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Day‘s Eye 咲き誇るデイジー
魅惑の鱗粉【三人称視点】
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南の国グラナーダ。
温暖なその国には進化の流れで生まれた虫人という種族が多く生息した。
虫と人の合わさった彼らは特殊な性質を持っていた。それこそ獣人よりも多い種類存在するのだ。進化が著しい種族でもあり、未だ解明されていない謎も多くあった。
毒がある虫人もいれば、益虫と呼ばれる種類の虫人もいた。彼らはそれぞれ群れをなして暮らしていた。そんな彼らが外に出てくるようになったのは差別禁止法が誕生したここ最近のことだという。
彼らの天敵は多かった。第一に獣人、第二に強い虫人だ。弱いものは淘汰され、強いものが生き残る。元来の性質を受け継いだ彼らは本能的にそれらを恐れていた。
差別がひどかった時代は虫人を標本にして飾るという悪趣味なことも横行していた。獣人の歴史も悲惨だが、この虫人たちも差別にさらされ悲惨な時代を生き抜いた種族なのだ。
大陸の東に位置するシュバルツ王国に南国から留学でやってきた虫人がいた。
彼はシュバルツにやってくる前は羽化前の地味で目立たないさなぎ形態だった。醜いと馬鹿にされることも多かったが、羽化した瞬間から美しい蝶人に変化した。そんな彼に目を惹かれるものは多かった。興味本位から、研究目的、異性として興味を寄せられることも多かった。
そのため、若干ひねくれ屋になってしまった。
そんな彼が親しくなったのはフォルクヴァルツ辺境伯子息のディーデリヒ・フォルクヴァルツ。他国の留学生である彼に下心一切なく、敬意を払ってくれた彼を蝶人は信頼した。その御蔭で楽しい留学生活を送れた。
基本的に他人に興味を持たない男であったが、幾年前までは荒れた地だったというフォルクヴァルツの領地を治めることになるディーデリヒに対して次第に興味を持つようになった。
それまでは大学校で当たり障りのないことを話すだけだったのだが、親交が深まるにつれてお互いの話をするようになった。
ディーデリヒの領地に招待された彼はとあるものと出会う。通された大広間には現当主夫妻の絵が飾られていた。その隣にディーデリヒの姿絵とそして……
流行のドレスに身を包んだ若い娘が描かれた絵画を見た彼は目を見張る。
何にも染まらない黒髪、透き通るような白い肌。深い紫の瞳を持つ美しい少女だった。
「……この娘は…」
その声に反応したディーデリヒは、男の視線の先を見て表情を暗くした。
「妹だ。……生死不明の」
その言葉に彼は思い出した。
そういえばこの地には消えた姫君という存在がいたのであると。ディーデリヒはその件に関して口を閉ざしたままだったが、外に出ればその噂はあちこちで流れていた。
フォルクヴァルツの悲しい過去、行方不明の妹の話。
絵の中の彼女は生きていないのかと思うと彼はがっかりした この城には妹君の痕跡が残っているのに、この世には彼女が存在すらしないのかもしれない。
彼女がいつ帰ってきてもいいように、彼女の部屋はいつでも整えられているし、彼女の絵が年齢ごとに飾られている。フォルクヴァルツ城の庭には彼女と同じ名前の深い紫の薔薇もある。
彼は“彼女”を絵画を通して見た時、そしてアステリアという名の薔薇の匂いを嗅いだ時からずっと惹かれていた。
その時はわからなかった。なぜこんなにも心揺さぶられるのか。
彼の中で眠っていた何かが目覚めたのは、同じ庭だった。あの絵画に描かれた姿絵のように澄ました表情はしていないが、彼女は確かにそこに生きていた。
甘く引き寄せられるような匂い。
匂いに引き寄せられて近づいた彼女を前にした時、彼の恋の花が開いたのである。
もう既に彼女が別の男の妻となっていたと知っても、想いは止められなかった。
蝶人はひらひら舞う自由な存在。
獣人よりも人族よりも、蝶人は奔放な節があった。気に入った異性がいたら粉をかける。相手に自分の子どもを産んでもらう、その逆も然り。
そのため夫がいようと彼にはなんの問題もなかった。
競い合うかのように美しい羽根を見せびらかすのが彼ら蝶人の習性だ。美しければ美しいだけ異性が寄ってくる。自分の子孫を残せるのだ。
