上 下
91 / 97
乱れる乙女心

見破った猫

しおりを挟む
「ミモザちゃん、魔獣調査の同行依頼が入ったから、打ち合わせに一緒に参加してもらってもいいかな?」
「わかりました」

 腕に自信のある人は誰かに頼ることなく、単身で還らずの森へ突撃するけども、用心深い人はこうして専門家に同行を依頼することがある。私は専門家ではないが、私の能力がこういう時役に立つということでよく同行させてもらっている。

 今回のお客様の依頼内容は、魔獣の血液の成分が疾患の治療薬として使用できるかどうかの可能性を調べたいとのことだった。どっかの研究所に所属されている方で、自分の足で世界各地を回っては薬になりそうなものを探して研究している研究者なんだとかなんとか…
 歩きながら上司の説明を聞いていた私は渡された資料に目を落とした。
 依頼内容と、日数、大まかな予算などなどがざっと書かれているそれ。依頼者名に目を通した私は息を止めた。

「…クラウス・クライネルト…?」
「知っているか? まぁあの家は旧家のくせして平民身分であり続ける変わり者一族だから有名か」

 上司は私の変化には気づかなかったらしく、からからと笑っている。
 えぇ、存じ上げていますとも。この間遭遇した人のお父様ですもの。
 だけどミモザである私が面識あるのはおかしいので、初対面の人と接するように応対しなきゃ。私は通常心を装って上司に続いて、応接室に入った。

「あなたは」
「……」

 なんであなたまでここにいるの、ルーカス。

 私が作り笑顔で固まっていると、上司が「ミモザちゃん、知り合い?」と尋ねてきたので、私は首を横に振る。
 いいえ、ミモザの知り合いではありません。

「人違いとはいえ、先日は大変失礼致しました」
「あ、いえ…」

 私はなるべく相手の顔を見ないように小さく返事をした。
 必要以上に関わったら、正体がバレてしまうかもしれない。

「彼女が還らずの森へ同行してくださる方ですか? 初めて見る方ですね」

 まじまじとクラウスさんに見られて余計に気まずい。
 一度会ってお話した人でもあるので、どこで私がボロを出してバレてしまうか気が気でない。やっぱりこの業務から外してもらえないだろうか。

「えぇ、つい半年前に入職した子です。還らずの森で彼女の能力が大いに役に立つのです」
「能力と言いますと?」
「聞いて驚かないでくださいよ? 彼女は通心術士なんです」
「え…?」

 上司が自慢げにお披露目した私の能力。
 それに反応するクライネルト父子。私は胃が痛くなってきた。
 ルーカスの瞳が疑うように細められて、その視線にさらされた私は今すぐに逃げたくなってきた。
 
「あなたは、通心術士なのですか?」
「え、えぇまぁ」

 大丈夫大丈夫、通心術士は数が少なくてもいるにはいるんだから。
 今の私はリナリアじゃない。ウルスラさんによく似たこの世に存在しないミモザという女性なのだ。誰にも私の正体はバレない。

「はじめまして、私はミモザ・ヘルツブラットと申します」

 居た堪れない気分になったので、空気を変えるべく自己紹介をすると、「ヘルツブラット…?」とクラウスさんが変な顔した。
 え、なに…ウルスラさんの名字がなんか変なの?

「では早速ですが、今回クライネルトさんのご依頼について…」

 目の前の2人の一挙一動が怖い。不安になってきて冷や汗をダラダラ流していると、そんな空気を全く読まない上司が今回の依頼について話し始めたので内心ホッとする。
 早く打ち合わせ終わってくれと祈り続け、なんとかその時間を乗り越えると、私は上司に「すみませんちょっと」と席を外すことを告げて足早にその場を離れた。

 
 彼らが立ち入れない空間に足を踏み入れると、私は深々と息を吐き出した。
 …まさか彼らが私の職場に依頼しにくるなんて。そこまで想定していなかった……

 私は自分の幻影術が破られるとは思っていない。
 だけどそれ以上に相手がルーカスなのが気がかりなのだ。彼は私以上に頭が良くて、勘が鋭い。だから私がなにかやらかせばすぐにバレてしまいそうな気がして……

 群青の瞳に見つめられると、いろんなことを思い出して胸が苦しくなる。
 昔ならそれは恋の苦しみだった。
 今のそれはいろんな感情がごちゃまぜになった、決して美しい感情ではない。 

 私は平静を保てるだろうか。
 何事もなく、秘密を保てるだろうか…

『あら…? そこにいるのはもしかしなくてもリナリア?』

 下の方から飛んできた女性の声に私は飛び上がった。

「!?」
『ひさしぶりじゃない。どうしたのその姿』

 相手は人間でなく、白猫だ。
 しかもただの猫ではない。

「トリシャ…」
『その姿でルーカスとは会ったの? そういえばどうしてあなたは行方不明になっているの?』

 幻影術を見破られた。ルーカスの眷属である白猫トリシャに。
 私はすぐにしゃがみ込むと、トリシャの身体を掴んで捕らえる。それに驚いた彼女はピンと尻尾を立てて目を見開いていた。

