太陽のデイジー 〜私、組織に縛られない魔術師を目指してるので。〜

スズキアカネ

文字の大きさ
上 下
136 / 209
Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

私にとってのいい男

しおりを挟む
 ズイッと両腕を伸ばしてきたかと思えば、あいつは真顔でこう言ってきた。

「約束だ。匂いを嗅がせろ」

 改めて口で言われると恥ずかしいやら何やら……私は素直にテオの胸に飛び込めずにいた。
 普通の恋人同士はこんな頻繁に匂いを嗅がせたりしないはずだ。獣人ですらないと思う。──前々から思っていたが、こいつは変態じゃなかろうか。

 私がまごついているのに焦れたのか、テオは自分から抱きついてきた。
 私よりも体温の高い身体は平熱に戻っている。体調もようやく戻って心音も正常だ。数日間媚薬の副作用に苦しんだ彼は快気祝いと言わんばかりに私の匂いを求めてきた。
 テオは私の首元に顔を埋めるとスーハースーハーと吸いはじめた。その時はひたすら恥ずかしくて、私はただただ耐えるのみである。いい匂いがする、好きな匂いだと言われたら何も言えない。

 ……おとなしく人の匂いを嗅いでいたのかと思えば、テオが何やらもぞもぞしはじめた。私の胸を服の上からまさぐっていたので、その手を叩き落とした。

「いてっ」
「こらっ触るのまでは許してない!」

 叱りつけると、テオは獣耳をへにょんとさせて不満そうにしていた。ダメなものはダメだ。結婚するまでは駄目だと私もおばさんも口酸っぱく言っているだろうが。
 こういうのは躾が大事なんだ。男を尻に敷くように…こう、犬の躾のように飴ムチを…。

「…キスならいいか?」
「いつも聞かないでキスしてくるくせに」

 何を改めて確認するのか。オデコを突き合わせてお互いの目を見つめ合おうと、どちらともなく目を閉じて唇を近づけた。
 最初はチュッと軽くついばんできた。そして続けざまに贈られたキスは、衝動に任せてされた乱暴なキスとは違う、とても優しいものだった。
 私とテオはしばらくキスを繰り返した。

 言葉なんていらない。
 お互いの気持ちをキスに籠めて贈るから。
 テオの真剣な気持ちはものすごく伝わってきたから、私はその気持ちを受け止めるだけなのだ。


■□■

 
「これが頼まれていた関節痛の薬です。きれいな布に塗って、患部に貼り付けてください」

 頼まれていた関節痛の薬をご長寿婆様のお宅にお届けにあがると、彼女はちらりと私の斜め上を見上げていた。その視線には呆れが含まれており、胡乱なものになっていた。

「…テオ、お前さんね、嫁入り前の娘に手を出すのは駄目だ。いくら恋人同士でもな。傷つくのはデイジーなんだ」

 彼女が見ていたのは私の配達についてきたテオである。婆様は先日のテオ暴走事件について苦言を呈していた。

「けじめだ。そういうのは嫁にもらってからだよ」

 言い聞かせるように窘める婆様に対し、テオはモヤモヤした表情を浮かべていた。不満であるという態度を隠しもしない。

「だってよぉ婆様」
「お前は運命に抗ってみせただろう。後もうちょっとだ。辛抱おし」

 テオはこれでもいろいろ我慢しているらしいが、気を抜けばすぐに暴走しそうな勢いだ。なので私もそういう行動に出たら今度は捕縛術を使って抑え込むと宣言している。それはテオの両親もテオ自身も了承の上である。
 女側が純潔を失うとその後の人生に影を差すことになる。恋人同士の私達の睦み合いはせいぜいキスが限界なのだ。

「それで、あちらさんはどうなんだい?」

 婆様の問いにテオは表情を暗くした。

 運命の番に拒絶されたレイラさんは最終手段としてテオに媚薬を盛って既成事実を作ろうとした。
 しかしその媚薬でテオは地獄を見た。吐き出させてあの症状だったので、何もしなかったらもっと長く苦しんでいたかもしれない。恐らく質の悪い、体に害のある成分の入った媚薬を仕込まれていたのであろうと医者も言っていた。

 流石にこれにはテオの両親も激怒した。なんといっても、テオは三日三晩副作用に苦しんでいたのだ。
 おばさんなんか徹夜で看病してあげていたくらいだ。私が交代するから休んでくれと言っても、心配で眠れないと言ってずっとテオの側に付いていた。おじさんもちょいちょいテオの様子を見に来て心配そうにテオを見守っていた。ふたりとも気が気じゃなかったであろう。

 テオの両親は、息子が運命の番を受け入れないことに申し訳ないと先方に頭を下げていた立場だが、これとそれとは別だ。テオはタルコット夫妻の大切な一人息子なのだ。ここで黙って許してあげるほど彼らもお人好しではなかった。
 抗議も兼ねてレイラさんの両親に縁切りの手紙を叩きつけたのだという。

「…『金輪際、お宅の娘を関わらせないでくれ!』って親父があっちに手紙を送ったって」
「…あっちの娘も災難だったが、手段がまずかったね」

 どっちにしろ誰かが傷ついたことだ。お前もひどい目にあったんだからお互い様だよ、と婆様は慰めるようにテオの腕をポンポンと叩いていた。

 レイラさんを狂わせる原因となったのは私の存在だ。それは申し訳ないとは思うが、テオを傷つけるような行動に走ったことに関しては目をつぶれない。
 また傷つけようとするなら、私がテオを守ってみせる。


