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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

過去の恋心と嫉妬の猫獣人

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「そういえば聞いたかい? エイミスさん家のミアちゃん、昨晩遅くにひとりで帰ってきたんだって」

 朝ごはんの時間に何気なくお母さんが話した内容に私は眉をひそめた。
 狭い村の中ではあっという間に噂が駆け回る。朝ごはんのパンを買いに行ったお母さんは隣の奥さんから呼び止められて話を聞かされたのだという。

 先日結婚して、相手の住む町へと引っ越していったミア。今は新婚ホヤホヤで下手したら蜜月真っ盛りなのに…帰省とは不穏な空気である。
 あんなに幸せそうだったのになんだ? 痴話喧嘩かなにかかな。同じ猫獣人でも暮らしてきた場所が違うから価値観の相違でぶつかったとか?
 例えばエスメラルダ東部であるこの村では朝は目玉焼きが主流だけど、西部ではスクランブルエッグが普通らしいので、それで喧嘩したとか……。いや、流石にそれは無いか。

「泣きながら家に帰ってきたって話だよ。新婚ホヤホヤなのに喧嘩かねぇ…」
「他所の家のことだ。余計な口出すんじゃないぞ」

 お母さんとしては気になるらしいが、お父さんは関わるなと言う。私は黙ってちぎったパンを食べていた。つい最近テオと喧嘩してしばらく無視し続けていた私には偉そうなことは言えない。ここは回答を控えさせてもらうとしよう。
 ミアの気が済んだら家に戻るか、旦那のほうが迎えに来るだろう。
 夫婦喧嘩に他人は関わらないのが一番だ。そう納得させて、今日の仕事の段取りを考えていた私だったが、まさか修羅場の方からやってくるとは思わなかった。


 いつもの丘の上。私は薬をすり潰しながら空を見上げた。どこまでも続く青空が広がっている。穏やかだ。
 私はこの日常が当然だと思っていたが、先のハルベリオン陥落作戦以降、考えが変わった。なにもないただ平穏な日がたまらなく愛おしいものなのだと学んだ。
 勉強ばかりで空よりも本を眺め続けてきた私だが、雲ひとつない青空がこんなにも愛おしいなんてものすごい心境の変化である。

「よーし、できた」

 注文分の胃腸薬を煎じ終えると、個別包装して完了である。注文分の薬を作り終えた後は、今や常連客の多い美容クリーム作成に着手する。
 私はずっとこの丘の上で薬を作り続けているが、いい加減薬専用の小屋かなにかがほしい。だから一人暮らしを考えていたのだが、家族は反対だと言うし…この村には賃貸ってものが無いからなぁ。自分で手配して小さな小屋を作ろうかなぁ。

 美容成分が配合された薬草から花殻をもぎ取る作業をしていると、シタンッと軽々と地面を蹴り飛ばす音が聞こえてきた。直後、私の肩にノシッと何かが乗った。

「!?」

 倒れ込むほどの重さではないが、ずっと載せられるほど軽いわけじゃない。
 四足のなにかが器用に乗っている。暖かくてふかふかした感触を項に感じていた私は、レイラさんに肩を噛みつかれた時のことを思い出して固まっていた。
 あの噛み噛み事件の再来かと冷や汗をかいて動けなくなったのだ。

「──ミアッ」

 咎めるような男の声に、肩に乗っかっていた何かの腕が私の後頭部を抱き込んできた。私に縋っているのか、ブルブルと震えているのがこちらにまで伝わってくる。

「いい加減にしないか」

 苛立っているような声で上から怒られたけど、多分これは私の後頭部に居る何かに叱っているのであろう。
 サクサクと草を踏みしめる音がして、うつむきがちになった私の目の先に男性の靴が現れた。ちらりと見上げるとそこには灰色猫獣人の姿。彼はミアの旦那さんだ。
 ということは…私の後頭部にしがみついているのは、獣化したミアってこと……?

「迎えに来た、帰るよミア」
「ニィィィ…」
「あの男がいる村に帰ってきたのは僕に対する当てつけ? あの男に泣きつきに来たの?」

 灰色猫獣人が目を細めて私の肩に乗っているミアを睨みつけると、猫型のミアは怯えたように縮こまる。
 ……あの、私を挟んで痴話喧嘩しないでくれませんかね。

「あの、まずは落ち着きましょう」
「君には関係ない」

 そう、そのとおりだ。
 だが現に私は巻き込まれてしまった。痴話喧嘩にしてもミアの怯えてるし、このままじゃ冷静に公正な話し合いできないでしょ?

