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Day‘s Eye デイジーの花が開くとき

リック兄さんと私

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「エスメラルダ王国・大巫女ルシアの名のもとに、おふたりの婚姻を認めます」

 その日、私のもうひとりの兄さんはお嫁さんを迎えた。
 ずっと前から熊獣人の女性と結婚の約束をしていたけど、自分だけ幸せになる事はできないと予定を引き伸ばしていたそうだ。

 だけど私が抱えていた問題も落ち着き、平和が訪れた今日。彼はやっと婚姻の儀を結んだのである。場所はエスメラルダ王国の大神殿。エスメラルダ王国最高神職位に位置する、大巫女様から言祝ぎを受け、2人の新郎新婦は笑顔を浮かべていた。
 見届人として同行した私は離れた場所でそれを静かに眺めていた。シュバルツ侵攻に巻き込まれて村に流されてきた幼い私を救い出してくれたリック兄さんが幸せになる。それを見届けることが出来た。とても嬉しくて私は涙ぐんでいた。

 私の兄さんはお嫁さんをもらって家庭を構える。嬉しいのに寂しいけど、私は心から祝うことが出来た。

「…我に従うすべての元素たちよ。幸せなふたりに最高の祝福を与え給え…」

 小さな声で唱えた祝福の呪文は静かに、キラキラと夫婦となった2人に降り掛かった。静かな祝福の魔法。彼らはお互いのことしか見えていないようであつい口付けを交わしていた。
 私はそっと目をそらして、神殿の女神像を見ているふりをして誤魔化してあげた。

 ……祝福の呪文、はじめてうまくいったかもしれない。


■□■


 フォルクヴァルツの家族のもとに近況報告の手紙を送った際に、来月リック兄さんの結婚式が行われるのだと知らせた所、彼らは是非ともお祝いをさせてほしいと名乗り出てきた。
 とはいえ全員で村に押しかけると邪魔になってしまうということで、辺境伯夫妻の名代で兄上が来訪することになった。
 彼は立派な馬車とともに登場すると、後ろから着いてきていた馬車に乗っていた従者たちに何かを指示していた。そこから出てくる出てくるお土産の数々。

「結婚おめでとう、パトリック君」

 おめでたい祝福の日、実兄はお祝いの品をたくさん持って村へとやって来た。

「何が必要かわからなかったから、贈り物はこちらで勝手に見繕わせてもらったよ」

 お祝い品だと言って兄上が持ってきたのは高級ワインやハム、チーズ、シュバルツ特産フルーツを使ったドライフルーツなどの食べ物類であった。ちなみにすべて最高級品である。
 従者がずらりと並べてみせたそれらを前にしたリック兄さんは固まっていた。

「こ、こんな高価なもの、頂けません…」
「なら式に集まった皆さんへ振る舞えばよろしいのではないかな?」

 心配するな、これは私が運用した資金で用意した。領民からの税金には一切手を付けていない。と言って優雅に笑う兄上を見た村の女性陣がきゃあと騒いでいた。村にはいないタイプの貴公子に女性たちは憧れの眼差しを送っているが、兄上は慣れた様子で受け流している。
 リック兄さんが高価な贈り物に萎縮して戸惑っている様子だったので、私は従者が持っている箱からワインを2本手にとった。それを新郎と新婦の父親たちに渡す。

「折角なんで開けてしまいましょう。胃袋に入ってしまえば全部一緒です」

 持って帰れと言われても逆に荷物になるし、貰えるものは貰っておけばいいと思う。返却されたほうが気分を害してしまうし、兄上は見返りなど求めない人であろうし心配することはない。
 最初は萎縮していた村人も、ワインの味がわかるものはすぐさまその味の虜になっていた。そうなれば次々とワインは空けられた。
 気の利く従者がチーズを一口サイズに切り分け、おしゃれなお皿にドライフルーツと並べると皆そこへ殺到していく。ハムを切り分けている人の後ろに並んでいる人もいて、今日は試食会かなにかだったかなと錯覚してしまいそうである。

「これうまいぞ」

 私の前に出された皿の上には村の料理上手な奥様方が作ったローストチキンを切り分けたものが載せられていた。
 私はそれを差し出してきた給餌係を見上げて遠い目を浮かべる。

「お前痩せすぎだ。食えよ」
「…あんたみたいに肉が入らないの」

 あんたはなんで毎回肉ばかりすすめてくるのか。もりもりもりとよくもまぁそんなに食べられるね。感心するわ。
 再会した時は病人みたいに痩せていたくせに、私の無事な姿を見た日から食欲が戻ったテオはすっかり健康体に戻った。私が村に戻った途端に、である。
 なんなのあんた、私のこと好きすぎでしょ。そういうところが犬っぽいのよ。

 ──テオは厚意でお肉を切り分けてくれたのだろうが、私は本当に食欲がわかないのだ。

「…お肉は食べたくないの。ハルベリオンでのことを思い出しちゃうから」

 人の肉片を思い出す、とつぶやくとフォークに刺した肉を口の中に突っ込まれた。
 私はもご…と口の中に入ってきた肉を渋々咀嚼する。

「……人の話聞いてる?」
「いいかこれは鶏肉だ。見なくていいから食え」
「せめて魚にしてよ……」

 私はテオから給餌されるように鶏肉を食べさせられた。ムグムグと食べていると、どんどん次の肉が差し出される。もういらないと顔を背けるも、ぐいっと口元に押さえつけられるローストチキン。
 何も私は絶食しているわけじゃない。野菜や魚であれば口にしているんだ。肉を食べずともなんら問題ないのだ。
 だけど私の体重が気になるらしいテオはとにかく食べさせたいみたいである。


