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乱れる乙女心

アンチークの花

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 クライネルト親子を引き連れた還らずの森同行調査依頼は、ルーカスに怪しまれる以外は順調だった。

 当初の依頼である、魔獣の血液採集も粗方進んだ。
 ルーカスのお父さんであるクラウスさんは現在、自然発生する魔素から出現する魔獣の身体から出る成分について調べている。
 一部の魔獣の血液から疾患の治療薬になる成分が発見されて以降、積極的に還らずの森へ足を踏み入れて魔獣の血液を拝借しては研究をしているのだという。

 これまでは1体か2体に協力いただけたら収穫ありといった感じの結果だったそうだが、今回は私がいるため予想以上の収穫だとクラウスさんはホクホク顔だった。

「いやぁ本当に助かるよ」

 私が間に入って魔獣に交渉し、クラウスさんが採血する。
 私は魔獣が怯えないようになだめる役目を果たしている。狼に翼が生えている生き物はぐるぐる喉を鳴らしながら大きな身体を私に委ねていた。

「…腕を噛まれてますけど大丈夫ですか?」

 私の腕をがぶーと噛んでいる魔獣を見たルーカスが恐る恐る声をかけてきた。
 問題ない。これは甘噛みであり、彼らの愛情表現なのだ。腕はべとべとのヨダレまみれになるけど、本気噛みされてないから平気だ。

「大丈夫です。甘えられているだけですから」

 この子は大きな体をしているけど、ワンちゃんみたいなところがあるんだ。もちろん知らない相手には警戒心を見せて歯をむき出しにすることもあるけれど、私には従順で忠実なので心配いらない。

『ミモザ、背中乗る?』
「うーん、今日はお客さんがいるから、また今度お願いね」
『残念』

 魅力的なお誘いだが、今はお仕事中なのでまた今度だ。
 私の手からご褒美の骨付肉を受け取ると、狼型魔獣は早々に飛び去った。
 ちなみに撫でようとしたクラウスさんに対してはどの魔獣も最初から最後まで素っ気ない態度を示しており、彼は魔獣に懐かれている私を羨ましそうに見てきた。野生動物はだいたいあんな感じですよ。人懐っこい生き物は淘汰されちゃうから、人間に冷たいくらいが丁度いいんです。


 この依頼に設けていた期間は約1週間。今日はその最終日である。
 魔獣の血液採集が目的だったのだが、予定よりも早くその用事が片付いたので、残りの日程は珍しい薬草探しをしていた。
 行く先々で珍しい希少薬草が見つかるものだから、根っからの研究者であるクラウスさんは興奮しっぱなし。私もその採集手伝いをしていたのだが、見覚えのある毒々しい花を見て笑ってしまった。
 何度か生やしたなぁ、この花。久々に見たかも。

「アンチークですね」
「そ、そうですね」

 私が花を見て一人で笑っていたのをどう思ったのか、ルーカスが横から話しかけてきた。それに私はぎょっとする。
 いつの間に私のそばに近づいていたんだ。心臓に悪いから気配を消すのはやめてほしい。

「ところでミモザさん、今晩お時間空いていますか?」
「…?」

 その問いかけに私は怪訝な顔をしてしまった。
 調査の時間延長依頼だろうか。それはちょっと急すぎて困るんだけど。

「王都に昔から通っている料理店があるのですが……今回は色々とお世話になったので今晩は食事をごちそうさせていただきたいと考えていて。あ、もちろん父も同席しますし、母も来ることになっています」

 突然のお食事のお誘いに私はギクッとした。
 クライネルト一家と食事…!? いやいやいやいや…

「す、すみません。折角のお誘いではありますが、急いで帰らなくてはならなくて」
「夜遅くまでお引き止めはしませんが」
「いえホント、厳しいです」

 ルーカスを前にしてどんな顔をして食事をつつけと言うのだ。
 それに、家では私の帰りを待っている子がいるんだ。行けるわけがないだろう。

「折角のお誘いを無下にして申し訳ありません」

 私が深々と頭を下げてお断りすると、ルーカスは「そうですか、残念です」と引き下がっていた。
 そのことを報告されたクラウスさんは又の機会にと残念そうにしていたが、又の機会なんてないです。クラウスさんは悪くないけど、私はこれ以上彼らと関わりたくなかった。

 最愛の我が子を守るため、秘密を守りたかった。
 私達がようやく掴みかけた平穏を奪わないでほしかった。

 やっと、この緊張感から解放されるんだ。このまま何事もなく依頼が終わってほしい。
 ルーカスが近くにいると、どこかで“リナリア”が飛び出して来そうになる。

 封印したはずの恋心がひょこっと顔を出して心を乱していくから、早く彼から離れたかった。

 
◆◇◆


「ねぇねぇミモザちゃん、日曜日のお昼にご飯いこうよ」
「すみません、日曜日は大神殿で開かれるバザーのお手伝いがあるので」
「えぇ…先週も似たようなお断り文句だった気がする」
「気のせいですよ」

