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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

自分に出来ること出来ないこと

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 神殿周りには清らかな空気が流れている。それは大巫女の存在で空気が清められているのだろうか。
 結界とか魔法の元素とは少し違う独特なこの空気、私は嫌いじゃない。この混じりけのない空気の中に悪意を持った異物が入り込むとすぐに分かりそうだが、実際のところはどうなのだろう。神殿前では神殿巫女と神殿騎士がお出迎えしてくれた。

「大巫女様は首を長くしてお待ちでございます」

 何ヶ月ぶりの再会だろうか。
 私はドキドキしながら開かれた神殿の扉の先へ進んだ。


 神殿の奥深く、女神と交信するための水殿に彼女はいた。供物を捧げてお祈りをしていたようだ。

「大巫女様、アステリア様がお見えになりました」

 神殿巫女の言葉に反応した彼女はピクリと肩を揺らして振り返った。彼女の碧の瞳が私を映すとその瞳はキラリと輝く。
 大巫女の神職服の裾を踏まぬように彼女は駆け出して、そして両腕を広げると私に抱きついてきた。

 私は驚いて反応が遅れてしまった。
 サンドラ様はいつも大巫女としての自覚をお持ちで、できる限り私的な感情を表に出さぬように心がけている印象だったのだが、再会してすぐに抱きつかれるとは思わなかった。

「…心配しました。あなたが女神様の予言を受け取って飛び去った時から何ヶ月も……」

 お元気そうで良かった。と言ってゆっくり離れた彼女は私を見上げて瞳をうるませていた。そのお顔を見ていると罪悪感で心がチクチク傷んだ。

「…不義理を働いてしまい、申し訳ありません」

 私が非礼を詫びると、サンドラ様は首を横に振っていた。

「あなたが無事ならそれで。…スッキリした表情をしていますね、迷いは消えましたか?」

 迷い。
 そうだ、私は以前貴族として生きることに苦悩していた。それを受け入れようとしても、村娘として育ってきた自分が否定されているようで飲み込めずに悩んでいたのを彼女に吐露していたのだ。

「…私は貴族籍を抜け、今はただの高等魔術師として育った村で過ごしております。…貴族様のように贅沢は出来ませんが、とても満ち足りた日々を送っています」

 共にこの国を支えようと言ってくれた彼女を裏切るような選択だが、私は後悔していない。
 今のままの私が一番自分らしくて好きなのだ。
 サンドラ様は私の言葉を聞いて静かに微笑んでいた。

「それがあなたの決めた選択なら、それでよいのです」

 縁談の他にも国直属の魔術師になる話や、爵位を与えるという話も頂いたがそのどれもお断りしてきた。私が欲しいのはそんなものではないのだ。きっと私の選択を愚かだと思う人はいるだろうが、私は決めたんだ。自分が進みたい道を選んだのだ。

「エスメラルダ・シュバルツ両国の国民を守るために命懸けで戦ってくださってありがとうございます…」

 彼女は私の手を握って、恭しくその額にくっつけていた。大巫女様に頭を下げさせるなんてとてもじゃないがありえない。

「サンドラ様、お顔を上げてください」
「私は大巫女として国に奉仕してまいりました。私が祈れば国を守れるのだと信じてきましたが……此度の戦で自分の無力さを痛感いたしました」

 自分の無力さを嘆くしかできなかった、と彼女は呟いていた。
 大巫女である彼女は祈り、女神と交信でき、聖水を作り出す奇跡の力を扱えるが、敵と戦うことには向いていない。ここで祈って待つしか出来ないのだ。

「…ハルベリオンの現状を女神様が見せてくださいました」

 私はその言葉にハッとする。
 見せられたのか、あの地獄を。

「…私は自分の力を過信していました。デイジー様は命をかけて戦いに行っているのに、私はここで厳重に守られているだけで何も出来なかった…それが悔しかった」

 人にも獣人にも向き不向きがあると思う。
 テオも私が戦いに行き、傷ついたことを悔いて自分の無力さを嘆いていたけど、獣人である彼にしか出来ないことは山ほどあるのだ。
 それは目の前のサンドラ様も同じ。私には出来ないことを彼女はやってのけてしまう。これは比較することじゃないのだ。

