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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

本能と恋心

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 テオの運命の番であるレイラさんが今後についての話し合いのためにご両親と一緒にこちらの村に来ると言う連絡が来た。

 私はその話し合いの場に同席することになったのだが、珍しくルルがそれに同席したいと言い出した。『邪魔はしない。ただそばで見ていたい』と言われたので、テオとテオの両親に許可を貰った。
 ……運命の番と結ばれるために妻子を捨てて出ていった父親を持つ彼女は、運命の番という単語すら聞きたくないほど複雑だろうに私のことを心配してくれてるのだ。

 運命の番問題。テオはきっぱり、レイラさんと番うことを断ったそうだが相手は諦めない。──いや、正確には諦められないのであろう。
 だけどテオの意志も硬かった。今回の話し合いでどっちに転ぶかはテオ次第だ。

 当日、テオの実家であるタルコット家に来訪したバーンズ一家は、私が同席していることを咎めるように鋭い視線を投げかけてきた。…まるで脇から邪魔してきた浮気女みたいな目を向けられてちょっとムッとしたが、その辺は獣人と人間の違いであろう。運命の番という存在がどんな重要なものかなんて私にわかるはずもない。仕方がない。
 ここで私が冷静さを失ってはいけない。彼らの鋭い視線を受け止めつつ、平静を装った。

 レイラさんの父親であるバーンズ氏は鼻を鳴らし、不機嫌そうに口を開いた。

「…その娘が、例の恋人か?」
「そうです。…何度説得されても無駄です。俺はデイジー以外の女と番う気はありません」

 テオの断固とした態度に相手が殺気立つ。ピリピリした空気が辺りを支配した。どっちかが相手の癇に障ることをすれば、血を見る喧嘩に発展するかもしれない、そんな殺伐とした空気である。
 私は口を挟むかどうか計りかねて何も言い出せずにいた。それに先程からちくちくと嫉妬と恨みを込めた視線が投げかけられており、そっちも気になっていた。
 ここに来てからずっと、レイラさんは私を責めるような目で睨み続けていた。テオと同じ獣耳や尻尾がある、同じ狼獣人の彼女は私よりも2つ年下だけど、身体が大きいため私よりも大人っぽく見える。

「…確か、お隣の国の貴族の娘さんだとか」
「…はじめまして。高等魔術師のアステリア・デイジー・フォルクヴァルツと申します」

 一応貴族籍は抜けたんだけど、名前は貴族の名前のままであったりする。一回抜けたのにまたマック家の養女に戻るのもおかしな話だし。フォルクヴァルツ家が後見人みたいな感じで私の身元を保証している証明になるので、その家名を名乗ったほうが私の身の安全にもなっているというか。
 初対面なので自己紹介をしてみせると、レイラさんの父親は私の頭の天辺からつま先まで見て、鼻先で笑った。

「魔術師だかなんだか知らんが、あんたが訳のわからない術をテオに掛けてるんじゃないか?」

 その言葉に私は眉をひそめる。
 とんだ侮辱である。

「…人の心を操る術の行使は罪になりますから使いません。お疑いなら自費で魔術師呼んで解呪してもらったらどうです? 魔法省に密告でも構いませんが…お金と時間の無駄になるだけでしょうけど」

 貴方方に獣人の誇りがあるのと同様に、私にだって魔術師としての矜持があります。侮辱するってなら出るとこに出ても構わないんですよ。
 そう私が毅然とした態度を取ると、相手は気を害したのかこちらを更にきつく睨みつけてきた。

 私を侮辱してなにかなるのか。
 一歩下がって話を聞こうと思ったけどやめた。相手がその態度なら私も……

「デイジーはそんな汚いことに手を染めるような女じゃない! …むしろあっさり身を引くくらい潔いところもある」

 テオが私を庇う発言をした。
 状況に応じての白紙撤回を宣言しているからか、テオはそれに怯えているらしい。テオの大きな手が私の肩を抱きしめてきた。まるで縋りつかれているみたいである。
 ……別に意地悪で言っているわけじゃないのにな。テオのためを思って言っているのに。