 今日もモーリッツさんに言い寄られ、私はきっぱり断る。
 なんか自分もあしらい方がだんだん雑になってきたなぁと感じるけど、彼も大概しつこいので仕方がない。
 口から出てきそうなため息を堪えて、適当に逃げようと考えていると、誰かに手を掴まれて後ろに身体を引かれた。

「彼女は嫌がっていますよ、やめてあげてください」

 その声、後ろ姿。顔を見なくても嫌でも誰かわかる。
 私が男性職員に言い寄られているところを見かねて割って入ってきたのはルーカスだった。

 この間ようやく依頼が終わったと思ったのだけど、クライネルト一家は再び依頼を申し込んできた。
 もともとお得意様らしく、以前から季節ごとに依頼を持ちかけられて来たそうだが……ここ最近は間を開けずに依頼に来るので、上司も不思議そうに首を傾げていた。

 ルーカスが私を背中に隠すように間に入ってきたので、モーリッツさんが目を丸くして固まっている。

「大丈夫ですから、いつものことです」

 ナンパなモーリッツさんではあるが、同じ職場の人なので気まずくなるのは避けたい。大げさにしたくなかったので、いつものことだから事を荒げないでほしいと言おうとしたら、ルーカスは信じられないと言わんばかりの表情で私とモーリッツさんを見比べてきた。

「いつも!? 女性に言い寄る男性職員を野放しにしているんですか、ここでは! あなたは未婚の女性なのに無防備が過ぎないか!?」

 その言葉にカチンと来た私は「あなたに言われたくない」と怒鳴り返しそうになった。
 えぇ、未婚ですとも。だけど私が結婚できないのはあなたのせいだから!

 言い返したいけどそんなことしたら秘密がバレてしまう。
 腹の底から煮え立ってきた怒りを無理やり抑え込むと、私は彼に掴まれた手を振り払った。

「依頼者様には関係のないことですので、構わないでくれませんか」

 私の返し方が冷たく聞こえたのだろう。ルーカスは変な顔をしていた。
 そうだよね、あなたは良かれと思って私を庇ったのに当の本人から余計なお世話だと態度に出されて拒絶されたのだもの。困惑するのは当然のことだ。

 だけど私だってルーカスを許せない。冷静に、心を無にして接するにも限界があるんだ。頼むから私に関わらないでほしい。

「そうですよ、ミモザちゃんと俺は親密な間柄なんでー」

 モーリッツさんは何を思ったのか、私の肩に腕を回してきた。肩を抱かれた私は渋い気分になりながら、モーリッツさんが首から下げている職員証の紐をくいっと下に引っ張って、屈み込んだ彼の耳元で囁いた。

「言わないでくださいよ、あのことは」

 私の行動に驚いた様子のモーリッツさんは瞬きをパチパチした後、にっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。

「もちろん。俺らは仲間だからミモザちゃんの事情を把握しているけど、外部の人間に漏らすなんて真似はしないさ。ミモザちゃんが辞めちゃったら大損害だってみんなわかっているからね」

 ヒソヒソ声で返ってきた言葉に私は憮然とする。
 彼のことなので少し信用できないんだけど、そこまで言うなら多分大丈夫、なのかな?

「それに言おうとしても、外部の人間には聞こえないようになっているから」

 そうだったんだ。私が子持ちであること云々は箝口令が敷かれていると聞いてホッとする。なんかそのことについて話せないように、施設の全職員に口止めの術が施されているんだって。
 人の噂は怖い。だからこそ大巫女様がそういう対策を取ってくれていたのだと知って心のなかで彼女に改めて感謝した。

「──いつまでくっついているつもりですか?」

 内緒話をしていた私達が密着しているように見えたのだろうか。
 刺々しい声でルーカスに指摘された私は、モーリッツさんの首元から手を離した。
 そして何事もなかったように作り笑顔を作る。

「ご依頼についていらしたんですよね? 客室に案内いたします」

 その後は上司に丸投げだ。
 いっそ私を担当から外してくれと後でお願いしてみようか。
 この職場にとって私の能力は必要不可欠らしいから、そのくらいのお願いは聞いてくれるかもしれない。

 モーリッツさんとはその場で分かれて、客室へと案内する。
 歩いている間は特に会話もなくお互いの靴音が廊下に反響する音だけが響いていた。

「ミモザさんは」
「はい?」
「いつもあんなふうに密着しているんですか?」

 私についてくる形で歩いていたルーカスからチクチクした言い方で問われたので、私はムッとして言い返した。

「そうだとして、あなたになにか関係ありますか?」

 作っていた笑顔は消え去り、私は彼を睨みあげていた。
 私からの質問返しにルーカスは口を開きかけ、その唇を閉ざしていた。

 私はリナリアじゃない。ミモザなの。今の私のことはあなたには関係ないでしょう。
 お願いだからこれ以上私の心を乱さないでよ。
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