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カイルとユリウス
16.
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◇
身代わりを引き受けたユーリに用意されたのは、特別待遇の豪奢な部屋だった。
王城の南側に位置する客室で、バルコニー付きの大きな窓から城下町が一望できる。王城は高い位置に建っているので視界を阻むものはほとんどなくて、港の向こうに広がる海とその向こうに小さくササルの街も見えていた。
ユーリはカイルも同じ部屋がいいと言ったのだけど、仮にも王子として振る舞うのなら、ラバール家の医術師と常に一緒にいるようなことは避けた方がいいとデレクに言われてしまった。
式典当日まで後二日。その間ユーリはラバール診療所のユーリではなく、ユハネ王国第一王子のユリウスとして振る舞わなければならない。だけど、ユリウスはお客様の相手や他にもいろいろ仕事があるらしく、ユリウスが活動している間、王子が二人いるなんて事態にならないように、ユーリはこの部屋に閉じこもってなければならなかった。
「なんて憂鬱なんだ……」
危険に晒されるかもしれない祭当日よりも、祭本番を控えてすでに賑わいを見せている城下町を見下ろしながら、ただただここでじっとしていなければいけない今の方が、ユーリにとってはよほど辛いかもしれない。
――バカだな、身代わりなんて引き受けないで放っておけば良かったのに。
黒い狐はこんなところにも現れた。
こいつはいつだってこっそりユーリについてきて、誰もいないところでこうして突然話しかけてくるんだ。
窓に張り付いて外を眺めていたユーリの足元で、黒々とした毛並みがこちらを見上げていた。
――おまえが断ったって、カイルもユリウスもきっと無理強いしなかった。
「わかってるよ。でも、僕はユリウスを放っておけない。なにより、ユリウスが傷付いたら悲しむのはカイルだ」
ユーリはそう言いながら、天蓋付きのベッドに腰掛けた。ベッドはびっくりするくらいふわふわで、乗った瞬間体が跳ね上がって危うく転げ落ちるところだった。
――そんなこと言って、お前だけが怪我をするかもしれないんだぞ?
「カイルが助けてくれるよ」
――どーだか。
黒い狐はトコトコとユーリのあとを追ってきて、床を蹴り上げベッドの上に飛び乗った。ユーリはしっしと払う素振りをしながら、背中をベッドの上に投げ出して大の字になり天蓋を見上げた。
――お前が怪我をしたり、まして死んだりしたら、きっとあの二人は悲しむな。
「……うん」
――だがそれも一時だけだ。
狐の言葉に、ユーリは寝返りを打ってその黒い毛並みを睨みつけた。
――可哀想なユーリ、良い子だったなユーリ、あの子の分も、俺たちは幸せになろうな……めでたしめでたし。
黒い狐はくつくつと喉奥を鳴らして笑うと、意味もなくベッドの上をコロコロと転がった。
「それでも……いいよ……カイルとユリウスが幸せなら」
――本気かよ?