蝶人は特別気に入った異性には鱗粉を付けて求愛行動を行う。それはある意味獣人の匂い付けのようなものである。そこから香ってくるフェロモンで相手を発情させる効果があるとかなんとか。
ただそれは人族の彼女にはあまり影響なかった。むしろ番の雄が鱗粉に怒って、牽制するように色濃く匂い付けをしたため無駄に終わったが。
蝶は蝶でも色んな種類がある。種類ごとに異なる性質を持っている
彼の種族は気に入った雌に対する求愛行動の他に、鱗粉に含まれた幻覚成分で意中の雌を引き寄せるという習性があった。それを被った雌はまるで惚れ薬を飲まされたかのようになるのだという。
ある意味、はた迷惑な毒である。
もれなく彼もそれを使って気になる雌に魅惑の鱗粉を仕掛けた。
彼女はそんなこと知りもせずに目の前に広げられた手のひらをぽかんと見上げるだけ。まんまと蝶人の手のひらに堕ちようとしていた。
□■□
魅惑の鱗粉の影響が出たのは夜だった。
昼間はなんともなかったのに、夜になって異変が起きたのだ。
次期辺境伯となるディーデリヒと妻のクラウディアの挙式や披露宴も無事に終わった。親が決めた婚約者同士の結婚のため、初々しい空気などは存在しないが、新婚夫婦の雰囲気は悪くなく、周りは微笑ましく新婚夫婦を見守っていた。
後は翌朝彼らが新婚旅行に行くのを見送るだけ。その日の晩はお客様も交えていつもより大勢で夕飯をとっていた。
「いや本当に良かったんですかな、せっかくの一家団欒だと言うのに部外者の私が混ざっても」
「フレッカー様は恩人ですもの。そんな水臭いことおっしゃらないでくださいな」
デイジーの恩師でもあり、シュバルツ侵攻の際にこのフォルクヴァルツを守るために戦ったフレッカー卿はこの度の挙式にゲストとしてお呼ばれして、フォルクヴァルツ城に数日滞在予定だった。
明日からシュバルツ王立図書館の他にフォルクヴァルツ領立大学校にもお邪魔する予定らしく、遠慮する言葉を口に出しつつもワクワクしているのがにじみ出ていた。研究畑である彼らしい。
和やかな夕食時間だった。みんな笑顔を浮かべてその時間を楽しんでいた。
なのだが、一人だけ様子のおかしい人物がいた。
食事に手を付けることもなく、傍ではきゅんきゅんと幼い仔狼が食事を求めているのに、ぼんやりとしている彼女は宙を眺めていた。
「…デイジー? どうした。」
用意してもらった離乳食を双子の片割れに与えていた夫が声をかけるも反応が鈍い。
「アステリア、どうした。体調が悪いのか」
「差し支えなければ私がお坊ちゃまにお食事をお与えしましょうか」
父の声にも、気を使うメイドの声にも反応がない。表情が抜け落ち、明らかに様子がおかしかった。
「──行かなきゃ」
急に席を立ち上がったと思えば、彼女はそんなことを言い出した。
「……行くって、どこに」
こんな夜にどこに行くというのだ。と夫に聞き返されると、彼女は宙を見上げたまま言うのだ。
「シモン様の元へ」
その言葉に食堂内の音が消えた。
「……は?」
呆然とするのは何も夫であるテオだけではない。フォルクヴァルツ一家も、ゲストのフレッカー卿も、この家に仕える使用人たちもだ。
彼らの視線は一点に集中する。それなのに構わず彼女は席を離れて行こうとするものだから、テオが慌てて手を掴む。
「待てよ! 何いってんだよお前、シモンて、あの蝶男のことだよな? お前自分が何されかけたか忘れたのか?」
しっかり掴んだ手だったが、彼女は腕を振り払ってその手を拒絶した。
彼女は鬱陶しいと表情を歪めて手首を擦ると、ちらりとテオを軽く睨んだ。
「私、彼を愛しているの」
「……はぁぁ?」
デイジーの口から飛び出してきた言葉にテオは間抜けな声を漏らすほかない。
デイジーという人間はやたらめったら内なる感情を口に出すことはない。夫との褥の場では睦言のように呟くことはあっても、こんな人目のある場所で堂々と口に出すような女性じゃないのだ。
「いや、お前、何言って…」
「私、シモン様に恋をしたの。だから別れよう、テオ」
彼女の目はランランと輝いた。他の男に恋したみたいな反応をしていた。目の前にいる夫のことなど目に入らないとばかりに、ここにはいない男に夢中になっている。頬を赤らめ、夢見る乙女のように誰かを想っている。
──だが、明らかに様子がおかしい。
その場にいた人間はみんな違和感を覚えていた。
「デイジー、お前、自分が何を言っているかわかってるのか…!?」
