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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

運命に狂った女と、運命を断ち切った男

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 その日は丘の上でテオと一緒に休日を過ごす約束をしてたので、少しばかりめかしこんだ。昔テオにもらった手編みのリボンで髪をまとめ、新調したスカートを着用する。
 テオはあまり女性の洋服に詳しくなさそうなので新しい洋服を見ても何も言わないかもしれないけど、ふたりきりでの逢瀬だ。恋人が出来たのだから少しはおめかししなくてはと思って、仕立て屋さんに流行の形でお願いして作ってもらったのだ。
 流石に今のあいつは似合わなくても貶すことはしないだろう。大丈夫、大丈夫。変じゃないと唱えながらいつもの丘の上に到着したが、丘の上には誰もいなかった。

 少し早く到着してしまったかもしれない。暇つぶしに持ってきた本でも読もうかと、木の根元にしゃがみ込んでかばんをガサゴソと漁る。
 ……食べ物とか何も持ってこなかったけど、手作り弁当とか作ってあげたほうがいいのだろうか。料理にはあまり自信がないのだが……。そろそろお母さんから習ったほうがいいのだろうか。

 私はデートに浮かれて一喜一憂する年頃の女らしく、いろんなことを考えていた。少しばかり平和ボケしていたのだ。この村には私を害そうとする人はない。
 山積みだった問題も解決して、安心していた。そのため油断していた。

 後ろで、スタッと草を蹴る軽い音が聞こえたのはその時だった。

 ドッと背後から強く押されて、私は前のめりに倒れ込んだ。
 次にじくり、と鋭いものが肉に突き刺さる。振り返る間もなかった。強い痛みが全身を突き抜ける。

「ぐっ…!?」

 一瞬、敵襲かと思った。また背後から矢を射られたのかと思った。
 だが、あのときとは違う。
 背後に温かい体温があり、熱い息がかかっているのだ。矢ではない。ずしりとのし掛かられ、肩をガブガブと噛まれる……これは、テオではない。テオはこんな咬み方はしない。番の誓いとして項を噛むことはあっても、私を傷つけるような真似は絶対にしない。

「グルルルル…」

 聞き覚えのある唸り声に私はハッとする。自分の眷属である狼たちの放つ唸り声に似ていたから。
 痛みに喘ぎながらのろのろと後ろを振り返ると、そこには彼らよりも一回り小さな狼の姿があった。褐色の毛並みで、頭頂部分が少し黒い、年若い狼だ。
 ……人里に狼…? それが、私にのしかかって私に噛み付いていたのだ。

 どうして狼がここにいるのだろうかと考えている場合ではない。私はすぐさま防御呪文を唱えた。

「防御せよ…!」
「グァッ!?」

 目の前の狼は防御魔法によって跳ね除けられたが、相手は軽々と跳躍したのちに着地した。怯ませるには至らない。
 身軽なその動きに私の視線は奪われた。靭やかな体躯に、人間には有り得ない身体能力。そして獲物を引き裂く鋭い牙……
 狼の口元は真っ赤になっていた。それは私から流れた血。自分の肩口から血がダラダラ流れていくのがわかった。

「グルルルル…!」

 何故私に牙を剥いたんだ。ここは狼の縄張りではない…もしかしたら空腹なのだろうか。裂けた狼の口からは威嚇の唸り声が絶えず聞こえてくる。
 間違いない、私を敵視している。獲物だと思われている。

 その目にあったのは、怒り、本能、憎しみ、執着。
 ──殺される。

 私の防御呪文と狼の攻撃、どちらが早いだろうか。私は噛まれた肩の痛みに顔を歪めながら狼と睨み合いをした。
 術で森に帰すか、それとも始末するか……

 私が考え事をしている隙に、相手は行動に移す。地面を蹴りつけると、私に飛びついてきたのだ。
 すぐに後ずさろうとしたが、相手の方が速い。簡単にマウントを取られてしまった。

「あ゛ぁぁぁ──!!」

 肩と首の境目の肉を持っていかれるような噛み方をされた私は悲鳴を上げた。矢で射られたときとは違う激痛。フェアラートとの対戦のときですらこんな痛み感じなかった。拷問もいいところの痛みだ。私は生きたまま喰われてしまうのか。
 体の上に乗っている獣をどかそうと暴れるが、狼の両足によって体を押さえつけられ、情け容赦なく肉に噛みつかれる。
 私は言葉にならない悲鳴をあげた。痛みと貧血と混乱状態で魔法に集中できない。

