上 下
4 / 209
Day's Eye 森に捨てられたデイジー

目覚め

しおりを挟む

 人間と獣人は棲み分けをして平和を維持している。今では昔とは世代が変わったので、差別する人間がおかしいという目で見られるようになり、獣人が人間の街に出ても爪弾きにされることはなくなったという。が、依然として差別意識を持つ人間はいるらしい。
 人々の中には根本的に変わらない差別意識が残っている。逆に獣人側も先祖が受けてきた迫害の歴史を許せずに人間を憎むこともある。

 私はその板挟みになって育ったので、その辺にはあまり触らないようにしている。


 私の通う初等学校は獣人の村の学校であり、人間は私一人。それでもって私が進もうとしている中等学校は人間も獣人もいる学校だ。これまでとは違う環境に変わるのだが……まぁなんとかなるだろう。

「おい、やめとけって。お前みたいな女、どうせ馴染めねぇって」
「私遊びに行くんじゃないんですけど」

 通っている初等学校の学校長から推薦をいただき、中等学校の奨学生試験を受けに行くために現地入りしようとする私を何かに付けて引き留めようとするテオの妨害をあしらいながら、私はなんとか乗合馬車の停留所にたどり着いた。
 どこで聞きつけたのか家の前で待ち伏せしてきて……こんなことならもっと早く家を出ればよかった。

「おい聞いてんのか」

 うるさいなぁ。
 私はそっぽ向いて無視することにした。

 学校には幾つか種類がある。
 人間も獣人も共通で6年間の初等学校に通わなければならない。その間の学費は国から援助が出る。
 5年間の中等学校からは自由教育に変わり、学費が生徒負担になるのだ。そのため、多くの人は最終学歴が初等学校までであることが多い。
 次に4年間の大学校が続く。大学校は専門的な学問を学ぶ人が通う場所で、国の直轄施設への就職希望、医師や教職員を目指す人が通うような場所である。

 進学すればするほど職業の幅は広がり、収入も変わる。なのだが、どうしても収入の格差で進学を諦めなければならない学生も出てくる。在籍する学生は裕福な家庭の出身が多くなり、ますます格差が広がる……優秀な人間が機会を得られず、消えていく。
 それを問題視していた学校側が国に掛け合ってできたのが、特別優秀な生徒を優遇する奨学生枠。優秀な成績を維持していることを条件に学費食費生活費が優遇されるというものである。
 こんなありがたい話はないだろう。その座をかけての試験に私は挑もうとしているのだ。
 うちは貧しくないけど、高い学費をぽんと出せるほど裕福というわけじゃない。ただでさえ拾って育ててもらった恩義があるのに、これ以上負担をかけたくないのだ。
 勉強は嫌いじゃないし、私には目的がある。なので目の前にある絶好の機会を逃すはずがないのだ。

 ──ちなみにもう一つ、特別な学校がある。そこには限られた人しか通えない。
 この世界には空気中に存在する元素を操る能力を持つ人間がいる。人々はそれを【魔法・魔術】と呼ぶのだが、その力に恵まれた一部の人間にしか扱えない力なのだ。
 その力は太古の昔からあったもので、その魔法・魔術に関しても魔女狩りとか色々あったらしいんだよね……。一部の学説によれば、身体能力に優れた獣人に対抗して、人間にだけ宿る特別な能力とか……神様が与えた【贈り物】なのだそうだ。そのため、魔力持ちは畏怖とともに尊敬の対象なのだ。
 魔術師になれば更に高収入なんだろうな…。でも、なろうと思ってなれるものでもないし…

「おい聞いてんのかよ!」

 聞いてない。
 私が考え事している横でキャンキャン喚いているようだが、私は試験とか進学のことで頭いっぱいなんだ。静かにしてくれないかな。

「うるさいよ…そんなんだからバカ犬って呼ばれるのよ、あんた」
「俺は狼の獣人だよ!」

 テオがこちらに手を伸ばしてきたので、私は持っていたカバンで頭を守る。

「チッ、可愛くねぇ女」

 髪の毛引っ張られたくないんだよ。あんたすぐに人の髪引っ張るじゃないのよ。
 私はおもむろに空を見上げた。太陽の位置と影から見てもうそろそろ正午だ。遅れがなければ乗合馬車が到着してもいい頃なんだけど……

 ──ガラガラガラ……
 どこからか荷馬車の音が聞こえてきた。身を乗り出して道の向こうを覗き込んでみる。すると道の向こうに砂埃を立てながら走ってくる馬の姿……なんだか、様子がおかしい。

 よく見たら、馬を操作する馭者の姿が見えない。

「逃げろ! 馬が暴走してる!」

 異変に気づいた誰かがそう叫んでいたが、私は固まっていた。思ったよりも暴走馬の速度が速すぎて、あっという間に目の前に迫っていたからだ。私は呆然とそれを見上げる。興奮状態の馬が上体を持ち上げ、後ろ足だけで立つ。私よりも倍以上体積の違う馬の巨体。その迫力に圧倒された私は固まっていた。
 蹄が振り下ろされる。危険に気づいた時はもう遅い。
 いまに馬に蹴り飛ばされようとしていた。