「いや、ミアは私に助けを求めに来たんでしょう。あなたがおっかない顔で追いかけてきて怯えているんですよ」

 私の指摘にミアの旦那さんは眉間にシワを寄せ、「フシャー!」と猫が発する威嚇音を発してきた。しっぽをピンと立てて、野良猫の縄張り争い一歩手前みたいに威嚇された。
 それやめて怖いから。私は拳での話し合いは遠慮したいです。
 
「…過去の男をいつまでも未練たらしく想い続ける彼女が悪い。僕を選んだというのに、初恋の男にまだ囚われている…!」
「へぇーそうなんですか」

 私が気のない返事をしていると、私の肩に乗ったままのミアがミギャーとなにか訴えてきた。何言ってるか分かんないけど、なにか訴えたがってるのはわかる。
 なるほどねー獣人の嫉妬深さが原因かなぁ。この人もか。しょうもな。
 私はぷちぷちと花殻もぎを再開した。その態度が興味なさそうに映ったのか、目の前の灰色猫獣人は苛立っている様子であった。

「ミアが僕の求婚を受け入れたのはあの男と毛色が似ているからだという!」
「……あの男、というのがこの村の某狼獣人のことを言ってるなら、テオは白銀色ですよ。灰色のあなたとは少し違う…自分の色が気に入らないなら、脱色剤作ってテオと同じ毛色にしてあげますけど。お揃いになれますよ」
「結構だ!」

 私も似てるなぁと思ったけど、相手猫獣人だし、灰色はありふれた色だし。顔立ちも性格もテオとは正反対の雰囲気を持つミアの旦那さんだ。流石に色だけで選んだわけじゃないだろう。
 そもそもミアがそんな事言ったの? 流石に旦那前にして言うような子ではないと思うけど。

「ミアは、流れ込んでくる縁談をすべて断り、あの男を想い続けてきたという。……寝言で、あの男の名を呼んだんだ……今でも、あの男を思っているに違いない」

 いや、夢の中まで干渉するなよ、面倒くさい男だな。
 無意識に呼んでしまったのは許しなって。幼馴染なんだから夢に出てくることもあるだろう。私だってあいつに追いかけ回されていた時代の夢を今でも見るぞ。
 ミアの心のうちは私にもわからないけど、テオへの恋心は思い出として特別なものとして残ってるんじゃないかなと思う。

「あいにく、私は男女のことは疎いもんで……だけど、世の中では初恋はいつまでも美しい思い出になるものらしいですよ」

 これは私が貴族として生活していた頃、母上のお友達の貴族夫人がお茶会の席で言ってた。
 彼女たちは家のために結婚しなきゃいけないので、恋愛結婚は稀だ。恋を諦めて嫁いだ人もいる。そのせいか大人になって、成人した子どもがいる年齢になっても、娘時代の甘くほろ苦い恋のことだけは覚えているのだと熱く語られたぞ。

「だとしても!」
「ミアの心はミアのものです。過去の恋心にまで束縛できませんよ?」
「僕はミアの番だぞ! 番以外の男を想うなんてあってはならないことだ!」

 獣人はほんと嫉妬深いよなぁ。私は呆れずにはいられなかった。

「違うと言ったのに責め立ててきたのはあなたでしょ! どうして私の言うことを信じてくれないの! なんで友達かどうかも怪しい人の話を鵜呑みにするの! 私は不貞なんかしてない!」

 私の背に隠れるようにして人型に戻ったミアが全裸で叫んでいた。私は慌てて、畳んで置いていたマントを彼女の身体にかけてあげる。
 だから全裸は駄目だって。危険すぎる。
 今の流れだと、この旦那さんに余計なことを言ってきた輩がいるんだな。
 それが冗談か悪意かは知らないが……きっとそれが旦那さんの心の奥底で不安として残っていたことなんだろうね。それがとうとう爆発した。だからこうして喧嘩になっている。

「ミアにはそれはそれは山程の縁談が流れ込んできたんです。その中であなたが選ばれたんですから、少し位余裕持ったらどうなんですか?」

 私はミアを守るようにして相手を注視すると、相手は渋い顔をしていた。

「それは…」
「匂いは? 彼女から浮気相手の匂いがするんですか? 獣人ならわかりますよね?」

 私の問いかけに旦那さんは口ごもり、気まずそうに目を逸らすと「いや…」と小さく否定していた。
 浮気レベルになったら異性の移り香が顕著になるものなんじゃないか? ごまかせないくらい匂いが染み付いちゃうと思うんだけど。

 しくしくとすすり泣く声が聞こえる。私の背中にしがみついてミアが泣いているのだ。
 なんだこれ。なんでこの状況に私が挟まれているんだろうか。……駄目だな、旦那さんもミアも頭に血が上ってて冷静に話し合いできなさそうだ。

「一ヶ月くらい、ミアを実家に預かってもらってあなたはひとりで過ごしてみたらいい」

 近くにいるから溜め込んだ不満や不安をぶつけてしまうんだ。離れて自分を見つめ直したらどうだ。せめて冷静になって話し合いができるまでは。

「君が決めるな!」
「じゃあ、ミアのご両親に言いますか。嫌がって泣き叫ぶミアを無理やり連れて帰るって」

 泣いてる娘を放置しておくようなエイミス夫妻ではないと思うから、きっと止めると思うなぁ。

「あなたに会いたくなったらミアも帰るでしょ。今のままじゃ話は平行線ですよ」

 お互いにわだかまりを残してギクシャクするだけだと思うなぁ。
 私の言葉に猫獣人旦那は口ごもり、なにか言いたそうにミアを見ていたが、泣く彼女を見て少し冷静になったようだ。

「…また様子見に来る」

 そう言ってひとりで帰っていったのだ。
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