 ──ぽつ、ぽつ、と地面に空から降った雨が染み込んでくる。あんなに天気が良かったのに突然の雨。……大気中の水の元素たちが私を救おうとしてくれているけど、無駄だ。狼は私に食らいついて離れない。
 呪文を唱えたいのに、痛みでそれすらかなわない。魔法で対抗しなきゃ死ぬ。
 私は死にたくない。なのに。

「グルァァアア!!」
「ギャン!」

 意識朦朧とし掛けたその時、私にのしかかっていた狼が横殴りにふっ飛ばされた。
 体の上の重みが失せた私は、痛み通り越して感覚の危ういぐちゃぐちゃになっているであろう患部に応急処置の治癒魔法をかけた。しかし、激痛と貧血で集中できない。
 目から流れる熱いものが涙なのか空から降ってくる雨なのかすらわからない。血が流れてクラクラする。血管修復に意識しなくては…でないと失血死してしまう。

「グルァ! ガウウッ!」
「ギャイン!」

 私の上から狼をどかしてくれたのはこれまた狼だ。白銀の毛並みを持つ、ふた周りくらい大きな雄狼。雨の降りしきる中、2人は格闘していた。しかし力関係は雄のほうが上。すぐに決着は着くであろう。
 逃げる褐色狼の喉笛を引き裂こうと、殺しにいく白銀狼は激怒していた。その目は殺意に満ちている。

「…やめてテオ! 私よ! どうして私を殺そうとするの!?」

 突然、褐色狼がひとりの女の子に変化した。
 ……それはレイラさんだった。彼女は全裸で、目の前の大きな狼に命乞いをしているようだった。
 ……テオ? えっ、この立派な狼、テオなの…? 獣人は確かに獣化できるけど…はじめて獣姿のテオ見たかも。
 テオは必死に訴えるレイラさんを無視してその柔肌に鋭い爪を突き立てて動きを封じ込めると、その喉笛を引き裂こうと口を大きく開けて鋭い牙を突き立てようとしていた。

「──テオ! やめて、私は大丈夫だから…殺さないで!」

 テオは私が傷ついている姿を見て怒ったんだ。獣化して、運命の番を牙で喰い殺そうとしている。
 駄目だ。それだけは駄目だ。
 ……同族を殺すのは…自分の心まで傷つける行為だ。ここでレイラさんを殺せばきっと、テオは一生その咎を引きずることになってしまう。
 テオが傷つくのは見たくない。私のように苦しんで欲しくないんだ…!

 肩や背中から大量の血を流しながら、私はテオの背中に抱きついて止めた。雨に打たれて背中から流れる私の血が狼姿のテオの毛皮に滲んで赤く染めていく。

 私の声にテオは冷静さを取り戻したのか、人型に戻った。
 そして私を掻き抱くと、そのまま抱き上げて走りだした。全裸で。

「えっ!?」
「待って! テオ行かないで!!」

 雨の中全裸で泣きわめくレイラさんはその場に放置して、テオはどこかに駆け出した。
 服は!? ふたりとも全裸で何してるの!?
 私は自分の怪我の痛みを一瞬忘れ、全裸の2人のことが心配でオロオロしていたのだが、テオはお構いなしに私をどこかへと運んでいったのである。


 連れて行かれたのはテオの実家だ。全裸で帰ってきた息子をおばさんはぎょっとした顔で出迎えていたが、血だらけの私を見て息を呑んでいた。
 テオはそのまま自室に私を連れ込むと、私の服を脱がそうとした。

「ちょっと! 大丈夫、手当は自分でするから!」

 ブラウスは裂けてしまっていたので簡単に脱がされた。更に下着のシュミーズまで脱がされそうになったので私は拒否した。
 それだけは駄目だ。あんた裸だし危険すぎるぞ! 目のやり場に困るから、まずあんたは早く服を着てくれないか!?

「テオッ! 嫁入り前の娘さんだよっ! 手当は母さんがするから、あんたは服を着なさい! いつまで素っ裸でいるつもり!?」

 そこにやって来たおばさんによって阻止された。私は半泣きになって救世主を見上げた。
 きれいな布や救急セットを持って押しかけてきた彼女は息子(全裸)を部屋から追い出すと、ふー…とため息を吐き出し「ごめんねぇ」と苦笑いを浮かべる。
 どうにも治癒魔法をうまく使えなさそうなので、おばさんに手当をしてもらうことにした。

「…これ、レイラさんがやったんだね?」

 私の怪我が獣による噛み跡であるとひと目で気づいたおばさんは、すぐにそれがレイラさんであると判断した。雨に濡れて匂いがかき消えていそうだったのに、彼女の匂いがしっかり残っていたようだ。

 あと一歩遅かったら私死んでたかもな……
 私はその後すぐに、貧血と痛みと発熱で意識を失ったのである。
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