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第一部 第四章 夢の灯火─揺らぐ灯火、残るは残火編─
エインヘリャルの儀 3
しおりを挟む「おい……なんの冗談だよこりゃ……」
「冗談ではない。ヘルの流れを汲む者はラグナスの子を産む。最後の別れになるだろうと、しばし一緒にいさせただけだ。ラグナスの慈悲に感謝するんだな」
「ふざけてんじゃぁ……ねぇぞごらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ノヒンが目の前の見えない壁を殴り付け、拳の肉が裂けて血が滴る。
「無駄だ。貴様がいくら強かろうがその次元の壁は越えられん。今やユグドラシルはラグナスの管理下にあるのでな」
「ラグナァァァァァァァァァァァァァァァァァァスっ!! てめぇ! ふざけてんじゃねぇ! こんな姑息な手ぇ使いやがって……こっちこいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ラグナスがノヒンの叫びに反応するように顔を向け、何事かを呟く。おそらく口の動きから、「すまない」と言ったようにノヒンには見えた。
「『すまない』だと!? なんだぁおいラグナス! 謝るくれぇならふざけたことしてんじゃねぇよ!! おい! 聞いてんのか!? くそっ! 出せ! 出せよっ!! ジェシカ! ジェシカァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「同情するぞ? 貴様は死ぬまでそこから出られない。本来であれば私が貴様と戦って息の根を止めたかったのだが……ヘルの流れを汲む者が貴様が死ねば自身も死ぬと騒いだのでな」
「なん……だって……? ジェシカが……?」
「ああそうだ。貴様は愛する女に生かされた。まあその愛する女もラグナスと交合うことになるのだが……。酷い運命に同情する」
「ふ……ざ……けんな……。冗談じゃねぇ……。ぶっ殺す……ぶっ殺してやるよ……。まずはおめぇだロキ……」
ノヒンが自身とロキを隔てる次元の壁を殴りつける。何度も何度も殴りつけ、拳が砕けて血が吹き出す。
「馬鹿なのか? 物理でどうにかなるものではない」
「黙れっ! 待ってろジェシカッ! 俺が! 俺がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「哀れだな……。では私はこれから大事な儀があるのでな。貴様はそこで指をくわえて見ているがいい」
「……ぐっ……ぎ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ノヒンの眼前にある次元の壁が血で染まっていく。拳から砕けた骨が飛び出すが、それでも構わず殴る。絶対にジェシカは渡さない。ラグナスとジェシカが交合うと聞いて頭がおかしくなりそうだ。二度も愛する者を失うなど耐えられない。
ノヒンの脳裏にジェシカと出会ってからの記憶が走馬灯のように流れ、叫びとも嗚咽ともつかない声が漏れる。涙で視界が滲み、ぐちゃぐちゃの思考もまとまらない。そんな中──ラグナスがゆっくりと口を開く。
「では……エインヘリャルの儀を始める。『アクセプト』」
ラグナスが導術を発動すると、空中に『/convert crystallization einherjar』と白く輝く文字が浮かんだ。
そこからはまさに地獄。
もしこの世に地獄というものがあるのならば、それは今オーディン教会にて行われるエインヘリャルの儀──
ラグナスが導術を使ったと同時、広場に集まっていた団員達が苦しみだし、この世の者とは思えない醜悪な化け物へと変化していった。イルネルベリで化け物となったバルマンのような状況だ。
ある者はバルマンのように触手の化け物となり、またある者は虫や獣をぐちゃぐちゃに混ぜたような姿に。みな一様に絶望の叫びをあげている。
「ぶっ殺してやる……ぶっ殺す……絶対に殺す……殺してやる……殺してやるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ノヒンがめちゃくちゃに次元の壁を殴りつける。もはや拳どころではなく、腕の骨も何度も折れ、骨が飛び出し、その度にバキバキと再生する。
「やはり私の魔素の結晶化に耐えられる者はいないか。一人くらいは半魔か魔女になると思ったのだがな。まあ元より全員ユグドラシルの起動に捧げるつもりだったので構わないが」
化け物となっていく団員達を、ラグナスが冷たい目で見つめている。
「……ノ……ノヒン……隊長……? な、なんでぇ……そ、そんな……ところに……? うぅ……頭が……割れ……た、助け……て……ノヒン……隊……長……」
ノヒンの目の前に、クラインが逃れて来る。魔石の結晶化によって、別次元のノヒンが見えるようになったのだろうか。クラインは頭を抱え、その場にうずくまる。
「おいクライン! クライン!! 大丈夫だ!! こんな壁今すぐぶっ壊して助けてやる!!」
