上 下
1 / 209
Day's Eye 森に捨てられたデイジー

太陽の目【三人称視点】

しおりを挟む

 パチパチ、と窓や屋根を叩きつける雨の音が響いた。窓から空を見上げれば渦を巻いたような空からはゴロゴロと雷鳴が鳴り響いている。

「今夜は荒れるねぇ…」

 人間にしてはふさふさした丸い耳を持った女性が窓の外を見上げて目を細めた。夕方頃から雲行きが怪しかったが、今晩の天気は大荒れのようである。物が飛んで来ても家の中に入ってこないように窓枠を内側から板で補強したほうがいいかなと首を傾げながら、彼女は晩御飯の準備を再開した。

「おい母ちゃん、リックはどうした? まだ帰ってないのか」

 背後から声を掛けてきたのは男性だ。着用しているシャツのボタンが弾け飛びそうなほど溢れんばかりの胸筋。そのシャツは雨に濡れて余計にピッチリして見えた。
 彼は女性の夫だ。外で仕事をして帰ってきたばかりの彼は仕事道具の斧を玄関脇の道具入れに仕舞いながら息子の不在を確認していた。

「あのわんぱく坊主…日が暮れる前に帰ってこいといつも言ってるのに」

 夫妻には2人の息子がいた。その中でも次男は好奇心旺盛の暴れん坊で、危ないから行くなといえば進んで行動する問題児であった。
 両親だけでなく兄をも振り回す暴れん坊次男は嵐になりかけている今もまだ帰ってきていないらしい。
 まぁ自分の息子だ。そんなヤワな身体をしているわけじゃないから飽きたら帰ってくるだろう、と夫妻はあまり心配していなかった。

 なぜなら彼らは熊獣人。
 進化の途中で獣と人間が混じり合って生まれた種族である彼らは獣としての能力を兼ね備えており、人間よりも頑丈かつ、身体能力に優れているのだ。熊といえば獣の中でも上位の肉食獣だ。熊の獣人も同様でヒエラルキー上位に位置している。そのため余程のことがなければなんともないと心配していなかったのだ。
 そもそもあの次男坊を心配していたら心臓が幾つあっても足りない…とため息を吐きながら女性が鍋の中の具だくさんスープをお玉でかき混ぜる。
 
 外の雨はどんどん音が強くなっていく。
 もしかしたら国境沿いの山の麓では土砂崩れが起きるかも……

 ──ガチャリ。
 直後、玄関の扉が開いた音がした。

「帰ってきたな。そら、拳骨の1つくらい…」

 次男坊に教育的指導をしてやると指の骨をバキバキ鳴らしながら玄関に出向いた熊獣人のお父さん。それをいつもの風景だと流し見してお母さんは、本日のメインディッシュであるサーモンの香草焼きの焼け具合をオーブンの窓越しに眺めていた。

「父ちゃん! 赤ん坊が捨てられていた!」
「はぁぁ!? お前どこから拾ってきた! って人間の赤ん坊じゃねぇか!!」

 しかしその日ばかりはいつもとは様子が違ったようである。
 次男の悲鳴のような訴えに女性は一旦調理の手を止めた。エプロンで手を拭いながら玄関に向かうと、そこには長男坊も集合していた。

「……なんで、人間の赤ん坊が」

 ポツリと長男坊の呟く声が屋根を叩く雨の音にかき消されそうになった。熊獣人一家の視線の中心にいたのは赤ん坊だ。びしょ濡れのおくるみに包まれた生まれて間もない赤子が少年の腕に抱かれていた。
 赤子は住人とは違う肌色のツルンとした耳を持っていた。その耳は猿獣人と少し似ていたが、それとはちょっと違う。赤子は紛うことなき人間である。
 彼らが住まう村は獣人の住まう村だ。
 よそでは人間の住む街もあるにはあるが、いろんな歴史の問題で別れて住んでいるのだ。若い世代は過去の歴史にとらわれずに積極的に関わり合いを持っていたりするが、基本的に余計な争いを産まぬよう、平和のために人間と獣人は別々の文化を営んでいるのである。

 それなのに、この嵐の晩に人間の赤子が獣人の村に……

「森の中で拾ったんだ!」
「はぁ? ばっか! 隣国との国境沿いなんだから森の奥に入るなっていつも言ってんだろ! シュバルツならまだしも、北のハルベリオンは危ない奴がたくさんいるんだぞ!」

 ごちーんと次男坊の頭を小突く熊獣人のお父さん。しかし次男坊は痛みに鈍感なのか痛くも痒くもないらしい。

「熱があるんだよ! 呼吸もおかしいし…あのまま放置してたらこの子死んじゃうと思ったんだよ!」

 目の前にいる赤子の命の灯が消えそうになっていることに焦って連れて帰ってきたというわけらしい。
 半泣き状態の次男坊リックは両親と、腕の中で弱っている赤子を見比べ、つぶらなその瞳にじわじわと涙を浮かべていた。この次男坊はいつもそうなのだ。自分よりも弱いものがいたら放っておけない性分なのだ。

「…仕方ないねぇ。あたしはお湯を沸かしてくるから、あんたらは肌触りのいい布をいくつかかき集めておいで!」

 育児経験のある熊獣人のお母さんの判断は素早かった。面倒事だと突っぱねるわけでもなく一つの命を尊重し看病する方向で動き始めた。
 この嵐の夜、家まで来てくれる人間の医者なんて思い当たらない。獣人の医者でも診れるだろうが、人間に嫌悪感を持っている医者だったら何されるかわからない。
 一家は自分たちで看病することに決めて、交代で徹夜して赤子の看病をした。


