だけが席についたまま、片付けをする旺仁郎を観察しながらお茶を啜っていた。
台拭きでテーブルを拭いているところで、まだ旺仁郎の懐にいる狐を覗き込んでそう聞いた。旺仁郎は顔を上げ、メモを取り出し短く書いた。
『非常食』
それをみて、蓮は「ああ」と顔を上げる。
「お腹、空いちゃったの?」
その問いに旺仁郎は頷くかどうか迷ったが、結局首を横に振り『まだ、我慢できる』と書き伝えた。
少し残しておいた夕食を啄めば、また多少は持つであろう。そのためにも、旺仁郎は蓮に早くこの場を去って欲しかったのだが、彼はすっかりその場に落ち着いているようだ。
「旺仁郎は食べないの? メンチカツもコロッケも美味しかったよ」
そう言って、何かをずっと待っているのだ。仕方なく、旺仁郎は茶椀に一口ほどのご飯に小さく作ったコロッケを乗せた。そして箸を握り蓮の前に座る。
「それだけなの?お腹空かないの?」
未だかつて家族以外にこんなにも興味を示されたことがない旺仁郎は、このことについて簡潔な説明も言い訳も用意してはいなかった。
幼い頃から祖母に躾けられたせいで、腹が減っていても多くの食事を取れない。さらには妖を食べてからは何故か尚更この「人」の食事が気休めでしか無いような気がしている。そして何より口を大きく開けたら、また目の前の蓮を食べたくなってしまいそうだった。
旺仁郎はいつものように、小さく開いた口の隙間から、細々と箸に乗せたそれを押し込んでいた。蓮はじっとその様子を見ている。
「旺仁郎、顔赤い」
言われてたまらず、箸を置きメモとペンを手に取った。
『あまり、見ないで』
メモをみた蓮はくすりと笑う。
「なんで?」
『家族以外に、食事を見られたことがない』
「ほぉ、ふぅん。恥ずかしいの?」
これは恥ずかしいという感情なのかと旺仁郎は考えた。しかしよくわからないので、残りの米を口の中に押し込んで食事を終える。
「ねえ、旺仁郎絶対それじゃ足りないでしょ?」
蓮の言葉に旺仁郎は首を振り、空いた器を持ち上げて流しへ運んだ。
「また、食べていいよ? 俺のこと」
手元でつるりと茶碗が滑り、流しの中に音を立てて転がった。幸い割れてはいないようだが、旺仁郎は動揺したその表情で蓮を振り返る。
すると予想より近くに蓮の姿があった。足音も立てずに近寄ったのか、振り返った時に視線が目の前にぶつかる位置だ。距離を取ろうと後ずさるが、そのまま蓮に追い詰められる。旺仁郎を抱き込むように両脇の流しの縁に手をついて、蓮は彼を見下ろしていた。
「ほぉら、お食べよ。旺仁郎」
少し揶揄うように言うと、蓮は人差し指の第二関節のあたりを旺仁郎の口元に当てがった。旺仁郎の唇が小さく開き、歯を立てぬまま蓮のその指を咥えてしまう。
旺仁郎はそこでダメだと踏みとどまる。今があの時のように完全に空腹で飢えていたとしたら、そんな理性はとっくに吹き飛んでいただろう。
しかし、一度知ってしまったその甘美な味を口元にあてがわれれば、どうしたって唾液が込み上げ口の端から溢れてしまう。
「やめてって言わないの? それともまた蓮さん美味しいって言うのかな? ねえ、旺仁郎。どう? 美味し?」
蓮は絶妙にもどかしく自らの気を操りながら、旺仁郎の反応を楽しんでいるようでもあった。
旺仁郎はもう少し力強く強引に蓮を求めて、あるいはまた声で惑わせて仕舞えば、自分のこの腹が満たされるとわかっている。
しかし2度も人の気を奪えば、もう歯止めが効かなくなるのではと、怖かった。妖だけでなく人の気を喰らい、果ては地肉も喰らうのかと想像する。もうそれは、人の形の化け物なのだ。
旺仁郎と蓮の胸元で、狐がもそりと動いた。
「ごめん、旺仁郎。いじめ過ぎた。泣かないで」
蓮はその指をゆっくりと旺仁郎の口元から離した。自らの袖をひっぱると、そこで旺仁郎の目元を拭う。
「でも、狸……じゃなくて、狐か。それを食べるくらいなら、俺のこと食べたら? ちょっとくらいなら食べても大丈夫だよ?」
旺仁郎は首を振った。
懐を覗き込み、目が合った非常食のお尻のあたりをまた服の上から撫でてみる。
「名前つけた?……その……非常食に」
蓮に問われ、旺仁郎はテーブルに置いたままだったメモとペンに手を伸ばした。
そこで、さっき決めたそれを綴る。
「メンチ? まあ、コロッケよりメンチの方が名前っぽいか。うん、非常食にぴったりな美味しそうな名前だね」
蓮はメモを手に取り、顎に手を当てて頷いている。
自分の名前を認識したのかわからないが、メンチはキャンと一回鳴いた。
また懐を覗き込むとこちらを見上げた狐らしからぬ丸い顔は、もしや狐界一可愛いのではと、旺仁郎は思ったのだった。
八百万町妖奇譚
ー狐か狸かー
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