最愛の妻の口から発せられた、突然の離縁宣言に衝撃を受けたテオの悲痛な声が響き渡ったのである。
温暖なその国には進化の流れで生まれた虫人という種族が多く生息した。
虫と人の合わさった彼らは特殊な性質を持っていた。それこそ獣人よりも多い種類存在するのだ。進化が著しい種族でもあり、未だ解明されていない謎も多くあった。
毒がある虫人もいれば、益虫と呼ばれる種類の虫人もいた。彼らはそれぞれ群れをなして暮らしていた。そんな彼らが外に出てくるようになったのは差別禁止法が誕生したここ最近のことだという。
彼らの天敵は多かった。第一に獣人、第二に強い虫人だ。弱いものは淘汰され、強いものが生き残る。元来の性質を受け継いだ彼らは本能的にそれらを恐れていた。
差別がひどかった時代は虫人を標本にして飾るという悪趣味なことも横行していた。獣人の歴史も悲惨だが、この虫人たちも差別にさらされ悲惨な時代を生き抜いた種族なのだ。
大陸の東に位置するシュバルツ王国に南国から留学でやってきた虫人がいた。
彼はシュバルツにやってくる前は羽化前の地味で目立たないさなぎ形態だった。醜いと馬鹿にされることも多かったが、羽化した瞬間から美しい蝶人に変化した。そんな彼に目を惹かれるものは多かった。興味本位から、研究目的、異性として興味を寄せられることも多かった。
そのため、若干ひねくれ屋になってしまった。
そんな彼が親しくなったのはフォルクヴァルツ辺境伯子息のディーデリヒ・フォルクヴァルツ。他国の留学生である彼に下心一切なく、敬意を払ってくれた彼を蝶人は信頼した。その御蔭で楽しい留学生活を送れた。
基本的に他人に興味を持たない男であったが、幾年前までは荒れた地だったというフォルクヴァルツの領地を治めることになるディーデリヒに対して次第に興味を持つようになった。
それまでは大学校で当たり障りのないことを話すだけだったのだが、親交が深まるにつれてお互いの話をするようになった。
ディーデリヒの領地に招待された彼はとあるものと出会う。通された大広間には現当主夫妻の絵が飾られていた。その隣にディーデリヒの姿絵とそして……
流行のドレスに身を包んだ若い娘が描かれた絵画を見た彼は目を見張る。
何にも染まらない黒髪、透き通るような白い肌。深い紫の瞳を持つ美しい少女だった。
「……この娘は…」
その声に反応したディーデリヒは、男の視線の先を見て表情を暗くした。
「妹だ。……生死不明の」
その言葉に彼は思い出した。
そういえばこの地には消えた姫君という存在がいたのであると。ディーデリヒはその件に関して口を閉ざしたままだったが、外に出ればその噂はあちこちで流れていた。
フォルクヴァルツの悲しい過去、行方不明の妹の話。
絵の中の彼女は生きていないのかと思うと彼はがっかりした この城には妹君の痕跡が残っているのに、この世には彼女が存在すらしないのかもしれない。
彼女がいつ帰ってきてもいいように、彼女の部屋はいつでも整えられているし、彼女の絵が年齢ごとに飾られている。フォルクヴァルツ城の庭には彼女と同じ名前の深い紫の薔薇もある。
彼は“彼女”を絵画を通して見た時、そしてアステリアという名の薔薇の匂いを嗅いだ時からずっと惹かれていた。
その時はわからなかった。なぜこんなにも心揺さぶられるのか。
彼の中で眠っていた何かが目覚めたのは、同じ庭だった。あの絵画に描かれた姿絵のように澄ました表情はしていないが、彼女は確かにそこに生きていた。
甘く引き寄せられるような匂い。
匂いに引き寄せられて近づいた彼女を前にした時、彼の恋の花が開いたのである。
もう既に彼女が別の男の妻となっていたと知っても、想いは止められなかった。
蝶人はひらひら舞う自由な存在。
獣人よりも人族よりも、蝶人は奔放な節があった。気に入った異性がいたら粉をかける。相手に自分の子どもを産んでもらう、その逆も然り。
そのため夫がいようと彼にはなんの問題もなかった。
競い合うかのように美しい羽根を見せびらかすのが彼ら蝶人の習性だ。美しければ美しいだけ異性が寄ってくる。自分の子孫を残せるのだ。
蝶人は特別気に入った異性には鱗粉を付けて求愛行動を行う。それはある意味獣人の匂い付けのようなものである。そこから香ってくるフェロモンで相手を発情させる効果があるとかなんとか。
