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七章

最後の戦い④

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 はあ、はあ、はあ、はあ―――
 どのくらい走っただろうか。
 さよとの通話が途切れてから、数十分が経過していた。俺は今、クラスメイトの彼女が監禁されているであろう場所に向かっていた。
 俺の右手には、彼女から渡された霊符が握られている。その霊符は街灯のない暗闇の中で、仄かな青白い光を放っていた。
 俺は、先ほど彼女から渡された、手紙の内容を思い出す。
 あれを読んだ時には本当に驚いた。自分は今、夢か幻想の世界にいるのではないかと本気で疑ったほどだった。それほどまでに、あの手紙には驚愕の事実が記されていた。
 彼女からの手紙。その内容は―――


 時坂優。今からあなたに遂行してもらいたいことを、ここに簡単にまとめます。
 ですがその前に一つ、あなたにとって極めて重要な事実を、ここに記しておこうと思います。驚くとは思いますが、これはこの事件の根幹に関わる部分ですので、どうか取り乱さずに冷静に受け入れてください。
 あなたの妹さん、時坂初音さんは生きています。そして、その初音さんこそが今回の一連の事件の真犯人です。
 驚きましたか。無理もありません。ですがどうか、自分を見失わないでください。正気を保って前を向いてください。
 私もこの目で実際に彼女の姿を見たわけではありませんが、これは恐らく事実です。このことについての詳しい根拠や経緯については、後ほど知ることになると思いますので、今はこの事実のみを受け入れておいてください。
 さて、前置きが長くなりましたので、そろそろ本題に移ります。
 あなたに、今から行って頂きたいことは主に二つ。
 一つは、監禁されているであろうあなたのクラスメイトの救出です。
 この件については、手紙を読み終えたらすぐに行動してください。彼女の居場所については、同封した霊符が教えてくれます。その霊符には、彼女との距離に応じて発光する光の強さが変化する式が打ち込んであります。あなたはその光が強くなる方向に進んで下さい。
 もう一つは、私への協力です。
 あなたと二人で屋上に来いという初音さんの要求があったと思いますが、その件については、私が上手く対処します。ですがその際に、あなたに一つ、お願いしたいことがあるのです。こちらの状況は私の携帯を通して、テレビ通話モードであなたの携帯にお知らせしようと思います。その際に、初音さんがあなたに話しかけるような場面がいくつかあると思いますので、そこであなたには適当に言葉を返してもらいたいのです。詳しいことは説明している時間がありません。あなたは、ここに書かれていることだけを実行していただければ結構です。お願いしますね。
 では、時坂優。お互い健闘を祈りましょう。
 私の携帯の番号は―――


 最後に彼女の携帯の番号が記され、手紙の内容はそこで終わっていた。読み終えてしばらくは、俺はその場から動けなかった。
 意味がわからなかった。思考がまるで追いついていなかった。何度も手紙を読み返すことによって、ようやく俺はそこに書いてある内容を理解できた。
 が、
 二年前に死んだはずの初音が生きている。そしてその初音が、一連の事件の真犯人―――
 やはり意味がわからなかった。
 一体どういう過程を踏めば、そんなぶっ飛んだ考えが出てくるのか、理解できなかった。頭がどうにかなりそうだった。
 本当ならばあの瞬間にでも駆けだして、さよを問い詰めに行きたかった。
 初音が生きているとは本当なのか。彼女が真犯人とは一体どういうことなのか―――
 彼女の胸ぐらでも掴んで、無理やりにでも真相を語らせてやりたかった。
 しかし、ギリギリのところで俺は思いとどまった。今はそんな事をしている場合ではないと思い直したからだ。
 彼女も、俺が取り乱すことを恐れて、こうして文面で伝えることを選んだのだろう。
 俺を宥めることに時間を要してしまっては、手遅れになってしまうかもしれない。
 彼女はそれを恐れたのだろう。
 駆け出しそうになる足を、俺は懸命にその場に縫い付けた。早まる鼓動を無理やりに抑え込んだ。
 今は彼女の指示に従うべきだ―――
 俺は、自分にそう強く言い聞かせた。


