上 下
58 / 96
この恋に気づいて

モナートにさよならを

しおりを挟む
 事件の後、私は町中で腫れ物扱いを受けた。
 しかし遠巻きにされるのはいつものことだし、私は被害者側だ。萎縮して引きこもっていたらあらぬ誤解をされそうだったので、普段通り過ごすようにしていた。もっぱら私の話し相手は動物達であるが。

 大勢の人は私を見てはひそひそと噂をするだけだった。その中にいつも意地悪を言う幼馴染達も含まれている。彼らにしては珍しく私に直接ひどいことを言ってくることをしなかった。その理由は、あの男の毒牙にかかった女性が身近にいるかららしい。
 もしもそうじゃなければ心ないことを言って来ただろうなと私は思っている。

 ひそひそされるくらいなら耐えられる。あと一週間もすれば私は学校に戻る。それまでの辛抱。
 次にモナートへ帰るのは半年後だけど、その頃には皆の関心も外れているだろうから……

「うちの息子は悪くない!」

 あと僅かな長期休暇。なるべく静かに過ごしたかったけど、周りは私に穏やかな時間を与えてくれなかった。

「誘ったに違いないあの魔女が! 昔から嘘ばかりついて人の気を引こうとしていた」

 その人はあの男の母親だった。
 息子が逮捕され、罪に問われることが確定したことが認められないらしく、あぁやって気でも触れたかのように騒ぎ立てているのだ。

 最初は現実が見れていないのだろうと見逃していたけど、毎日のように騒ぐもので私もぴきりときた。
 なにも言われているのは私だけじゃない。
 中には性暴力に晒されたせいで不貞を疑われたり、結婚話が破談になったという女性もいるのに、そういう人たちに対しても暴言を吐き捨てているのだ。

「それにあの船乗りの娘は生粋の淫乱だ! 昔から私の息子に色目を使っていた! 息子に相手にしてもらえないからって逆恨みであんな証言したんだ! 間違いない!」

 ほらまた、他の被害者の傷痕に爪を立てるような、見え透いた嘘を吹聴している。
 私以外にも過去の被害者がたくさん現れたというのに。
 私は未遂に終わったけど、それでも暴力に晒されたというのに。
 それを認めず、人のせいにするあの人の神経が信じられなかった。そもそもこの人にあれこれ言われるのが我慢ならない。

 加害者の親であることもだが、この人は人様に言えないことをしているのだから。

「……自分が八百屋のおじさんを色仕掛けして不倫しているからって、私や被害者の女の子達も同じだと思わないでください!」

 我慢の限界を迎えた私は大きな声で言い返した。
 まさか私が言い返すとは思っていなかったのだろう。周りにいた人たちは目を真ん丸にして固まっていた。その中で男の母親の反応は目立っていた。
 火が付いたように真っ赤になったかと思えば、すごい勢いで真っ青に大変身していたからだ。

「なっ……なっ」

 口をわななかせ、見るからに動揺するその姿を見た私は溜飲を下げた。
 ──これは猫爺さんからの確かな情報だ。私が魔法魔術学校に入学する前から聞かされている話で、彼いわく今も不倫関係は続いているという。

「おばさん、昨年の9月頃に妊娠してしまったそうですけど、旦那さんか八百屋のおじさん、どっちとの子かわからないから、隣町の薬師から堕胎薬を購入したそうですね。すべてを醜聞大好きな猫爺さんに見られていましたよ!」

 本来であればこんな繊細で個人的な情報、周りに言い触らすことはしないけど、このおばさんは限度を超えてしまった。
 私や他の女の子達を傷つける言葉を吐き捨てるというなら、こっちも対抗してやるんだ。私よりも年上の息子がいて、よくやるよ全く!

