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第五章
あなたの秘密基地
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白猫が最後に連れて行ったのは、彩の通う小学校から少し歩いたところにある、こじんまりとした駐車場だった。車はまばらに停まっている。
黒猫は首を傾げた。なぜか連れてきたはずの白猫もきょろきょろとあたりを見回していたからだ。
「……ここにも、食べ物をくれる人間がいるの?」
白猫はその問いには答えず、車の影にころりと転がった。黒猫にもうながすように微笑む。わけがわからなかったが、とりあえず隣に腰を下ろしてみる。「二匹とも野良猫だったの」と、白猫が言った。
「え?」
「――わたしの両親」
戸惑う黒猫を気にせずに、白猫は続けた。
「わたしに『花』って名前をつけてくれたのはお父さん。ケンカばかりしてたのに、可愛い花が大好きだったんですって。優しくていつもニコニコしてるお母さんに、ケンカっぱやくてガハハ! って豪快に笑うお父さん。それが子猫だったわたしの大好きな風景。あの頃は毎日はおなじように続いてくんだって疑ったこともなかった。狩りをしてくるって出かけたお父さんが帰って来なくなるまでは」
白猫の瞳に空が映り込んでいる。雲が流れていく。ゆっくりと、だけど止まることなく。
「最初は事故にあったんじゃないかって心配したの。でも、探し回ってる途中、若い雌猫と町を出るのを見たって、実は今までにも一緒にいるのを何度か見かけたって、いろんな猫が言いづらそうに言うの。わたしもショックだったけど、お母さんのほうがもっとショックだったみたい。そのあと大雨に降られて風邪をひいて、それがきっかけであっさり死んじゃった。気持ちが弱ってたのね」
黒猫の脳裏に、母猫の傍にいつまでもうずくまる幼い白猫の姿が浮かんだ。
「わたしはまだ子猫で、狩りもうまくなかった。人間には近づくなって言われてたから、足音が聞こえたらすぐ逃げ出した。わたしと同じぐらいの子猫も見かけたわ。でも、すぐに姿が見当たらなくなった。理由はわたしが一番わかってた。ずっと怯えてたわ。次は……わたしだって」
今の黒猫には、痛いほどその気持ちがよくわかった。
「そんなとき……ここにたどり着いたの」
「この駐車場に?」
「ここね、昔は空き地だったの。いちおう周りは金網のフェンスで囲われてたんだけど、隙間があって簡単にもぐり込めた」
白猫の目が少し離れた場所に停められた白い車を見る。いや、きっと、そうじゃない。その場所にあったはずの、ちいさな抜け道を見ている。
「その日、縄張りを荒らしたって腹を立てた猫にさんざん追いかけられて、ここにどうにか逃げ込んだの。コンクリートのブロックとかがいっぱいあって……隠れるにはぴったりだった。でもね、ここには先客がいたの」
『おーい、猫がいるぞ!』
にぎやかな子どもたちの声に囲まれた白猫は、あっけにとられて、それからなんだかもう疲れてしまって、逃げることもできずに縮こまってしまったんだと言う。すると突然、男の子が猛ダッシュで空き地を出ていったかと思うと、何かを手に戻って来た。息を切らせて、差し出す。『……これ、食べるかな。カニカマ』
白猫はそのカニカマをがつがつ食べた。『人間には近づくな』という教えを忘れたわけじゃない。でも、守ることはできなかった。お腹が空きすぎていたから。
『よし! お前は今日からこの秘密基地の番猫だ。いいな、カニカマ?』
その日から、白猫の居場所はこの秘密基地になったのだ。
「今度は『カニカマ』?」
「そう、それがわたしのふたつ目の名前。基地に来るときはいつも誰かが、わたし用に食べ物を持ってきてくれた。段ボールにタオルを敷いて、傘で雨除けをつくって、ベッドもつくってくれた」
白猫の瞳がくすぐったそうに細められる。
「がりがりだったわたしの体に肉がついて、背はぐんぐん伸びた。そして――」
「――ある日突然、みんな現れなくなった」雲が太陽を覆ったのか、あたりが一気に暗くなった。
「……なんで?」
