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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

評判の魔術師の住まう丘の上の立派なお家【三人称視点】

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 エスメラルダ王国には薬作りが上手で評判の魔術師がいる。
 その魔術師はかの王国の貴族の令嬢だったとか、捨て子だったとか色んな噂が流れている。学生時代かなり優秀で、飛び級卒業した後に最速で高等魔術師になった才女なのだという。
 先のハルベリオン陥落作戦では武勲を上げ、爵位や縁談などいい条件を持ちかけられたがそのどれも辞退し、エスメラルダ辺境の素朴な獣人村で家族とともに暮らしているのだそうだ。

 彼女の活動範囲は近隣のみ。遠出の出張は現在引き受けてもらえず、遠方に住んでいる依頼者は彼女の住んでいる村まで足を運ばなくてはならない。1日に2往復程度しか馬車が通らない辺境。そんな不便な場所まで苦労してたどり着くくらいなら、そのへんの薬屋や他の魔術師を頼ればいいと思う人もいるであろう。
 高等魔術師の作る薬は高い。請求される金額は決して安くないが、その効き目はピカイチ。そのため皆遠路はるばるやってきては助けを求めてくる。依頼者は後を絶たない。
 そしてその日も、病を治すために色んな薬に手を出したが、それでも改善せず困り果てた依頼者が彼女に救いを求めにやって来た。


■□■


 苦労の証なのか、帽子をとったその頭には白が散っていた。

「あのう、ここに凄腕の魔術師さんがいると聞いたのですが…」

 声質で察せる年の割に、すっかり老け込んだ男性が腰低めに声を掛けたのは畑で農作業をしていた村人である。
 ぴこん、と小さな耳を動かしながら村人が振り返る。彼は作業を一旦止めて首にかけてある手ぬぐいで流れる汗を拭っていた。

「あぁデイジーのことか、デイジーなら丘に住んでるぞ。赤い屋根の立派な家だからすぐに分かるさ」

 彼が言うには少し離れた位置にある丘の上に例の魔術師は家を構えているのだという。彼は言われたとおりに足を運ぶとなるほど見えてきた。村のはずれの丘の上に建つ赤い屋根の立派な一軒家。
 それを見た男性はじぃんと目頭が熱くなった。ここに最後の希望である魔術師がいる。その名もアステリア・デイジー・タルコット高等魔術師。

 ここまでが長かった。
 周りの医者や薬局、魔術師に診てもらい、薬を処方されたが一向に良くならなかった彼の病。むしろ逆に体に合わない薬を処方されて余計に病状が悪化した彼の身体は年齢よりもごっそり老けてしまった。このまま死ぬのを待つだけなのかと絶望する毎日を送っていた彼の耳に入ってきたのが、彼女の噂だ。

 周りの人は長旅になるからと止めてきたが、反対を押し切った男性はひとり旅立った。どうせこのままだと消えゆく命。それなら最後まであがいてやろうと思って無理してやって来た。
 病に冒された身体では丘を登ることすら厳しかったが、不思議とその時の彼の身体は軽かった。

 丘を登りきった頃にはひどく息切れを起こしていた。肺が破裂しそうに苦しい。こんなに心臓がどくどく言ったのはいつぶりだろうか。彼が胸を抑えながらフラフラと赤い屋根の大きな家に近づくと、そこには人影があった。
 庭先で白銀に輝く立派なしっぽと三角の耳を持った美丈夫な狼獣人が洗濯物を干していた。彼の背中には小さな赤子がおんぶ紐で支えられている。

「きゅぃーん…」
「ギャン!」

 それだけではない。
 彼の足元には手足が太ましくわんぱくそうな犬…ではなく仔狼が2匹。チョロチョロしては狼獣人の男性の足にしがみついている。何かを訴えて、不満そうに吠えていた。

「だぁめ。お前ら四本脚でどうやって妹の面倒見るんだよ。人間寄りのヴァイオレットはか弱いんだぞ」

 どうやら全員彼の子どもらしい。獣型と人間の幼子達……あぁ、なるほど魔術師様の旦那様か。と男性が納得した時、狼獣人の獣耳がピクッと動く。人の気配に気づいた彼はゆっくりと振り返った。
 遠目で見ても美形だったが、そばで見ても美形だ。逞しい体躯を持つ狼獣人を前にした男性は圧倒されて萎縮した。
 狼獣人の彼はといえば、顔色が悪くガリガリに痩せた、どう見ても重い病持ちの男性を前にして心配そうな顔をしていた。

「あの、薬の依頼で…お手紙を事前に出してお約束していた者なんですが…」

 しどろもどろに用件を告げると、彼は持っていた洗濯物をかごに戻して、すぐに応対してくれた。

「あぁすいません、今あいつ難しい薬作りで立て込んでるから、茶でも飲んで待っててくれますか?」

 そう言われて男性が通されたのは庭先のテーブルチェアだ。
 お茶を煎れてくると言って家の中に戻っていった狼獣人を待って、男性はソワソワしていた。

「きゅん?」
「がう」
「や、やぁ」

 獣型の双子は白銀色の毛に同系色の瞳の仔と、黒毛に紫の瞳の仔だった。2匹とも男の子のようで、男性に対して興味津々で匂いを嗅ぎに来た。

「おっと」

 黒い毛を持つ仔が膝の上に登ってきたかと思えば、男性のお腹を鼻先でつんつんしてきた。しかしそれは遊んでという仕草ではない。
 なにかがそこにあると探るように匂いを嗅いでいたのだ。