「俺は物心ついた頃からこいつだけを見てきた。ずっとこいつを待ち続けてきた。だから、運命の番ですと目の前に現れても受け入れられない」

 レイラには悪いけど俺の意志は曲げない、折れない。だからごめんとテオは深々と頭を下げていた。
 本能よりも自分が長年育んできた恋心を優先したいと宣言するテオ。レイラさんは衝撃を受けてプルプルと震えていた。

「運命の番だぞ!? その存在と出会えたことは獣人にとって誉れなことだというのに…お前はどうかしているんじゃないか?」

 テオは相手方の父親から頭のおかしいやつ扱いをされていた。
 …ふと思ったけど、仮に私とテオが既に結婚している場合も、周りから運命の番を優先しろ別れろと言われるのだろうか……そうなったらもうめちゃくちゃだよね。

「…すみませんバーンズさん…」

 そこでテオのお父さんが口を挟んできた。
 テオの両親も運命の番・賛成派らしくて、私が村にいない時にそれでゴタゴタがあったと幼馴染トリオに聞かされていた。頑なに運命の番を受け入れないテオに圧力をかけていたとか。私は貴族だから結ばれない相手だと説得し続けていたそうだ。
 彼らにとっては息子の幸せが一番だろう。獣人は獣人とくっつくことを祝福することに決まっている。面倒事ばかりの私との交際にはあまりいい感情を抱かないであろう。
 私とテオの交際は茨の道だ。簡単に脆く崩れ去り離れ離れになる可能性のあるものなのだ。

「私どもは息子の気持ちを尊重する。テオの覚悟はわかってる」

 その言葉にテオが「親父…」と呆然とした声を出していた。あれ、父ちゃん呼びから卒業したの。なんか気取った呼び方しちゃって。
 いやでも、呆然としてしまう気持ちはわかる。おじさんがそんな事言うとは…運命の番との結婚を推奨していたんじゃないのか。

「獣人でもないただの人間じゃない! どうしてよテオ、私達は運命で結ばれているのよ!?」

 とうとうレイラさんが感情的になって叫んだ。
 するとテオがくぐもった声を漏らして、鼻を手で覆っていた。隣にいる彼を見上げると、テオの瞳は熱に浮かされたようにうつろになっていた。

 …私には全くわからないけど、運命の番が放つ甘ったるい匂いというやつだろうか。
 テオいわく、私はお花の匂いで、レイラさんは砂糖を煮詰めたような甘い匂いがするらしい。彼女を前にすると脳が焼ききれるくらい沸騰して、自分でも訳がわからなくなるのだと言っていた。
 レイラさんを見つめ、固まるテオ。その瞳は執着そのもの。
 ふと私は仮面祭の晩に出会った彼らの様子を思い出す。あの瞬間、彼らはお互いしか見えていなかった。唇を重ね合ったふたりの姿が脳裏に蘇ってきてじりりと胸を焦がす。

 テオなら、と思っていたけど、やっぱり運命の番の存在には勝てないのだろうか。──私は身を引こうとそっとテオから離れた。

「まさしく呪いだな。おい犬っころ、お前の覚悟はその程度か」

 黙って少し離れた場所で見ていたルルが嘲笑するようにつぶやく。
 彼らが来た時から白けた表情をしていたが、今では嫌悪を隠せていない。──幼かったルルと母親を捨てた父親を思い出しているのだろうか。

