太陽のデイジー 〜私、組織に縛られない魔術師を目指してるので。〜

スズキアカネ

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Day‘s Eye 咲き誇るデイジー

女神の娘に恋した男、狼の妻になった女

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「どうぞ、粗茶ですが」
「はぁぁ…」

 日曜の昼にしみったれた顔でお忍び訪問してきたラウル殿下にお茶を出すと、彼はふかーい深いため息を吐き出した。

「ご婚約おめでとうございます、ラウル殿下」

 そういえばやっとラウル殿下が婚約したと兄上から手紙で教えてもらった。それを思い出したのでお祝いしたら、彼はジト目で私を非難してきたではないか。

「……他人事だと思ってるでしょう君」
「だって他人事ですからね」

 せっかく祝福してあげたのに文句言われたぞ。私は斜め横のカウチにゆっくり腰を下ろすと、彼の顔色をうかがった。
 いつもの飄々した様子とは違って、気分落ち込み気味のしょぼくれた殿下は庶民御用達のハーブティをすすっていた。

 この度決まった彼の婚約相手は、数多くいた妃候補の中から選ばれた貴族令嬢だ。王妃教育もあるそうなので、挙式はまだ未定とのことだが、数年以内には彼も妻帯者になることであろう。彼は一人っ子であり、健康な男子である。特別な理由があるわけでもないのに妃を迎えないというのは流石に難しいのであろう。

 ラウル殿下が恋い焦がれていたのは女神の娘とされる乙女。女神に従う大巫女は清らかな乙女でなくてはならない。大巫女でいるためには結婚せずに、禁欲的な生活を送らなくてはならないのだ。
 結婚をせっつかれ、追い詰められた彼は大巫女・アレキサンドラ様に愛の告白と求婚をしたが、拒まれた。
 彼女が望むのは大巫女として生きる道だったのだ。

 ──…まぁそうなるだろうなとは予想していた。どんなに想ってもラウル殿下の恋は成就しないだろうなって。
 いくら身分や金があって容姿がいい男からの求婚であったとしても、覚悟を決めて俗世を捨てたサンドラ様には何も響かないであろうと思っていた。彼女は重度の男性不信を患っている。それを表に出すことはないが、根本から男を信じられないようなのだ。
 それに加えてこのラウル殿下の妃とか……面倒くさいことこの上ないだろう。お断りしたサンドラ様の気持ちはよーくわかる。王族の結婚というものは愛とか恋とかじゃ済まない。きっと権力争いに巻き込まれるであろうと彼女には分かっていたはずである。ラウル殿下を狙う女は腐るほどいる。妃候補が内定したらきっとそこから足の引っ張り合いが始まるんだ……怖い怖い。サンドラ様は平穏を愛するタイプなので、魑魅魍魎と戦うなんてゴメンだと思ったはずだ。

「サンドラ様の男性嫌いは筋金入りですし、彼女は生半可な覚悟で神殿に入ったわけじゃありませんよ」
「それはわかってるさ。だからこそ口惜しい。最低な男ばかりじゃないとわかってほしいのだが…彼女は私の前でも心を閉ざしたままだ」

 まぁちょっと…ちょびっとラウル殿下が哀れにも見えるけどね…

「婚約者に金髪碧眼の女性を選ばれる辺り、まだ諦めきれていないんですね」

 婚約者として選ばれた侯爵家の令嬢の持つ色がサンドラ様と同じなのが気にかかるのだが……そういうの後々で騒動になるからどうかと思います…と、幼馴染のミアが起こした痴話喧嘩を思い出しながら呟くと、ラウル殿下は情けない顔で笑っていた。

「情けないことにアレキサンドラは初恋の女性なんだよ」

 それはそれは…

「初めて彼女と会ったとき、もう彼女は手の届かない存在になっていた。……たくさんの美姫と出会ってきた中で一番の衝撃だった。儚げでか弱そうな容姿なのに、その瞳の中の意志の強さ。──一目惚れだった」

 …テオも私のこと一目惚れしたとか言っていたが、一目惚れってそんなに強烈なのだろうか。
 それにしてもこれ迄に出会ってきた女性に対してなかなか失礼な発言である。

「ちょっとずつ距離を詰めて、私に興味を持ってくれたらな、と思っていた。だけど彼女は誰にも平等で、特別を作ろうとはしなかった。唯一あの子が興味を持ったのは君だよ、アステリア」

 一国の王太子が元婚約者に負けるなんて情けないだろう? と自嘲するラウル殿下。
 勝ち負けの問題なのだろうか、それ。私が同性であり、特殊な生い立ちだったから興味持たれたんじゃないの。私に心を開いて本音を吐き出したサンドラ様。私達は不思議と親しくなれた。
 ──なるほど、だからサンドラ様と私がお茶の約束をしていると必ず出没したのかこの人。個人的にはものすごく邪魔だったけど、ラウル殿下も手段を選べないほど必死だったのかもしれん。そうでもしないと会う機会がなかったのかな。

 過去には大巫女を還俗させて王妃にしたという国王もいるそうだが、サンドラ様の覚悟は強固だった。王族の権力を使って女神の娘を無理やり妃にすると女神の怒りを買って禍を受ける伝説があるので、その手段は禁止されている。…想い人に振られてしまった今はもう諦める他ない。

