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Day's Eye 森に捨てられたデイジー

太陽の目【三人称視点】

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 パチパチ、と窓や屋根を叩きつける雨の音が響いた。窓から空を見上げれば渦を巻いたような空からはゴロゴロと雷鳴が鳴り響いている。

「今夜は荒れるねぇ…」

 人間にしてはふさふさした丸い耳を持った女性が窓の外を見上げて目を細めた。夕方頃から雲行きが怪しかったが、今晩の天気は大荒れのようである。物が飛んで来ても家の中に入ってこないように窓枠を内側から板で補強したほうがいいかなと首を傾げながら、彼女は晩御飯の準備を再開した。

「おい母ちゃん、リックはどうした? まだ帰ってないのか」

 背後から声を掛けてきたのは男性だ。着用しているシャツのボタンが弾け飛びそうなほど溢れんばかりの胸筋。そのシャツは雨に濡れて余計にピッチリして見えた。
 彼は女性の夫だ。外で仕事をして帰ってきたばかりの彼は仕事道具の斧を玄関脇の道具入れに仕舞いながら息子の不在を確認していた。

「あのわんぱく坊主…日が暮れる前に帰ってこいといつも言ってるのに」

 夫妻には2人の息子がいた。その中でも次男は好奇心旺盛の暴れん坊で、危ないから行くなといえば進んで行動する問題児であった。
 両親だけでなく兄をも振り回す暴れん坊次男は嵐になりかけている今もまだ帰ってきていないらしい。
 まぁ自分の息子だ。そんなヤワな身体をしているわけじゃないから飽きたら帰ってくるだろう、と夫妻はあまり心配していなかった。

 なぜなら彼らは熊獣人。
 進化の途中で獣と人間が混じり合って生まれた種族である彼らは獣としての能力を兼ね備えており、人間よりも頑丈かつ、身体能力に優れているのだ。熊といえば獣の中でも上位の肉食獣だ。熊の獣人も同様でヒエラルキー上位に位置している。そのため余程のことがなければなんともないと心配していなかったのだ。
 そもそもあの次男坊を心配していたら心臓が幾つあっても足りない…とため息を吐きながら女性が鍋の中の具だくさんスープをお玉でかき混ぜる。
 
 外の雨はどんどん音が強くなっていく。
 もしかしたら国境沿いの山の麓では土砂崩れが起きるかも……

 ──ガチャリ。
 直後、玄関の扉が開いた音がした。

「帰ってきたな。そら、拳骨の1つくらい…」

 次男坊に教育的指導をしてやると指の骨をバキバキ鳴らしながら玄関に出向いた熊獣人のお父さん。それをいつもの風景だと流し見してお母さんは、本日のメインディッシュであるサーモンの香草焼きの焼け具合をオーブンの窓越しに眺めていた。

「父ちゃん! 赤ん坊が捨てられていた!」
「はぁぁ!? お前どこから拾ってきた! って人間の赤ん坊じゃねぇか!!」

 しかしその日ばかりはいつもとは様子が違ったようである。
 次男の悲鳴のような訴えに女性は一旦調理の手を止めた。エプロンで手を拭いながら玄関に向かうと、そこには長男坊も集合していた。

「……なんで、人間の赤ん坊が」

 ポツリと長男坊の呟く声が屋根を叩く雨の音にかき消されそうになった。熊獣人一家の視線の中心にいたのは赤ん坊だ。びしょ濡れのおくるみに包まれた生まれて間もない赤子が少年の腕に抱かれていた。
 赤子は住人とは違う肌色のツルンとした耳を持っていた。その耳は猿獣人と少し似ていたが、それとはちょっと違う。赤子は紛うことなき人間である。
 彼らが住まう村は獣人の住まう村だ。
 よそでは人間の住む街もあるにはあるが、いろんな歴史の問題で別れて住んでいるのだ。若い世代は過去の歴史にとらわれずに積極的に関わり合いを持っていたりするが、基本的に余計な争いを産まぬよう、平和のために人間と獣人は別々の文化を営んでいるのである。