「が……あぁ……ノヒン……なんだぁ……これ……? お、俺の顔ぉぉぉぉ……どうなってぇぇ……うぐぅぅぅぅぅぅぅ……」
「ヒンス! おいヒンス!! 待ってろ! 絶対に助ける!! 諦めんじゃねぇ!!」
クラインの後ろから、頭が半分に割れて脳が剥き出しになったヒンスが歩いてきた。助けるとは言ったが……
もう助からないのだろうことは明白だ。
「ノヒ……ン……隊……長ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「ノォォォォオヒィィィィィィィィイイイイイイイイン!!」
ノヒンは何とか次元の壁を壊そうと殴り続けるが、目の前でクラインとヒンスが化け物へと変わる。クラインは目や口からヌタヌタとした内蔵のようなものが飛び出し、ヒンスは脳から脚の生えた虫のような姿に。
「くそぉっ!! くそっ! くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
ノヒンの慟哭が響き渡る。どうしようもない現実。目の前で一緒に戦ってきた仲間が次々と化け物になっていく。
「そろそろ結晶化は済んだかな? では次の段階に行こうか。『アクセプト』」
ラグナスが再度導術を発動し、空中に『/convert excision crystal of einherjar』と白く輝く文字が浮かぶ。
それと同時、化け物となった団員達が苦しみだす。そうして血を吹き出しながら赤黒い魔石が体の中心から抜き出され、ラグナスの手元へと集まっていく。
魔石が抜き出された団員達はことごとく絶命し、今や広場で動く者はない。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 殺す……殺す殺す殺す殺す……殺してやるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
生まれたばかりの頃、ゴルゲンに潰されたノヒンの左目が熱くなる。
バギンッと、殴った次元の壁にひびが入る。
神話大戦時、ヴァンが行使したと云われる魔術──
無詠唱特殊魔術。
ノヒンの左目にはヴァンの血族である証、縦縞の痣があった。その痣はヴァンだけが使うことの出来た魔術の触媒。痣に魔素を通すことで零詠唱で発動する『事象崩壊魔術コラプス』や、様々な特殊魔術を使用することが出来る。事象崩壊魔術は発動者が『攻撃行動時、触れたと認識したもの』全てを崩壊させることが出来る凶悪な魔術。
左目を潰されて痣は損傷していたが……
ノヒンの極限まで達した怒りにより、無詠唱特殊魔術が偶発的に発動。だが傷付いた痣での発動からか、ノヒンの体には信じられない程の負荷がかかる。
殴るたびに自身の体も崩壊し、皮膚は剥がれ、肉も裂け、骨は砕けて臓物も破裂する。だがそれも構わずノヒンが次元の壁をバキバキと壊していく。
「驚いたな。まさか事象崩壊魔術まで受け継いでいるとは……。このままでは次元の壁を壊される。ロキは使用可能なことを知っていたか?」
「いや、長い歴史の中で失われたと思っていた。レイラも痣はあったが使用出来なかったのだろう?」
「それは分からん。レイラは優しかったからな……。誰も傷付けたくなく、使用しなかっただけなのかもしれん。ノヒンは任せてもいいだろうか? 私は魔石をユグドラシルへと捧げる」
「くく……こうなったら殺しても構わんか? ミョルニルの元となった失われし事象崩壊魔術……。疼いて仕方ない」
「そう……だな。ジェシカには出来るだけ乱暴なことはしたくなかったが……最悪自死出来ぬように拘束すればいい。幸いにしてジェシカは導術を使いこなしていない。導術で自死することが出来ると気付かれないようにしなければな」
「詠唱出来ないように舌を引っこ抜けばいいだろう? 再生する度にな」
「いや……私の中のオーディンがヘルに対する愛情を失っていないようでな。どうしてもジェシカには乱暴なことが出来ないんだ。何度かジェシカを抱こうとしたことがあるが、その度にオーディンの魔石が反応してな、抱くことはかなわなかった」
「それは初耳だな。貴様の中のオーディンが抱くことを拒否していると?」
「いや、オーディンは私を乗っ取ろうとしている。乗っ取った上でジェシカを抱くつもりだろう。まあそろそろ私が完全に主導権を握れそうだがな」
「貴様……やはり一貫性のなさは二重人格だったのか? 秘密主義にも程があるぞ」
「二重人格などではないさ。時折オーディンの意思が表に出ていただけだ。ノヒンと出会ってからはかなり抑えられるようになってね。おそらくだが、私の中にも流れるヴァンの因子がノヒンに反応し、オーディンを抑えていたのかもしれないね」
「貴様にもレイラの血が流れているのだからな。ありえん話ではない。おお、そろそろ次元の壁が壊れるぞ?」
「では私はユグドラシルの起動に入る。何としてもノヒンを足止めしてくれ」
「くく……事象崩壊魔術まで使用可能となったヴァンの血族と戦えるなど……滾る! 滾るぞノヒン!!」
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