□■□


「──テオッ!」

 結婚お披露目式も半ばに差し掛かった頃であろうか。むりやり鶏肉を食べさせられていっぱいになったお腹を擦っていると、テオを呼ぶ声が響き渡ったため、招待客が皆一斉に黙り込んだ。
 呼ばれた本人は耳や尻尾の毛をビビッと逆立てて、目を丸くして固まっている。
 彼を呼び止めたのはこの式の主役であるリック兄さんだ。彼はワインボトルを1本手に持ったままズカズカと近づいてくると、鬱陶しそうに結婚式用の衣裳であるタキシードの蝶ネクタイを解いていた。
 ──顔は真っ赤で目は据わっていた。
 完全にできあがっている。誰だ新郎に酒を飲ませたのは。

「お前に、決闘を申し込む!」
「……あ?」

 次の瞬間、隣にいたはずのテオが吹っ飛んでいった。その速さは流石獣人と言うべきか。目で追えなかったぞ。
 結婚式なのに取っ組み合いし始めるリック兄さん。なんでいきなり? なにか腹に据えかねているのだろうか…

「い、ってぇぇ…! いきなりなにするんだよ!」

 思いっきり吹っ飛んだテオだったが、受け身はしっかり取ったようだ。頑丈で何よりである。

「妹に彼氏ができたら拳で話し合うと昔から決めていたんだ!!」
「…今日じゃなくても良くね!?」

 酒の力でその願望が開花したらしい。防御に転じるテオを追いかけ回して戦おうとするリック兄さんは完全に酒に飲まれていた。

「ふむ…私も拳の決闘を申し込んだ方がいいのかな?」
「怪我するからやめたほうがいいです」

 それを見ていた兄上までトチ狂ったことを言い出したので止めておいた。あなたは人間だろう。獣人と拳で戦ったら死ぬぞ、間違いなく。

「お前が俺に勝つまでは、妹との婚姻は認めない!」
「そんな!」

 戦う意志などないテオは無意味に拳をふるう気は起きないらしく、避けて避けて避けまくる。こういうのはやっぱり狼獣人のほうが素早いな。パワーは熊獣人のほうが強いけど。

「やれやれー!」
「いいぞー」

 そんな彼らを見ているおじさんたちは野次を飛ばして笑っている。
 魔法使ってでも止めたほうがいいのかなぁと迷っていると、そこにお父さんが割って入ってリック兄さんを絞め技で落としていた。容赦がない。


 その後、酔い醒ましを飲まされたリック兄さんは酒に飲まれて大勢の前で醜態を晒してしまい恥ずかしいと小さくなっていたが、図体は大きいのであんまり変わらない。
 私はそんな彼のもとに近づくと、声を掛けた。

「…兄さん、ちょっといいかな」

 今日じゃなきゃ恥ずかしくて、気まずくて言えないだろうから、ずっと言いたくて言えなかったことを伝えてしまおう。
 リック兄さんの耳がぴょこりと動いて顔を上げたので、私は彼が腰掛けている椅子の隣に座った。

「…森で私を助けてくれてありがとう。私を今まで守ってくれて、味方でいてくれてありがとう兄さん」

 私の始まりは全てこの人なのだ。
 彼が無謀にもひとりで嵐の森を彷徨いていなければ、私は森の中で衰弱死していたかもしれない。獣に食べられていたかもしれないのだ。

 それにこの村でたったひとりの人間として暮らすようになった私は、獣人たちに受け入れてもらえず、居心地悪い思いをしていた。そんな中で彼は一番の味方でいてくれた。ときに矢面に立って守ってくれた。
 それは人間が住まう町でもそうだ。
 捨て子だと悪口を叩かれ、侮蔑の視線を向けられる度に、そういう心無い人たちを鋭く睨みつけては私のことを「美人で賢い自慢の妹だ」と褒めてくれた。
 妹として時に娘のように、優しく厳しく育ててくれたリック兄さんは私の特別な人には変わりないのだ。

 感謝のお礼を言うだけだったのに私の視界はぼやけた。これまでのことを思い出すと泣けてきてしまったのだ。
 目元を服の袖で拭って鼻をすする。

「たとえ貴族のお姫様だとしても、お前はどこまでも俺の大切な妹だ」

 そう言ってリック兄さんは私を抱き寄せてきた。嫌なことや悲しいことがあるたびに兄さんに抱きついて泣いていた小さな私。
 成長して多少は頼りがいも出たかな? と思ったけど、彼にとってはまだまだ守るべき妹のようである。

「兄ちゃんはずっとお前の味方で有り続ける」

 ──リック兄さんは私にとって兄さんでもあり、父さんのような存在でもあった。彼がいなければ今の私はいない。

「結婚おめでとう、幸せになってね兄さん」

 今も昔と変わらず温かい彼の言葉が嬉しくて、私は幼い頃のように兄に甘えて泣いてしまったのである。
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