「後もうちょっと時間があれば、彼女を振り向かせられただろうか」
「いやー…それはどうでしょう」
「アステリアは冷たいなぁ。少し位は傷心に浸るのを許してほしいな……こんなことなら君が私の妃になってくれたほうが良かったのかもしれないな」

 何を馬鹿なことを言っているんだこの殿下は。絶対にならんよ。
 男心というのは意外と脆いものなのかもしれない。ラウル殿下のこんな弱った姿はじめて見た。
 しかし、白紙撤回された元婚約者の私になぜそんなことを話に来たのか。私は愚痴聞き担当では無いのだが。

「……妻となられる方を大切にするんですよ。でないとサンドラ様が気に病みます」

 辛いことだろうが、彼は国を背負うために生まれてきた。今までその恩恵を受けてきた。それは逃げられないことなのだ。
 それに意外と奥さんになる人とうまくいくかもしれないぞ。

「私も君みたいに立場を捨てられたら良かったのにな」
「もともとあってなかったような立場ですから」

 私は庶民として育ったので、ラウル殿下とは根本からして立場が異なる。
 私がシュバルツに行かなければ、貴族令嬢であると事実すら知らずにそのまま生活していたかもしれない。
 ──悲劇など起きずに、ラウル殿下の婚約者のままだったら私はどうしていたのだろう。

「なんか用っすか? 腹の子に障るんで早く帰ってください」

 ぬっと後ろから腕が現れたかと思えば、優しく抱きしめられた。家事を片付けていたテオは、私とラウル殿下を2人きりにせぬよう急いで洗濯物を干してきたみたいである。
 いやいや。今更どうこうなるわけ無いでしょ。私人妻よ? あんたの妻なのよ。
 テオに警戒されたラウル殿下は肩をすくめてゆるゆると首を横にふっていた。

「君はいつになっても牙を剥くなぁ。私がアステリアに危害を加えるとでも思っているのかい?」
「うちの嫁は今が一番大事な時期なんです」
「知ってるよ、幸せの絶頂期だもんね」

 ラウル殿下の視線が私の膨れたお腹へと向かった。
 妊娠初期の悪阻やめまいの時期は通り過ぎ、お腹は日を追うごとに大きくなっていった。
 定期的にお医者さんに診察してもらっていて、お腹の中の双子は元気よく育っているそうだ。どうやらこの子達は狼獣人寄りの赤子のようで、人間の胎児を宿すよりもお腹は大きくならないだろうと言われた。

 獣人の赤子は人間のそれよりも成長が早い。動き回るのも早い。大人が一瞬目を離した瞬間にどっかに逃亡する危険性もある。
 そのため、家の周りに赤子逃走防止の高い柵を設置しなくてはならない話になり、フォルクヴァルツの父上と母上がわざわざ職人を手配してくれた。生まれる頃には頑丈な柵が家の周りを囲っていることになるだろう。

「お腹の子たちは素直な子に育ちますように」

 テオへのあてつけなのだろうか。
 私のお腹に手を伸ばしたラウル殿下は優しく撫でてきた。
 その声が聞こえたのか、内側からボコッと蹴られる。

「あっ、今動いたね」

 反応があったのが嬉しいのか、ラウル殿下は笑顔になって更に撫でてきた。殿下は子ども好きなんだね、見た目によらず。

「うちの嫁の腹に触りすぎですよあんた」
「いいじゃないか、幸せお裾分けしておくれよ」

 心狭い旦那が文句をつけるが、ラウル殿下はテオに睨まれても怖くもなんともないらしい。いつもの飄々とした笑顔を浮かべると、撫でていた手を止めて、そこに視線を集中させた。

「──我に従うすべての元素たちよ。彼らに祝福を」

 ポウ…と淡い光がお腹周りに集まってきた。祝福の呪文を掛けられた私の体中にあたたかい空気がまとわりついてくる。
 まさか王太子直々に元婚約者である私に祝福の呪文を掛けられるとは思わなかったので、私は目を丸くして彼を見た。

「母子共に元気なことを祈って呪文をかけておいたよ。君の子だ。きっとひとかどの人物になるだろう」

 そう言ってラウル殿下は私の片手をとって握ってきた。
 その触り方には下心なんて一切ない。ただ親愛と労りの気持ちだけが含まれていた。

「アステリア、私はね、君が行方不明のときも一度たりとも君のことを忘れてなかったんだよ」

 いつもおちゃらけてる殿下が今日はいろんな表情を見せてくるもんだから、私は調子が狂いそうになった。

「私は好きな人と結ばれなかったけど、君が幸せそうにしている姿を見ていると、なんだか自分も幸せな気持ちになるんだ。…君の幸せを心より願ってる」

 曲者殿下なんだけど、根っこの部分は真面目なんだよなぁこの人。
 苦手ではあるけど、嫌いにはなれない。
 
「…政略結婚ではありますが、きっと奥さんになる方と幸せになれますよ。今は辛くても、人の心なんてわかりませんからね」

 なんたって元いじめっ子と結婚しましたからね、私って。
 私が自信満々に返すとラウル殿下は面食らった顔をして、そしておかしそうにクスクス笑っていたのである。
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