「彼らには内緒にしておいてほしいの。私はミモザとして、彼とは関わらずに生きていくと決めたの」
『…それって、ドロテアが関係してる? それなら』
「関係しているけど、それだけじゃないの。とにかく、私は正体を現す気はないの。リナリアは死んだと思ってほしいの」

 私はトリシャにずずいと顔を近づけて念押しした。
 それに対して白猫は目をつぶって難しそうな顔で唸っている。どうしようかなぁと迷っているみたいだ。

『お互いに大きな誤解があるような気がするけど……あなたがルークと話したくないなら仕方がないわね』

 トリシャは私の秘密を黙っていてくれると約束してくれた。
 私はそれにホッとする。

 …あの場に戻りたくはなかったけど、トリシャを主人のもとに返したほうがいいだろうと思って彼女を抱き上げて出入り口に向かうと、門の前で上司と挨拶を交わしているクライネルト父子がいた。
 私は少し離れた場所でしゃがむとトリシャを地面へ降ろす。

「じゃあね」

 トリシャを送り出したらすぐに部署に戻ろうとしたのだけど、『ねぇ』と呼び止められて足を止めた。

『ずっと探していたのよ。色んな人があなたを心配している。それだけは忘れないで』

 彼女の言葉が深く胸をえぐった。
 そんなのわかっている。わかった上で私は帰らなかった。
 私は自分の帰りを待っているであろう両親や友人を思い出して泣きたい気持ちになった。

「──トリシャ、なんの話をしているの?」

 そこに会いたくない彼の声が割って入ってきたので、私はぐっと歯を食いしばって涙で歪みかけた目から雫が溢れないようにまばたきを我慢した。

『なんでもないわ。この人がここまで送ってくれたからお礼を言っていたのよ』
「そう……ミモザさんでしたっけ」

 彼の呼びかけに私は身構えてしまった。

「本日はありがとうございました。調査の際は僕も同行させていただくことになっていますのでよろしくおねがいします」
「…精いっぱい勤めさせていただきます……」

 かろうじて出した声は今にも消え去りそうな言葉で。そんな私をトリシャが半眼で呆れたように見ている。そんな目で見ないでほしい。
 ルーカスの視線が刺さってくる気がしたけど、視線を上げられない。

 やっぱり私は彼の瞳を直視できなくて、ルーカスに抱き上げられているトリシャを凝視することでその場をやり過ごしたのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

王太子殿下が好きすぎてつきまとっていたら嫌われてしまったようなので、聖女もいることだし悪役令嬢の私は退散することにしました。

みゅー
恋愛
 王太子殿下が好きすぎるキャロライン。好きだけど嫌われたくはない。そんな彼女の日課は、王太子殿下を見つめること。  いつも王太子殿下の行く先々に出没して王太子殿下を見つめていたが、ついにそんな生活が終わるときが来る。  聖女が現れたのだ。そして、さらにショックなことに、自分が乙女ゲームの世界に転生していてそこで悪役令嬢だったことを思い出す。  王太子殿下に嫌われたくはないキャロラインは、王太子殿下の前から姿を消すことにした。そんなお話です。  ちょっと切ないお話です。

獣人の世界に落ちたら最底辺の弱者で、生きるの大変だけど保護者がイケオジで最強っぽい。

真麻一花
恋愛
私は十歳の時、獣が支配する世界へと落ちてきた。 狼の群れに襲われたところに現れたのは、一頭の巨大な狼。そのとき私は、殺されるのを覚悟した。 私を拾ったのは、獣人らしくないのに町を支配する最強の獣人だった。 なんとか生きてる。 でも、この世界で、私は最低辺の弱者。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

そうだ 修道院、行こう

キムラましゅろう
恋愛
アーシャ(18)は七年前に結ばれた婚約者であるセルヴェル(25)との結婚を間近に控えていた。 そんな時、セルヴェルに懸想する貴族令嬢からセルヴェルが婚約解消されたかつての婚約者と再会した話を聞かされる。 再会しただけなのだからと自分に言い聞かせるも気になって仕方ないアーシャはセルヴェルに会いに行く。 そこで偶然にもセルヴェルと元婚約者が焼け棒杭…的な話を聞き、元々子ども扱いに不満があったアーシャは婚約解消を決断する。 「そうだ 修道院、行こう」 思い込んだら暴走特急の高魔力保持者アーシャ。 婚約者である王国魔術師セルヴェルは彼女を捕まえる事が出来るのか? 一話完結の読み切りです。 読み切りゆえの超ご都合主義、超ノーリアリティ、超ノークオリティ、超ノーリターンなお話です。 誤字脱字が嫌がらせのように点在する恐れがあります。 菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 小説家になろうさんにも時差投稿します。 ↓ ↓ ↓ ⚠️以後、ネタバレ注意⚠️ 内容に一部センシティブな部分があります。 異性に対する恋愛感情についてです。 異性愛しか受け付けないという方はご自衛のためそっ閉じをお勧めいたします。

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

公爵令嬢の立場を捨てたお姫様

羽衣 狐火
恋愛
公爵令嬢は暇なんてないわ 舞踏会 お茶会 正妃になるための勉強 …何もかもうんざりですわ!もう公爵令嬢の立場なんか捨ててやる! 王子なんか知りませんわ! 田舎でのんびり暮らします!

処理中です...