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第一部 第五章 夢の残火─喪失編─
ヴァンガルム 1
しおりを挟むフリッカー大陸エロラフ近郊、アルドゥコバ火山の麓にルイスの鍛冶場はある。アルドゥコバ火山は西に広がるディテッラーネウスと呼ばれる巨大な山脈に連なる連峰の一つ。ディテッラーネウスを南に抜けた先には、グレート・サンド・シーと呼ばれる広大な砂漠『アッ=サハラーゥ・ル=クブラー』が現れ、見た事もない巨大で凶暴な魔獣達がひしめいているという話だ。
(着いたぞ? 何をしているのだ貴様は?)
ルイスの鍛冶場の前に着いたのだが、ノヒンが扉の前で立ち止まり、苦々しい表情をみせる。
「ちっ……うるせぇよ。ルイスに合わせる顔がねぇんだ。レイナス団の奴らはみんな死んで……ジェシカだってどうなったか分からねぇ……。俺はあの場にいたってのによ、なんも出来なかったんだ」
(記憶を読ませて貰ったが、あれは仕方なかったのではないか? なんの準備もなくオーディンの生まれ変わりとロキを相手にしたのだ。むしろよくやった方だとは思うがな)
「……ぶっ殺すぞわん公」
(先程から黙って聞いておればわん公わん公と……。我は気高き孤高のヴァンガルム! わん公などではないわっ!!)
「っるせぇ! 人の記憶を勝手に読むなんざぁ人様はしねぇんだよ! 脳みそわん公並なんだろ? あぁ?」
(貴様の脳みそが筋繊維で出来ているから理解出来ないのか? 誰が人間だと言った? それに我は犬ではなく狼だっ! 頭が悪ければ目も悪いときたものだな)
「上等だわん公っ!! 表出ろや!!」
(ここは表だが? いよいよ持ってシナプスまで筋繊維なのだな)
「あぁ? シナプスゥ? まぁた訳わかんねぇこと言いやがって。わん公語か? わん公語なんだろ? 人様の言葉喋ってねぇで早くわんわん鳴けや!」
(無知をひけらかすなっ! 腹が立つどころか憐れに思えてきたわっ!!)
「はぁ? 腹が立ってねぇのにでけぇ声出してんのかぁ?」
(声は出していない! 直接貴様の頭に語りかけているわっ!!)
「揚げ足取ってんじゃねぇよっ!」
(ははっ! 揚げ足という言葉は知っているのだな?)
「あぁん? やんのかぁ?」
(どれ、一つ揉んでやろうか)
「後悔すんなよわん公っ!!」
ノヒンがヴァンガルムに掴みかかったところで鍛冶場の扉がガチャリと開き、「うるさいぞノヒンッ!!」と中からルイスが出てきた。
「お、おうルイス……」
「……来るなら来ると連絡しろノヒン。それよりそのでかい狼はなんだ?」
ルイスが訝しげにヴァンガルムに視線をやる。
(我はヴァンガルム。気高き黒狼の戦士、ヴァンのガルムだ)
「……? 頭の中に直接声が……いや、それよりなん……だ? あの空は……?」
ルイスが東の空に視線をやり、次元崩壊による黒い球体を見咎める。ソールとエロラフは距離にしておよそ九千キロ。それでも黒い球体は視認でき、次元崩壊の規模の凄まじさを物語っている。
(あれは次元崩壊だ。ユグドラシルが暴走したことで引き起こされたものだな。本来であれば二つに分かたれた世界が一つになるところ……と言っても分からんか。ゆっくり話したい。中に入れてはくれんかルイスよ)
「……それは構わないが……このサイズの生物が入ることは想定していない。無理じゃないだろうか?」
そう言ってルイスが鍛冶場の扉を見る。建物自体は煉瓦造りの立派な家なのだが、確かにヴァンガルムが入るのは無理そうである。
(それならば……『アクセプト』)
ヴァンガルムの目の前に、『/convert energy saving Fenrir』と白く輝く文字が浮かび、ヴァンガルムの姿が黒いふわふわの毛並みの子犬に変わる。
「ふむ。発声器官の損傷は少し回復してきたようだな。この姿ならば鍛冶場にも入れるだろう?」
頭に響いていた威厳のある声ではなく、少年のようなかわいい声をヴァンガルムが出す。
「ははっ! マジでわん公じゃねぇかよ!」
「う、うるさいわ! 我もこの姿は好かん!」
「なんだぁその声? わんわん鳴いてみろよ!」
「……うるさいぞノヒン。今は茶化す場面ではないと思うが?」