「…人にはそれぞれ異なった使命が与えられるものです。気に病むことはありません」

 サンドラ様は顔を上げて、涙を滲ませたその瞳に私の顔を映した。

「私は私の使命を全うしました。ただそれだけのこと、あなたにはあなたにしか出来ないことをするだけです」

 私にだって出来ないことは山ほどある。努力したって叶えられないことがたくさんあると知っている。
 それなら自分のできることをできる範囲でやるしかないのだ。

 サンドラ様は少し冷静になったようで自分の目元を指先で拭っていた。

「…デイジー様は変わりましたね」
「色々と感情の変化がありまして。結局私は野に咲く花のようにのびのび生きるのが向いているんだなと自覚しただけです」

 あの戦で死ぬかもしれないと思ったときに私は様々なことを思い出し、考えがガラリと変わったのだ。

「…立ち話ではなんですね、ぜひお話をもっと聞かせてくださいな。私はお茶の準備をお願いしてまいりますね」

 そう言ってサンドラ様に談話室に案内された。
 お茶とお菓子を持ってくるという彼女を待って先に席についた私は、談話室の窓の端にあるカーテンがゆらりと動いたことに気がついた。
 風もないのに何故…と思ってそちらを凝視していると、そこから思わぬ人物が現れた。

「……あなたは」
「ごきげんよう、アステリア嬢」

 その人物はいつかのパーティでしつこくつきまとってサンドラ様を怒らせていた男だ。…サンドラ様の実兄であり、女性にだらしないという噂の……名前は知らないけど貴族の男。確か伯爵位の子息である。

「なぜそこに…」

 神殿は別に男子禁制ではない。
 が、純潔を保つ必要のある大巫女様を守るために、男性が外部から入場する際には必ず、女神に忠誠を誓っている神官や神殿騎士が大巫女の側につく決まりだ。
 だがここには監視の目が…ない。

「見習い巫女をたらしこめば簡単に入れたのだよ」

 ……おいおい。
 どうなってるんだこの神殿。いくら大巫女様の兄だとしても、女神のしもべとなれば家との縁は断ち切られたも同然。自由に出入りできるそんな権限はないはずだぞ。

 私は後ずさって身構える。
 この男は初対面から嫌な感じはしていたのだ。なんと言うか、女を性欲処理相手としか見ていない感じがして嫌な感じがする。
 テオも私を性的な目で見ているのは分かるが、その根っこにある感情がまるっきし異なる。テオは間違いなく私を大切に想ってくれているが、目の前の男は違う。

「庶民に戻ったんだろう」

 そう言って相手は一歩前に進んできた。私はジリッと後ずさる。

「馬鹿な女だ。泥臭い生活に逆戻りするとは。噂に聞くと恋人のいる村に戻ったんだろう?」

 なにそれ社交界で噂になってるの? 村社会ばりに噂が流れるの早いな。どこから流れているのやら。
 そもそも私が庶民に戻ったから何だというのだ。シュバルツの貴族として生まれたのだとしても、エスメラルダで育ち、エスメラルダのお陰で私は魔術師になれた。無関係の人間からその選択を責められる謂われはないのだぞ。
 目の前の男はサンドラ様によく似て繊細な美しい顔立ちをしている。元が女顔なのだろう。ナヨナヨした根っからの貴族子息って感じである。たくましい美丈夫なテオとは正反対なタイプだ。

 妹のサンドラ様に似ているはずなのだがその表情は全く違う。──彼女が絶対にしないような侮蔑の表情は身に覚えがある。
 私を見下しているのだ。
 捨て子だと、下賤な娘だと見下していた人たちと同じ顔をしている。

「しかも獣人。貴き血を受け継ぐフォルクヴァルツの娘が聞いて呆れる。薄汚い獣の混じり物との間に子をなすつもりか?」
「…あなたには関係のないことだ」

 私がどこの誰の子どもを産もうと目の前の男には一切関係ない。さり気なく差別発言しやがって…薄汚いのはどちらだこの尻軽男め。
 私が相手を睨みつけていると、そこから相手が消えた。

「…!」

 転送術で目の前に移動してきた相手。私はそれに身構える間もなく、思いっきり突き飛ばされ、絨毯の床に倒れ込んだ。

「ぐっ…!?」

 背中を強打して咳き込んでしまう。
 すぐに身を起こそうとしたが、ズルズル長いドレスの裾を踏みつけられ動けない。
 鼻につくのは気取った香水の香り。不快だ。…臭い。貴族は高確率で香水を使っているが、私はその人工的な臭いが苦手なのだ。何故こんなに臭いのか。もうちょっと加減してつけたら? いい匂い通り越して臭いんだよ! テオなら間違いなく臭さにもんどり打って倒れてると思うな。

 なぜこんなに臭いのか──それは相手は倒れ込んだ私を囲うように乗り上げていたからだ。至近距離から碧の瞳が見下ろしている。

「誘いを不意にして私をコケにしたんだ。それなりの代価は支払ってもらわねば」

 好きでもない男に押し倒されたみたいになった私は、悪寒に襲われて背筋がゾゾゾッと震えていたのであった。
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