「嘘よ! あの子が嘘ついているの!」

 口角泡を飛ばしながら、周りに自分の身の潔白を訴えるおばさん。
 それに対して、周りの反応は様々だった。半信半疑な人、興味津々な人、そして元々疑念を抱いていた人からの疑いの眼差し……その中には彼女の旦那さんの視線が含まれていた。

 家庭崩壊の手助けをしてしまうことになるかもしれないが、もともと家族を裏切っていたのはおばさんだ。知ったこっちゃない。

「嘘じゃないわ。猫爺さんの醜聞話はほぼ正確だもの。動物たちは人間のことをよく観察してるのよ。お疑いなら販売元の薬師に確認したらいかが? あなたの身分証の記録と購入履歴がしっかり残っていると思いますよ」

 堕胎薬のような特殊な薬は取り扱いが難しいので、販売元は購入者の身分証明をした上で販売する。その情報は堕胎薬を取り扱う魔術師、薬師の中で共有され、一人の客に対しての販売数も制限されるんだ。悪用防止のために法律でそう決まっている。
 嘘か本当かは、その販売先に確認すればわかることである。

 私はこれでも魔術師の卵だ。薬作りはあまり得意じゃないけど、そういう重要なことはしっかり覚えている。ちゃんと学校で勉強しているんだ! あまり私を見くびらないで欲しい!

 みんなひそひそと話しながら私とおばさんを見ていた。
 ──信じたくないならそれでいい。今までもずっと私の言葉を信じてくれた人は少なかったから。
 だけど私だって侮辱されて黙っていられない。そっちが喧嘩を売るなら買ってやるんだ。

「お前……やっぱり」

 顔が土気色になったおばさんに声をかけたのは彼女の旦那さんだ。
 彼の瞳は完全に失望していた。もうちょっと動揺するかと思ったけど……すでに疑惑を持っていたのだろうか。

「違うの!」

 おばさんは涙を流しながら否定していたけど、調べればすぐにわかることだと思う。
 私は反省も後悔もしない。
 自分の息子のしたことを認めて、被害者を傷つけるような発言をしないようにしてほしい。あと、旦那さんを長年裏切って来たことも反省した方がいいと思います。

 ふぅーとため息を吐き出すと、修羅場になりつつある彼らをその場に残して、私はひとり踵を返した。

「リナリア」
「!」

 いつのまにか背後はお父さんがいた。
 やば、今の聞かれちゃった。騒ぎを作ったことを流石に怒られるかなと萎縮していると、お父さんが私の肩にそっと手を載せた。
 そして私の目線に合わせるように身を屈めると、なんだかとても辛そうな顔をしていた。

「引っ越そう。ここじゃリナリアが利用され、傷つけられるだけだ」

 突然飛び出してきた引っ越し案に私は呆然とした。
 急にどうしたんだ。そんな簡単に言うけど、仕事はどうするの。

「でもお仕事が」
「リナリアが安心して帰ってこられる場所にしたいんだ」

 ブルーム商会はそこそこ影響力を持った大きな商会だ。沢山の従業員を抱えている。引っ越すとなると商会も移転となるだろう。そうなれば今まで関わってきたお得意様との契約も、距離を理由に切れてしまうかもしれない。事業が縮小する可能性だって……それでもいいのだろうか。

「ここは輸出入専用の倉庫にすればいい。……もしも商会の規模が小さくなっても家族で食うに困らない程度に生きていけるならそれでいい。お前を守るためなら、お父さんはイチからだって頑張れる」

 私の両頬を包んだ手は大きくてあたたかかった。乱暴をしてきた男の手とは違う、私を慈しむ手。
 泣くつもりはなかったのに、じわじわと涙が滲んできた。お父さんの顔が歪んで見える。

「もっと早く決断するべきだったな。ごめんな、リナリア」

 その謝罪に私は首を横に振った。お父さんの胸に抱き着くと私は小さく泣いた。

「リナリアが幸せになることがお父さんとお母さんの望みなんだ。お前のためならお父さんはなんだってするよ」

 ──今でも、お父さんもお母さんも魔力を持っている私の気持ちは理解できてないと思う。
 だけど彼らは私を愛してくれている。大切に守ろうとしてくれている。精一杯理解しようとしてくれている。
 私は改めて両親の愛情を感じたのであった。