 献身的な看病のお陰で、翌日には赤子の容態が落ち着き、一家はほっと胸を撫でおろした。
 一晩荒れていた天気もすっかり晴れに変わった。地面は沢山水を吸い込んでぬかるんでいたが、太陽が空のてっぺんでさんさんと輝き、空には虹がかかっていてとても美しかった。

 すやすやと健やかな寝息を立てている赤子を見下ろした熊獣人のお母さんはふと、赤子が包まれていたおくるみを広げた。
 これは、絹?……上質な布だ。一般市民が使うにしては仕立てが良すぎる。と違和感を覚えた。
 その布には刺繍が施されていた。──デイジーの花だ。子を思って縫われたものだろう。
 
 この子が捨てられていた場所は国境沿いの森だ。屍肉を貪る獣も多く生息しており、土砂崩れの恐れだってあった。……なぜ、あんな人が通らない場所に捨てたんだろうかと不思議に思った。

 お貴族様のお遊びで生まれたけど、結局は育てられなくて捨てたとか…?

「…フヤァ、フギャァ…」
「あぁ、起きちゃったのかい。お腹すいた? ヤギミルクでも温めてあげようね」

 乳離れもしてない、生まれて間もない赤子を捨てるなんて殺すも同然だ。
 熊獣人のお母さんは顔も知らない、赤子の実の両親に怒りに似た感情を向けながらも、罪のない赤子には献身的なお世話をした。

 赤子が回復すると、すぐに人間の住まう街へ出向いて、役所で捨て子があったことを届け出た。対応してくれた役人はすぐに迷い子の届けはないか探してくれたが、該当する情報はなく……仕方ないので乳児院に預ける話になったが、この子は女の子だ。最悪の場合花街に売られる可能性もあった。

 短い期間だったが世話をしたことで熊獣人のお母さんには情が湧いていた。

「施設に入れるくらいだったら、あたしが育てる!」

 熊という生き物は愛情深く、執着心が強い。そして母熊は子を守るために牙をむく凶暴性も兼ね揃えていた。獣人といえど、熊の性質を強く持つ彼ら。
 乳児院に預けると言う話を聞かされた熊獣人のお母さんは激怒した。そこに預けられた子供の末路を知っているからだ。
 熊の本能をむき出しにして赤子を守ろうと威嚇するものだから、周りも圧倒され……

 紆余曲折ありながらも、赤子はデイジーと名付けられ、熊獣人一家の一人娘として愛情込めて育てられることとなったのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

従妹と親密な婚約者に、私は厳しく対処します。

みみぢあん
恋愛
ミレイユの婚約者、オルドリッジ子爵家の長男クレマンは、子供の頃から仲の良い妹のような従妹パトリシアを優先する。 婚約者のミレイユよりもクレマンが従妹を優先するため、学園内でクレマンと従妹の浮気疑惑がうわさになる。 ――だが、クレマンが従妹を優先するのは、人には言えない複雑な事情があるからだ。 それを知ったミレイユは婚約破棄するべきか?、婚約を継続するべきか?、悩み続けてミレイユが出した結論は……  ※ざまぁ系のお話ではありません。ご注意を😓 まぎらわしくてすみません。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

俺の妖精すぎるおっとり妻から離縁を求められ、戦場でも止まらなかった心臓が止まるかと思った。何を言われても別れたくはないんだが?

イセヤ レキ
恋愛
「離縁致しましょう」 私の幸せな世界は、妻の言い放ったたった一言で、凍りついたのを感じた──。 最愛の妻から離縁を突きつけられ、最終的に無事に回避することが出来た、英雄の独白。 全6話、完結済。 リクエストにお応えした作品です。 単体でも読めると思いますが、 ①【私の愛しい娘が、自分は悪役令嬢だと言っております。私の呪詛を恋敵に使って断罪されるらしいのですが、同じ失敗を犯すつもりはございませんよ?】 母主人公 ※ノベルアンソロジー掲載の為、アルファポリス様からは引き下げております。 ②【私は、お母様の能力を使って人の恋路を邪魔する悪役令嬢のようです。けれども断罪回避を目指すので、ヒーローに近付くつもりは微塵もございませんよ?】 娘主人公 を先にお読み頂くと世界観に理解が深まるかと思います。

旦那様に離縁をつきつけたら

cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。 仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。 突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。 我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。 ※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。 ※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

【完結】どうかその想いが実りますように

おもち。
恋愛
婚約者が私ではない別の女性を愛しているのは知っている。お互い恋愛感情はないけど信頼関係は築けていると思っていたのは私の独りよがりだったみたい。 学園では『愛し合う恋人の仲を引き裂くお飾りの婚約者』と陰で言われているのは分かってる。 いつまでも貴方を私に縛り付けていては可哀想だわ、だから私から貴方を解放します。 貴方のその想いが実りますように…… もう私には願う事しかできないから。 ※ざまぁは薄味となっております。(当社比)もしかしたらざまぁですらないかもしれません。汗 お読みいただく際ご注意くださいませ。 ※完結保証。全10話+番外編1話です。 ※番外編2話追加しました。 ※こちらの作品は「小説家になろう」、「カクヨム」にも掲載しています。

処理中です...