「デイジー!!」

 だけど想像したような痛みは襲ってこなかった。別の誰かが私を庇ったから。ドシャッと地面に倒れ込んだ私は誰かの腕によって守られたのだと悟った。
 私よりも体温の高いそいつは、私よりも身体が大きい。だけど同じ12歳だ。成人と比べたらまだまだ子どもである。獣人といえど不死身というわけじゃない。馬に蹴られたら死ぬことだって……

「う…」
「子どもが馬に蹴られたぞ!」
「頭から血が出てる! すぐに医者を!」
「馬を止めろ!」

 私は目の前で起きたことを脳内で処理できずにしばし固まっていた。大人たちが馬に飛び乗って暴走を止めようと体を張っている。辺りでは砂埃が立って、目がシパシパする。ズルリと私の背中の上を力なくずり落ちる腕。私は庇われたので無傷だった。
 ぐったりと横たわるテオは頭から血を流して呻いていた。どくどくと流れ行く血は地面を赤く濡らしていく。
 テオは、私を庇って代わりに怪我を負ったのだ。

 なぜ、なんで。
 なんで私を庇ったりするんだ…!

 私は自分のかばんをひっくり返してハンカチを手に取ると震える手で患部から流れる血を抑えたが、血は止まらない。じわじわと血を吸い込むだけだ。
 ドクンドクンと心臓が大きく跳ねる。

 どうして、どうして、なぜ私を。
 いつも嫌がらせばっかりしてくるのに。
 私あんたの嫌いだけど、死ねばいいって思ったことは一度だってないのに。

 私のせいだ。このままでは私のせいでテオは死ぬ。どうしたらいい? どうしたらテオを救える? 私はこれまでに沢山本を読んできた。わからないことは何だって大人に聞いた。学校の本だけじゃ飽き足らず、街の図書館で借りた本も読みまくった。だけど得た知識ではテオを救えない。私は医者じゃないのだ。
 私には何もできない。私は無力だ……
 愕然とした。あれだけ勉強しても私は何の力もないのだと。

「…あんたはこんなことで死ぬやつじゃないでしょ。あんたは、私が中等学校に合格したのを悔しがって遠吠えしなきゃいけないのよ…」

 手だけじゃなく、声が震えた。ハンカチから滲んだテオの生暖かい血液が手のひらに伝わってくる。私はぐっとそれを抑え込むと、奴の意識をこっちに呼び戻すべく、大声で叫んだ。

「治れ! 治れ治れ! 起きなさいよ! ここで死んだら許さないから!」

 あんたはこんな簡単にくたばる獣人じゃないでしょうが! 死人みたいな顔で寝てんじゃないよ!
 その呼びかけに反応したテオのまぶたがビクッと動いた。
 
「う、うるせぇ…もうちょっと可愛く起こせねぇのかよ…」
「テオ!」

 薄っすらと目を開けたテオはうるさそうに眉をひそめると、灰色の瞳をこちらに向けた。
 いつもその目を見るたびにイライラするけど、このときばかりはホッとした。意識が取り戻せたなら良かった。後は医者に傷口を縫ってもらって……

「あーイッテェ…これパックリいったんじゃねーの?」
「ちょ、安静にしてなさいよ、いまお医者さん呼んでるから」

 患部を押さえながら気だるそうに起き上がったテオを注意する。頭から出血してるんだ、大人しく寝てないか。
 制するのを無視して身体を起こしたテオは「んん?」と違和感を覚えたように顔をしかめていた。おもむろに抑えていたハンカチを下ろし、指で血に濡れた自分の額を触っている。

「何してるの、まだ血が」

 汚い手で傷口を触ったらバイキンが入るでしょうが。なのに奴は構わずベタベタと患部を触っている。

「…痛くねぇ。……ていうか傷が…ない」
「…えっ?」

 テオの言っている言葉の意味がわからず、私はテオの髪をかきあげた。なんか「お、おい!」と慌てた声が聞こえたが無視だ。
 髪をかき分けて隅々までほうぼう探したが、先程まで血を流していた患部が見当たらない……え、獣人の回復速度こんなに速い? 人間より頑丈っつったって速すぎない?

「デイジー、お前…贈り物持ちだったのか」

 私達の様子をずっとそばで見ていた村民のおじさんが呆然とした声で言った。
 “贈り物”持ち。
 それすなわち、魔力を持っているということだ。
 今の今までそんな能力顕在していなかったのに?


 普通なら即死間違いない傷を負ったはずのテオは、今現在貧血症状はあるものの、怪我は跡形なく完治していた。どんなに腕のいい医者でもそんなにすぐに治せない。獣人の治癒能力速度でもありえない。
 その速度で治す方法……可能性の1つとして治癒魔法。他にもドラゴンの妙薬とか教会の大巫女が作り出した聖水とか方法はあるそうだけど、ここまで急速に治せるのは魔術師の治癒魔法しかありえないそうだ。

 ──限られた人間には魔力が宿る。魔力を持つ人間は畏怖と尊敬の眼差しを送られる存在。その力1つで国を動かすほどの魔術師もいるくらいである。

 中等学校の進学云々どころじゃなくなった。
 …どうやら私の進学先は変更になりそうである。テオの思惑通りに、だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。

みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。 ――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。 それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……  ※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。

俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?

イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」 私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。 最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。 全6話、完結済。 リクエストにお応えした作品です。 単体でも読めると思いますが、 ①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】 母主人公 ※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。 ②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】 娘主人公 を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

処理中です...