ルイスが呆れたようにノヒンを見る。
「ちっ! 茶化してんじゃねぇよ! このくそ生意気なわん公が五月蝿くてしょうがねぇんだ! なんだか知んねぇが知った口聞きやがってよ! 見ろよこのわん公! これで偉そうに説教たれやがんだぜ? ははっ! 笑えるよなぁ? なぁルイス? 笑える……よ……ぐぅ……」
ノヒンが顔を抑え、嗚咽しながら涙を流す。
「……もういい……大丈夫だノヒン。そんな強がるなよ。キツいんだろう……? そんな虚勢を張る必要はない……」
ルイスが優しくノヒンを抱きしめる。
「や……やめろよルイス……男……同士で気持ち悪ぃじゃ……ねぇかよ……うぅ……」
「……お前の顔を見れば分かる……。耐え難い何かがあったんだとな……。よく頑張ったなノヒン……ひとまずゆっくり休もう……」
「……ぐぅ……頑張ってなんか……ねぇんだよ! 俺が! 俺がいたのに! レイナス団の全員が死んだ!! ジェシカも死んだかもしんねぇ! 俺は……俺は! もう二度と大切な奴らを失いたくなかったんだ! なのに……なのによ! ラグナス……ラグナスの野郎が……うぅ……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ぶっ殺す! ぶっ殺してやるよラグナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァスッ!!」
ノヒンが狂ったように叫び、暴れ、それをルイスが優しく抱きしめ続けた。その後しばらく暴れたノヒンが、スイッチが切れたように気絶する。
「……大丈夫……大丈夫だノヒン……。とにかく中に入ろうか。ヴァンガルムも入ってくれ」
「ルイスとやら……貴様はこやつのことがよく分かっているのだな。それよりも男同士というのは……」
ヴァンガルムが改めてルイスの全身を見て、疑問の表情を浮かべる。
「……聞こえているかもしれないのでやめてくれヴァンガルム。それは今じゃない。弱ったこいつにつけ込むなんてことは私の誇りが許さない」
「そうかルイス……貴様はノヒンが……。それにしてもこやつは相当にアホなのだな。どう見てもルイスは……」
ヴァンガルムがルイスを見ると、首を横に振る。
「貴様のタイミングがあるのだな。了解した」
「……よし、では中に入ろうか」
ルイスに促され、鍛冶場の中へと場所を移動する。鍛冶場の中は手前が居住スペースになっており、端にあるベッドにノヒンを寝かせた。
「……改めてルイスだ」
「我はヴァンガルム。こちらに我の話が残っているかは分からんが……太古の昔にヴァンと呼ばれる戦士と共に戦った者だ」
「……ヴァンだと? 神話大戦のか?」
「こちらでは神話扱いになっているのか。ノヒンの記憶を読んだのだが、どうもこやつは自分の興味がないことを覚えていない性質のようでな。正直こちらがどういう状況なのか判然とせんのだ」
「……記憶を読めるのか? なら私の記憶を読んだらどうだ?」
「それは出来ない。記憶を読むと言っても、魔石のデータを読んでいる。魔石が無い者の記憶は読めないのだ。まあ我の導術でNACMOを体内に一定量入れれば、魔石の代わりにすることは出来るのだが……耐性のない人間にNACMOを入れ過ぎれば、魔族になる可能性が高いのでな」
ヴァンガルムの口からNACMOや魔族など、ルイスの知らない単語が出るが……
「……察するにNACMOとは魔素で、魔族とは降魔のことでいいか?」
「おおすまん! ノヒンの記憶を読んで固有名詞の違いに気付いたが、ついそのまま話してしまった。貴様は頭の回転が早いようで助かるわ」
「……ノヒンも頭の回転は早いぞ? ただこいつは弱い者を守るために、戦う以外の考えを捨てているだけだ」
「まあそうなのだろうな。記憶を読んだ限りで言えば、戦いに関しての状況判断は異常に早い」
「そうだろう? ノヒンは凄いんだ。私はこいつに恋慕の情以上に尊敬の念を持っている。とても大切な男なんだ。いや……愛しているな。うん……」
「私はノヒンを愛している」と、ルイスがとても嬉しそうな顔で微笑んだ。
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