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番外編
あーちゃんとお父さん・後編【三人称視点】
しおりを挟む週末は家族で買い出しのために車で大きめのショッピングモールへ向かう田端家。運転席にいる真人の隣の助手席はあやめの指定席である。その日はお父さんの仕事が休みであることにご満悦なあやめはチャイルドシートに座ってウキウキしていた。
「おとしゃんあれっ! あーちゃんあそこ通うの!」
「うんうん、あーちゃんもひと足早く幼稚園生なんだね~。いいなぁお父さんも通いたいなぁ」
通り道にあった幼稚園を指差したあやめはワクワクした様子だった。斜向かいのおうちの子もこの機会にと一緒に幼稚園に通うこととなり、入園が益々楽しみになっているようだ。
「あーちゃん、おともだちたくさんできるかな? おともだちとたくさんあそぶんだ」
「楽しみだねぇ。お友達とのお話お父さんに聞かせてね」
「うん!」
目的地の大型ショッピングセンターに到着すると、あやめは車を降りるなり、お父さんに抱っこをねだった。
「おとしゃん、だっこ」
「あーちゃんは甘えん坊だなぁ」
勿論娘に甘い真人は軽々と娘を抱き上げた。その顔面はデレデレと溶け切っており、とても気持ち悪い。
気持ち悪いが、そんな顔が普通だと思っているあやめはニコニコしていた。お母さんは弟のことばかりだが、お父さんは自分をちゃんと見てくれる、相手をしてくれる。だからあやめはお父さんが大好きだった。
「…あやめ、歩きなさい。もう大きいんだから抱っこは必要ないでしょう? もう赤ちゃんじゃないんだから…」
「…あーちゃん、赤ちゃんだもん…」
貴子の注意に、あやめはむくれた。ベビーカーに座って此方をキョトンと見上げている弟の顔を見て顔を歪めると、真人の首に抱きついた。
今の2人の微妙な関係でその言葉は余計にあやめに反発されるだけなのだが、貴子はそれに気づいていない。溝は深まって行く一方だ。
「お姉ちゃんでしょう? 和真が見てるよ、恥ずかしくないの?」
「…お姉ちゃん辞めるからいいもん」
「あやめ!」
見事地雷を踏みぬいた貴子は、あやめの機嫌を損ねてしまった。あやめは断固として貴子のいうことを聞かない。
貴子は頑固な娘に苛立ちを募らせていた。そしてあやめは母親から目を背けて、父親から離れようとしない。
二人の間に緊張が走った。
「えーと…俺が2人を見ているから、貴子は買い物頼んでいいかな?」
「……」
この母娘を引き剥がしたほうがいいと判断した真人は、自分が子守をすると提案した。首にしがみついている娘の泣く一歩手前の雰囲気を読み取ったからだ。
なにか言いたげな貴子を買い物に送ると、真人は片手にあやめを抱っこして、もう片方の手で和真の乗ったベビーカーを押してイートインスペースに向かった。
「あーちゃんはどれがいいかなー?」
「ぴんくの! 可愛いやつ!」
「…ピンクのアイスいっぱいあるよー?」
「お星様が付いてるのー」
イートインスペース内にあるアイスクリーム屋さんでアイスクリームを買ってあげると、あやめは機嫌を直した。
イチゴ味のアイスに、色とりどりの星の砂糖菓子をトッピングしてもらったアイスを嬉しそうに眺めると、スプーンですくって食べ始めた。
「あばぁー!」
「ん? カズも食べたいのか?」
姉が美味しそうなものを食べているのを見て自分も食べたくなったのか、言葉にならない言語で、弟の和真が要求した。
弟が手を伸ばして、自分のアイスクリームを求めているのがわかったあやめはカッとなった。
「だめっ! カズにはおかしゃんがいるでしょ、おとしゃんがあーちゃんに買ってくれたの! あげないもん!」
このアイスクリームは自分だけの特別だ。お父さんが自分のために買ってくれたお星様のアイスクリーム。お母さんを盗った弟なんかに盗られてたまるかという気持ちであやめは拒否した。
声を荒らげての拒否。まだまだ1歳にもなっていない和真ではあるが、姉が怒っていることはしっかり理解できたようだ。
和真はきれいな形をしたアーモンド型の瞳に涙を浮かべ、爆発したかのように大泣きし始めた、
「う、…うぇぇぇん…!」
弟を泣かせてしまい、あやめはバツが悪そうに顔をぷいっとそむけた。
「…だめだよあやめ、弟には優しくしなきゃ。カズは赤ちゃんなんだから」
泣きわめく和真を宥めながら、真人は娘を窘めた。
娘が弟に対してヤキモチを焼いているというのはわかっていた。意思疎通の出来ない弟に、頭ごなしに怒鳴りつけるのは良くないと言う意味で窘めたのだが、あやめはお父さんからの言葉にショックを受けていた。
「なんでっ!? おとしゃんもカズのほうがすきなの!?」
あやめは父親だけは自分の味方だと信じて疑わなかった。だから弟を庇う発言を受けて、裏切られた気分になっていた。
真人はあやめの反応に眉をハの字にしていた。
「そうじゃないよ。…あやめ、よく聞いて。カズは小さいだろう?」
