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Day's Eye 森に捨てられたデイジー
甘い匂いとはどんな匂い
しおりを挟む長い長い馬車の旅は、今回何事もなく目的地に到着した。
「ほら、お嬢ちゃんの彼氏がお待ちかねだよ」
「…だから彼氏じゃありませんって」
終点の村までは、私と馭者のおじさんのふたり旅になるのだが、村の外れに差し掛かったあたりでおじさんがそんな事言うもんだから私はげんなりした。
まぁた私の匂いが遠くまで届いたというのか……
以前カンナに私は臭いかと尋ねたが「別に意識したことないけど」と返された。気遣った彼女が嘘を言っているのかもしれないが。いやでも、カンナはウザ絡みしながら私に抱きついてくるので、決して不快な匂いではないはずなのだ。
馬車が止まり、扉が開くと目の前には憎たらしいテオの顔。こいつの相手をしてあげなきゃならないと考えると、長い馬車の旅で身体がだるかったのに更に疲れた気分になる。
「じゃあまた新学期にな」
「ありがとうございました」
馭者のおじさんに挨拶をして、馬車を見送ると、私は後ろを振り返る。
何やらテオは尻尾をブンブン振ってこっちをガン見してくる。飛びついてくんなよ、もう子どもじゃないんだ。小さな頃からこいつに飛びつかれて噛みつかれてきた私は一歩後退りしながら構えた。
「……私ってそんなに臭いの?」
私の問いかけにテオは不思議そうに首を傾げた。
「? 別にそんなわけじゃねぇけど…」
だってあんたの家とか職場からここまで程々の距離があるよ? 臭くなきゃなんで気づくのよ。
「私ってどんな匂いするの?」
私はドキドキしながら聞いた。
発酵食品の匂いがするとか言われたらどうしよう、私二度と立ち上がれない気がする。
「…甘い匂い…でもなんか今日は草の匂いもする」
「甘い? なにそれ……草というのは薬草のことかな」
自分の腕の匂いを嗅ぐが、やっぱりわからん。どこが甘いというのか。にわかに信じられん。
「いろんな匂いにあふれているのによく分かるね」
「そりゃ、お前の匂いならすぐに嗅ぎ分けられるに決まってる」
その言葉に私は顔を上げて奴の顔を凝視した。
「…なんで?」
「なんでってお前…」
テオは顔を赤くして口ごもった。
何その反応……甘いと言ったのは嘘で、実は豆を腐らせた発酵食品の匂いがするからすぐに分かるというのが真実だったりしない? …あんたあのクッサイ食べ物、昔から好きだったよね?
「いいからとっとと帰るぞ!」
「あっ!」
テオは私のトランクを奪うとスタスタスタと大股で歩き去った。
ぶちまけられるかもしれないと恐怖心で慌てて後を追ったけど、拍子抜けするくらいに普通に家まで運んでくれた。
疑ってしまった自分が被害妄想の塊みたいだけど、昔のこいつなら私の気を引くためにそのくらいしたはずなので、私は決して悪くないと思うんだな!
■□■
消毒した瓶を並べてそこへ均一に薬を流し込む。
どのくらい需要があるかわからないから、初回はあまり数を持っていかないでおこう。値段は町の薬局での値段よりもお安めにする。私はまだ学生の身分なのであまり強気な金額で売ってはいけないと思う。そんな理由からである。
「えぇと次は湿布薬か……ハッカの葉っぱ…」
薬草を納めた木箱の中を漁り、それを教科書の手順通りに刻んでいく。時折風が吹いて教科書のページが捲れてしまう。だけど作り方はもう暗記しているので開いてなくてもいいかと教科書から目をそらした。
今日のお天気は晴れ。私は朝からずっと薬作りを行っていた。薬草の匂い対策で村の外れの丘の上でひとり黙々と……
薬作るのって意外と体力がいるな。薬すりつぶす作業が一番きつい。ただでさえ羽ペン酷使で腱鞘炎気味なのに余計に悪化してしまいそうだ。今晩は手首に湿布貼って寝よう。
「なんだこの匂い…」
刺激臭を嗅いでしまったとばかりの渋い声に私が作業を止めて顔を上げると、そこにはしかめっ面したテオが鼻を押さえている姿があった。
「薬作ってるの。町で売るの」
「薬ぃ? なんだよ魔術師じゃなくて薬屋になるのか?」
「違う。カール兄さんたちにお祝い金を渡すため」