 はあ、はあ、はあ、はあ―――
 身体が熱い。足が痛い。喉に鉄球が詰まったような息苦しさと重さを覚える。
 もう何度目か、このまま足を止めてしまおうかと思う。
 全てを投げ出して、全てから解放されて、楽になりたいと思った。誰でもいいから助けてくれと大声で叫びたかった。
 だが、そんな弱音を吐いている場合ではない。
 俺は自分に鞭を打つ。
 もう誰も死なせない。初音にこれ以上罪を犯させない―――
 もう一度生きている初音と会いたい。会って彼女から本当のことを聞き出したい。
 何故、イジメのことを俺に相談しなかったのか。何故、呪いの力などに手を染めたのか。一体この二年間、どういう心境で生きてきたのか―――
 それらすべてのことを、彼女の口から聞きたかった。
 霊符の光が強くなる。
 俺は地面を蹴る足に力を入れる。
 走れ。
 この目で真相を確かめるんだ。彼女との再会を果たし、自分の不甲斐なさが生んだ罪と向き合うんだ。
 全速力で駆ける。
 汗が吹き出す。肺が潰れそうだ。
 いつの間にか、周囲は重々しい空気に包まれていた。
 学校とは反対方向であったため、これまでこちらの方角には来たことがなかったが、どうやらこの辺りは小さな工業団地のようだ。
 こんな田舎町にもこのような場所があったのかと俺は少し驚く。
 霊符の発光が、ひと際強くなった。
 そこで、俺は足を止める。
 目の前には、縦に細長い直方体のビルがそびえ立っていた。四方の壁は無機質なコンクリートで厚く塗り固められている。だがもう既にかなりの築年数が経っているのか、その壁の表面には至る所に亀裂が走っており、所々はグズグズに崩れ落ちてしまっていた。
 ここか―――
 両膝に手を付いて俺は一度息を整える。大粒の汗が頬を伝い、ボタボタと灰色の地面に落ちていくつもの濃い染みを作った。どくどくと心臓が早鐘を打ち、うるさいくらいに耳を貫いてくる。
 この中に―――
 俺は目の前の建物を睨みつける。
 大きく息を吐く。拳を握りしめて生唾を呑み込み、俺はビルの入口へと足を踏み出した。
 至る所に赤さびの浮かぶスイング式の鉄扉が俺の行く手を阻んでいたが、そこに鍵は掛かっていなかった。
 取手に手を掛け、俺はゆっくりと手前に引く。
 ぎいぃぃぃー………
 錆びた金属のこすれ合う音が不気味に響いた。
 恐る恐る中に足を踏み入れると、ツンとしたカビの匂いが鼻の奥を刺激してきた。俺は携帯のライト機能をオンにし中を照らした。
 ビルの中は思ったよりも狭く、そして驚くほどに何もなかった。
机も椅子も何もない、ただただ殺風景な空間が目の前に広がっているだけだった。
 どうやらここは今ではもう使われていない廃ビルのようだった。床には割れた窓ガラスの破片が大量に散らばっており、俺が足を動かす度にバリバリと嫌な音を立てた。電気は既に来ていないようで、中には一つの灯りもなかった。
 俺は部屋の隅々までライトで照らしたが、この部屋に監禁された彼女はいないようだった。
 俺は上の階へと続く階段を探す。
 すると部屋の右奥に一枚の簡素な扉が見えた。どうやらその奥に非常階段があるらしい。
 扉を開け、俺は階段に足を掛ける。
 カン、カン、カン、カン―――
 シンと静まり返った館内に、俺の足音が反響する。
 二階へ上がると、また同じような扉があった。
 ドアノブに手を掛け、中に侵入する。
 しかし、そこにも誰もいなかった。部屋の中には、ぐちゃぐちゃにつぶれた段ボール箱が散乱しているだけで、人の気配はまるで感じられなかった。
「誰かいるか」
 試しに呼びかけてみたが、小さな物音ひとつ返ってこなかった。
「ここじゃないのか……」
 俺は独り言のように呟くと、また上へと続く階段を上り始めた。
 しかし、三階、四階にも誰もいなかった。同じような部屋はあったのだが、そのどちらにも彼女の姿はなかった。
 本当にここにいるのか―――?
 俺は四階の踊り場で立ち止まり、右手に持っていた霊符を見る。だがさよの霊符は、依然として強い光を発していた。それは間違いなく、彼女がこの建物内のどこかにいるということを示していた。
 先ほど外から確認した限りでは、このビルは四階建てのはずだ。つまりこれより上は屋上ということになる。
 ここで止まっていても、仕方ないか―――
 俺は残りの階段を一気に駆け上った。
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