「…ん」
真人はしゃがんで、あやめと目を合わせると、腕に抱っこしている和真を見せた。父親の言葉にあやめは素直にうなずいた。
「あやめはカズよりも大きいし、おしゃべりも得意で、元気だ。だけどカズは違う。小さいし、お話はできないし、体は弱い。歩くのも下手っぴだろう? …だから守ってあげなきゃ、カズは…」
「…しぬの?」
幼子に言い聞かせるのは中々難しい。
真人は出来るだけわかりやすく説明しようとしたが、あやめの理解は、和真弱い=死となっていた。
和真は命に関わる病気を持っているわけではないが、この際あやめが納得できる形で言い聞かせるしか無いと思った真人は神妙な顔をした。ちなみに肯定も否定もしていない。
「…あやめはお母さんを盗られて嫌な気分なんだろう? でもねお母さんも大変なんだ。…我慢してあげてくれないかな?」
「む…」
「カズは弱いから、一緒に守ってあげよう? お父さんからのお願いだ。その分お父さんがあやめと一緒に遊んであげるから」
大好きなお父さんにお願いされてしまったら、あやめは拒否することは出来なかった。
「おとしゃん…あーちゃんのこと好き?」
「だーいすきだよ」
「…あーちゃんもおとしゃん大好きよ。…あーちゃん、頑張る…」
あやめは恐る恐る弟に手を伸ばすと、ゴメンネの意を込めて、そっと小さな頭を撫でてあげた。真人はそれを見てホッとしていた。
真人は気づいていない。そのお願いが、あやめのお転婆伝説の始まりだということを。
和真=弱い=あやめがしっかりしなきゃ! という方程式がこの時生まれ、姉としての自覚が生まれた。でなきゃ弟は死んでしまうのだ。あやめはまだまだ幼いながらも、その命を受けてしっかりするようになった。小さな自立心が芽生えたのもこの時だ。
それは段々と進化して、大変な出来事になっても自分で解決する、誰にも頼らないという悪い癖になってしまうことになるのだが、それはのちの話だ。
その後もお母さんは弟の世話でてんやわんやであった。だけどその分お父さんがあやめの相手をしてくれたので、あやめはそれで満足するしか出来なかった。
まだ不満だし、寂しいけれど、弱い弟を守らなきゃいけないのだとお父さんに言われたから、あやめは健気にそれを理解しようとしていたのだ。
この出来事から程なくして、あやめが幼稚園にプレ入園したことでお友達も増え、あやめの世界が広がった。そのお蔭で以前ほど寂しくなくなった。新年度の4月になるとほぼ毎日幼稚園に通うことになり、全然寂しくなくなった。あやめは以前にもまして元気になった。
あやめはすくすく成長し、行動範囲も言葉の数も増え、毎日幼稚園であったことを両親に笑顔で報告する。幼稚園の制服を着て、毎日楽しそうに出かけていく姉を見て、和真もついていきたいと駄々をこねるようになる。
「ねーちゃ! カズもいくぅ!」
「だめよ、カズはまだ赤ちゃんだもの」
送迎バスに乗り込んでいく姉を和真は不満そうに見上げ、泣き出した。和真が一歩先を行くあやめの後を追いかけるようになったのもこの頃からだ。
■□■
幼稚園の6月の行事で、あやめがお父さんの似顔絵を書いて渡したら、歓喜した真人が額縁に入れて自分の部屋に飾ったのは想像に難くない話だろう。
バレンタインには、貴子監修の元、はじめてのバレンタインチョコを作って送ってくれた。真人はそれをしばらく飾って、食べずにいた。
可愛い可愛い娘からの贈り物ひとつひとつに真人は幸せを感じていた。真人はいつまでも娘と一緒にいられると信じていたのだ。
だが、その1年後、地獄に突き落とされることになる。
「あのねあのね、あやめ…けっこんしたいひとがいるの…」
もじもじしながら両親に打ち明けたあやめは年中さんになっていた。お転婆で生傷が絶えない娘が乙女っぽい事をいうものだから、両親はキョトンとした。
娘のその言葉に、真人はもしかしてと期待に胸を膨らませたのだが、娘はその期待を見事に裏切った。
「誰と結婚したいの?」
貴子の問いにあやめは恥じらいを見せながら、小さく呟いた。
「…くろばらの、プリンス様」
「誰だそれは」
「お父さん、静かにして。…キュートプリンセスに出てくる王子様が好きなの?」
「うん。かっこいいから…」
素で怖い声を出してしまった真人を貴子が注意する。貴子は娘の淡い恋を応援するつもりらしい。
どうやら幼女向けアニメの登場人物にあやめは惚れ込んでしまったようだ。最近日曜の朝にテレビを占領しているのは気づいていたが、そんな理由だったのかと真人はショックを隠しきれなかったという。
父と娘の蜜月はこの時終わりを告げた。
黒薔薇のプリンス様の登場により、あやめとお父さんの間には距離が生まれるようになったという。
その十数年後、彼氏という強敵に娘を掻っ攫われ、心張り裂けそうになることを真人はまだ知らない。
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