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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

血は争えない

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 私がなだめる声が聞こえているはずなのに、テオは警戒を解かなかった。油断したら獣化して、領主のドラ息子に噛みつきに行きそうでハラハラしてしまう。

「大丈夫、大丈夫だから」

 テオにそう言い聞かせると彼はぐっと怒りを抑え込んでいたが、その代わりに私を抱っこする腕に力がこもった。絶対に渡さないぞという意志が伝わってくる。
 もしも私が無理やり連れさらわれようとしたら、テオはきっと命を懸けて守ろうとするに違いない。
 しかしテオはただの平民。領主のドラ息子に楯突いたらあとが面倒だし、ここは……

「──母上に任せたほうがいい」

 彼女は私を守るように前に出ると、持っていた扇子をバッサァと広げた。その音に反応した男の視線が母上に向かう。

「わたくしのアステリアがなにか…?」

 その声は貴族特有の高慢さがあった。それと同時に貴族としての誇りを感じさせた。貴族夫人である母の背中がやけに頼もしく見える。
 エスメラルダの貴族と隣国シュバルツの貴族は個人的な付き合い若しくは式典など行事ごとがなければ、そうそう会うことがない。

「何だお前は」

 ドラ息子の問いかけに母上は眉をひそめる。
 ふたりとも父親か夫が辺境伯位を持つ人間である。母上は地味目のドレスを身に着けているが、その仕立ては一流のもの。彼女から醸し出される雰囲気から貴い身分であることは隠せていない。
 ……それにしても、ドラ息子の態度は最悪だ。年上の婦人に対する態度とは思えない。

「シュバルツ王国フォルクヴァルツ辺境伯が妻、マルガレーテと申します」

 氷のような瞳で男を睥睨した母上は口元を扇子で隠して、汚らしいものを見てしまったとばかりに顔をしかめていた。

「生憎、わたくしは金や権力のためにアステリアを産んだわけじゃありませんことよ。今となっては娘の幸せを第一に考えておりますの…それを……」

 扇子で口を隠しながら怒れる母上。彼女から溢れる魔力に影響を受けた扇子がピシピシ音を立てている。母上が放つ魔力に、周りにいた獣人らが怯えてジリジリと後ずさっていた。
 私を抱っこしているテオも同様だ。さっきまで領主の息子に対してグルグル唸ってたのに、今は耳がぺしょんと力なく倒れている。

 ──バキャッ!
「あらやだ、ごめんあそばせ」

 扇子が破片に変わった。
 パッと見だと彼女の握力で壊れたようにも見えるが、あれは魔力で壊してしまったのだ。彼女は散らばった破片に向かって魔法を唱えて綺麗にすると、静かに男へと視線を戻した。

「…先の、ハルベリオン陥落作戦にあなたは参加していないとかそんな話を耳にしたことがあります」
「…それがどうした。私はこの領の跡継ぎ。次期辺境伯だ。父には私しか息子はいない」

 そういう言い訳をして、戦地にこなかった貴族は何人かいた。
 色々事情はあるだろうが、貴族として矜持を持っている母上には弱虫が戦う前から諦めているように見えるんだろう。貴族は領民から税をいただき、貴族として国から優遇を受けている。その代わりに義務を果たさねばならないのに、安全な場所で何もせずにいる輩を見ていると腹が立ってくるのだろう。
 このドラ息子は同じくハルベリオンの辺境に住まう貴族だったのにも関わらず、だ。言い訳して戦いから逃げた。きっと、自分と同じ貴族だとは思いたくないと軽蔑しているのだ。

「それは我が家も同じです。アステリアもですが、この子の兄も前線に向かって勇敢に戦いました。……貴族として生まれ、魔術師であるはずなのに、義務を果たさなかった意気地なし男に、わたくしのかわいいアステリアをやるもんですか」

 フォルクヴァルツ一家は別に魔法至上主義ではない。やる気さえあれば、魔なしにも獣人にも一般人にも機会を与えてくれる。
 しかしそれとは別に貴族であり、魔術師であることに矜持を抱く彼らは同じ魔術師や貴族に対しては殊更厳しかった。与えられた力や地位を使わずに危険事から逃げる弱虫を嫌っている。