臭いなら来なければいいのに何だってやってくるんだ。気を遣って離れた場所で作業している意味がなくなるじゃないか。
テオは私の隣に座ると、鼻を押さえたまま私の作業をじっと見つめていた。臭いんじゃないのか。自ら自分を追い込むのか。色々突っ込みたかったけど、中断したら薬の出来が悪くなりそうだったので、テオに構わず継続する。
鍋で材料を煮ると、ハッカのスースーした気体が目に染みてきて目が痛い。涙が滲んだのでゴシゴシと袖で目をこすって作業を続ける。
ところでこいつはなんでここに来たんだろう。おとなしく私の作業を見ているってことは邪魔をする気はないようだし。
学生である私と違ってテオは他の同級生同様に働いている。そして今日は週に一度のお休みの日だ。貴重なお休みなのに何しに来たんだろう。ここに居ても鼻が辛いだけなんじゃなかろうか。
鍋の中の薬の色がとろみのある薄い緑色に変わった。薬はとりあえず全種類用意できた。明日お父さんが町へ薪を売りに行くので、その時一緒に連れて行ってもらって、薬を販売する予定である。
「…よし」
出来上がった湿布薬を色のついた小瓶に移し替え終わった。冷めたら蓋をして終わりだ。
「終わったか?」
「後は片付けがあるけど…用があるなら先に聞いておいてあげる。なに?」
邪魔する気配がなかったのでそのままにしておいたけど、ここまで来て私にちょっかい掛けにきたというなら怒るぞ。
私は内心身構えていたのだが、そんなこと知る由もないテオはずいっと私に何かを差し出してきた。
また歯? と思った私だったが、テオの手に握られたそれを見て困惑した。
「給金で買った。お前飛び級したんだろ。その祝いだよ」
「お祝い…?」
「…お前の目の色に似ていたから」
「……」
それは深い紫色のレースの付いたリボンだった。
多分手編みのリボン。この長さでもそこそこの金額がしたはずである。
「なんで…」
私の口から出てきた言葉は困惑の一言。
「いいから受け取れよ。俺がこんなもん持ってても仕方ねぇだろ」
突き出してくるものだから、私は勢いに負けてそれを受け取ってしまう。
そっぽ向くテオは首まで真っ赤にしていた。
……調子狂うなぁ。なんだって私にリボンなんか。今までのことを考えると、こんなの渡されると罠でも仕掛けられてるんじゃないかと考えちゃうんだけど、私はそのリボンを一旦膝の上に置いて、自分のお下げ髪の髪ひもを解いた。
手ぐしで髪を簡単に整えて、貰ったリボンを髪の下に通してからハーフアップにする。普段は邪魔だから引っ詰め髪にするかおさげにするかの二択だけど、このリボンは適当な髪型のときに使うものじゃないと思ったのだ。
キュッとリボンを蝶々結びにして手で調整する。あいにくここには鏡がないので、多少の不格好さは大目に見て欲しい。
「…ほら、つけてみたよ」
ここで「似合わねー!」と一笑されるかもなと思ったが、貰ったものには罪はない。馬鹿にされたらその時だとやけくそ気味に声を掛けたのだが、テオの反応は私が想像していたのとは違った。
テオは、私の髪に付けられたリボンを見てふんわりと優しく笑ったのだ。
私はテオのそんな顔を見るのははじめてだった。まるで愛おしいものを見ているかのように笑うから、それを直視してしまった私は固まった。
スッとテオは腕を持ち上げて私の髪の毛に触ってきた。私は「引っ張られる!」とぎくりと構えたのだが、今日に限ってはそんなことなかった。あいつは背中に流した私の髪を優しく指で梳いてきたのだ。
「……やっぱり似合う。それにしてよかった」
「…そう」
「綺麗だ」
…ど、どうしたんだこいつ。
まるで私を一人のレディみたいな扱いをして…これまでの暴挙は一体何だったのだ。
私はめちゃくちゃ動揺していた。いつもなら振り払えたその手をそのままにして私は固まっていた。
いつもなら憎まれ口を叩いてそれで終わるのに……。胸がむず痒くて仕方ないのに、私は膝の上に手を置いたまま黙り込んでいた。
飽きもせずに私の髪を触り続けるテオ。
私の髪を宝物のように触るから何も言えなかったんだ。
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