 ルルの声が耳に届いたのだろう。テオの肩がビクリと震えた。
 彼はさっとレイラさんから目をそらすと、ぎりぎりと歯噛みしながら私に腕を伸ばしてきた。

「わっ」
「……」

 そのまま私を腕の中に閉じ込めると、首元に顔をうずめ、すぅー…と思いっきり匂いを吸い込まれた。
 ……やめてよ、人前で恥ずかしい奴だな。

 真剣にテオとのお別れを考えていたのに、今では羞恥心でいっぱいだ。だいたいテオは人の匂いを嗅ぎすぎなんだ。私は恥ずかしいんだぞ。
 スーハースーハーと吸うその姿は滑稽そのもの。ロリショタ腹吸いババァの異名を得たカンナのことを馬鹿にできないはずである。
 思う存分吸い込んだテオが顔を上げると、少しばかり冷静さを取り戻したようだ。それでも目は爛々と輝き、本能に意識が引きずられているみたいだが。

「どんなに衝動にかられても、俺が心から望むのはこいつだけだ!」

 テオは私に抱きついたまま宣言した。

「もしも万が一、レイラと番うことがあれば俺は死ぬつもりだ。デイジーも俺の心も裏切りたくない」
「テオ、そんな…」

 レイラさんはポロポロと涙をこぼしていた。彼女も本能で運命の番であるテオに惹かれ、渇望しているのだ。彼女もある意味被害者なんだ。私さえいなければ、こんな面倒くさい事になっていないだろうに……申し訳なく感じた。
 私がこの村に帰ってきたことは間違いだったのであろうか…?

 テオはバツの悪そうな顔をしていたが、決めたことを覆すわけもない。女に優しくて評判の男も譲れないことがあるのだろう。

「…どんなに俺を詰っても構わない。こんな最低男のことはさっさと見切りをつけてほしい。…とにかく、俺が番にしたいのはデイジーだけ。何度話し合いをされようと、これだけは変わらない」

 そうはっきり言い切ったテオは少し身をかがめると、私を軽々と抱き上げた。

「!? ちょっ」

 そのままテオは私を連れて外に出ていく。私は止めようとしたが、テオの顔を見て口を閉ざした。
 テオは歯を噛み締めて、襲い来る衝動と戦っていた。テオの様子からして相当つらいのだろう。獣人にとって番と引き裂かれることは身を引き裂かれることと同様だという。

 テオの足は見慣れた道を進んでいた。どこに行くのかと思えば、私が薬を作る時の定位置となっている丘の上の大樹の根元にたどり着いた。
 地面に下ろされ、私が彼を見上げるとテオは噛み付くような口づけをしてきた。
 その勢いに体勢を崩した私は芝生の上に倒れる。その上にのしかかって唇を貪るテオはまるでケモノだ。空腹の獣がやっと見つけた獲物を食い漁るようだった。

「んんぅ……ふっ…!」

 ……息がとても苦しいけど、テオのしたいようにさせてあげた。私はわかっていた。これは運命の番に対する衝動を私にぶつけているだけであると。

 ──もしかすれば運命の番という存在に押し負けて、先程の発言をひっくり返して私を裏切るかもしれない。

 それでも……私はテオの選択を尊重する。
 別れを告げられても、極力テオを責めずに身を引くつもりだ。辛い決断になるけどテオが苦しむのを見るよりはマシだ。もちろん、死ぬことなんか選択させない。死ぬことに逃げるなんて許すわけがない。
 私は大丈夫。手に職があるし、その気になれば……だから怖がらなくてもいいんだよ。私が彼の背中に手を回してなだめていると、テオはスリスリと頬擦りした。
 テオの腕が背中に回ってきて私の身体を抱き起こす。身体を前のめりにさせられ、首を晒す体勢にさせられたかと思えば、テオは私の項に歯を立てた。

「あ…っ」

 噛み跡が消えるたびに私の項に噛み付いて痕を残そうとするテオの想いは疑いたくない。彼は私を番にすると誓っているのだ。その気持ちを疑ったりはしない。

 ……だけど私達の意志だけではどうしようもないのだ。
 テオの心まで侵食しようとする運命の番という呪いは、彼を狂わせようとしていた。
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