 それなのに、この嵐の晩に人間の赤子が獣人の村に……

「森の中で拾ったんだ!」
「はぁ? ばっか! 隣国との国境沿いなんだから森の奥に入るなっていつも言ってんだろ! シュバルツならまだしも、北のハルベリオンは危ない奴がたくさんいるんだぞ!」

 ごちーんと次男坊の頭を小突く熊獣人のお父さん。しかし次男坊は痛みに鈍感なのか痛くも痒くもないらしい。

「熱があるんだよ! 呼吸もおかしいし…あのまま放置してたらこの子死んじゃうと思ったんだよ!」

 目の前にいる赤子の命の灯が消えそうになっていることに焦って連れて帰ってきたというわけらしい。
 半泣き状態の次男坊リックは両親と、腕の中で弱っている赤子を見比べ、つぶらなその瞳にじわじわと涙を浮かべていた。この次男坊はいつもそうなのだ。自分よりも弱いものがいたら放っておけない性分なのだ。

「…仕方ないねぇ。あたしはお湯を沸かしてくるから、あんたらは肌触りのいい布をいくつかかき集めておいで!」

 育児経験のある熊獣人のお母さんの判断は素早かった。面倒事だと突っぱねるわけでもなく一つの命を尊重し看病する方向で動き始めた。
 この嵐の夜、家まで来てくれる人間の医者なんて思い当たらない。獣人の医者でも診れるだろうが、人間に嫌悪感を持っている医者だったら何されるかわからない。
 一家は自分たちで看病することに決めて、交代で徹夜して赤子の看病をした。


 献身的な看病のお陰で、翌日には赤子の容態が落ち着き、一家はほっと胸を撫でおろした。
 一晩荒れていた天気もすっかり晴れに変わった。地面は沢山水を吸い込んでぬかるんでいたが、太陽が空のてっぺんでさんさんと輝き、空には虹がかかっていてとても美しかった。

 すやすやと健やかな寝息を立てている赤子を見下ろした熊獣人のお母さんはふと、赤子が包まれていたおくるみを広げた。
 これは、絹?……上質な布だ。一般市民が使うにしては仕立てが良すぎる。と違和感を覚えた。
 その布には刺繍が施されていた。──デイジーの花だ。子を思って縫われたものだろう。
 
 この子が捨てられていた場所は国境沿いの森だ。屍肉を貪る獣も多く生息しており、土砂崩れの恐れだってあった。……なぜ、あんな人が通らない場所に捨てたんだろうかと不思議に思った。

 お貴族様のお遊びで生まれたけど、結局は育てられなくて捨てたとか…?

「…フヤァ、フギャァ…」
「あぁ、起きちゃったのかい。お腹すいた? ヤギミルクでも温めてあげようね」

 乳離れもしてない、生まれて間もない赤子を捨てるなんて殺すも同然だ。
 熊獣人のお母さんは顔も知らない、赤子の実の両親に怒りに似た感情を向けながらも、罪のない赤子には献身的なお世話をした。

 赤子が回復すると、すぐに人間の住まう街へ出向いて、役所で捨て子があったことを届け出た。対応してくれた役人はすぐに迷い子の届けはないか探してくれたが、該当する情報はなく……仕方ないので乳児院に預ける話になったが、この子は女の子だ。最悪の場合花街に売られる可能性もあった。

 短い期間だったが世話をしたことで熊獣人のお母さんには情が湧いていた。

「施設に入れるくらいだったら、あたしが育てる!」

 熊という生き物は愛情深く、執着心が強い。そして母熊は子を守るために牙をむく凶暴性も兼ね揃えていた。獣人といえど、熊の性質を強く持つ彼ら。
 乳児院に預けると言う話を聞かされた熊獣人のお母さんは激怒した。そこに預けられた子供の末路を知っているからだ。
 熊の本能をむき出しにして赤子を守ろうと威嚇するものだから、周りも圧倒され……

 紆余曲折ありながらも、赤子はデイジーと名付けられ、熊獣人一家の一人娘として愛情込めて育てられることとなったのである。
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