□■□


「…地味な色だ」

 突然、見ず知らずの男に色合いをバカにされた。
 私は目を眇めて相手を見上げる。…人間ではないな。人族に比べて耳が少し大きめだ。おそらく猿系の獣人であろう。
 それにこの村の住民ではない。…どっちにせよ、友好的な態度ではないので、私は相手を警戒した。

「貧相な身体に小賢しそうな顔つき……こんな女のどこがいいんだか」

 失礼な。人間の成人女性の中では背は高い方だし、凹凸はしっかりとあると自負している。それと、獣人に比べたら筋肉に乏しいので細く見えるだけだ。
 小賢しそう、というのは…昔からそんな悪口をよく投げかけられていたので、別に間違ってはいない。
 ……レイラさんの知り合いかな。だけど彼女とは種族が違う。見た感じでは恋人でもなさそうだ。

「どこの誰だから知らないけど、あなたこの件関係ないよね」

 挨拶もなく貶されたので、私も負けじと反撃に出る。

「俺はブルーノだ。レイラの幼馴染で」
「恋人でもなくただの幼馴染でしょ。無関係じゃない」
「…!」

 ブルーノと名乗った男はぐむっと口ごもっていた。
 恐らくレイラさんに好意を抱いており、今回のことを聞いて私に直接文句を言いに来たんだろうな。
 それならいっそ『横恋慕してます。気に入らないので僕が文句言いに来ました』って言ってくれたらいいのに。

「お、お前は人間の分際で獣人の運命の番を引き裂こうとしてるんだぞ、わからないようだが運命は絶対だ!」
「テオにも感情ってものがあるの。それを無視して無理やり既成事実を作ろうとしたレイラさんの行動は褒められたことではない」

 運命だと言うならそれこそ、汚い手段を使うべきじゃない。なのに彼女はやってしまった。
 恐らく運命とやらに心引きずられて凶行に及んだのだろうが、運命という理由があれば何をしてもいいのか?
 私は到底許容できない。

 確かに私は人間だ。獣人の感覚は全くわからない。だけどテオが抗っているのは近くで見ているからよく分かる。テオは私に向けて一生懸命に愛情表現をしてくれる。
 だから私は彼を信じ、彼の想いを尊重すると決めた。

「テオを傷つけるなら私もただじゃ置かない。……丸腰相手に魔法をぶつけるのはあまり好ましくないけど、身を守るために反撃には出るよ」

 私は目の前の男を睥睨した。
 私は獣人に力では勝てないが、対抗する術はあるのだ。もしもテオになにかするつもりなら、私はその力を惜しみなく発揮するつもりだと脅しでわざと魔力を放出してみせる。
 相手は私から放たれた魔力を感じ取ったのかビクッとして後ずさっていた。
 お互い警戒したまま睨み合う。

「……レイラはあんな男のどこがいいんだ…同じ狼獣人なだけ、見た目がいいだけじゃないか」

 負け惜しみのように吐き出されたそれに私は目を細める。
 確かに、以前は私もそう思っていた。テオのことを顔だけはいいいじめっ子だと思っていた。そんな奴を何故か好きになった自分が不思議ではあるが、今ではあいつのいいところをいくつだって言える。

「レイラはあの男と出会ってからおかしくなった。あんな恐ろしいことを企てるような娘じゃなかったのに…なにもかもあの男のせいだ…!」

 …それは運命の番への執着のせいだろうね。今回の件は私も当事者だけど、獣人の執着の強さだけは理解できないので、なんと言えばいいのかはわからないが……
 だけど、全てテオが悪いわけじゃないし、テオは別に見た目だけの男じゃないぞ。

「あんたにテオの何が分かるの、テオの何を知ってるの?」

 私が言い返すと、ブルーノはこちらを睨みつけてきた。

「あんたさ、命かなぐり捨てて好きな女を守ったことある?」

 私の問いに相手は怪訝な顔をしていた。
 見た目だけ、なんて勝手に判断しないでほしい。

「テオは何度も私を守ろうとして死にかけたのよ。…テオは充分いい男だよ。私にとっては、かもしれないけど」

 彼らはテオのことを何も知らない。上辺だけを見て、運命だからって執着しているだけに過ぎないのだ。
 何が正解なのかもうわからない。
 だけど今こうなってしまった状況では運命の番という問題じゃなくなった。レイラさんが盛ったのが毒だったら? 媚薬の副作用でテオが死んだらどうするつもりだった?
 運命の番だからといって、好き勝手に相手を動かそうとするのは間違っていると思うのだ。

「説教のつもりか、この悪女」
「…悪女ねぇ」

 私はテオを悪く言われるのが我慢ならなかったので反論しただけなのだが、それで悪女呼ばわりとは。

「そもそもお前の存在がレイラの表情を曇らせている…! それが問題なんだ…!」

 ムキッとブルーノの肩の筋肉が動いた風に見えた。
 あ、まずいかもと思ったときには遅い。私に向かって拳が振り上げられそうになっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...