「…君には分かるかな。…おじさんはね、ここに悪いものが出来ているんだ」

 男性は苦笑いを浮かべて患部をそっと手で撫でる。黒毛の仔は紫の瞳でじっと男性を見上げた。

「あっこらギル! すいませんこいつの相手させちまって」

 お茶とお菓子を載せたトレイを持って外に出てきた狼獣人が慌てて戻ってくると、膝の上を占拠していた息子の首根っこを掴んで地面におろした。

「客が来るといつもこうなんですよ、失礼しました」

 お茶とお菓子をテーブルに並べながら、狼獣人が謝罪したが、男性は首を横に振って笑っていた。

「この子は病気の匂いを嗅ぎ分けられるのかもしれない」

 彼はそう言って地面に下ろされてキョトンとする黒仔狼の頭をそっと撫でた。
 ……凄腕の魔術師宛に相談の手紙を送った時『私は医者ではない』と最初は突き放された。だがそこをなんとかとお願いして、医者の診断書を送って何度かやり取りを繰り返した上で、今日の約束にこぎつけた。
 緊張していた男性の心は仔狼のお陰で少しだけほぐれていた

「うえぇぇ…」
「あっこら! ヒューゴ! 寝てたのに起こすな!」

 どこからか赤子の泣き声が聞こえたと思えば、庭先に吊るされたハンモック式ベビーベッドでお昼寝していた赤子が白銀色の仔狼に揺らされて起こされたようだ。
 仔狼としては妹と遊んであげていたのかもしれないが、寝ていた妹からしてみたら単なる睡眠妨害だったらしい。不機嫌そうに泣き出してしまった。
 白銀仔狼は父親に止められて不満そうにぐるぐる唸っているが、愛らしい姿のせいで威厳もへったくれもない。
 ──幸せそうな家庭だ。穏やかな光景だと男性は目を細めて見守っていた。


「みんなーお祖母ちゃまがやってきましたよぉ」

 少しばかり羨ましい気分に浸っていた男性の耳にガラガラガラという車輪の回る音と、元気な婦人の声が届いた。
 音の出どころは丘の下だ。そこには立派過ぎて村ののどかな風景に溶け込めていない馬車が停まっていた。
 馬車の馭者がササッと扉を開けると、上流階級の風情をした夫人が出てきた。すると仔狼達が瞳を輝かせて一斉に彼女のもとに駆け寄り、ドレスにじゃれついているではないか。

「かわいこちゃんたち、お出迎えありがとう。今日もたくさんお土産を持ってきたのよ」

 夫人は幸せそうに笑うと、狂喜に暴れる仔狼たちを抱き上げた。

「──母上、家が狭くなってしまうので毎回物を持ってこられては困ります」

 そこに、若い女性の声が降ってきた。
 男性が視線を向けると、家と隣接してある作業小屋からひとりの女性が出てきて、呆れた視線を夫人へと投げかけていた。
 混じりけのない黒髪と、不思議な色をした紫の瞳。透き通るような白い肌を持った大変美しい女性であった。

「アステリア、そんな事言わないで頂戴。育ち盛りの子たちの為にと思ってたくさん食べ物を持ってきたのよ?」
「うちの子たちはまだそんなに量多く食べないんです。量が多すぎてテオと私じゃ片付けられないし、結局村の人に配って回らなきゃいけないんですよ」

 どうやら彼女の母親が毎回毎回大量のお土産を持って遊びに来るもんだから困っているらしい。
 …噂は本当だったのかもしれない。凄腕魔術師は貴族令嬢だったが、恋人と結婚するために身分を捨てて、障害を乗り越えてきたという、巷で流れる恋愛物語は真実だったのか……

 男性はぽつねんと取り残された気分で目の前の光景を眺めていた。
 こんな状況で出されたお茶をすするなんて無粋な真似はできない。自分は一体どうしたら…と思っていたら、彼の目の前に影がさした。
 はて、ここに来るまで雲ひとつ無いいい天気だったのに雲で太陽が陰ったのかな? と男性が空を見上げると、そこには巨体があった。

 その巨体の持ち主は血が滴る猪を掴んで翔んでくると、のしん、と広い広い庭に着地した。
 男性はその金色に輝く鱗を持つ巨大な生き物を見て息が止まった。むしろ心臓が止まる思いだった。

「どっ、どっどどどドラゴンっ!?」

 泡を吹きそうな勢いでビビった男性は椅子から転げ落ちそうなのをなんとか堪えた。
 なんでここにドラゴンが現れるのか。
 絶滅危惧種のドラゴンは還らずの森にしか生息しないって話なのに何故。
 男性の裏返った声で男性の存在を思い出した若い女性がパッと振り返った。

「すみません、おまたせしたようで」

 この女性が、凄腕の魔術師。
 自分の病を治せるかもしれない、最後の砦。

「あなたが凄腕の魔術師、デイジーさんですか?」

 フラフラと立ち上がった男性は震える声で問いかけた。その声は泣きそうになっていた。
 何度か手紙でやり取りしてきたから、彼女は男性の病を知っているはずだ。男性がどんな思いでここまで旅したかきっと彼女はわかっていたのだろう。
 彼女は男性を安心させる為に、にっこりと笑って見せると、自信満々にこう言った。

「そうです、私が高等魔術師のデイジーです」


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