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第二部 第一章 誘うは闇の咎

奈落の檻─ラグナス─

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「ようやく虚像だけでも動けるようになったようだな」
「君には感謝するよロキ。だが……」

 ラグナスの視線が部屋の中を流れる。

「ジェシカはどこだ?」
「くく……逃げられたよ」
「なんだと? まさか君が逃がしたのか?」
「どうだろうな?」
「ふざけているのなら君を……」

 ラグナスの表情や声音は変わらないのだが、室内の空気が重いものへと変わる。そうして紡がれる「殺さなければならない」という突き刺すように冷たい言葉。

「いいのか? 私を殺せばジェシカの神器を解除する方法は、呪いに負けて死ぬか自死しかなくなるが?」
「神器だと? 裏切ったのかロキ……?」

 ラグナスの体から黒い霧が滲み出し、暴風のように吹き荒れる。

「くく……凄まじい怒りだな。だがそれも私の望み。だが安心しろ。裏切ってなどいない。これがなにか分かるか?」

 そう言ってロキが胸元から、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまを出す。

「それはニヴルヘイムの下位互換の神器」
「そうだ。ニヴルヘイムの魔石情報を解析し、新たに作成した。前に持っていた勾玉は人にやったのでな。これに同化したジェシカとヨーコの魔石情報はコピー済みだ」
「……私はそんなことを君に頼んだ覚えはないはずだが」

 どうやら今回のことはロキの独断での行動のようだ。それを聞いたラグナスの体からは、さらに黒い霧が滲み出す。気付けば室内は黒い霧──魔素で溢れ、さながら魔素の檻のようだ。

「貴様に頼まれたニヴルヘイムの起動確認は済ませた。それ以外は私の自由だろう?」
「貴様……」
「まあ待て。裏切ってはいないと言っただろう? この勾玉にはニヴルヘイムが使用可能となったジェシカのデータがコピーされているということになる。つまりこの勾玉を使って生成したジェシカと子を為せば、なんの問題もないだろう? それとも貴様は……ニヴルヘイムの力が欲しいのではなく、ただ単にジェシカを抱きたいだけなのか? ジェシカとの子が欲しいだけなのか? そうでないのであれば、この勾玉で生成したジェシカを使い、レイラの復活も叶う。事は足りるはずだ。『ニヴルヘイムの力が欲しい』という貴様の考えには反しない。まあ……」

 「劣化版だがな」とロキが笑う。

「食えんやつだとは思ったが……ジェシカに使った神器とはなんだ?」
黄泉比良坂よもつひらさかだ」

 「黄泉比良坂」と聞いたラグナスの目が、明らかな殺意を帯びる。室内に溢れる魔素がラグナスの怒りに反応しているのか、ギチギチとロキを締め付け始めた。

「よりにもよって悪趣味な……」

 黄泉比良坂とは、神話大戦時代に作られた呪いの神器。この神器の呪いを受けた者の元には魔獣が集まる。集まる魔獣は日増しに増え、そのうち周囲の魔素からも特殊な魔獣を生成し始め、それが死ぬまで続く。さらにこの神器の厄介なところは、生成された魔獣の知能が総じて高いというところだ。

 生成された魔獣は人間をただ単純に殺すだけではなく、個体によっては拷問や陵辱などを行う。呪いを受けた宿主を探し出して殺しさえすれば収まるが、そもそも宿ことが困難なのだ。それによって人々は疑心暗鬼に陥り、争い、殺し合う。

 ではなぜ、このような悪趣味な神器が作られたのか──

 それは十二の咎と呼ばれる存在の中に、純然たる悪意の塊が存在したからである。

 その咎は黄泉比良坂を作り出し、多数のコミュニティを壊滅へと追い込み、その様を楽しんでいたのだ。つまり黄泉比良坂とは、悪意ある者が楽しむことだけを考えて作り出された最低最悪の神器である。

「くく……いいぞ。いい怒りだ! どうする? 私を殺すか? 私を殺せばジェシカが殺されるか自死する以外で解除は出来ん! まあだが……ジェシカが死んだところでこちらには勾玉がある」

 「別にかまわんだろう?」と、ロキが口角を吊り上げる。

「……どうやら私は考えを改めなければならないようだな。君が私に協力したのはユグドラシルのためか?」
「まあつまりはそういうことだ。ユグドラシルは三英雄でなければ扱えないのでな。初代オーディンは心が壊れ、私を騙してユグドラシルを封印した。オーディン教会のフレースヴェルグは分かるだろう?」

 フレースヴェルグとは、オーディンとロキが作成した鷲の姿をした鍵である。オーディンにしか開くことが出来ないものだ。

「オーディンはあれを作成した際『ユグドラシルをもう一度起動し、ヘルを取り戻したい。魔素が溜まるまでの間、安全に保管できる場所を一緒に作ってくれないか?』と私に言ったのだ。実際は……」

 そう、実際は違った。オーディンはユグドラシルを起動するつもりはなかったのだ。もし仮にユグドラシルを起動するとしても数年後。そうなればヴァンとヘルは今よりも深く愛し合っているはずだ。もしかすれば、子を成しているかもしれない。そんなものは耐えられないとユグドラシルを封印し、魔素を供給しなかった。

「私は絶望した。無理やりフレースヴェルグを開けさせたところで、当のオーディンはユグドラシルを起動するつもりがない。手詰まりだったのだ」
「先に裏切ったのはオーディンだったということか」
「まあそうなるのではないか?」
「それで? 君がユグドラシルを起動したかった理由はなんだ?」
「私は分体なのだ。あの日、初代オーディンがユグドラシルを起動した日、私の本体はアースガルズにいた」
「なるほど。つまり君は元に戻りたいということなのだな?」
「そうだ。私は氷の巨人を封印するために本体から分けられた分体。知識も力も本体にはまるで及ばん。記憶に関しても行動に支障がない程度にしか持ち合わせていなかった。ただ誤解して貰っては困るぞ? 。エインヘリャルの儀で貴様がユグドラシルを起動し、次元の裂け目が広がっただろう? あの瞬間、僅かの時間ではあるが、こちらがアースガルズとも繋がったのだ。それによって私は本体と数千年ぶりに同期を果たし、自身の目的を思い出した」
「目的だと?」
「ああそうだ。それこそが私の宿願。私は始まりの咎であり、観測者であり、干渉者。誰にも私の邪魔はさせん」

 そう言い放ったロキは、およそ人のものとは思えない邪悪な笑顔を見せていた。

 
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