「あなたの発言をわたくしの娘に対する侮辱と受け取りました。それすなわち、フォルクヴァルツに喧嘩を売ったも同然です。…お覚悟なさいまし」

 母上はカッと目を見開いて相手を睥睨する。言い訳をして魔術師としての義務から逃げた眼の前の男を排除すると決めたようだ。ドラ息子は彼女の気迫に負けて後ずさっていた。自業自得だからかわいそうとは思わないが。
 それにしても幼女姿の私に伽を命じるって…そこんところどうなのこの人。今の時期狙ってきたんだし、本気で変態なのかな。

「…お前の実の母ちゃん、お前とキレ方が同じだな」

 ボソリとテオが呟いたので、私はテオの顔と、母上の頼もしい後ろ姿を見比べて首を傾げた。

「そう?」

 私は別に……扇子粉砕させたこと無いし…そんな事無いよ……

「──なんだか取り込み中のようだね、フォルクヴァルツ夫人」

 状況を読まずに無遠慮に横から声を掛けてきた男がいた。母上は煩わしそうに顔を動かし、その男の顔を見て血相を変えた。相手が誰だかわかった瞬間、すぐさま礼を取っていた。

「…ラウル殿下、まさかこちらにいらっしゃるとは思いませんで」
「お忍びだからそう固くならずともいいよ」

 なぜあんたがこの村にいる。
 暇なのか王太子という立場は。
 ラウル・シュバルツは世の女性が見惚れると言われている繊細な美貌を振りまき、あちこちへと視線をさまよわせると、テオの腕に抱っこされた私に目を留めた。
 …よくわかったな、今の私は幼児姿だというのに。

「やぁアステリア、可愛い姿になってるね」

 親しげに声を掛けてきたラウル殿下は私の小さくなった手をとると、その甲にキスをしようとした。

 ──バシッ
「…触らないでもらえますかね」
「おぉ痛い。酷いなぁ挨拶するだけなのに」

 案の定テオが叩き落としていたが。ラウル殿下はテオの反応がわかっててそんな事してきたんじゃなかろうか。私はテオからギュッギュと抱きしめられて、無駄に苦しい思いをした。
 ラウル殿下は叩かれて赤くなった手をわざとらしく擦りながら、ちらりとその灰青色の瞳をドラ息子に向けた。
 ドラ息子よりもラウル殿下のほうが大分年下なのに威厳からして違う。ラウル殿下は少しばかり胡散臭いし、癖があるけど、そういうところはさすが王族だなって感心する。

「白紙撤回とはいえ、アステリアは私の婚約者になる女性だったんだよ?」

 その言葉に私を抱っこしていたテオが反応した。息を呑んで、カッと目を見開くテオ。

「つまり彼女はシュバルツの王妃、ないしに国母になる女性だったんだ。なのにそれはあまりにも…あぁもしかしてシュバルツに喧嘩売ってるのかな? …いい度胸だね」

 挑発しているように見えて、弱いものをジワジワといじめているようにも見える。権力って便利だね。
 ラウル殿下は私を庇ってくれているんだけど、彼のそれは下心があってのことだろうな。例えばサンドラ様とかサンドラ様とか。
 …女のことに女を頼ってこの先うまくいくのかなこの人。

「そうそう、親愛なるアステリアがいじめられてるって聞いたから、エスメラルダのクリフォードに連絡が行っているはずだけど……この件も忘れずに報告しておくね。幼い女の子に伽を命じて、村に圧力かけていたって」

 ラウル殿下がニッコリと微笑むと、村の若い女の子たちが頬を赤らめて見惚れていた。世の女性が見たら黄色い声をあげるであろう笑顔だが、それを向けられているドラ息子の顔色はドンドン変わった。今では土気色をしている。
 ……間が悪いよねこの人。

 ここの領は軍備費用や人件費など多額の出費をしているはずなのだ。今の状況が火の車とは言わないが、ここで更に戦争となったら完全燃焼してしまうだろう。
 流石にボンボンのドラ息子でも状況が拙いとわかったのか、ブルブル震えはじめた。

 隣国の王太子が出てくるまで、自分がやろうとしていることがどれだけマズイことか把握できなかったのだろうか。大丈夫なのかな、こんな人が未来の領主様なんて。この人の内政能力もわからないし、魔術師としての評判も聞かない。
 魔術師として優秀で領民に慕われている兄上や、魔なしではあるが内政が得意であるエドヴァルド氏を見てきたせいで、このドラ息子を見ていると不安しか無いぞ……。
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