「さあ? 誰かに怒られたのかもしれないし、飽きたのかもしれない。もっと大事なことがあったのかもしれない。わからないけど……」
それでもまだ待っていた。みんなが戻ってくることを。お腹が空いて仕方ない。でも自分は番猫だから、この秘密基地を守らなくちゃ。だけど、やがて知らない男たちが出入りするようになり、工事が始まった。
待つこともできなくなって、ようやく白猫はかつて空き地だった場所を出た。
「それからもう会ってないわ。あ、一度小学校の前で見かけたことはあるけど……ずいぶん大きくなってたなぁ」
淡々と話しきると、白猫は言った。
「ねえ、わたしがどうしてこの話をしたと思う?」
「……人間は勝手だ、とか? 反吐が出る話だよね、とか?」
黒猫の答えに白猫はちいさく笑って、空を見上げた。
「ここで子猫のときを生き延びたから、今も生きてる。『わたし』にとって、大事なことはこれだけ」
白猫はとんと軽やかに跳躍したと思うと、車のボンネットに着地した。黒猫を見下ろして、言う。
「基地はなくなってしまったけど、わたしはもう、人間がこわくなかった。だからそれを、生き抜く術にしたの」
にこり、と微笑む白猫に雲を抜けた陽光が差し込む。
「きみって……強いんだ」
「そうよ、知らなかった? だから、わたしは――」
逆光で、白猫の輪郭がまぶしく輝いた。
「……あなたの『秘密基地』になれると思う」
黒猫は目をぱちくりとした。一度では足りなくて、もう一度。
「黒猫さん、わたしたち二匹いるのよ。あなたは運がめっぽう強くて、わたしは人間に知り合いが沢山いる。疲れたら休めばいい。だって、もう一匹がいるんだから」
白猫が再び、とんと目の前に降りてきた。
「ねえ、それって……無敵だと思わない?」
ふふ、とはにかむように笑う白猫を黒猫は信じられない思いで見つめていた。
「きみって…………ばかなんだ」
「そうよ、知らなかった? でも、知ってる? こんな簡単なことがわからないあなたも、十分ばかよ」
黒猫は白猫に返事をせず、ふいと顔をそらした。
白猫がちいさく笑う気配が伝わって来る。
寄り添うように、撫でるように、黒猫のそばに白猫が座る。
今口を開いたら余計なものまでこぼれてしまいそうで、いまだ話し続ける白猫の隣、黒猫は耳だけをぴくぴくと動かしていた。
黒猫は首を傾げた。なぜか連れてきたはずの白猫もきょろきょろとあたりを見回していたからだ。
「……ここにも、食べ物をくれる人間がいるの?」
白猫はその問いには答えず、車の影にころりと転がった。黒猫にもうながすように微笑む。わけがわからなかったが、とりあえず隣に腰を下ろしてみる。「二匹とも野良猫だったの」と、白猫が言った。
「え?」
「――わたしの両親」
戸惑う黒猫を気にせずに、白猫は続けた。
「わたしに『花』って名前をつけてくれたのはお父さん。ケンカばかりしてたのに、可愛い花が大好きだったんですって。優しくていつもニコニコしてるお母さんに、ケンカっぱやくてガハハ! って豪快に笑うお父さん。それが子猫だったわたしの大好きな風景。あの頃は毎日はおなじように続いてくんだって疑ったこともなかった。狩りをしてくるって出かけたお父さんが帰って来なくなるまでは」
白猫の瞳に空が映り込んでいる。雲が流れていく。ゆっくりと、だけど止まることなく。
「最初は事故にあったんじゃないかって心配したの。でも、探し回ってる途中、若い雌猫と町を出るのを見たって、実は今までにも一緒にいるのを何度か見かけたって、いろんな猫が言いづらそうに言うの。わたしもショックだったけど、お母さんのほうがもっとショックだったみたい。そのあと大雨に降られて風邪をひいて、それがきっかけであっさり死んじゃった。気持ちが弱ってたのね」
黒猫の脳裏に、母猫の傍にいつまでもうずくまる幼い白猫の姿が浮かんだ。
「わたしはまだ子猫で、狩りもうまくなかった。人間には近づくなって言われてたから、足音が聞こえたらすぐ逃げ出した。わたしと同じぐらいの子猫も見かけたわ。でも、すぐに姿が見当たらなくなった。理由はわたしが一番わかってた。ずっと怯えてたわ。次は……わたしだって」
