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第一部 第五章 夢の残火─喪失編─
追憶の遠吠え 1
しおりを挟む──ディテッラーネウス
断崖絶壁のように切り立った山々。
高いところでは三千メートルはあるだろうか。
足場も悪く、滑落すれば命がないような道無き道が続く。
ディテッラーネウスはヨルムンガンドが大規模地殻変動を起こす前、同名の海だった。
それもあってかディテッラーネウスのあちこちに船の残骸のようなものが残されている。船の残骸のようなと表現したのは、一般的に普及している船の構造とは少し違うからだ。
この世界の船は機帆船と呼ばれ、推進用の動力として蒸気機関を併用した帆船である。つまり蒸気機関を推進力として動くのだが、燃料節約や補助的な役割として帆が張られている。
だがディテッラーネウスで見受けられる残骸には帆がないのだ。神話大戦時代の船だと思われるのだが、数千年前の方が様々な技術が発達していたのだろうことが窺い知れる──
---
「ちっ! 集まってくんじゃねぇ! うぜぇんだよ!!」
そんな道無き道をトズールに向けて進むノヒンに、見たこともないような魔獣が群がる。一見して魚のようだが、虫のような足がある魔獣。そもそも元がなんなのかが分からないような、うねうねと蠢く軟体性の魔獣。
足元は滑落すれば即死亡の崖であり、さすがのノヒンも戦えるような広い場所を目指して駆け抜ける。
「っしっ! ここなら! 気持ち悪ぃ見た目で追っかけ回しやがって……覚悟は出来てんだろぉなぁ!」
「ギギィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
ようやく辿り着いた開けた場所。岩がゴロゴロと転がってはいるが、崖下に滑落する心配はなさそうだ。
ノヒンがギチギチと全身に力を漲らせ、右手をルイスが鍛え上げた鞘に差し込み──
ガチンッという音を響かせる。
「るあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
差し込んだ右手を横薙ぎに引き抜くと、鉄甲からは両刃で肉厚・幅広の黒錆色の剣がずるりと姿を現す。
斬鉄──
ルイスが黒錆の長剣に付けた名前だ。
ルイスがノヒンのことをひたすらに考え、ノヒンの為だけに鍛えた唯一無二の呪具。例え魔素に耐性のある鍛冶師といえど、呪具を鍛えるには想像を絶する負荷がかかる。
文字通り命をかけた黒錆色の刃は、まるでノヒンの腕の延長のように体に馴染む。その鉄甲から伸びた斬鉄が、群がる魔獣を一振ごとに粉々に砕く。
「ちっ! 数が多すぎだってんだっ!!」
気付けばノヒンは千を超える魔獣に囲まれていた。魔獣達は皆一様に、トズール方面から向かって来ているようにみえる。
「ちぃぃぃっ! っざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
向かい来る魔獣をことごとく斬鉄によって粉砕する。が、暴風のようなノヒンの剣戟を抜け、体に魔獣が群がり始めた。
ノヒンが「ちっ」と舌打ちすると、まるで大砲のように駆け出し──
剥き出しの岩肌に体ごと魔獣を叩き付けて圧殺。
「くはっ……はっ……はぁ……マジかよ……毒持ってる個体もいやがる……」
「ギギィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
耳を劈くような魔獣の不快な叫び。毒によってノヒンの頭はがんがん痛み、ふらふらと平衡感覚を失う。さらに──
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
満身創痍のノヒンに軟体性の魔獣が絡み付き、絡み付かれた部分に焼けるような灼痛が襲う。毒による追い討ちだ。
「うぜぇ……うぜぇうぜぇうぜぇ……うぜぇんだよ! うるあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
みちみちと音を立てながら、体に絡み付いた魔獣を素手で引き千切る。毒による不快感と耐え難い嘔吐感。
「うぅ……うえぇ……げほっ……げほ……」
込み上げる嘔吐感に耐えきれず、ノヒンが胃の内容物をぶちまける。
「ちっ……思い出しちまっただろうがよ……あいつと……ジェシカと初めて触れ合ったのは毒のおかげだったってなぁ」
ノヒンの頬に一筋の涙が流れる。
何も守れなかった。
守ろうとした暖かい全てが、するすると自分の手から零れていく。
自分がどれほど無力なのかと思い知ると共に怒りが込み上げてくる。
毒によってふらふらの体を仰け反らせ、ノヒンは魂の叫びを上げる。
「うぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! やってやる! やってやるさ! 俺が……俺が!! この狂った世界をぶち壊してやらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ノヒンの「ぶち壊してやる」という思いに反応するように、潰れて損傷した左目の痣が熱くなる。ノヒンの体を流れるヴァンの因子が強く揺さぶられ、元から発動中の超速再生、損傷強化、敵対強化、超強化以外の無詠唱特殊魔術も全発動──
---
【常時展開】
・超速再生/身体の損傷部を魔素を使用し、凄まじい速度で再生する。造血や解毒なども出来、脳の記憶領域にある損傷前データを使用して再生する。
・損傷強化/身体が損傷することで、身体能力超強化。
・敵対強化/敵意、悪意、憎悪、嫌悪、敵対行動(敵意の有無に関わらず)を向けられることで、身体能力超強化。
・超強化/魔素がある限り、身体能力超強化。
・絶対領域/敵対強化の対象者の位置情報を補足。
・先導者/戦闘中、ノヒンの声を聞いた味方の戦意高揚、身体能力強化。
【任意展開】
・狂戦士/魔素が自動で攻撃を防御し、ダメージ軽減。
・事象崩壊魔術/発動者が攻撃行動時、触れたと認識したもの全てを崩壊させることが出来る。
---
──だが傷付いた痣での発動のため、最凶の力である事象崩壊魔術は想像を絶する負荷が体にかかる。攻撃するたびに自身の体も崩壊。皮膚は剥がれ、肉も裂け、骨は砕けて臓物も破裂する。だがそれも構わずノヒンは魔獣を屠る。
怒りが──
絶望が──
痛みが──
溢れる涙がノヒンの力となり、触れたもの全てを消し飛ばしていく。
「ぜはっ……ひゅ……ひゅう……ぐう……ぅ……かはっ……」
ノヒンの口からはびしゃびしゃと血が溢れる。気付けば周りに動くものはなく、屠った魔獣たちから黒い魔素が滲む。
「ぐぅ……何とかこの魔素で解毒は出来たようだな……」
解毒は出来たが体の損傷部の再生が間に合っていない。損傷部の再生を行わなければ進むこともままならないので、ノヒンがその場に座り込んで休む。
「あぁ……何も考えねぇで暴れてる時が一番気が楽だな……。ははっ……俺はなんも守れねぇ獣だ獣……。そういやぁジェシカも俺の事ぉ……最初は獣って……ふぐぅ……う……う……ジェシカァ……ヨ、ヨーコだって俺の第一印象はちょっと怖かったってよぉ……。ぐぅ……マジで……マジでなんなんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! なんで俺だけ……なんで俺だけのうのうと生き残ってやがんだ!! そもそも俺がヨーコと出会わなけりゃぁっ! レイナス団に入らなけりゃあ……くそっ! くそっ!! ちくしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
心からのノヒンの叫びがディテッラーネウスに木霊する。
「アオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!」
そのノヒンの叫びに呼応するかのように、トズール方面から獣の遠吠え。
「……ちっ……獣にまで慰められてりゃぁ世話ねぇな。だけどなんだぁ? この変な雰囲気は……トズール方面から感じるこの気配……」
ノヒンの頭の中に、懐かしいような悲しいような……
なんとも言えないイメージが浮かぶ。
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