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第二部 第三章 異界の客人神
ユミル
しおりを挟む「スレイプニルが知らないと何故分かる? いや……スレイプニル自体も干渉されていると考えた方がいいようだな。いったいいつからだ?」
「アウルゲルミルが眠りにつき、スレイプニルやフェンリル、ニヴルヘイムが休眠している間よ。データアクセス権は私だけに許可しているの。それと安心して? 専用兵装は少し記憶領域に干渉しただけだから」
「まるで数千年生きているような口ぶりだな」
「少し違うわね。データを継承しているだけよ?」
「言ってよかったのか?」
「どうせあなたなら気付くでしょうし、面倒なやり取りを省いただけ。だってあなた……」
「とっても優秀だから」と、シェーレが笑う
「それで? あなたが施した神器とはどの程度のものなんだ?」
「内に秘めた攻撃性を封じる程度のものよ。争うって無駄じゃない?」
「そういえばそちらは争いがほとんどない世界だったな」
シェーレに渡されたデータ端末によれば、アメリカ大陸ではアウルゲルミルが眠りについてから、争いというものがなくなった──となっている。
「合理的でしょ? 結果なんて決まっているのだから。確率世界の観測……とでも言えば分かるかしら?」
「なるほど、すでにあなたもその段階に至っているんですね」
「そうね。でも結局は複数分岐の確率でしかないわ。だからこそレイラだけには強力な措置を取らせて貰っているの。レイラはヴァンの因子が濃く発現した個体。逆らわれでもしたら厄介だったのよね。表向きはレイラがここを管理していたのだけれど……」
「それならばレイラがいないほうがいいのではないか?」
「私……独占欲が強いの。それに手のかかる子ほど可愛いって言うでしょ? 返すなら今よ? 一度死んでしまったとなると……神器は無効になっているはず。サマンサもニヴルヘイムの影響がなくなったことで本来の力を取り戻しているでしょうし……」
「こちらに戻す方が得策よ」と、シェーレの冷たい視線がラグナスに向けられる。
「問題が山積しているな。まあだが……」
「レイラとサマンサを渡すつもりはない」と、ラグナスが柔らかく微笑む。静かな、それでいて激しい二人の腹の探り合い。
「ああそれと、こちらに言葉を合わせて貰ってすまないな」
「なんのことかしら?」
「こちらでは神器のことをN.T.D(NACMOtype.Device)やN.T.I(NACMOtype.Installation)などと呼ぶのだろう?」
「ちゃんと嫌味は通じていたようね? 本当に優秀で感心してしまうわ」
「こちらもあなたの底意地の悪さに感心しているところだ。出来ればもう少しあなたと戯れていたいところだが、遊んでいる暇はないのでね。ミズガルズ王国との協定に関しての答えを聞かせてもらおう」
「あら? 聞かなくても分かってるくせに。それともあなたが観測した分岐先では手を取り合っていたのかしら? ふふ、まあでも……」
「……答えはノーよ」と、シェーレが微笑む。
「私達はジアースに統合されたけれど、自由にやらせてもらうわ。そっちはそっちで好きにやってちょうだい」
「一応だが、理由を聞いても?」
「こちらはすでに争いのなくなった世界。巻き込まないで欲しいだけよ? アウルゲルミルが復活したとして、こちらに影響はないわ。アウルゲルミルは争う意志を向けなければ攻撃行動を取らない」
「まるであなたのようだな? だが争いがなくなったと言っても、ここ最近出現するようになったアラガネに対してはどうする? そちらは争うという選択肢を取れないような措置をしているのだろう? いや……」
「……違うか」と、ラグナスが考え込む。その姿を満足そうにシェーレが眺め、まるで獲物を狙うかのように舌なめずりをした。
「生命の危機とあらば争えるのだな? つまりレイラに施した強力な措置とは、生命の危機だとしても争わない程の強力なものということか」
「そういうことよ。それに……」
「私がいればあちらからの贈り物程度は問題ないわ」と、シェーレが笑う。
「とりあえずこちらの邪魔をしない限りは、私もあなたの邪魔をしないと約束するわ」
「やれやれ。交渉は決裂ということだな」
「不服かしら? 不服なのだとしたら……今……やる?」
そう言うとシェーレの髪がざわざわと蠢く。空気も一段と張り詰め、やはりただの魔女だとは思えない圧倒的な重圧。
「ふふ。争わないのではなかったか?」
「あなたが殺気を向けるからよ?」
「……とりあえずは今やるつもりはない。私の目的にも、もはやアウルゲルミルなどどうでもいいのでな」
「それはよかったわ。でも……邪魔だけはしないでちょうだいね?」
そう言ってシェーレが手を差し出したので、ラグナスが握り返す。
「もう手遅れだろう?」
「あなたが拒んだのよ? まあ……」
「しばらくは様子を見させて貰うわ」と、シェーレがラグナスの耳元で囁く。
「ガランドウと接触したのでしょう?」
「ああ。彼がどうするかで局面は変わる。無数にある分岐は彼のせいでもあるのでね」
「弱き者同士……苦労が絶えないわね?」
「では私は失礼させて貰うよ。『アクセプト』」
ラグナスが一礼して導術を発動。黒い霧がざわざわと溢れ出し、そのまま霧散して姿が消えた。
「考えの読めない男だったわね」
部屋に残ったシェーレがソファに腰掛け、呟く。その呟きに反応するように「放っておいてよかったのですか?」と、シェーレの脳内に男性とも女性ともとれる無機質な声が直接響いた。
「ガランドウが接触したとなると、見極めなければならないわ。ラグナスが言っていた通り、彼の動きで全てが変わる。厄介な相手だと思わない?」
(そうですね)
「紅茶貰ってもいいかしら?」
シェーレがそう言うと、目の前のテーブルの上に黒い霧が滲み、華やかな香りの紅茶が現れた。
「ん……とっても美味しいわ。これはベルガモットかしら?」
(少々苛立っていたようでしたので、リラックス効果のあるものを、と。とりあえずの措置を講じようと思いますが、よろしいですか?)
「ユミルに任せるわ」
(了解しました。ではミズガルズ王国からの干渉を極力排除するため、アメリカ大陸を浮上させます)
ユミルと呼ばれた声の主がそう言うと、微かに部屋が揺れる。
「ちょっとユミル? もう少しうまくやってくれない?」
「紅茶をこぼしちゃったじゃない」と、シェーレが服を脱ぎ、肌が露わになる。露わになった肌には古ミズガルズ語だろうか、呪文のような文字がうっすらと浮かんでいた。
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