「本気だよ」
――あーあ、バカだなユーリ、お前はほんとにバカだ。
黒い狐は呆れたように、全身を使ってため息を吐いた。
――今だって、お前がこの部屋に閉じめられてる間にな、二人はよろしくやってんだ。
「そんなわけない、ユリウスは式典の準備をしているし、カイルだってもしもの時の為に治療の備えをしてるはずだ」
黒い狐はまた、ユーリをバカにするかのようにくつくつと喉を鳴らして笑った。
――あー、きっと、お前に隠れて二人は祭に繰り出すんだ。それはそれはロマンチックなひとときを過ごすんだろうよ。例の星粒を食べさせ合ったり……
ユーリはぐっと唾を飲み込み、傍にあった枕を引っ掴んで黒い狐に投げつけた。狐は吹き飛ばされるでもなく悲鳴を上げるでもなくて、ただただフイといなくなった。
ユーリは両足を振り子にしてガバリとベッドから起き上がり、鞄の中からユリウスの手紙を取り出した。ユーリが預かって渡せないままだった手紙だ。これを見せて、ユリウスに謝ろう。そして、今からでもカイルに届ければユーリが式典にでている間、二人はこの手紙に書かれているように、一緒に星祭に行けるかもしれない。あの時手紙を渡さなかったことで、引き裂いてしまった二人の中を取り戻せるかもしれないのだ。
ユーリはユリウスが貸してくれた紺桔梗のローブを羽織って、その胸元に手紙をしまった。
植物の絵柄が施された背の高い扉に手をかけ、そっと外を覗き込む。護衛と称した見張り役が、扉の両脇に立っている。ユーリは彼らに気が付かれないうちにそっと扉を閉じた。
「ここからは無理だ」
誰にでもなく呟いたユーリは、今度は大きな窓を開いてバルコニーに出た。海からの潮風が思いのほか強くユーリの髪を揺らした。
手すりから下を覗き込む。下階のバルコニーが見えた。人影はない。
ユーリは手すりに手をかけ、ゆっくりと下階に足を伸ばした。腕をうんと伸ばしてぶら下がり、体を振りこのように揺らして、どうにか下階のバルコニーに着地した。
体を低くしたまま、室内を覗き込む。見覚えのある鞄があった。あれは、カイルの荷物だ。しかし、室内にカイルの気配はない。窓は鍵がかけられておらず、いとも容易く開いた。
ユーリはそのまま部屋の扉に歩み寄り、またそっと開いて外を覗き込んだ。カイルの部屋には見張り役はついていないようだ。するりと隙間を通るようにユーリはカイルの部屋から廊下へと抜け出した。
尻尾をローブの中にしまいこみ、フードを目深に被って肩を窄めた。室内では違和感のある装いかもしれないが、幸いなことにこのフロアでは誰ともすれ違わなかった。
そして見つけた階段を降りていくと、吹き抜けの下にエントランスホールが見えた。部屋に案内された時に通った場所だ。ユーリは壁際に体を擦り付けながら、ホールを見下ろした。
身代わりを引き受けたユーリに用意されたのは、特別待遇の豪奢な部屋だった。
王城の南側に位置する客室で、バルコニー付きの大きな窓から城下町が一望できる。王城は高い位置に建っているので視界を阻むものはほとんどなくて、港の向こうに広がる海とその向こうに小さくササルの街も見えていた。
ユーリはカイルも同じ部屋がいいと言ったのだけど、仮にも王子として振る舞うのなら、ラバール家の医術師と常に一緒にいるようなことは避けた方がいいとデレクに言われてしまった。
式典当日まで後二日。その間ユーリはラバール診療所のユーリではなく、ユハネ王国第一王子のユリウスとして振る舞わなければならない。だけど、ユリウスはお客様の相手や他にもいろいろ仕事があるらしく、ユリウスが活動している間、王子が二人いるなんて事態にならないように、ユーリはこの部屋に閉じこもってなければならなかった。
「なんて憂鬱なんだ……」
危険に晒されるかもしれない祭当日よりも、祭本番を控えてすでに賑わいを見せている城下町を見下ろしながら、ただただここでじっとしていなければいけない今の方が、ユーリにとってはよほど辛いかもしれない。
――バカだな、身代わりなんて引き受けないで放っておけば良かったのに。
黒い狐はこんなところにも現れた。
こいつはいつだってこっそりユーリについてきて、誰もいないところでこうして突然話しかけてくるんだ。
窓に張り付いて外を眺めていたユーリの足元で、黒々とした毛並みがこちらを見上げていた。
――おまえが断ったって、カイルもユリウスもきっと無理強いしなかった。
「わかってるよ。でも、僕はユリウスを放っておけない。なにより、ユリウスが傷付いたら悲しむのはカイルだ」
ユーリはそう言いながら、天蓋付きのベッドに腰掛けた。ベッドはびっくりするくらいふわふわで、乗った瞬間体が跳ね上がって危うく転げ落ちるところだった。
――そんなこと言って、お前だけが怪我をするかもしれないんだぞ?