◆◇◆

 
 お父さんいわく、別の地域にも取引先はあちこちにいるから商会の移転をしたとしても、今まで培ってきたものはゼロにはならないと言う。
 モナートの商会倉庫は古株で信頼できる従業員達に輸出入の対応と在庫管理を任せることにして、移転先まで来られない他の従業員には解雇通知と希望者には同業種への紹介状を作成したそうだ。

 私には動物以外の親しい友人がその町にいなかったので、この地にいる動物達と、一部の理解ある大人たちにだけ先に別れの挨拶を済ませておいた。

 一旦私は学校へ戻ることになり、次の休暇には新居を整えておくからねと両親に言われて、見守られながら旅立った。

 今度帰省するときは私の知らない町に帰る。
 これがモナートとの別れ。

 辛いことも多かった土地だけど、海の見えるこの港町自体は好きだった。
 私はここで生まれ育った。海を見て育ったんだ。潮風の香りが遠ざかってしまう。もうあの風景が見れなくなるのは寂しい。
 馬車で遠くなるモナートを見ながら、私はもの悲しい気持ちになった。

 こうして私は、生まれ育った故郷を離れることになったのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】国王陛下はずっとご執心です〜我慢して何も得られないのなら、どんな手を使ってでも愛する人を手に入れよう〜

まさかの
恋愛
濃厚な甘々えっちシーンばかりですので閲覧注意してください! 題名の☆マークがえっちシーンありです。 王位を内乱勝ち取った国王ジルダールは護衛騎士のクラリスのことを愛していた。 しかし彼女はその気持ちに気付きながらも、自分にはその資格が無いとジルダールの愛を拒み続ける。 肌を重ねても去ってしまう彼女の居ない日々を過ごしていたが、実の兄のクーデターによって命の危険に晒される。 彼はやっと理解した。 我慢した先に何もないことを。 ジルダールは彼女の愛を手に入れるために我慢しないことにした。 小説家になろう、アルファポリスで投稿しています。

不妊妻の孤独な寝室

ユユ
恋愛
分かっている。 跡継ぎは重要な問題。 子を産めなければ離縁を受け入れるか 妾を迎えるしかない。 お互い義務だと分かっているのに 夫婦の寝室は使われることはなくなった。 * 不妊夫婦のお話です。作り話ですが  不妊系の話が苦手な方は他のお話を  選択してください。 * 22000文字未満 * 完結保証

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

寡黙な彼は欲望を我慢している

山吹花月
恋愛
近頃態度がそっけない彼。 夜の触れ合いも淡白になった。 彼の態度の変化に浮気を疑うが、原因は真逆だったことを打ち明けられる。 「お前が可愛すぎて、抑えられないんだ」 すれ違い破局危機からの仲直りいちゃ甘らぶえっち。 ◇ムーンライトノベルズ様へも掲載しております。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【短編】最愛の婚約者の邪魔にしかならないので、過去ごと捨てることにしました

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「ディアンナ、ごめん。本当に!」 「……しょうがないですわ。アルフレッド様は神獣様に選ばれた世話役。あの方の機嫌を損ねてはいけないのでしょう? 行って差し上げて」 「ごめん、愛しているよ」  婚約者のアルフレッド様は侯爵家次男として、本来ならディアンナ・アルドリッジ子爵家の婿入りをして、幸福な家庭を築くはずだった。  しかしルナ様に気に入られたがため、四六時中、ルナの世話役として付きっきりとなり、ディアンナとの回数は減り、あって数分で仕事に戻るなどが増えていった。  さらにディアンナは神獣に警戒されたことが曲解して『神獣に嫌われた令嬢』と噂が広まってしまう。子爵家は四大貴族の次に古くからある名家として王家から厚く遇されていたが、それをよく思わない者たちがディアンナを落としめ、心も体も疲弊した時にアルフレッドから『婚約解消』を告げられ── これは次期当主であり『神獣に嫌われた子爵令嬢』ディアンナ×婿入り予定の『神獣に選ばれた侯爵家次男』アルフレッドが結ばれるまでの物語。 最終的にはハッピーエンドになります。 ※保険でR15つけています

処理中です...