ただそれは人族の彼女にはあまり影響なかった。むしろ番の雄が鱗粉に怒って、牽制するように色濃く匂い付けをしたため無駄に終わったが。
蝶は蝶でも色んな種類がある。種類ごとに異なる性質を持っている
彼の種族は気に入った雌に対する求愛行動の他に、鱗粉に含まれた幻覚成分で意中の雌を引き寄せるという習性があった。それを被った雌はまるで惚れ薬を飲まされたかのようになるのだという。
ある意味、はた迷惑な毒である。
もれなく彼もそれを使って気になる雌に魅惑の鱗粉を仕掛けた。
彼女はそんなこと知りもせずに目の前に広げられた手のひらをぽかんと見上げるだけ。まんまと蝶人の手のひらに堕ちようとしていた。
□■□
魅惑の鱗粉の影響が出たのは夜だった。
昼間はなんともなかったのに、夜になって異変が起きたのだ。
次期辺境伯となるディーデリヒと妻のクラウディアの挙式や披露宴も無事に終わった。親が決めた婚約者同士の結婚のため、初々しい空気などは存在しないが、新婚夫婦の雰囲気は悪くなく、周りは微笑ましく新婚夫婦を見守っていた。
後は翌朝彼らが新婚旅行に行くのを見送るだけ。その日の晩はお客様も交えていつもより大勢で夕飯をとっていた。
「いや本当に良かったんですかな、せっかくの一家団欒だと言うのに部外者の私が混ざっても」
「フレッカー様は恩人ですもの。そんな水臭いことおっしゃらないでくださいな」
デイジーの恩師でもあり、シュバルツ侵攻の際にこのフォルクヴァルツを守るために戦ったフレッカー卿はこの度の挙式にゲストとしてお呼ばれして、フォルクヴァルツ城に数日滞在予定だった。
明日からシュバルツ王立図書館の他にフォルクヴァルツ領立大学校にもお邪魔する予定らしく、遠慮する言葉を口に出しつつもワクワクしているのがにじみ出ていた。研究畑である彼らしい。
和やかな夕食時間だった。みんな笑顔を浮かべてその時間を楽しんでいた。
なのだが、一人だけ様子のおかしい人物がいた。
食事に手を付けることもなく、傍ではきゅんきゅんと幼い仔狼が食事を求めているのに、ぼんやりとしている彼女は宙を眺めていた。
「…デイジー? どうした。」
用意してもらった離乳食を双子の片割れに与えていた夫が声をかけるも反応が鈍い。
「アステリア、どうした。体調が悪いのか」
「差し支えなければ私がお坊ちゃまにお食事をお与えしましょうか」
父の声にも、気を使うメイドの声にも反応がない。表情が抜け落ち、明らかに様子がおかしかった。
「──行かなきゃ」
急に席を立ち上がったと思えば、彼女はそんなことを言い出した。
「……行くって、どこに」
こんな夜にどこに行くというのだ。と夫に聞き返されると、彼女は宙を見上げたまま言うのだ。
「シモン様の元へ」
その言葉に食堂内の音が消えた。
「……は?」
呆然とするのは何も夫であるテオだけではない。フォルクヴァルツ一家も、ゲストのフレッカー卿も、この家に仕える使用人たちもだ。
彼らの視線は一点に集中する。それなのに構わず彼女は席を離れて行こうとするものだから、テオが慌てて手を掴む。
「待てよ! 何いってんだよお前、シモンて、あの蝶男のことだよな? お前自分が何されかけたか忘れたのか?」
しっかり掴んだ手だったが、彼女は腕を振り払ってその手を拒絶した。
彼女は鬱陶しいと表情を歪めて手首を擦ると、ちらりとテオを軽く睨んだ。
「私、彼を愛しているの」
「……はぁぁ?」
デイジーの口から飛び出してきた言葉にテオは間抜けな声を漏らすほかない。
デイジーという人間はやたらめったら内なる感情を口に出すことはない。夫との褥の場では睦言のように呟くことはあっても、こんな人目のある場所で堂々と口に出すような女性じゃないのだ。
「いや、お前、何言って…」
「私、シモン様に恋をしたの。だから別れよう、テオ」
彼女の目はランランと輝いた。他の男に恋したみたいな反応をしていた。目の前にいる夫のことなど目に入らないとばかりに、ここにはいない男に夢中になっている。頬を赤らめ、夢見る乙女のように誰かを想っている。
──だが、明らかに様子がおかしい。
その場にいた人間はみんな違和感を覚えていた。
「デイジー、お前、自分が何を言っているかわかってるのか…!?」
最愛の妻の口から発せられた、突然の離縁宣言に衝撃を受けたテオの悲痛な声が響き渡ったのである。
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