「カイルが助けてくれるよ」
――どーだか。
黒い狐はトコトコとユーリのあとを追ってきて、床を蹴り上げベッドの上に飛び乗った。ユーリはしっしと払う素振りをしながら、背中をベッドの上に投げ出して大の字になり天蓋を見上げた。
――お前が怪我をしたり、まして死んだりしたら、きっとあの二人は悲しむな。
「……うん」
――だがそれも一時だけだ。
狐の言葉に、ユーリは寝返りを打ってその黒い毛並みを睨みつけた。
――可哀想なユーリ、良い子だったなユーリ、あの子の分も、俺たちは幸せになろうな……めでたしめでたし。
黒い狐はくつくつと喉奥を鳴らして笑うと、意味もなくベッドの上をコロコロと転がった。
「それでも……いいよ……カイルとユリウスが幸せなら」
――本気かよ?
「本気だよ」
――あーあ、バカだなユーリ、お前はほんとにバカだ。
黒い狐は呆れたように、全身を使ってため息を吐いた。
――今だって、お前がこの部屋に閉じめられてる間にな、二人はよろしくやってんだ。
「そんなわけない、ユリウスは式典の準備をしているし、カイルだってもしもの時の為に治療の備えをしてるはずだ」
黒い狐はまた、ユーリをバカにするかのようにくつくつと喉を鳴らして笑った。
――あー、きっと、お前に隠れて二人は祭に繰り出すんだ。それはそれはロマンチックなひとときを過ごすんだろうよ。例の星粒を食べさせ合ったり……
ユーリはぐっと唾を飲み込み、傍にあった枕を引っ掴んで黒い狐に投げつけた。狐は吹き飛ばされるでもなく悲鳴を上げるでもなくて、ただただフイといなくなった。
ユーリは両足を振り子にしてガバリとベッドから起き上がり、鞄の中からユリウスの手紙を取り出した。ユーリが預かって渡せないままだった手紙だ。これを見せて、ユリウスに謝ろう。そして、今からでもカイルに届ければユーリが式典にでている間、二人はこの手紙に書かれているように、一緒に星祭に行けるかもしれない。あの時手紙を渡さなかったことで、引き裂いてしまった二人の中を取り戻せるかもしれないのだ。
ユーリはユリウスが貸してくれた紺桔梗のローブを羽織って、その胸元に手紙をしまった。
植物の絵柄が施された背の高い扉に手をかけ、そっと外を覗き込む。護衛と称した見張り役が、扉の両脇に立っている。ユーリは彼らに気が付かれないうちにそっと扉を閉じた。
「ここからは無理だ」
誰にでもなく呟いたユーリは、今度は大きな窓を開いてバルコニーに出た。海からの潮風が思いのほか強くユーリの髪を揺らした。
手すりから下を覗き込む。下階のバルコニーが見えた。人影はない。
ユーリは手すりに手をかけ、ゆっくりと下階に足を伸ばした。腕をうんと伸ばしてぶら下がり、体を振りこのように揺らして、どうにか下階のバルコニーに着地した。
体を低くしたまま、室内を覗き込む。見覚えのある鞄があった。あれは、カイルの荷物だ。しかし、室内にカイルの気配はない。窓は鍵がかけられておらず、いとも容易く開いた。
ユーリはそのまま部屋の扉に歩み寄り、またそっと開いて外を覗き込んだ。カイルの部屋には見張り役はついていないようだ。するりと隙間を通るようにユーリはカイルの部屋から廊下へと抜け出した。
尻尾をローブの中にしまいこみ、フードを目深に被って肩を窄めた。室内では違和感のある装いかもしれないが、幸いなことにこのフロアでは誰ともすれ違わなかった。
そして見つけた階段を降りていくと、吹き抜けの下にエントランスホールが見えた。部屋に案内された時に通った場所だ。ユーリは壁際に体を擦り付けながら、ホールを見下ろした。
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