今の黒猫には、痛いほどその気持ちがよくわかった。
「そんなとき……ここにたどり着いたの」
「この駐車場に?」
「ここね、昔は空き地だったの。いちおう周りは金網のフェンスで囲われてたんだけど、隙間があって簡単にもぐり込めた」
白猫の目が少し離れた場所に停められた白い車を見る。いや、きっと、そうじゃない。その場所にあったはずの、ちいさな抜け道を見ている。
「その日、縄張りを荒らしたって腹を立てた猫にさんざん追いかけられて、ここにどうにか逃げ込んだの。コンクリートのブロックとかがいっぱいあって……隠れるにはぴったりだった。でもね、ここには先客がいたの」
『おーい、猫がいるぞ!』
にぎやかな子どもたちの声に囲まれた白猫は、あっけにとられて、それからなんだかもう疲れてしまって、逃げることもできずに縮こまってしまったんだと言う。すると突然、男の子が猛ダッシュで空き地を出ていったかと思うと、何かを手に戻って来た。息を切らせて、差し出す。『……これ、食べるかな。カニカマ』
白猫はそのカニカマをがつがつ食べた。『人間には近づくな』という教えを忘れたわけじゃない。でも、守ることはできなかった。お腹が空きすぎていたから。
『よし! お前は今日からこの秘密基地の番猫だ。いいな、カニカマ?』
その日から、白猫の居場所はこの秘密基地になったのだ。
「今度は『カニカマ』?」
「そう、それがわたしのふたつ目の名前。基地に来るときはいつも誰かが、わたし用に食べ物を持ってきてくれた。段ボールにタオルを敷いて、傘で雨除けをつくって、ベッドもつくってくれた」
白猫の瞳がくすぐったそうに細められる。
「がりがりだったわたしの体に肉がついて、背はぐんぐん伸びた。そして――」
「――ある日突然、みんな現れなくなった」雲が太陽を覆ったのか、あたりが一気に暗くなった。
「……なんで?」
「さあ? 誰かに怒られたのかもしれないし、飽きたのかもしれない。もっと大事なことがあったのかもしれない。わからないけど……」
それでもまだ待っていた。みんなが戻ってくることを。お腹が空いて仕方ない。でも自分は番猫だから、この秘密基地を守らなくちゃ。だけど、やがて知らない男たちが出入りするようになり、工事が始まった。
待つこともできなくなって、ようやく白猫はかつて空き地だった場所を出た。
「それからもう会ってないわ。あ、一度小学校の前で見かけたことはあるけど……ずいぶん大きくなってたなぁ」
淡々と話しきると、白猫は言った。
「ねえ、わたしがどうしてこの話をしたと思う?」
「……人間は勝手だ、とか? 反吐が出る話だよね、とか?」
黒猫の答えに白猫はちいさく笑って、空を見上げた。
「ここで子猫のときを生き延びたから、今も生きてる。『わたし』にとって、大事なことはこれだけ」
白猫はとんと軽やかに跳躍したと思うと、車のボンネットに着地した。黒猫を見下ろして、言う。
「基地はなくなってしまったけど、わたしはもう、人間がこわくなかった。だからそれを、生き抜く術にしたの」
にこり、と微笑む白猫に雲を抜けた陽光が差し込む。
「きみって……強いんだ」
「そうよ、知らなかった? だから、わたしは――」
逆光で、白猫の輪郭がまぶしく輝いた。
「……あなたの『秘密基地』になれると思う」
黒猫は目をぱちくりとした。一度では足りなくて、もう一度。
「黒猫さん、わたしたち二匹いるのよ。あなたは運がめっぽう強くて、わたしは人間に知り合いが沢山いる。疲れたら休めばいい。だって、もう一匹がいるんだから」
白猫が再び、とんと目の前に降りてきた。
「ねえ、それって……無敵だと思わない?」
ふふ、とはにかむように笑う白猫を黒猫は信じられない思いで見つめていた。
「きみって…………ばかなんだ」
「そうよ、知らなかった? でも、知ってる? こんな簡単なことがわからないあなたも、十分ばかよ」
黒猫は白猫に返事をせず、ふいと顔をそらした。
白猫がちいさく笑う気配が伝わって来る。
寄り添うように、撫でるように、黒猫のそばに白猫が座る。
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