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第二部 第四章 英雄の帰還─虚ろなる樹─

ヨルムンガンド 1

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 アルの目の前、小さな白い蛇が怯えて震えていた。舌をチロチロと出し、目は潤んでいるようにも見える。逃げているのは少年だと思ったが……

 追われて怖がっていることには変わりない。

「大丈夫だよ? 私は怖いことしないからこっちにおいで?」

 そんな怯える白い蛇に向けて、アルが両手を広げる。すると白い蛇はアルの腕の中へと勢いよく飛び込んで来た。

「あはは! く、くすぐったいよ!」

 泥や血で汚れたアルの顔を、白い蛇がチロチロと舐める。

「おやおや……いつからあなたは人間と戯れるようになってしまったのですか?」

 漆黒のローブを身に纏った男の刺すような視線。目力が強い──とはよく言うが、この男が発する視線の力はそんな生易しいものではない。実際に体を貫かれているのでは──と、錯覚を覚えてしまう程の視線の力。

「あなたはなんでこの子白い蛇のことを追いかけていたの……? 人の言葉を話す魔獣は珍しいけど、だからって酷いことをしていいわけじゃない。見たところ悪い魔獣じゃないみたいだし……」
「やれやれ。どうやらあなたは少し誤解しているようだ。先程も言いましたが、酷いこととはなんでしょう? あなたもなにか言ったらどうです? ねぇ……君?」
「え……? ヨルムン……ガンド……?」

 ヨルムンガンド──

 それは神話大戦時代にアウルゲルミルが生み出し、大規模地殻変動によってミズガルズを危機に陥れていた巨大な蛇。一説によればその全長は、大陸一つ分はあったとさえ言い伝えられる存在である。

 男が言い放った言葉が信じられず、アルが白い蛇を見る。白い蛇はぷるぷると震えながら、泣きそうな目でアルを見ていた。

「君……ヨルムンガンド……なの……?」

 確認するようにアルが白い蛇へと問いかける。こんな小さくて可愛らしい蛇がヨルムンガンドだとは到底思えない。

「うん……僕はヨルムンガンドだよ……」
「本当……に……? 君が……? たくさん人を……殺して……?」
「そうだよ……」

 「でも……でもね!」と、ヨルムンガンドが涙をボロボロと零す。

「この世界に飛ばされてから……損傷箇所を修復するために眠りについたんだ。でもその間も夢を見るみたいにずっと考えてて……僕は何のために生まれたんだろう……なんで人間達に酷いことをしてたんだろう……僕も……僕も……君たちみたいに笑って話せる相手が欲しいって! そう考えるようになったんだ! それで……それで……どうすればいいのかって考えて……体を小さく作り変えて……こ、言葉もデータを参照して覚えたんだ! この世界はオーディンが作り出したから公用語は日本語だった。僕はどちらかというと英語データのほうが多かったんだけど……日本語を話せるようになって……それで友達を探そうと出てきて……そしたらソラトに見つかって……」

 そう言ってヨルムンガンドが漆黒のローブの男をチラりと見る。どうやら漆黒のローブの男はソラトという名前のようだ。

「……それでソラトに言われたんだ。『君が悔い改めたところで過去は変わらないですよ? 友達? 君が? 思い出させてあげますよ。君の破壊衝動を』って。それでソラトが追っかけて来て……僕のことを元の大っきいヨルムンガンドに戻すって……」

 バチンッ──

 唐突にアルがソラトの頬をつ。アルの目には怒りが浮かび、体はわなわなと震えている。

「……何をするんですか?」

 頬を打たれたソラトから、身も凍るような視線がアルに向けられる。見つめられるだけで絶命してしまいそうな研ぎ澄まされた視線の槍。その視線にアルは一瞬たじろいだが、それでもキッと顔をソラトに向ける。

 正直この目の前の男、ソラトに食ってかかっては大変なことになるのだろうと、アルは本能で理解した。理解はしたが、それでも許せないことがある。自分も大好きだったノヒンやヨーコのように、間違ったことには立ち向かいたいとアルが勇気を振り絞る。

「……じゃない……」
「何ですか?」
「……やっぱり酷いことしようとしてたんじゃない! 確かにこの子は最低な過去を持つのかもしれない! でも頑張って変わろうとしてる! それにこの子は破壊衝動を持って作り出されたってことなんでしょ!? だったらすごいことだよ! 自分で考えてその道から変わろうとしてる! それをあなたは!!」

 バチンッ──

 再びアルがソラトの頬を打つ。アルは他者に対して暴力を振るうタイプではない。頬を打った手がジンジンと痛み、目からはポロポロと涙が溢れる。

「痛いですねぇ。どうやらあなたにはお仕置が必要なようだ」

 その言葉と共に、ソラトの長い黒髪がざわざわと逆立つ。空気が張り詰め、耳鳴りまでする。

「きゃあっ!!」

 ソラトの体から魔素が爆発するように発生し、アルとヨルムンガンドを吹き飛ばした。さらにソラトの周囲に光り輝く球体オーブが無数に現れて揺らめき、空間を埋めつくしていく。

「くく……お仕置と言いましたが……」

 キュン──

 アルの頬をオーブが一つ掠める。凄まじい速度で目視など出来ず、オーブはそのままアルの背後の巨木を粉々に粉砕した。遅れてアルの頬からは血が滴る。

「……死んでしまったらその時はその時ですね?」

 ソラトの声に反応するように、揺らめく無数のオーブの動きがピタリと止まる。空間を埋め尽くすほどの圧倒的な数へと達したオーブ。先程の凄まじい速度と威力……

 これら全てが放たれたとしたら、地形ごと粉々に粉砕され──

 死ぬ。
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